マッサンとベーマー

  • 2014.10.11 Saturday
  • 05:49
普段JRに乗らない方には無縁の雑誌かもしれませんが、車内誌の「THE JR Hokkaido」にはなかなか面白い特集があります。以前創成川特集の中でちらりと取りあげていただいたことがありましたが、その時にライターの北室かず子さんが取材に見えられました。四国のご出身ということやら、生家が代々医者であることやら、あれこれ話しているうちに、ルイス・ベーマーのことに話が飛びました。なんでそこに飛んだのか記憶にないのですが、北室さんが出した『赤れんが庁舎物語』からだったかな?
我が国の果樹や野菜、様々な作物などは、開拓使の植物培養方であったルイス・ベーマーによるものがほとんどなのに、その功績が忘れ去られているのはけしからんと、いつもの話で盛り上がったのです。そのことをしっかりと心に留めていただいていたのですね。10月の車内誌に、なんとマッサンと共に取りあげていたのです!先月末に送っていただき、ページをめくっていくと、なんでマッサンとベーマーがセットになっているのかな?と、思ってしまいます。ベーマーのことなんか知らない方には、(?_?)になってしまうことでしょう。さすが北室さん、少し強引に、でもうまーく繋げてくれたのです。

なので今日は一気の公開に踏み切りました。マッサンブームに浮かれることなく、その時代背景や余市の成り立ちにも思いをはせていただきたいものです。世の中三連休の方も多いことでしょう。じっくりと読んでみて下さい。ベーマーのことは、またしっかりと紹介しようと思います。
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Bobby Womack 追悼

  • 2014.06.30 Monday
  • 05:53
私が最も好きなシンガーである ボビー ウーマック が亡くなりました。享年70歳とは…

ハフポスト
 (The Huffington Post 日本版より)

彼のことを知ったのは70年代半ば。サムクックが好きだったけど、ちょっと軽いなぁ…という感じを持っていた時に、サムのバックバンド(Bobby Womack & The Valentinos)から独立したボビーのことを知りました。
Valentinos

70年代から80年代にかけて、精力的にアルバムを発表していたので、一気にすべてのレコードを集めてしまい、今でもよく聴いています。実に乗りがよく、格好いい歌が多いのです。今ではこれらのレコードのCD版があるので、さらに聴きやすくなりましたが、晩年大御所的になってからのものより、脂の乗りきったこの時代のものがやっぱりいいなぁ。
Safty_Zone
(「Safety Zone」(1976年))

まさに「ソウルレジェンド」として、ソウルの本流を築いてきたボビーの死により、ソウルミュージックそのものが消えていくような気がして、しんみりと聴いてしまいました。

ガルディナとの別れ

  • 2014.05.08 Thursday
  • 05:58
私は物持ちがいいので、気に入ったものはうんと長く使います。毎朝果物をむいているペティナイフは、学生の時に五番館で買ったヘンケル製で、まもなく40年になりそう。ずいぶんと細身になってしまいました。今のガラケーも今年で10年目。携帯史上最薄のP705iμなので、ほかのものに変える気がしません。

そんな中で、とうとうお別れしたものがありました。こんなもの…と恐縮ですが、ガルディナのホースジョイントです。植木屋時代ですから、今から30年以上前。仕事ではいつもホースを持ち歩いて、灌水やら掃除やら、セメント練りやらとよく使うのですが、そのたびに針金とペンチを持ち歩き、ホースをぎりぎりと金物のホース口に縛らなければなりませんでした。でもホースがねじれて水圧が上がると、いつもプシューとホースがはずれて水が噴き出す始末。それを繰り返すのですから本当に面倒でした。そんな時に、当時の札幌興農園で見つけたのがガルディナのシステムだったのです。

早速いくつかのセットを買い求め、会社で使うホースに取り付けて、実に快適に使えるようになりました。お客さんのうちにもすべてこれを取り付けてしまい、みなさんにも喜ばれたものです。
我が家で使っていたものは、結婚した頃からのものであればもう30年ですか。とうとう昨年の秋に、プラスチックが劣化してしまい、水がもれるようになったのです。困ってすぐにホー○○○に行くとガルディナはなくてK社製ばかり。でもこれがそのまま使えるので、ホースエンドだけ買ってきました。そして雪解け後早速使おうと水を出したところ、今度は蛇口にねじ込んだジョイントがひび割れて、水が噴き出してしまいました。同じ寿命だったのですねぇ。
ガルディナ
左にあるのは、今はもう発売されていない旧型の万能ジョイント。これは年に1,2度しか出番がないので、まだ新品同様です。これが出回り始めた時代は、まだまだオリジナリティーよりも、似たようなものをいかに安く大量に作るかが日本のもの作りだったのでしょう。知らぬ間にガルディナ製品は身近なところからなくなり、互換性のある安価なK社製品しかなくなっていたのです。今回は急いでいたので探すヒマがありませんでしたが、いずれまた復活させたいと思っています。
なので、このジョイントはまだ捨てられずに、事務所に飾ってあるのです。

70年代グラフィティ(その2)

  • 2014.03.15 Saturday
  • 05:24
昨日の夜は荒れ模様が予感される強風と、雪もちらついていましたが、今朝は風も止み、穏やかな夜明けを迎えようとしています。今日はこれから、先日亡くなった義父の納骨に函館へ。息子も一緒に行くので、3人で車で行くことにしました。少し運転代わってもらえるから楽になるのか、心配でハラハラすることになるのか…

明日も更新できそうにないので、先日のマッチコレクションの残りをアップさせて頂きます。実はまだたくさんあるけれど、私自身の思い入れがあるのはこの程度なので、ここまでにしておきましょう。こんな形で公表しておけば、どこか一つくらい、懐かしく思われるかとかすかな希望を持ちながら… これでようやく70年代の回顧も終わりになります。最後の一つは北大周辺の店。
北大前
北大病院前の「まこと屋」は典型的な大衆食堂で、ねずみ男そっくりの大将が威勢よく野菜炒めやチャーハンを作ってくれました。中でも感激したのがホッケの開き。干物なんてアジやカマスくらいしか知らなかったので、こんな巨大な大きさでこんなに安くていいのかな?と大感激した記憶があります。

「亭北軒」と言ってもどこの店だか分からないけれど、モツラと言えば誰もが分かる店。のれんに書かれたモツラーメンが詰められて、自然に店の名前になってしまいました。北15条の旧電車通角にあった小さな店で、恵迪寮生の御用達だったので、こ汚い風采の酔っ払いに満ちていた店でした。やたら分厚いガラスのコップなので、実質5勺もなかったような…

「みどりや」は北12条角の小さな食堂。夫婦で丁寧な作りのとんかつ定食がお奨めの店。この近くには前後1年以上住んでいたので、よく行きました。夕方行くと、よく高校生の娘さんが手伝っていて、ほんわかしていい雰囲気でした。

「唖面堂」(あめんどう)は、13条門の前にあったちっちゃなジャズ喫茶。友人がよくバイトしていたこともあり、寡黙なマスターとウマが合ったので、ジャズ喫茶では一番通った店です。10年くらい前に、一度常連で集まって楽しく飲んだことがありましたが、その数年後に急逝されてしまい、こういう機会にはなにが何でも会っておかないとなぁと、通夜で話したことを思い出します。

「ハングリーホース」も懐かしい店。北18条の地下鉄前に今もある小さなビルで、店に通ったというより、このビル掃除のバイトを卒業後もしばらくやっていました。隣の美容室のママに、若い子の試験台になってくれない?というので、しばらくカットはタダでやってもらい、その後も店を閉めるまで通っていました。このマスターはその後転職し、水産関係の業界新聞で働いている時に出会ってびっくりした記憶があります。
町中
そのほかで特に懐かしいのは「ハイチ」。大通の西14丁目の角にあったハイチ風の建物なので、よく目立ちました。独特の風味のあるハイチコーヒーと、町中のエアポケットのような静かな雰囲気が好きで、ここにもよく通ったなぁ。マミフラワーと一緒だったような記憶が。

「DUC」(デュック)はもう少し後の80年代に入ってからの店で、なくなってしまった館の向かいにありました。Akikoさんはアメリカ人と結婚してシアトルに渡り、今でも時々子どもを連れて遊びに来ます。

昔はこんな隠れ家のような小さな店が、町中にはあちこちにあったんだなぁと、しみじみと思ってしまいました。喫茶店文化がほとんど消え失せようとしている時代、あの居心地のいい体の収まり具合、ゆったりと過ぎていく時間、そして個性のあるコーヒーやお茶の香り。今のスタバでは、絶対に感じることのできないものだったんですね。

※(その1)はこちらです。

70年代グラフィティ(その1)

  • 2014.03.09 Sunday
  • 06:06
正月に発掘したものの一つに、マッチのコレクションがありました。わたしは全くタバコを吸わなかったので、マッチなんかいらないはずですが、当時は喫茶店でも飲み屋でも、レジの所に必ずマッチが置いてあり、名刺代わりについ手に取ってしまったものでした。そんなマッチが菓子箱に一つぎっしりと詰まっていたので、ちょっと危険なこともあり、中身をバラして整理してしまいました。
先日紹介したエルフィンランドの20周年記念誌『妖精時代』の中には、開店して間もない1976年当時の、南2〜3条西5丁目界隈のマップがありました。それと合わせると当時の町中の店がよく分かります。
界隈図

まだ学生の身分では、わざわざ町に飲みに行くということもほとんどなかったけれど、一浪して入ったおかげで現役組の友人たちとのつきあいが広がっていったので、連れ立って飲みに行くことはありました。その中ではやはり「MOJO」がダントツにいい店で、ケイスケさんのにこやかな顔が忘れられません。気の利いた音楽を聴きながら安く飲める店として、圧倒的な存在感を持っており、ここの常連から次々と店を出していった原点の存在だったようです。
もう一つの有名な店「トレーラー」の方は行った記憶がありませんでしたが、新しく出し直した?「蔵生地」の方にはよく行ってました。こちらのテッチャンもひげを生やしていましたが、当時はみんな鼻ひげ生やしていたような…
マッチ1
もう一つ懐かしい店が「Midori」。南4西1の南向きの角にあった細長くて狭い二階建ての店で、洋さんの映像の盟友であったASO氏の店。奥さんは皮工芸やアレンジメントなどなんでもやれる人で、このマッチもそんな手作り品でした。私のアレンジメントの先生です〜
はちみつぱいでベースを弾いていた和田博巳さんが、札幌に戻って開いた店が「和田珈琲店」。南3条通に面した日当たりのいい白亜の店は、薄暗いところで紫煙もくもくジャズを聴くというスタイルとは正反対で、タバコ嫌いの私には天国のような店でした。開店した76年はまだ研究生で学校にいたこともあり、圃場で切ってきた花をSolexに縛り付け、いつも届けてました。
ほそださんの「TOYS」は、ファイブスイートボーイズのたまり場で、『すいーとたいむず』の事務局のあった店。「犬狼都市」は飲み友達の大五郎(女性)の行きつけの店で、僕はほとんど行ってないかも。

「JAMAICA」は東映の地下にあったJAZZ屋さんのたまり場。ここよりも「B♭」(ビーフラット)の方が好きだったけど、ピエロのマッチがありませんでした。こちらの方の店にはそんなに行かなかったけれど、懐かしく思う方もいるかもしれないので。
マッチ2

※(その2)はこちらです。

エルフィンランドの時代(その7)〜妖精時代2〜

  • 2014.03.02 Sunday
  • 05:49
エルフィンランドが20年を迎えた94年の前後は、私にとっても日本にとっても大変動のあった時代でした。92年には、40歳になる直前に留萌の現場で倒れ、不覚にも入院する羽目に。過労で風邪をこじらせ、薬で抑え込もうとして肝臓がパンク、おまけに胃カメラのんで見たら胃の中が穴だらけという状態で、前厄通りの結果になりました。
翌93年は自民党政権が崩壊して細川内閣が誕生、大冷害によって米が全くできず、タイ米を輸入した年でした。この冷害を引き起こした強いヤマセ(東風)によって、大島の調査班が島の裏側から帰れなくなり、救難船を仕立ててぎりぎりで救出に成功したこともありました。なんだかこのあたりから、一年中目一杯忙しくなっていったように思います。

そんな中での20年だったので、自分的には息抜きというか、ふと立ち止まるいい機会だったのかもしれません。20年目は4月6日で、その日は静かに乾杯しただけ。せっかくなので思い切りにぎやかにやろうと、裏返して6月4日に盤渓スキー場を借り切って、野外のパーティーをやることにしました。
20年チラシ
当日はとても肌寒い天気で、思い切り酒をあおりながら、どんちゃん騒ぎのにぎやかなパーティーでした。この時も実行委員長としててんてこ舞い。それでもあのエルフィンにしては、小綺麗な飲み方だったかもしれません。酔っぱらいたちのいい顔が並んでいました。最前列で足を伸ばしているのが私です。
集合写真

記念誌の方はこの時にはとうとう間に合わず、完成したのが7月の末に。20年を振り返りながらの記念誌づくりは、私なりに楽しむことができたと思います。記念誌には、立派な金色の腰巻きまで付いていました。
腰巻き1

腰巻き2

編集後記には、「20年間の年譜づくりは、改めて自分のスタンスを確認する大変な作業であった。それにしても94年は、愛猫『なな』の18歳での死によって忘れられないものとなってしまった。」とありました。私は建設コンサルタントとして、40代は三度も過労で倒れながらも全力で駆け抜けた10年であり、最も充実していた時期といえるでしょう。
洋さんも飲み屋から本来の映像の道を進み始め、キノに移行していく時期です。それぞれの道を、踏み出すきっかけになったのかもしれません。そんな飲み屋があったことを、長々と紹介してしまいましたが、お付き合いありがとうございました〜

あとがき

エルフィンランドの時代(その6)〜妖精時代1〜

  • 2014.02.28 Friday
  • 05:48
今日で2月も終わり。そろそろ暖かくなってきたので、70〜80年代グラフィティもそろそろ終わりにしなければ。札幌に来て40年余りのうち、前半の20年はある意味激浪に翻弄されながらも、必死に生き抜いていたように思います。引っ越しもたくさんやりましたが、職を転々としながらも、少しでも自分の目指すものに近づこうと、もがき続けた20年だったかもしれません。

その中で、エルフィンランドという飲み屋の存在は、たくさんの友人との出合いや、酒をあおりつつかわした議論の数々によって、私のヤワな頭も少しずつしっかりしていったように思います。その店が20周年を迎えるにあたり、何かしようかとの飲み話の中で、ただパーティーやるよりも何か冊子にまとめようということになりました。常連だということより、‘まめな’性格が災いし、編集長をやることになってしまいました。半年以上の苦闘の末、20周年には間に合いませんでしたが、8月になってようやく完成。200ページにもなる立派な本になってしまいました。

   妖精時代

なにせ常連には、コピーライターやデザイナーやあらゆる職種のプロがいるので、当然の如く本格的になっていきます。この本が1,200円でできたというのもすごかった。

道新

20年間に関わった人達にそれぞれのジャンルで書いてもらうことになり、65人もの執筆陣。今でもこの本は時代の記録としてとても貴重なものになっていると思います。
 目次1  目次2
私の前書きにあるように、エルフィンという「場」があり続けたこと、そこに立ち寄る一人一人が、みんなそれぞれの道を模索しながら、お互いにシンクロしつつ刺激を受け続けたことが、この「場」を魅力ある空間に維持し続けたことになったのでしょう。
はじめに1

はじめに2
店は東映仲町から南3条に移転し、おんぼろの店がすっかり小綺麗になったとしても、まだ新鮮さを失わないでたくさんの刺激を発信し続けていた20周年だったのです。(つづく)

エルフィンランドの時代(その5)〜ブルース編〜

  • 2014.02.23 Sunday
  • 05:26
この時代で、もう一つ忘れられない動きがブルースです。エルフィンランドが4月に開店した74年の暮れに、もう一つ今も流れが続く大切な店『神経質な鶏』がオープンしています。場所は北海学園裏の住宅地のど真ん中で、私の恩師がすぐ近くの水車町だったこともあり、大学を出たあたりからよく行くことになりました。前の道路は学園で行き止まりだし、幅が広かったこともあって、ブルースの店というより、オープンカフェのような雰囲気でした。
マッチ
当時の私の音楽傾向はジャズボーカルがメインで、ビリーホリデーやエラフィッツなんかではなく、もっとR&Bに寄ったダイナ・ワシントンが一番の好みでした。なのでブルースには、すんなり入って行けたのかもしれません。当時はもちろんレコードの時代で、札幌では気の効いた洋盤は全然手に入らないから、松山との往復ついでに東京や神戸の専門店で仕入れたレコードを、重たい思いをして集めていました。ダイナはもちろんのこと、その一派のレコードコレクションも、今では貴重なのかもしれません。

神経質な鶏は、開店1周年を記念して12月に「ブルース収穫祭」を行っています。これは以降年末の恒例行事として定着していきました。ここでメインをやった地元バンドの「スカイドッグブルースバンド」のメンバーとは、いまだにつきあいが続く仲に。毎度めちゃくちゃ酒を飲み、にぎやかな時間を過ごしていました。
第1回収穫祭

鶏をやっていた梶原さんは、店の経営がうまいというか、次々と新しい基軸を求めた店を出していきます。町中に「GEE」や「BESSIE」を出店し、良質のボーカルが聞けるこぢんまりしたいい店で、よく通いました。今に続く「MINI Beg」のページに略歴がまとめられているので、とても懐かしかったです。

収穫祭のチラシはたくさんありますが、10周年のものが当時のバンドがよく分かるので、備忘録的にアップしておくことにします。初期の収穫祭は地元バンドの発表会的なイベントでしたが、だんだんと本場のブルースマンを呼んで来るようになり、これが来ないと一年が終わらないというイベントになっていくのです。
第10回収穫祭1
第10回収穫祭2

つい先日も、円山でばったり梶原さんに出会ったばかり。たまにはうちにも飲みに来いよ〜と言われてしまいました。最近はほとんど外で飲まなくなってしまってますが、いい音楽と楽しい酒は、やっぱり切らしてはいけないですねぇ…(つづく)

2月下旬に突入です〜

  • 2014.02.21 Friday
  • 06:05
2月は、本当にあっという間に逃げていきます。今日から下旬とはいえ、たった8日しかないので、すぐに終わってしまいそうです〜 いろいろ賑わせているオリンピックも、そろそろ最終盤。たくさんのドラマがありましたが、こんなアホな会長の下では選手もやりきれないでしょうね。

30年以上も前のことをほじくり出しているうちに、おぼろげな記憶が少しずつ鮮明になってきました。コメントへの回答に、ちょっと追加の情報を。80年の9月に、芝木先生は東京で公演を行っています。その時は裏方というか、記録係でカメラ片手にうろうろしていました。この時のポジはたくさん残っているはずですが、肝心のリーフレットが見当たりませんでした…
札幌でも指導していただいていた五木田勲さん(右端)が、東京の若手ダンサーを選りすぐり、とても素敵なステージに仕上がっていました。この時の先生は、キャリアの集大成ともいえる渾身の演技だったと思います。
東京公演

と、これで終わるのも味気ないので、本日の誕生花を見てみるとネモフィラ(Nemophila menziesii)でした。道内では春播きの一年草ですが、本州では秋播きなので、この日付でもおかしくはないのでしょう。
ネモフィラ
まるでオオイヌノフグリをさらに大きくしたような花ですが、アメリカ原産のか弱い一年草。この間まではハゼリソウ科、これからはムラサキ科に変わってしまいます。本州の国営公園では、これの大花壇を作るのが流行っており、ひたち海浜公園の花壇は有名です。昨年行って来た福岡の海の中道国営公園にも、結構大きな花壇が作られていましたが、色が淡いブルーなので、少しインパクトが弱く感じます。天気がよければもっときれいに見えたのでしょうが。
海の中道
花言葉には、その草姿らしい「可憐」や「私はあなたを許す」なんかはいいとして、「愛国心」なんてのまであるので、そのうちシンゾーによって、全国の学校花壇はネモフィラに埋め尽くされかねませんねぇ…

エルフィンランドの時代(その4)〜モダンダンス編〜

  • 2014.02.20 Thursday
  • 07:05
今日はついにモダンダンス編。北方舞踏派が小樽にやってきたころ、道内の舞踊界もいろいろと動き始めていました。当時から活発に活動していた能藤伶子さんからの呼びかけに応じて、中島洋、国松明日香、麻生知宏など多彩な活動家や芸術家たちが参加して「近松の女 お初」の公演を75年と76年に行っています。(このチラシが見つかりませんでした…)
私の場合は、うーーんちょっと違うかなぁ、もう少し舞踏寄りかなぁと、土方巽とも活動していた若松美黄(みき)に師事した芝木厚子先生のところに行くことになりました。79年頃のことだったかと思います。
私のような体の硬い者が、モダンダンスのレッスンをこなすというのはかなり大変で、それでも日々特訓しながら、とうとう79年12月2日には初舞台を迎えることになってしまいました。(この年は、まだ豊平公園の緑のセンターにいた時です。)
79年公演
写真は何枚か持っているはずですが、そちらの箱はまだ発掘していないので、プログラムしかありません。無我夢中だったので、舞台のことは全く記憶にも残っていませんが…(^。^;;

その次は、82年2月27日の公演ですが、このくらいになると体も動いてくるし、ある程度周りを見渡す余裕もありましたので、割と記憶に残っています。その時の写真は、次の年の公演のプログラムに使われています。
83年公演

私が舞台に立ったのはこの二回だけで、レッスンに通ったのは3年余りだったかと。83年以降は裏方に回っていました。どうしても女性だけだし、車を持ってある程度自由に動ける立場でしたから。83年の公演は、山下洋介トリオのドラマーの森山さんが生出演。空港への送迎や仕込みなど、裏方の方もてんてこ舞いでしたが、とてもユニークで素敵な公演でした。

83年チラシ
今でも歩いていると、後ろから「背中!!」とか、「足!!」とか鋭い声が飛んでくるような気がして、思わず背筋を伸ばしてしまいます。歩き方は一番厳しく鍛えられました。モデルさんもよくレッスンに来てましたから。こういうことは死ぬまで忘れないのでしょうね。

なんでこういうことになったのか、今から思えば不思議ですが、あの頃はとにかくなんでも挑戦してみることが大前提でした。傍観者でいてはいけない。知ったかぶりはもってのほか。体でぶつかってみて初めて分かるものがあると固く信じていたのです。ちょうど30歳になった頃のことでした。(つづく)

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