拓本を採る

  • 2018.12.06 Thursday
  • 06:00
先日紹介した、西安碑林博物館の拓本。教えられるまで私には全然価値も分からず、送っていただいた方には申し訳ない思いでした。一応書き下し文を読んで、どのようなことが書かれているかは把握できたけれど、石に彫っておけば、二千年近くの時間を経ても、ちゃんと形が残っていることには驚きです。その意味では、千年も昔に石碑を集めた『西安碑林』を作った方はすごいと思いました。
西安碑林

この拓本は、博物館のミュージアムショップで売られているものでしょうか。布張りの紙の箱に収められ、中国だから和紙とはいわないでしょうが、かなりごわごわした紙質です。幅が27センチ、長さが80センチ近くの、石碑としてもかなり小さなものでしょう。そもそも、拓本とはどのように取るのかも、全く知識を持っておりませんでした。
蘭亭序

ネットで検索すると、金木和子先生の拓本の採り方が YouTube に公開されていたので、それを紹介させていただきます。
拓本1

和紙を碑面に当てて仮留めしておき、濡れタオルで紙を濡らしながら、ズレのないように伸ばしていきます。
拓本2

全体をきっちり貼り付けると、手ぬぐいを当てて破れないよう、ブラシで細かく叩きながら、文字の部分を凹ましていきます。深いものだと却って大変そう。
拓本3

墨を打つためのタンポは、綿を丸めて木綿で包み、いろんな大きさのタンポを作るのだそうです。こうしてみると、タンポポの語源が「タンポ穂」だというのは納得してしまいます。
タンポを作る

秘伝の墨は、ほんの少しずつ付けて、繰り返し繰り返し叩いていきます。これが一番の決め手になるのですね。こうしていくと、凹みには墨がつかず、平らな面がだんだん黒くなっていくのです。かなり根気のいる仕事でしょう。
墨を打つ

仕上がる頃には紙はすっかり乾いているので、破れないよう慎重に剥がしていきます。小さな文字であれば、簡単に剥がれそうです。
紙を剥がす

碑面に墨を塗って取れば裏返しになるので、どうやって採るのか、昔から不思議だなと思っていたのですが、これで疑問が氷解しました。これだと、碑面には水しかつかないので、汚すこともなくきれいな拓本が採れる訳です。金木先生、どうもありがとうございました。
拓本の完成

写真で撮しても、碑文はなかなか読みにくいものなので、このように拓本を採れば一目瞭然です。読めるかどうかは別として、書聖と呼ばれる王羲之の最高の書を、こうして間近に見ることのできる幸せを、改めて感じています。

フローラ ヤポニカ

  • 2018.11.26 Monday
  • 05:40
北大では、総合博物館で12月9日まで行われている『フローラ ヤポニカ北海道植物画展』を見てきました。総合博物館はもとの理学部で、重厚な造りが博物館にはピッタリです。館の外にまで、展示の案内がありました。
総合博物館

昨年イギリスの王立キュー植物園で開催された、ボタニカル アート展「Flora Japonica」が好評だったことや、それの帰国展が国立科学博物館で行われ、これもまた大変好評だったことを受けて、道内から選ばれて展示されていた早川尚さんと、福澤レイさんのお二人の作品を中心にして、この展示が企画されたものです。
案内

玄関を入ってすぐ目の前にある受付案内の左手を通り、暗い廊下の向こうにぽっかりと広がる部屋が、展示場所になっていました。会場内は撮影禁止なので、残念ながら紹介できませんが、お二人の素晴らしい植物画が40点も飾られています。

展示会場

お二人とのつきあいは、20年ほど前に芸術の森で行われた植物画の制作以来で、毎年の展示会もなるべく見に行ってます。早川さんは植物園後援会の会員で、植物園の植物を描いたポスターや、今回も展示されている、須崎忠助植物画集の解説の一部を担当されていました。

  須崎忠助

福澤さんは、ちょうど今年「野の花の調べ」という素敵な植物画集を出されたばかりです。自然雑誌 faura に5年も連載されたものをまとめたもので、書店に並べられていますので、ぜひご覧になっていただきたいです。(3,000円+tax)
  野の花の調べ

会場にはお二人の作品だけでなく、須崎忠助の作品や、舘脇操先生が描いた花を分解したスケッチも展示されていて、なかなか興味深いです。館内の展示はじっくり見れば半日はかかるほどですが、興味深いものもたくさんありますので、天気のいい日にぜひお出かけ下さい〜

植物画の季節

  • 2018.11.05 Monday
  • 05:30
この時期には、植物画の展覧会があちこちで行われています。北海道植物画協会展は、最近案内が来ないものだから、また行き損ねました。毎年10月最終週に時計台ギャラリーで行われていたのですが、あそこがなくなってしまい、昨年からアートスペース201でやっていました。
ちょうど案内が来たのは、10日から始まる『フローラ ヤポニカ北海道植物画展 (早川 尚、福澤 レイ)』です。お二人は、下記の案内にある通り、北海道を代表する植物画の大御所で、作風は少し異なりますが、とても素晴らしい作品を生み出してきました。
植物画展

場所は北大構内の、北海道大学総合博物館(旧理学部)で、11月10日から12月9日までの一ヶ月です(月曜休館)。博物館は、とても中身の濃い展示がたくさん並んでますので、ぜひご覧いただきたいです。
    案内

早川さんが主催する「ボタニカル アート フロス展」も、11月20日から25日の6日間、南1西3のラ・ガレリア5階のさいとうGallery で行われます。生徒さんの作品も、やはり先生の作風に影響を受けるものです。こちらは町中の1番街なので、お出かけの際には是非お立ち寄りください。

  フロス展
   案内

昨日は午前中、事務所の片付けに精を出しました。9月10月がぐちゃぐちゃの予定だったので、書類やデータも混乱の極みになっていました。これから始まる内業の季節前に、いったんリセットしなければなりません。午後からは自宅に戻り、家の回りや物置の整理を。暗くなる前になんとか片付けることができました。

そしてこの時期の恒例行事のジャム作り第一弾。今年は台風でリンゴの落果が多く、だめかなぁ…とあきらめていたけれど、仁木のY農園からいつもの紅玉が届きました。ありがたいことです。
紅玉

今年のリンゴは水分が少し多いようで、却って火の回りが早く、甘酸っぱいいいジャムができました。2歳になったばかりの三人の孫たちは、「じじ印ジャム」がみんな大好物なので、夏に作ったブルーベリージャムと共に、さっそく送ってやらねば♪
ジャム

富士山

  • 2018.08.31 Friday
  • 05:26
さくらももこさんが、8月16日に乳がんのため、53歳の若さで亡くなられたと、27日に公表されました。以後、さくらさんを悼む声が様々なメディアからあふれ出し、作品は売り切れが続出して各社が大増刷を始めたとのニュースも。
90年代に「ちびまるこちゃん」がテレビで始まった頃は、我が家でもたいてい見ていました。誰しもが、自分の子供の頃のことを思い出しながら、知らずに比較していたのかもしれません。我が家には、2000年に発売された『富士山』が残されています。わざわざ買いに行ったのではなく、本屋巡りをしていてこれを見つけ、あまりの面白さに引き込まれて買ったものでした。
富士山-1

これは、さくらももこ編集長が雑誌を作るという企画ながら、結局は企画、取材、記事の執筆、イラスト、漫画まで、すべて一人でやってしまった『さくらももこワールド』になりました。売れっ子作家ながら、一年間に4冊も発行したのですから、三十代前半の一番脂の乗りきった頃だったのでしょう。ちびまる子ちゃんの描き下ろしも載っていて、思わず読みふけってしまいました。
富士山-2

そういえば、友蔵の声優が亡くなって声が変わった頃から、テレビではあまり見なくなったような気がします。これを読んでいると、初代友蔵の声が聞こえてくるから不思議です。
富士山-3

永沢、藤木、山根、小杉の四人の突撃インタビューを見ていると、当時の番組が蘇ってくるようです。父ヒロシを始め家族はそのままだし、同級生だった長谷川健太のような実在人物と、ガロによく描いていた花輪和一から取った花輪君のように、架空の人物が混じっていたまるこちゃんは、誰しもより身近に感じられてしまったのでしょう。
富士山-4

全く新しい漫画の世界を見せてくれたさくらももこさん。本当にありがとうございました。安らかにお休み下さい。

追悼 アレサ・フランクリン

  • 2018.08.18 Saturday
  • 06:01
アレサ・フランクリンが亡くなったというニュースは、覚悟していただけに寂しいものでした。女性ボーカルでは、クィーン・オブ・ブルーズと呼ばれたダイナ・ワシントンに次いで、たくさんのレコードやCDを持っているでしょう。でも一番輝いていたのは、存在を知った80年代だったかもしれません。

朝日記事
 (朝日新聞DIGITALより拝借… m(__)m)

父が有名な教会の牧師であり、母もゴスペル歌手として活躍していたので、自然とその道に入っていったようです。どこまでダイナの影響を受けていたのかは分かりませんが、ダイナが亡くなった1963年12月のすぐあと、追悼アルバムを出しているところを見ると、少なくとも周囲は、その後継者として育てたかったのかもしれません。
ダイナ追悼

それまで所属していたコロムビアレコードから、ジャズやソウルのレコードを活発に出していたアトランティックに移籍し、早速出した「I Never Loved a Man the Way I Love You (邦題:貴方だけを愛して)」(1967)が大ヒットし、一躍クィーン・オブ・ソウルとして人気が爆発しました。
貴方だけを愛して

活躍したのはやはり30歳から40歳代で、ちょうど50歳の時に出した「Queen of Soul: The Atlantic Recordings」という4枚組約100曲入りのCD盤が、いわばアレサのベスト盤で、これ以降はぶくぶくと太り始めたこともあるし、目新しい試みもなく、何枚かCDを持っているけれど、あまり聴くこともありませんでした。

Queen of Soul

ゴスペルがしっかりと身に染みついている歌手は、きっともう出てこないのかもしれません。R&Bの全盛時代をかろうじてかすった私にとって、エスター・フィリップスやアレサ・フランクリンの歌声は、私のソウルに染み込んでいるかけがえのないものとなりました。ただただありがとうと言いたいです。

田中一村

  • 2018.08.07 Tuesday
  • 05:50
日曜美術館で、『田中一村』の特集をやっていました。滋賀県にある佐川美術館で、生誕110年の展示会が開かれているのだとか。田中一村(いっそん)は、NHKのディレクターが、名瀬市のダイバーの家で偶然目にした一枚のデッサンによって、その存在が明らかになり、1985年の春に日曜美術館で取りあげられました。私たちもそれを見て、全身を打たれたようになりました。これほどの衝撃を受けた作家は他にはおりません。その後NHKには問合せが殺到し、やむなく日本放送出版協会が、あるだけの資料で急遽まとめたのが、この「NHK日曜美術館 黒潮の系譜 田中一村作品集」だったのです。
作品集

美術書は二人合わせるとかなりの数を持っていますが、こんなに引っ張り出されるものは他にはないでしょう。日本画特有の音のない世界に、知らぬ間に引き込まれてしまうのです。
アダンの木

墨絵の世界かと思いきや、片隅にひっそりと真っ赤なサンタンカが顔を覗かせていたり、計算ずくで描き込んでいるはずだけど、何かの偶然の所産かと思わせてしまう不敵さ。この書にあるように、絵を描くことに全身全霊を傾け続け、本当に厳しい一生を終えた方だったのです。
奄美の杜

今回の放送では、一村がよく顔を出していた魚屋のおばあさんの証言がありました。こんなブダイをよく描いていたのだそう。でも絵に仕上がってみると、ブダイの上には夜香花(ナイトジャスミン)が枝をそっと伸ばしています。この枝一つで、毒々しい魚が静かになってしまったかのよう。
熱帯魚3種

この本には、10年後の1995年10月15日に、旭川美術館に見に行った「田中一村の世界」展や、さらに2004年の5月に大丸であった展覧会にも行った記録が挟まっていました。もう一度くらい本物を見る機会がありそうですが、それまで何度も、この本を引っ張り出すことになりそうです。

歌旅日記

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 05:45
そういえば、勇造さんの本があったなぁとロフトを探してみると、ありました!『歌旅日記』という本です。出版社は「プガジャ」といわれたプレイガイドジャーナル社で、1981年3月の発行になっています。
歌旅日記表紙

中にしおりのように折り込んだ手紙が挟まれており、勇造さんからの贈呈本だったのです。それで思い出しました。
  手紙

それが挟まれていたのが、真ん中あたりにある日本編の中表紙。この写真を提供したお礼に、送っていただいたものだったのです。勇造さんと一緒にカレーを食べているのは、当時植木屋時代の先輩であるSさん。彼は京都の生まれ育ちで、歳も勇造さんと同じだし、拾得辺りも出没していたので、よく知っていました。(この写真も無事発掘できました。)
中表紙 写真

歌旅日記のその日(1980年9月12日)のページを見てみると、前日に函館から札幌に移動。今はニセコに住んでいる梅本さんのところに泊まり、「昼過ぎ北海道新聞のインタビュー。ちょっとピント外れの記者やさかい、こっちからいっぱいしゃべる。どれだけ記事になるものやら。エルフィンの表で昼飯。ええ雰囲気で食える。カレーの大盛りと生野菜。」とあります。
エルフィン前

『ええ雰囲気』でギターを弾いている31歳の勇造さんを、このように記録できたのはラッキーでした。私は28歳になったばかり。この春に植木屋に入ったものの、一年目は鉛筆もハサミも持つことが許されず、ひたすら土方で穴掘りばかりやっていました。50kgそこそこしかなかったやせっぽちが、半年経った頃には10kg以上太ってムキムキになり、ズボンもシャツも弾けてしまってすべて買い換えたことを思い出します。私とSさんは家がすぐ近所だし、車を持っていなかったので一緒に動くことが多かったのでした。うまく昼にサボって、こんなところで飯を食いながら、勇造さんの歌を聴いていたのです…(^^;)
  勇造さん

まだ独身だし、エルフィンに入りびたっていたので、勇造さんが来るのを聞いて昼を食べに来たのでしょう。(この頃のエルフィンの写真はこちらにも載っています。写真の日付は9月11日になっていたのですが…)この頃は毎年のように勇造さんを呼んでいたので、いろんなチケットが挟まっていました。38年も前のことを、昨日のことのように思い出してしまうものですねぇ。
チケット

勇造ライブ2018

  • 2018.06.08 Friday
  • 05:56
6日の夜には久しぶりにライブに行きました。若い頃にはあれほど入りびたっていたのに、50歳を過ぎたあたりから、とんと足が向かなくなったのは、歳のせいもあるけれど、ちょっと忙しくなりすぎたからねぇ… かろうじて行っていたのが、友人がやっていたスカイドッグブルースバンドや、今回の豊田勇造くらいでしょうか。勇造さんのライブは、わりとマメに行っていたのですが、このところの会場が東区の外れで、とても行きにくい場所だったので、しばしご無沙汰。ところが今年は北大病院前の「みんたる」に!ここは、娘が学生時代入りびたっていたところなので、面識もあったのです。
 案内葉書

記憶にあった場所と違っていたので、あとで聞いてみると、娘が信州に移り住む時にここで盛大な送別会があったのですが、その後まもなく現在のところに移ったのだそう。
みんたる

勇造さんは多少白髪が増えたものの、相変わらずどっしりとした存在感。柔らかい京都弁が独特の雰囲気で包み込んでくれます。すごくソフトな当たりだけれど、ひとたびギターを持つとその印象がガラッと。さすが、50年近くプロとして生きてきただけあって、そのパワーにはいつもながら圧倒されました。
勇造さん

勇造さんとの出合いは、76年5月6日に大谷会館であったライブから。これでいっぺんに虜になってしまいました。デビュー盤がこの「さあ、もういっぺん」で、翌年にも「走れアルマジロ」というLPが出され、6月にまたライブをやっています。久しぶりにLPを引っ張り出して聴いてみましたが、めちゃ懐かしかったです。
走れアルマジロ

勇造さんは京都の『拾得(じっとく)』というライブハウスを建設時から関わっているので、いわばここが本拠地。聞いてみると、京都にいるのが1/3、ツアーに出るのが年間約百回なので1/3、それと友人のいるタイに1/3近く滞在しているのだそう。15年前に出したアルバムも拾得のライブです。京都だからこういうライブハウスも生き延びて来られたのでしょう。
拾得ライブ

勇造さんは三つ歳上なので、来年7月にはなんと古希を迎えます!!60歳の時には「豊田勇造60歳6時間60曲フリーコンサート」を円山音楽堂でやっているので、来年には「豊田勇造70歳7時間70曲フリーコンサート」をやるんだそう。やる方も大変だけど、ずっと聴いてる方も大変そうです〜(^^;) いつまでもお達者で、ええ唄聴かせてね〜

アルテピアッツァのポプラ

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 05:57
このところの低温で、山麓通りを越して荒井山あたりで停滞していた桜前線が、昨日の暖かさで一気に我が家まで登ってきました。朝はまだつぼみでしたが、夕方帰ると花がいくつか開いていたのです。4月中に開花したのは、記憶のある限り初めてだと思います。
小春桜

昨日は美唄にあるアルテピアッツァに行って来ました。ここのスタッフに知り合いがおり、樹木のことで困っているので、一度見てほしいと頼まれていたのです。ようやく時間を作ることができたので、かみさん共々出かけてきました。もともと石彫をやっていたこともあり、その恩師は安田さんの芸大時代の大先輩でもあったので、一度連れてってと言われ続けていたのです…(^^;)
馬乗り

問題というのは、旧体育館脇にあったイタリアポプラが昨年枯れてしまい、とりあえず地上部を伐倒しているけれど、思い入れのある方が多いので、復活することができるだろうかということでした。
アルテのポプラ
 (施設提供の写真を加工しています。)

3年前の秋に、強風で倒れたら危険だという声があり、初冬に枝を切り詰め剪定を行ったところ、翌年弱々しい芽吹きしかなくて一気に衰弱し、昨年完全に枯れてしまったとのことでした。切断面を見ても内部に腐朽はなく、健全な生育をしていたことが分かります。剪定の時期は休眠期なので、特に問題はなかったはずですが、枝の付け根あたりまで切っているので、切り詰めの程度が強すぎたようです。
切り口

このまま切り株を晒しておく訳にもいかないので、連休明けに根株を掘り上げて整地し、芝を貼っておく予定だけれど、また苗を植えられるだろうかということでした。これだけの根株なので、結構な大仕事になりそうでした。それにしても、ここには真っ白な大理石の玉石などがあちこちに使われているので、これもそんな修景の一つかと思ったら、まだ残っていた雪を割っていただけでした…(^^;)
切り株

イタリアポプラの苗木なんかどこを探してもある筈もなく、どこかに枝を取ることができれば挿し木した方が早いんだけどなぁ…と言ったら、園内にありますと案内してくれました。かつて駐日イタリア大使が記念植樹した時に、余った苗木を裏の方に植えているのが生き残っていたのです。肝心の植樹木は豪雪につぶれてなくなったけれど、この木はかろうじて生きておりました。でも剪定もされずにひどい状態だったので、不要枝をきれいに剪定し、その枝を挿してもらうことにしました。ポプラの挿し木は今の時期なら確実に発根するし、成長は極めて早いので、10年もすればかなりの大きさに復元してくれると思います。
イタリアポプラ

ついでに園内の樹木を一通り見ていくと、サクラの木にはテングス病が猛烈に蔓延しているので、見分け方をしっかり覚えていただきました。こんな取りやすい場所にあるものなんて、ここまで放置してはいけませんねぇ…
テングス病

久しぶりのアルテピアッツァでしたが、ごちゃごちゃしていなくて気持ちのいい空間ですねぇ。連休後半には近くの東明公園にある北限のソメイヨシノの名所も満開になりそうなので、ぜひお出かけ下さい。
広場

アレックス・カー

  • 2018.01.29 Monday
  • 05:46
土曜の夜にテレビを見ていたら、外国人観光客がよく訪れる場所の一つに、祖谷渓(いやだに)のさらに山奥にある『篪庵(ちいおり)が紹介され、アレックス・カーが案内していました。思わず、まだやっているんだ!と、すぐ横の書棚にある芸術新潮のバックナンバーから、この号を取り出して読み返してしまいました。1995年2月号なので、今から23年前。この前後十数年購読していたので、1m分くらい溜まっている中で、この号だけは別格だったので、別の場所に置いていたのです。白洲正子さんに傾倒していたので、彼女との対談形式での特集に、一体誰なんだろう?と興味津々でした。
芸術新潮

前半は、白洲正子さんの身の回りに無造作に置かれている器や書や、家具や衣装など。実はものすごい価値の骨董もあるけれど、器は使われてなんぼの世界。「生け花の先生は器でした。」とこともなげに言いつつ、気迫を込めて花を活けているのです。「自然の花は確かに輝いて見えるけれど、それはあくまで素材。人間が摘み取って、器に入れて、部屋に飾って、花に本当の命が吹き込まれるのだと思う。」ううむ。
白洲正子

アレックス・カーは、なんと私と同じ歳。海軍に勤めていた父と共に幼少時に日本で過ごし、エール大で日本学を専攻後慶応大やオックスフォード大に留学して、東洋の文化に精通していったのでした。白洲さんとはお互い共通の友人などを通して、一目置く存在として意識はしていたけれど、実際に会ったのはこの時が初めてとありました。今読み返しても、なかなか含蓄のあるやりとりに引き込まれてしまいます。
対談

彼は二十歳の時に、自身の「お城」を求めて全国各地の田舎を訪ね、東祖谷の山奥にある古民家にたどり着いたのです。私が北海道に来た年に、彼は四国の山奥でこんな民家を手に入れていたなんて。初めてここに泊まった朝に、縁側にそっとトマトとキュウリが置かれているのを見て、地元の方に受け入れられたんだととてもうれしかったと、テレビで話していたことが印象的でした。こんな田舎にこそ、本物の美しい日本の姿があるんだと、強く確信したことでしょう。その後の厳しい現代日本批判は、このような場所に住んでいるからこそ、力強さと説得力を持っているのです。

篪庵

築300年の茅葺き屋根の古民家は、内部はすっかりリニューアルされて、快適に過ごすことができるようになっているようです。また地域の方と協働で古民家の内部を改修して、一軒ごと借りて泊まれるようになっています。いつか泊まってみたいところが、また一つ出てきましたねぇ。

また駆け込みで…

  • 2017.12.10 Sunday
  • 05:56
ここしばらく続いた寒さも、ようやく緩んでくるようです。ある程度雪が積もったので、少しは寒さから守られているでしょうか。昨年の年末はドカ雪に見舞われて、札幌中がパンクしてワヤになっていたけれど、最初のドカ雪がちょうど10日でした。それに比べれば、多少寒いくらいどってことはありません。お昼に近くを歩いていると、街路樹のナナカマドが青空をバックに、真っ赤な実を輝かせていました。今年は実の付きがいいように思います。
ナナカマド

昨日も駆け込みで「丸山隆と教え子たち」展へ。10月に紹介しておきながら、ようやく行くことができました。彫刻美術館も、家からそんなに遠くないところにある割には、一年に一度くらいしか行ってませんねぇ…(^^;) 玄関前の通路にも、小品が置かれていました。
彫刻美術館

館内は撮影禁止でしょうから雰囲気だけ紹介しますが((^^;))、ちらと写っている作品『残留応力』(1992)だけが芸術の森美術館の所蔵で、あとの小品はすべて奥さまの所蔵品だそうです。私がお願いして、あいの里の集合住宅に設置した作品『残留応力』(1993)はその翌年なので、雰囲気がとても似ていました。
館内

丸山先生が使っていた道具も、少し展示されていました。これらはすべて手づくりで、丁寧にしっかりと作られていました。
道具

野外彫刻をたくさん残された先生なので、そのマップがありました。札幌市内には18点もあるのですねぇ。私がお願いしたのはあいの里の作品と、1995年に島松の交差点脇に作られた小公園に設置している『循環する形』の二つです。サンガーデンのすぐ近くなので、立ち寄っていただければと思います。
マップ

帰ろうと車に乗ったら、すぐ下の家の庭に竹が育っているのに気がつきました。以前見た時にはまだ塀からようやく見えるくらいだったのに、立派に枝葉を伸ばし、植物園のものより大きく育っています。モウソウチク(孟宗竹)ではなくマダケ(真竹)のようですが、いよいよ札幌でも竹が育つようになったのですねぇ。
真竹

札幌レトロ・グラフィックス展

  • 2017.12.09 Saturday
  • 05:51
気になっていた展示を、最終日ぎりぎりに見てきました。「道内の企業や店舗が、昭和時代に使っていた包装紙や菓子箱、酒のラベルなど」を集めた展示だというので、ガラクタコレクターの私としては見逃せないのです。場所は南大通に面した東4丁目の紙屋さんの中でした。店の一角の小さなコーナーですが、立派な貼り紙が、わざと古ぼけた紙に印刷されていました。
レトログラフィック展

書かれている説明を読んでいくと、単なる包装紙などのコレクションではなく、札幌におけるグラフィックデザイナーの草分けと考えられるM・M氏が、デザインの参考にと、身の回りにある様々な印刷物をスクラップブックに集めたものだったのです。B4大のスクラップブック40冊が、その方の死後古本屋に出ていたものを、やはりグラフィックデザイナーのIさんが見つけ、散逸してはいけないと引き取っていたのです。すべて手書きのレタリングやイラストによって作られた原稿も何点かあり、手書き時代の最後だった私にとっても、大変懐かしいものでした。
手描き原稿

壁面には包装紙のコレクションがずらりと。最終日とあって、結構たくさんの方が見に来ていて、いやー懐かしいなぁ〜という声が何度も上がっていました。
包装紙コレクション

私は北海道生まれではないので、知っているのは五番館や丸井さんの包装紙くらいでしたが、名前だけは知っている古い店のものがずらりとありました。
五番館

真ん中の展示は、キャラメルやバターなどの紙箱類。こちらもじーーっと見つめている方が結構おりました。だいたい40〜50年くらい前のものなので、私より上の世代だととても懐かしいものになるのでしょう。
紙箱

森永やグリコなどの全国規模のものよりも、フルヤのウィンターキャラメルや、バンビキャラメルなど、地元メーカーのものがたくさんあったのですね。雪印もキャラメルを作っていたとは知りませんでした。
キャラメル

マッチや昔の電化製品などのカタログ類などもありました。このへんなら、まだ開けていない秘密の引き出しにたくさん入っているのですがねぇ…(^^;) とにかく面白くて、じっくりと会場を2回回って見てしまいました。ほんの一部の展示のようなので、ぜひ続編をやってほしいものです。
マッチ

せっかく町に出かけたので、あちこちで用足しをして歩きましたが、ちょうど地上は吹雪状態だったので、チ・カ・ホにはたくさんの方が歩いておりました。世間はボーナスが出たらしいので、この週末はたくさんの人で賑わうことでしょう。
チ・カ・ホ

丸山隆展

  • 2017.10.12 Thursday
  • 05:58
宮の森にある本郷新記念札幌彫刻美術館で、7日から「記憶素子 丸山隆と教え子たち」の展示が始まりました。これは行かなくてはなりません。
  丸山隆展

彫刻美術館によく行っていたので、道内作家の作品はよく見ていたけれど、丸山さんの作品が一番好きでした。やさしさと力強さを併せ持つと言えばいいのか、強く惹かれるものを感じていたのです。まだコンサルに転じて間もないころの1990年に、あいの里駅前に大規模マンションの計画が始まり、その外構計画をやることになりました。そのエントランスのシンボルにはやっぱり彫刻を置きたいと、施主であるN不動産に強く働きかけ、設置できたのが『残留応力』という作品です。(スライドが探せないので、こちらからご覧下さい。)

その打合せで何度もあいの里の教育大に通い、研究室でいろんなお話を伺いました。出身が信州安曇野で、なんと碌山美術館の近所だったとか。そういう環境から芸術的な感覚が磨かれていったのでしょうか。この写真の通り、本当に優しいまなざしですが、いつもキラッと光る視線を感じる方でした。
丸山さん

その後、1994年に恵庭市の仕事で、島松の交差点を挟んだ二つの広場の設計をやることになり、現場に何度も通って考え込んだのですが、やっぱりこれは彫刻の出番だと丸山さんに相談に行きました。あんまり高い費用はかけられなかったけれど、それぞれの広場にベンチとしても使えるどっしりとした作品を置くことができました。
おはよう広場

この広場は地元の方から「おはよう広場」と名付けられ、ラジオ体操を始めいろんな活動の場所として大切に使われているそうです。
作品

私は関係しておりませんが、大通高校に植えられているハルニレ第1号のすぐ近くにも、丸山さんの作品『記憶素子「丘」・「森」』が置かれています。
記憶素子

彫刻美術館は、もともと本郷さんのアトリエをベースに作られた施設なので、道路をはさんで記念館と美術館があります。駐車場は狭いけれど、バス停から歩いてもそれほどでもなく、裏山にも散策路が整備されていますので、紅葉見物がてら、ぜひお出かけください。

鎌田芳治展

  • 2017.08.09 Wednesday
  • 06:01
めずらしく個展の案内を。個展をやるのは、私の植木屋時代の先輩です。
私たちの親方は、岩城亘太郎(せんたろう)や斉藤勝雄など日本を代表する作庭師たちのところで修行した方なので、図面にはものすごく厳しい人でした。当時働いていた若者たちは、みんな造園とは無縁のところから入って来た人たちだったので、なまじ学校で造園をかじっていた私には、結構風当たりが強かった… それでも歯を食いしばって現場仕事や図面書きを覚えたものでしたが、それまで図面書きを一手に引き受けていた鎌田さんにはとてもかないませんでした。とにかく根気が強く、面倒な芝点々を実に丁寧に書いていくのです。(芝のマークは、鉛筆を立てて、あんまり力を入れないで無数の点々を書いていくので一番嫌でした…) そうやって図面を書いていくので、仕上がりが抜群にきれいなのです。

私は35歳で植木屋から転職してしまいましたが、鎌田さんも確か60歳前くらいで会社を辞められ、家で何かをこつこつやっているという話は聞いていました。そうして最初の個展の案内が来てびっくり。エンピツ画という、全く独自の表現を切り開いていたのです。これは2回目の個展の案内だったかな。たった1本の鉛筆で、ここまで精緻な表現ができるものかと感心させられました。
2013年個展

今回は札幌での3回目の個展。案内はがきはさらに複雑な絵になっており、これがはたしてどんなサイズで描かれているのか、ちょっとわくわくしてしまいます。模写となっている通り、元になる写真をその通り描いていく訳ですが、なんだ模写するだけか〜なんてとても言えない仕上がり。写真以上に陰影が深くなるので、より実物に近く感じてしまいます。
鎌田展1

15日から20日までの六日間やっています。町中に行く機会があれば是非覗いて見て下さい。絶対に損はしないですから。
鎌田展2

ミュシャ展

  • 2017.05.22 Monday
  • 05:50
せっかく東京に出てきたので、これだけは見ておきたかったのが『アルフォンス・ミュシャ展』。パリ時代のポスターなどは,以前函館美術館で見ていたけれど、「スラブ叙事詩」がメインのこの展示はどうしても見ておきたかったのです。
場所は六本木の国立新美術館。開館が10時なので、それまで東京ミッドタウンと六本木ヒルズを見て歩き、かなりくたびれた頃に美術館に向かいました。六本木ヒルズからは青山墓地脇のトンネルをくぐり、坂の下からのろのろと上がって行かなければなりません。すると途中の木々に怪しい水玉模様が。なんと草間彌生展と同時開催だったのです。
アプローチ

まだ開館15分前だというのに、既に館の中にも、外にある券売所にも長い行列が。それでも早く行ったおかげで5分ほどで券が買え、入館して並んでいると、外には草間展とミュシャ展のそれぞれ別の列がどんどん長く伸びており、館の職員も既に声を涸らして誘導に当たっていました。なにせ30℃にもなる予報なので、炎天下の行列は大変です。行列の看板を見ていると、私たちの頃の30分待ちが、40分50分とどんどん伸びていくのです。
行列

館内でものろのろと牛歩戦術のような行進が続き、ようやく2階に上がったと思ったら、超長い廊下の端から端まで到達するのに、40分くらいかかりました。私が並び始めてから、ちょうど一時間で展示室まで到達できましたが、昼からだと何時間かかることやら…
中の行列

展示室の中も、キャンバスがあまりに巨大なため、うまく動線が取れなかったのでしょう。どこから次の展示に行けるのかがよく分からないので、満員電車の中を移動しているようなもの。なかなか落ち着いて見ることができませんでしたが、ある程度予習をしていたこともあり、なんとか20枚ほどの巨大な作品を鑑賞することができました。
内部

最後の展示室は写真撮影がフリーになっていたので、みんなバシャバシャとカメラの放列に。珍しい対処だと思います。でもこの存在感は、写真や印刷物ではとても伝わらないでしょう。もう二度と見ることができないであろうこれらの作品を、しっかりと目と心に焼き付けておきました。
スラブ叙事詩

出口で図録を買うのにもまた大行列になっており、ほうほうの体で展示室から転げ出し、再び館内を見てまたびっくり。どこが先頭なんだか分からない二つの大行列が、館の内外にとぐろを巻いておりました。一体何時間待ちになっているのでしょうか?
大行列

帰りに直結している乃木坂駅から出ようとしたら、そのすぐ脇に屋外展示が一つ。先日新聞に出ていた草間さんのカボチャのオブジェです。シンプルだけど力強い作品です。
カボチャ

草間展は今日まで、ミュシャ展も来週月曜までなので、今度の土日も大混雑になるのでしょう。回りの声を聞いていると関西からやってきたおばちゃんや、どこか地方の方もおりました。こうやって東京の吸引力はますます強くなり、人も情報もなんでも飲み込んでいくのでしょうね。

はなのすきなうし

  • 2017.01.29 Sunday
  • 05:47
家に帰ったときにテレビをちらっと見ると、本屋さんの話題の中に懐かしい絵本がありました。「はなのすきなうし」という本です。探してみると子供たちに買った絵本や図鑑の中にありました。発行年からすると、これは結婚する前にかみさんが買ったもののようです。
   表紙
(「はなのすきなうし」 マンロー・リーフ、ロバート・ローソン著、岩波書店、1976 より)

久しぶりに読んでみると、こんなに小さな本だったかな?とまず思ってしまいました。この時には定価が320円でしたが、今でも640円で売られているのですから驚きです。岩波書店が出していたのですね。
はなのすきなうし11

これを初めて読んだときに、真っ先に自分の子供時代のことを思い出してしまいました。放課後も誰とも遊ばず、いつも一人でいろんな道をたどりながら、家に帰っていました。小学校は地区の真ん中の田んぼの中にあり、ちょっと遠回りするとため池や川の土手で、いろんな植物を見て歩きながら帰ることができるのです。
はなのすきなうし12

今にして思えば、相当変わっていた子供だったのかもしれません。運動系がからきし苦手だったこともあり、男子と遊ぶことはほとんどありませんでした。休み時間にいつも女子と一緒にいたので、よくいじめられたなぁ。植物というか、自然と付き合うことの楽しみがなかったら、完全に引きこもりになっていたのもしれません。
はなのすきなうし13
 (それにしてもコルクガシの木に、コルク栓の実がなっている絵は困るなぁ…(^^;))

兄弟三人の中で、私だけがそんな風に育っていったけれど、母も祖母もなんにも言わずにそのまま見ていてくれたことには感謝しています。なので、この本を初めて読んだときに、まるで自分のことが描かれているかと思ってしまいました。子供の時にこれを読んでいれば、また違う気持ちになっていたのかもしれませんが、こういう本との出合いはとても大切です。これらの絵本は、ちゃんと孫たちに引き継いでいかなくては、絶対にタブレットでは見せたくありませんから。
はなのすきなうし14

猫の肖像

  • 2017.01.26 Thursday
  • 05:55
お年玉切手などが入った整理箱をひっくり返していたら、思わぬものが出てきました。1996年に発行された「ふみの日」の葉書と切手です。元の絵はもちろん山城隆一さん。こんなものがあったなんて、すっかり忘れていました。切手も11枚残っています。
  ふみの日

山城隆一さんの『猫の肖像』は、私が最も大切にしている本で、うちにいる生の「こまめ」よりかわいがっているかもしれません…(笑) この本が出てしばらくして、パルコの上にあったパルコブックセンターで、この絵はがきが売られているのにびっくりして、あったものすべて買い求めていました。もちろんもったいなくて使っておりませんが。
はがき
 (パルコ発行の絵葉書  1986)

『猫の肖像』の中身は、本当に全部紹介したいくらいかわいい猫ばかり出てきます。最後に載っているこの絵皿は、一番弟子Y氏の、結婚式の引き出物に描いた絵皿だそう。なんと200枚も、伊豆の窯元のところに缶詰になって描いたとあります。「センセの腕なら3日もあれば200枚くらいアッという間にできますよ」と、これをそそのかしたのが、かつての部下だった長友啓典氏だったとありました。ビズのアートディレクションをずっとやっていた長友さんです。絵付けの絵の具はザラザラしてとても大変だったとありますが、その出来映えは本当に素晴らしい。
  絵皿0
 (『猫の肖像』  山城隆一著、求龍堂刊、1984 より)

変な干支の切手作るより、毎年この猫の切手にしてくれた方がはるかに面白いのになぁ… ネコ年のない恨みは深いです〜(^^;)
絵皿2
 (『猫の肖像』  山城隆一著、求龍堂刊、1984 より)

鳥瞰図の魅力

  • 2017.01.16 Monday
  • 05:57
先週チ・カ・ホで、鳥瞰図のフェアをやっているというので、あわてて行ってきました。これらの鳥瞰図は、大正から昭和にかけて約三千点もの鳥瞰図を遺している吉田初三郎のものです。札幌グランドホテルのロビーに、これを拡大した大きなパネルがあり、いつも見飽きないで眺めていました。(写真が見つからなくて残念…)
鳥瞰図
 (フェアを企画した総合技研のパンフレットより)

これを見てビックリしたのは、道内の主要都市くらいしか作られていなかったのかと思いきや、ほとんどの市町村や国立公園、道立自然公園など、200点近くもあったのでした。でも印刷の精度が低く、とても細部まで読めません。折り込み地図仕立てになっていた札幌、函館、旭川、小樽の4都市にしても、函館と旭川はかなり画質が粗く、文字が読めないので断念し、精度のよかった札幌と小樽だけ手に入れてきました。
札幌・小樽

鳥瞰図は醍醐味は、限られた空間にぎっしり情報を詰め込むため、真ん中あたりはいいけれど、両端になるとものすごくゆがんで、よくもこんなにデフォルメできるものだと思うくらいの形になるところ。でもちゃんと分かるところが面白いのです。札幌の右の方にはすぐに小樽があり、その先に気渡島半島が伸びて函館があり、なんと青森まで描き込まれて笑ってしまいます。
札幌部分

札幌は格子状の街区だから全然面白味がないのに対して、小樽は港を囲むように町が広がっているので、とても鳥瞰図に向いています。これは昭和6年製作となっているので、小樽が最も隆盛を極めていた頃の絵図になるでしょう。手宮の高架桟橋から盛んに石炭を積み込んでいたことがよく分かります。運河の沖にたくさんの船が浮かんでおり、当時ははしけに積んで陸揚げしていたものでしょう。
小樽手宮

水天宮や小樽公園、住吉神社など、小樽の町は地形に変化が多く、ブラタモリでもこのあたりを歩き回って昔の痕跡を探していたわけです。左上の松が枝町には遊郭があり、市街地から隔離されたところに作られていた様子がよく分かりますが、こんな所にまで出かけていたのにはびっくりさせられます。今では普通の住宅地になっていますが、この手前には洗心橋というのが残っていて、当時を偲ぶよすがなんだそうです。
小樽山の手

吉田初三郎(1884〜1955)は京都に生まれ、
友禅染の図案工を経て商業美術に転じ、鉄道沿線の名所図や観光案内を手がけて有名になっていったそうです。その絵心も素晴らしいのですが、ちょっとひねった遊び心がそこかしこに感じられて面白いのです。デジタル時代には絶対に描けない絵だけに、道内各地の作品については、もっとしっかりとした公開が待たれるところです。
  あとがき

カイ

  • 2016.12.17 Saturday
  • 05:48
『カイ』という雑誌がありました。2008(H20)年秋に創刊され、今年の春まで季刊誌として発行され、30号まで出ていたのです。「カイ」とは、アイヌ語で「この地に生まれし者」。松浦武四郎がアイヌの古老から教わった言葉で、のちに開拓判官として、蝦夷地に代わる名前の候補の選定を行ったときに、「北加伊道」として提案した名前でもありました。
  カイ01

知り合いが何人もエッセーを書いていたこともありますが、テーマ選びがなかなか素晴らしかったのです。この号なんか、私の大切な本の一つになりました。ライターもセンスのいい方を使っているので、とにかく面白く、目からうろこが落ちっぱなしになるほどでした。
  カイ08

この号なんて、思わずなんじゃこれは!と、叫びそうに。誰がこんな企画を作ったのかと思ったら、主なライターは元花新聞編集長の○藤さんだったのです。その他にも素晴らしい特集が満載で、これも手放せない本になりました。
  カイ11

楽園周遊では、真鍋さん、紫竹さん、そして武市さんなどなど。これをすべて掲載したいくらいです。
陽殖園

そんな思い出話をしようとしたのではなく、この『カイ』が、この春からWEBマガジンに模様替えして公開されました。残念ながら、バックナンバーは公開されておりませんが、内容は以前と同じく、じっくりと北海道の魅力を掘り下げてる、とてもいい企画が満載です。紙ベースからWEBに移行するというのは、私のような人間にはとても寂しいのですが、こうやって出し続けてくれることに感謝したいです。

運営は主にまちづくりのコンサルタント「ノーザンクロス」。いろんなところでお世話になっている、渋くていい会社です。ぜひごひいきに読んでみて下さい。(メルマガに登録しておくと、新しい記事が掲載されるたびに知らせてくれます。)

北海道主要樹木圖譜

  • 2016.12.06 Tuesday
  • 05:48
須藤忠助氏を甦らせたので、最高傑作である『北海道主要樹木圖譜』も紹介しておかなければなりません。これは、1913(T2)年に北海道庁が主要樹木の選定及び図譜の作成を宮部金吾博士に委嘱し、宮部の片腕であった工藤祐舜助教授と、道庁技手の須崎忠助のコンビで、86枚の図譜が描き上げられています。これらは1920(T9)年から1931(S6)年まで、28回に分かれて発行されましたが、当時最高の「写真彫刻石版術」をもって刷り上げられ、我が国はもちろんのこと、海外でも高く評価されるものとなったのです。

私もその現物を若い頃に一度見たことがありますが、ものすごく感激をする出来映えでした。それが、1986(S61)年に、北大植物園開園百周年記念事業として覆刻されたのです。原画は関東大震災で烏有に帰したため、残されているものの一番いい状態のものから版を起こし、特注の紙に印刷されたものです。その時はまだ植木屋時代の貧乏暮らしでしたから、54,000円の復刻版はさすがに買うことができず、4,800円の普及版で我慢することに。その普及版でも、私の宝物の一つになっています。
圖譜表紙

1枚の紙の中に、枝葉から花、果実まで実に細密に描かれており、特に分類上の決め手になる花器については、かなり詳細なところまで描かれています。そして何よりもこの構図が素晴らしい。1枚の中にすべて詰め込むのですが、そのバランスがピタリと収まっているのです。パソコン内でペタペタ貼り付けていくのとは訳が違いますから。
トドマツ

この会社を作って間もないころ、印刷所に残っていた復刻版の図版の余りを、北大生協が放出するという話が入って来ました。その日にはちょうど行くことができず、当時在学していた娘に行ってもらい、10枚ほどの図版を手に入れることが出来ました。B4版ほどの図版は、フレームに入れて一度滝野公園で展示したことがありましたが、これも私の宝物の一つです〜
ヤチダモ

須崎忠助氏のもう一つの作品が、『北海道薬用植物圖彙(ずい)』です。これは工藤祐舜との共著の形ですが、須崎の書いた序によると、樹木図譜の作成のため、新鮮な材料を求めて山間僻地に宿泊している時に、「疫害虫に襲われること数次、急に医薬を求めんとするも能わず、里人俗用の草根木皮に救われたり。」当時の医療体制が僻地では全く不備であったため、何かよい図書はないかと探したけれどなかったので、自分で描くことにしたのです。ちょうど工藤が道庁の依頼で道内の薬草の調査をしていたため、それらを合わせて図書にまとめ、樹木図譜よりも早く出版されています。(これも復刻版が出版されています。)
薬用植物圖彙

こちらは口絵にヌルデ、カタクリ、ウスアカリンドウ(ユウパリリンドウ)の3枚だけがカラーで、あとはモノクロの線画となっています。多分出版を急いだこともあったのでしょうが、シンプルだけど、素人でも簡単に見分けやすいように描かれており、アイヌ名やその用途なども整理されているので、とても役に立った本ではないでしょうか。
スズラン

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