デパート案内(札幌一番街編)

  • 2013.05.16 Thursday
  • 07:04
3月末にデパート巡りを始めたのに、その後四国への帰省や、あちこちの現場が動き始めたため、肝心の所を紹介するのをすっかり忘れていました。札幌の商業の中心、一番街(創成川から現在の三越までの南一条通)のデパートです。ここに挙げている双六(部分)は、さっぽろ文庫別冊の札幌歴史写真集(明治編)の表紙に使われているものですが、『札幌区実業家案内双六』と銘打っており、そのほとんどが一番街にあったものです。(製作は明治36年)
双六

現在の丸井今井になった「今井呉服店」やIKEUCKIの「池内商店」、あるいは現在もそのままの姿を保っている「秋野薬舗」などが見受けられます。この資料をいただいたのは、「齋藤薬舗」(現在のLA・GALLERIA)の関係の方からで、古を振り返るタウンウォッチングに使ったものだそうです。番号は、その時の回る順に付けられたものでしょう。

かつての丸井今井は、誰もが「丸井さん」とさん付けで呼ぶほど親しまれていました。私が来た時にはまだ南一条側の古い建物しかありませんでしたが、エレベーターガールが操作する手動のエレベーターが見物だったことを思い出します。建物廻りの真鍮の手すりがピカピカに磨かれ、いかにも老舗百貨店という雰囲気を持っていました。1975(S50)年に大通館ができ、この案内はその当時のもののようです。この時の一条館は、地下を除いてすべて事務所として使われていたのですね。
丸井

大通館の最上階には、花と緑の広場(?)があり、滝が流れていました。長い冬に飽きてくると、よくここに行ってぼけーとしていたことを思い出します。このようにくつろげる空間は、今のデパートなどではすべ絶滅してしまったアイテムでしょう。

丸井に比べて三越は、フロアが狭くて余裕がなく、そんなに行くこともなかったと思います。それでもこれを見ると、屋上には観覧車やモノレールを含めて、賑やかな施設があったのですね。
三越

かつての丸井と三越は、ライバルとしてずっと競合関係にありましたが、駅前に大丸が来るや、あっという間に蹴落とされてしまい、さらには同じ伊勢丹傘下の同じ会社になろうとは。
デパートそのものは、当時も今もあんまり縁はなかったですが、私がいつもかぶる帽子は必ず丸井でとか、多少のこだわりは残っています。でも今のフロアは正直つまらないですね。いろんな掘り出し物を見つける楽しみのあった昔の百貨店の面白さは、本当になくなってしまいました。今のデパートの魅力は、一体なんなんでしょうね?(そのうちまだ函館編等続く予定…)

マンホールの蓋

  • 2013.05.07 Tuesday
  • 06:57
今朝は久しぶりに朝日が拝めました。それでも道端はガチガチに凍り付き、吐く息は真っ白。晴れ間も一瞬で雲に閉ざされ、帰り道はまたどんよりと曇ってしまいました。盤渓への行き帰り、見るものがない時期には、それこそマンホールの蓋でも見るしかないことがあります。ところがこれが結構面白く、奥が深い世界なんです。なにせ「日本マンホール蓋学会」まであるくらいですから・・・

通常のマンホールは、ダクタイル鋳鉄(ちゅうてつ)という強化された鋳物製なので、大型ダンプが踏んづけても平気だし、重さも50kgくらいあるので、ただ置いてあっても跳ね上がることはありません。しかもスリップしないよう、いろんな模様を付けるのですが、その模様に特徴があります。なんの変哲もない蓋だと、ちょっとがっかり…
無地

札幌市内では、最も多いのでは?というのが中央に市章が入ったもの。数年前に道路改良が行われた家の前の通りなどは、すべてこれが付いています。
市章

急な坂道なので、スパイク時代からガリガリやられていたのでしょうか、すっかりすり減ったものもあります。
すり減り

観光地や町おこしが盛んだった頃には、化粧蓋という、町の特産を図案化したものが一時流行りました。特注にすると鋳物の型から造らなければならないので、ものすごく割高になってしまいますが、バブリーな時期には、こんなものがやたら流行ったのです。
シャケ
(時計台の回りをシャケが踊ってます…)

空気弁
(これは空気弁室と書かれてあるので、下水ではなく水道のマンホールのようです。)

一番不思議な蓋がこれ。
教育大
この「札教」というのがなんなのか?さっぱり分からないのです。北大構内のように広大なキャンパスだと、専用の蓋が造られているのですが、教育大札幌校の中で使用されているものか?と思って調べてみたのですが、そんな蓋は使われていないようです。これが1枚や2枚ではなく、8枚くらい連続して使われています。わざわざ市役所に聞きに行くのも気が引けて、いまだに分からずじまい…そんな、どーでもいいことを考えながら走ることもあるのです〜(^。^;;

デパート案内(札幌四番街編)

  • 2013.03.29 Friday
  • 06:58
昨日は午前中道の景観審議会、午後からは新型路面電車の内覧会、夜はまた会議と、一日びっしりの予定でした。せっかく新しい路面電車を見てきたので、ここで紹介と思ったら、マスコミ発表が30日なので…とのことでしたので一日我慢することに。そこで急遽ピンチヒッターを…(^_^;)

札幌のデパートで、一番縁がなかったのがススキノにできた松坂屋でしょう。これができたのが1974(S49)年ですから、札幌に来てまだ3年目で、もちろんススキノとはほとんど無縁の生活でした。この広い道路を越えることがほとんどなかったし、今は東急インになっている5丁目は(西)本願寺札幌別院の跡地で、確かこの頃まで墓が残っていて、夜には一丁角真っ暗だったような記憶があります。この案内図もらっただけで、中に入った記憶すらありません。
松坂屋
ずっと経営不振が続いて、ヨークマツザカヤからロビンソンになり、今はラフィラとかいうビルになっているとか。

大通からススキノまでの区間は、地下鉄ができるまでは今よりもぐっと狭い道だったそうです。地下鉄工事に合わせて道路幅を大通以北と同じに広げ、区画整理によってマッチ箱のような店を集めてビル化が進められ、北から4丁目プラザ、中心街デパート、コスモ、エイトという四つの商業ビルができました。
一番北の4プラは、できた時には普通の商業ビルだったようですが、その後急速に若者の店に変わりはじめ、特に7階は、飲食街をすぐに止めて、ロットの小さな店がぎっしり集まったなんとかというフロアで、結構賑わっていました。知り合いの店もあったのでよく行きましたが、名前はなんだったかなぁ?さっぱり思い出せません…(>_<)
4プラ

中心街にはダイエーが入っていたし、コスモにもほとんど縁がなかったですが、一番南のエイトにはよく行きました。最初の頃には1階にヤマハの売り場があり、結構洋盤の珍しいレコードがあったので、定期的にチェックにいってました。私が集めていたダイナワシントン系のジャズヴォーカルやソウル系のレコードは、玉光堂やキクヤにはなかったからなぁ…ヤマハがパークホテルの横に移転した頃に、地下に旭屋書店が入ったような気がします。本屋ではここが一番なじみがよく、2時間でも3時間でも立ち読みしてました。
エイト

地下に、札幌で初めての小さな吉野家ができ、初めて牛丼を食べたのもここだし、中国の物産を売っていた○○(思い出さないなぁ…w)という店のおかげで、烏龍茶好きにもなりましたから。
三越からススキノまでの四番街は、本屋、古本屋、レコード屋など、うろうろハシゴしながら飲みに行くまでの時間をつぶしていたように思います。この頃必ず飲みに行っていた店が、南2条西5丁目にありましたから。(つづく)

デパート案内(札幌駅前編)

  • 2013.03.27 Wednesday
  • 06:58
我が家の三階に当たるロフトには、昔から読んできた山のような本や、事務所に持ってこられなかった植物系の本などと共に、私が昔から溜め込んできた大量のガラクタが隠されています。普段は滅多に上がらないのですが、この間本を探しに久しぶりに上がったところ、ついいろんなものに目が移ってしまいました。
その一つに、各地のデパートの受付に置かれていた案内図があります。浪人時代過ごした福岡を始め、松山と札幌を行き来するうちに、いろんなところに立ち寄っていたので、その都度デパート巡りをしていました。全国のものがあるわけではありませんが、デパートは今のスーパーと違って、もっと町の色や匂いを反映していたような気がします。

手始めに札幌のデパートからいくつか。トップバッターは、何と言っても五番館でしょうね。
私が札幌に来た時には、大通の丸井と三越を相手に、かなり田舎くさいんだけど、我が道を行くデパートというイメージがありました。最初の受験に来た時に、先輩が向かいにあるニシムラのパーラーに連れて行ってくれました。電車通越しに見た五番館の外見は、なんともエキゾチックな雰囲気だったことを思い出します。

五番館1
もちろん昔の札幌駅なので、駅前には国鉄バスのバス溜まりがあり、あたりには猥雑な雰囲気がありました。この昭和47年の前の冬に地下鉄が開通し、2月には札幌オリンピックが開催され、4月に私が住み始めたばかりの頃です。地下鉄ができても、まだこんなにバス停が散らばっていたのですね。デパートの入り口脇には、必ず靴洗い場が置かれ、とっちゃんやばっちゃんが、ごしごしとブラシで長靴の泥を洗ってから入るのを、不思議な風景だなぁと感心して見てました。

五番館2
五番館のマップにはまだ「ビル工事中」とあるのが、この翌年にオープンした東急デパートです。このオープンの時には、よほどヒマだったのか、開店の早朝から記念品を狙って並んでました。でもなんだったか、たいしたものくれなくてがっかりした記憶があります…(^_^;) その時の案内図でしょう、写真でなくてまだ店のイメージパースになっています。おもて面は字が細かくて載せませんでしたが、このあたりから大食堂がなくなり、名店街に変わっていくのです。
東急

でもここのトロピカルドームという場所は、丸井さんのなんとか広場と共に、結構好きな場所だったですね。東急は10階と屋上階が吹抜けでつながり、オープンした時にはいろんな植物が植えられていました。やはり冬になると窒息しそうになるので、緑を求めてデパートの屋上にはよく行ったように思います。熱帯植物や、流れ落ちる水の音、熱帯魚やペット、子どもの遊び場などは、あまり縁はなかったけれど大食堂も合わせて、全国的に絶滅してしまった貴重なアイテムだったと思います。(つづく)

パック2pm

  • 2013.03.24 Sunday
  • 07:08
数日前本を探しに、普段滅多に上がらない、ロフトに置いてある本棚を久しぶりに覗いていたら、懐かしい本を見つけました。HBCが出した『パック2pm(ぱっくつー)』放送二千回記念に出版された本です。
   パック2

パック2pmといっても、知っている方は私以上の歳でないと…実は30数年前のことですが、この番組に結構出ていたのです。先日もちょっと触れましたが、その頃にも道新の園芸欄に連載していて、担当の編集委員の女性と、HBCのディレクターの女性とが友達同士で、私が紹介されたらしいのです。
  斉藤さん
  (この後に小文を書いてあるのですが、とても恥ずかしくて…)

ちょうど豊平公園の緑のセンターにいて、市の上司から、センターが出来たばかりでもあり、宣伝のために出てもいいよと言うことになりました。ここには鼻下から…と書かれてますが、ソルジェニーツィン髭と言われるあごの部分に、立派な髭を生やしていたので、センターにいる時でも結構目立っていましたからねぇ…

まだ26〜7歳ですから、逆に怖い物知らずというか、そんなに緊張はしなかったかもしれません。でも生放送なので、結構冷や汗をかきました。一番困るのが、目線をどこに向けていいのかがとっさに分からないことでしたが、二人のカメラマンがうまくフォローしてくれるので、なんとかこなしていました。といっても、ビデオなんかそんなに普及していない時代なので、自分がどう映っていたのかは、見た記憶はなかったですね…センターの物置でも探してみようかな?

当時の進行表が一枚だけ残っています。まだガリ版刷りなんですねぇ…そんな時代でした。(ガリ版と言っても分からない方もいるでしょうが…(^_^;))
進行表1
進行表2

月1回くらい、確か7〜8回くらい出たでしょうか。この進行表が1月22日ですから、半月後にはセンターを辞めているので、最後の出演記念に取っていたのかもしれません。それにしても、いろんなことに首を突っ込んでいたものです。

テレカ

  • 2012.12.19 Wednesday
  • 07:24
白魔に覆われてしまった札幌です…
7時現在の積雪が81cmもあり、平年の4倍です。あの岩見沢が62cmしかないなんて…何も自慢にもなりませんが、先行きが思いやられます。ふぅっ…

昨日、会社の机の引き出しの奥に封筒が引っかかり、中からなにやら束になって入ったものが出てきました。出してみてもしばらくピンと来ませんでしたが、今は懐かしいテレホンカードの束だったのです。退職記念やら香典返しやら、そんなものまでありましたが、これはなに?というものも。URBAN DASIGN OF SAPPORO って何のことだろうな?全然記憶がありません。
urban

年号が入っているものが一つありました。乙部町 平成6年(1994年)7月6日とあります。
乙部

乙部の町長の寺島さんは、社長の同期で、農学部の先輩でもあります。この頃はよく仕事をやっており、この年には貝の化石が出る貝子沢というところの、山村広場の設計の仕事をやっていました。(なんだか荒れたままになっているようですね…)
その時には、対応が教育委員会だったので、このマンガブックと共にいただいたものでした。

会社の設立記念と思われるテレカがごっそりと。この会社は平成3年に設立されているので、その当時はテレカはまだ人気商品だったのですね。いろんなお魚シリーズがあります。
エコテック

こんなシンプルなものも。ちょっと悩みましたが、すぐに思い出しました。辻井先生の退職記念にいただいたものです。手帳を見ると、1995年(H7)2月14日が最終講義でした。
辻井先生

最終講義は農学部の小さな講義室であり、立錐の余地もなかったくらいたくさんの方が来ました。そのあと駅近くでお疲れさま会をやったのですが、そのときに、梅沢俊さんが「ところで僕は、先生の講義を初めて聴いたけど、今までちゃんと習ったことがある者はいるのかい?」と言ったら、シーーンとなってしまいました。辻井先生とはそんな方なんです。
今年はラムサール湿地保全賞や北海道新聞文化賞やら、いろいろおめでたいことが続きました。退職されて17年、まだまだご活躍をお祈りしたいものです。

しかし、こんなにたくさんのテレカ、どうしたものでしょうねぇ…?

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