新宿をうろうろ

  • 2017.05.20 Saturday
  • 05:33
明日の造園学会に出席するため。夕方東京に着きました。新宿西口にホテルを取ったので、さっそく町に出てみると、ちょうど植え込みのサツキが終わりかけで、季節のずれを感じます。淡いブルーの花は何かと思ったら、フレンチラベンダーでした。そうか。イングリッシュはもたないので、こちらはフレンチになるのですね。
フレンチラベンダー

副都心の街路樹の多くが自然樹形のケヤキなので、さすがに圧倒されます。回りが高層ビルだらけなので、このくらい大きくないと釣り合いが取れませんが、うらやましい限りです。
ケヤキ

この交差点は、信号や標識を大きな円形の支柱に一括処理している名物交差点。費用はメチャクチャかかったでしょうが、東京だからできたのでしょう。
交差点

ちょうど夕日が沈む時刻なので、ビルのすき間からまぶしい光が差し込んでいて、外国人が盛んに写真を撮っていました。なんだろうと振り返ってみると、あの都庁を撮していたのです。丹下先生の作品は,良くも悪くもシンボリックですからねぇ。それにしても。町中をうろうろしながら写真を撮っていると、そのうちポリにしょっ引かれるようになるのでしょう。恐ろしい世の中になっていることに、どうして気付かないのでしょうねぇ…
都庁

ここに来ると、田舎者は上ばかり見ていて首が痛くなります。そんな中でも、このコクーンタワーは存在感ではピカイチでしょう。いくつもの専門学校が入るビルで、何と一万人もが学んでいるんだとか…(^_^;) 調べてみると、これも丹下事務所の作品でした。
コクーンタワー

迷いに迷って西口から東口まで移動し、ごちゃごちゃした街並みに入ると少しホッとしました。でもちょうど金曜日の夜なので、ものすごい人出に圧倒… 田舎者はすぐに人に酔ってしまいます。若い頃は、東京に立ち寄った時にたいてい来ていた紀伊國屋書店を見るとなんだか懐かしいです。
紀伊國屋

まだ早かったせいか、うまく店にもぐり込むことができましたが、その後は大変な混雑ぶり。こんな町では生きていけないなぁとつくづく思ってしまいました。
アイリッシュパブ

十勝からの帰り道

  • 2016.07.12 Tuesday
  • 05:52
帯広では明け方お湿りがあったようで、傷んだ芝生も水分を吸収して、少しは元気になってくれたことでしょう。昼までに札幌に帰ろうとホテルを出たら、駅の近くの中央分離帯でキンロバイが咲いていました。この狭い空間によく育っているなあと感心するほどです。さすが高山植物、かなりの乾燥にも耐えられるのでしょう。
キンロバイ

鈴蘭新道を通って高速に向かっていると、音更町に入ったところにプンゲンストウヒの並木が大きく育っていました。いやはや、こんな狭い道路空間に剪定の効かない木を植えたものだとあきれて見ていました。
鈴蘭新道

ふと左側を見ると、こちらの街路樹は途中でぶつ切りになっているではありませんか!!こちら側だけ苦情が来たものなのか、これから反対側も切る予定なのか、いやはやびっくりな切り方です。根本的には樹種選定の問題なので、早く樹種転換すればいいものを…
ぶつ切り剪定

帰り道は休み休み運転することにしたので、高速の各PAやSAで展開されている北海道ハイウェイガーデンを見ていくことに。最初は十勝平原PA。ここは狭いので、アプローチに沿ってワイルドフラワーが植えられていました。ここの監修は紫竹ガーデンです。
十勝平原PA

ちょうど見ごろになっていたのはヒメナデシコ(Dianthus deltoides)。いろんな花色が混じり合ってかわいかったです。
ヒメナデシコ

占冠は飛ばして由仁SA。ここは地元のゆにガーデンの監修になっています。アメリカテマリシモツケの‘センターグロウ’(Physocarpus opulifolius 'Center Glow' )と、シモツケの‘ゴールドマウンド’(Spiraea japonica 'Gold Mound')の組み合わせがとてもよく目立ちます。
由仁SA

シモツケは、この時期イモムシ(シモツケマルハバチ)に食べられた丸坊主になってしまうのに、ここは大丈夫のようです。我が家も今年初めて被害を受けるところでしたが、一体どこからやってくるのでしょうねぇ…
カラーリーフ

銅葉のアメリカテマリシモツケは、初めに‘ディアボロ’が出回りましたが、こちらの方がより彩りが鮮やかで目立ちます。このように黄葉のカラーリーフと組み合わせると、コントラストがくっきりと出て効果的です。
センターグロウ

道央高速の岩見沢SA上り線側には、リトルロックヒルズ監修の新エリアが開業したとのことなので、ハイウェイガーデンも見逃せませんね。

松山の街角で

  • 2016.04.06 Wednesday
  • 05:41
今回の松山行きでは、見事にどこにも行けなかったので、咲いている花を遠くからちらちら見た程度でした。それでも市役所の手続きのあと、中央郵便局に行く道すがらに見た街角の店先は、いろんな植物が満載でとても素敵な雰囲気を作っていました。常緑樹主体なので、こういうものは札幌ではなかなか作れません。
料理屋

小さな店でも、酒樽や古い甕などにいろんな枝物を挿しているところありました。ちょうど桃の節句なので、あちこちにモモの枝が。冬でもサザンカに始まり、ウメ、ツバキ、ロウバイにモモ、これからはサクラになっていくのでしょうか。
店先

郵便局の横の通りは、植樹帯がなんとローズマリーでした。近寄るとほんのりと香るほどで、なんともソフトなバッファーが出来るものだとうらやましくなりました。
ローズマリー

朝晩うろついていた松山駅前でも、駅舎の右手にあるゲームセンターの駐車場の入り口に、小さな滝石組みが設けられて水がちょろちょろ流れていました。こういうのはオーナーのセンスなのか不思議な気がします。ど派手な建物の割に、こういうところに心配りをする余裕があるのでしょう。
ゲーセン

駅の近くでは、この低木化したチェリーセージを初め、アブチロンやホンコンカポックなどが露地植えされて大きく育っており、気候の違いを見せつけられました。
チェリーセージ

これは墓参りの時に写したものですが、町中でもカラスノエンドウがあちこちに生えているのにちょっとびっくり。レンゲ畑のあぜ道には、カラスノエンドウとスズメノエンドウ、タネツケバナなどが定番で、町中の路傍には似合わないと思ってました。ブタナは全く、セイヨウタンポポすらほとんど見かけず、町中でも帰化植物があまり見当たらないのはどういう理由なんでしょうねぇ?
カラスノエンドウ

札幌への大移動

  • 2016.04.03 Sunday
  • 05:56
雨上がりの松山は穏やかに晴れて、ホテルの向こうに見える西山のサクラもかなり開いてきた感じがしました。テレビでは日曜は天気が崩れるので、今日が一番の花見日和です〜とのこと。こちらにはジンギスカンがないので、みんなどうやって花見をするのでしょう?

四日間、とうとう毎日駅のうどん屋に通い詰めてしまいました。締めはやっぱりきつねうどん。毎日ごちそうさまでした。
きつねうどん

時間に余裕があったので、タクシー使わずにやっぱり電車で行くことにしました。土曜の朝なので、電車もガラガラでした。
電車

通い慣れたこの道筋も今日で最後だなぁと、ちょっとしんみり。途中で、先日見つけたサクラのことを思い出したので、ちょっと回り道を。公園の西側には‘陽光’が、南側には‘ソメイヨシノ’が列植されていました。でも陽光の濃いピンクに比べれば、ソメイヨシノは本当に味気ないというか、存在感の薄いサクラに見えてしまいます。
公園のサクラ

間近に見ると、花が大きいのにびっくり。まるでモモの花のようです。底紅で花弁の縁が波打っており、既に散り始めているものの、存在感は抜群の花でした。親となった‘天城吉野(アマギヨシノ)’は、オオシマザクラにエドヒガンを交雑して作られたほとんど白色のサクラなので、この花色はもう一つの親であるカンヒザクラから受け継いだものでしょう。どういう狙いで天城吉野(あまぎよしの)を選んだのか、作者に確かめたいところです。でも、この桜の誕生秘話が映画にまでなっていたのですね。
陽光桜

既にかなり散り始めており、木の下は花吹雪でピンクの絨毯になっていました。ぼんぼりが取り付けられているということは、近所の花見スポットになっているようです。
花吹雪

8時過ぎに母を連れて松山空港へ。搭乗手続きに合わせて、各空港での車椅子の手配をお願いするのにえらく手間がかかってしまいました。切符手配した時にちゃんと明記していたのになぁ… 中でも羽田での乗り継ぎはとにかく大変。長大な第2ターミナルのさらにそのウイングの両端での発着だし、乗り継ぎの時間が40分くらいしかなく、いくらなんでも押して行けないでしょう!!と言ったら、ようやく電動カートを手配してくれました。それでも乗れるのは母だけで、私は歩いてきて下さいと言われたのです。羽田の担当者は、そんなことありませんからと乗せてくれましたが、あの会社はいったいどんな社員教育しているのだか…(`ヘ´)
カートでの移動

寒風吹きすさぶ千歳に着くと、さすがに雪はなくなっているものの、まだまだ春は遠い風景です。25年振りにやって来た母の目にはどう写っていたものやら。千歳で遅い昼食を食べて、ようやく4時に我が家に到着。長旅お疲れさまでした。家の回りの雪もかなり減ってきて、早くも春咲きスノーフレークがつぼみをもたげてきてました。我が家にもちゃんと春がやってきたようです。
ロイコジウム

松山最後の夜

  • 2016.04.02 Saturday
  • 05:42
今回はいつも泊まるホテルではなくて、レンタカーからも近く、駅からほんの数分ほどの所にしたため、朝食のつかないタイプにしていました。駅のうどん屋が7時半から開いているというので、毎朝うどんにしようと思ったのです。松山のうどんは、讃岐ほどコシが強くなく、出汁も甘めなので、胃に優しく感じます。昨日の朝はとろろ昆布うどんにしました。
とろろ昆布うどん

午前中は転出届やら、介護関係の手続きなどを片付け、昼前にお世話になった従兄弟の家に挨拶に行きました。これからは松山に来る機会も減ってしまうので、隣同士にある墓の面倒などもお願いしました。ここは城山のすぐ北側にあるので、見上げると天守閣がよく見えました。以前は見えなかったと思ったら、数年前にこちら側の眺望が効くようにかなり木を伐り、初めて見えるようになったのだそうです。観光のためならなんでもやってしまう町なんだ…
城山

午後からは、小雨降る中母を連れて墓参り。母にしてみれば、東京から戦時中に嫁に来て以来、70年も住んでいたところからはるばる北海道に行く訳ですから、いろんな思いが去来したことでしょう。夕方引っ越し荷物を発送して一段落し、最後のご飯くらい「すし丸」で食べようと連れ出しました。節句のおひな様がとても素敵です。
おひな様

ちょうど年度初めの金曜日のため、満席札止めになっていたのですが、事情を話してなんとか席を確保することができました。活きのいい刺身は本当に美味しかったです〜
刺身

このところ食欲がなくてろくなものを食べていなかったようですが、もともと美味しいものには目のない方なので、ぺろりと平らげてくれました。これだけ食欲があれば、まだまだ長生きしてくれそうです。
陶板焼

帳場が混んでいるので時間がかかりますと言われた割に、いつも通りのてきぱきとした対応で、寿司も間を空けずに出していただきました。松山の味を満喫して、これで心置きなく旅立てるかな。
寿司

今日は東京経由で昼過ぎには北海道に到着です。まだ雪融け間もない風景ですが、日に日に緑が増してくれば、植物好きな母だけに元気になってくれることでしょう。

早朝の散策

  • 2016.04.01 Friday
  • 06:31
毎朝4時には起きて走っているので、旅に出ても習慣が抜けません。ボケーとしていても仕方ないので、町中を一回り散歩してくることにしました。駅前に出るとちょうど電車が待っていたので、南堀端まで移動。ここは散歩やらジョギングやら、たくさんの人が集まってきています。東京はようやく満開宣言が出たようですが、松山の桜はせいぜい二分咲き程度。淡い色のソメイヨシノでは、満開にならないと迫力が出ないものです。
ソメイ

直線的でのぺーとした感じのする西堀端や南堀端と違い、堀の深い東堀端は、城山や県庁などの組み合わせで景観的に迫力が出てきます。ウメの時期であれば、もっと絵になっていたことでしょう。
東堀端

県庁の港内を歩いていると、意外にタギョウショウ(多行松)が植えられていたのに気付きました。これはアカマツの園芸品種で、地際からたくさんの幹が叢生してこんもりした独特の樹形をするものです。うしろにある彫刻は、やっぱり空充秋(そら みつあき)さんの作品でした。独特のフォルムが存在感を示していますが、ちょっと回りが窮屈です。こういう寄贈作品は、敷地のどこかのすき間に詰め込まれるのが本当に悲しいです。
空光昭

玄関の前には、全身ミカン色のみきゃん号が置かれていました。県の公式キャラクターである「みきゃん」はかなり定着しているようですが、ミカンだけでなく、愛媛の方言で〜やけん(犬)ということや、県の形が犬が駆けている姿にそっくりなので、それにもかけているのだとか。初めて知りました。
県庁

ぶらぶらと大街道まで歩いて行くと、ぼちぼち通勤の方達も出歩き始め、賑やかになってきました。ちょうどやってきた電車はモハ50型の66号車。全身ミカン色の新塗装に塗られていました。
電車

再び電車で松山駅前に戻り、改札口横のうどん屋「かけはし」で朝食を。ハンドルネームは「うどん人」だけあって、朝からうどんが食べられるのは望外の幸せ。美味しいワカメうどんが胃に心地よかったです。これが370円というのが四国ならではでしょうね。
若芽うどん

引っ越し準備の方は、従姉妹夫婦の手伝いもあって、夕方までに仕上げることができました。もう一踏ん張り、最後の一日をがんばらなくては。

初日は着々と

  • 2016.03.31 Thursday
  • 05:53
昨日の道中は、ずっと曇り空のために視界がなく、着陸寸前になってようやく瀬戸の島々が見えてきました。木々の中にサクラが咲いているのがぼんやり見えてましたが、空港の進入路に一番近い島がこの由利島。鉄腕ダッシュで開拓?が進められている‘ダッシュ島’です。城島君たちは今日もロケをやっているのかな?
ダッシュ島

バスで町中に向かいながらサクラが満開かと探してみましたが、ソメイヨシノはまだほんの一分咲き程度。代わりにモモが満開になっていました。松山の節句は月遅れなので、ちょうど桃の節句になるのです。JR松山駅に着いたのが2時過ぎ。遅い昼食はまたエキナカ食堂でじゃこ天うどんにしました。今回のホテルは駅のすぐ近くなので、毎日食べに来ようかなぁ。(笑)
じゃこ天うどん

荷物を置いて近くのスーパーに寄って買い物をしようとしたら、その横をすり抜けるように電車がやってきました。このスーパーは私の通った学校の跡地に建っているので、この風景と共についいろんなことを思いだしてしまいます。
電車

買い物をして電車を待っていると、やってきたのは「とうふ」の愛称があるモハ2100型でした。旧型のモハ50型の更新もかなり進んできているようです。今日明日はレンタカーを借りているので、電車に乗って実家に向かうのもこれが最後かなぁ…とちょっとしんみり。
とうふ

電停からは迷路のように入り組んだ路地を10分余り。玄関先にはパンジーやクリサンセマム、プリムラなどが満開になって、先日来た時に比べれば春真っ盛りを実感できました。確かにソメイヨシノはほんのわずかに咲き始めた程度でしたが、小さな公園に植えられているサクラがもう散り始めでした。花の色が濃く、なんというサクラなのか全く見当がつきませんでした。
サクラ

引っ越しの準備は、とりあえず予行演習程度と考えていたら、従兄弟の奥さんが手伝いに来てくれたので、夜までにかなりのものが片付いてしまいました。これならあと半日もあれば目途が付きそうです。
やはりいろんなものが出てくるもので、昔作ったわが家の模型があったのにはビックリ。この家は祖父が熊本から出てきた時に作った家でしたが、私の子供の頃には雨漏りはするわ、かしいで建て付けが悪くなるわで、高校2年の時に建て替えをしたのです。その時に作った記念の模型だったのですねぇ。新しい家の図面は私が描き、その通りに工務店が作ってくれました。工務店の社長がその出来映えに感激して、跡継ぎにしたいので私をぜひ養子にくれないかと何度も親に頼むので、親も困ってました。そうなれば、私の人生はまた違っていたかもしれません…(^_^;)
模型

真っ暗な路地を抜けて、国道との交差点にある本町六丁目の電停で電車を待っていると、向こうからガタガタ揺れながら旧型の電車がやってきました。路面電車なら明るいところを通るので夜でも華やかな感じがしますが、この城北線は住宅地の合間をすり抜けて走る専用軌道。真っ暗な夜に走ると銀河鉄道のような不思議な感覚に包まれます。
夜の電車

再び松山へ

  • 2016.03.30 Wednesday
  • 05:38
今月初めに松山に帰省したばかりですが、これからまた松山へ。母は90歳を過ぎてそれなりに元気で生活しているものの、いつ寝込んでしまうか一寸先は分かりません。今であれば飛行機にも乗れるので、余生は孫たちもいる北海道で過ごしてもらうことにしたのです。とはいえ我が家ではとても世話が出来ないので、事務所の近くにたまたま空いている施設を見つけ、バタバタとその準備をしていました。我が家もそれなりにバリアフリー化しなければならず、この一ヶ月はあれこれ打合せやら手配やら買い物やら…血圧がピンと跳ね上がってしまいました。

なんとかそれらも一段落し、これからは向こうの片付けやら引っ越しやら手続きやらを処理した上で、土曜日に一緒に北海道に帰ってきます。高校を卒業して以来、ほとんど親孝行らしいことも出来なかったので、これからの時間は大切にしていきたいと思っています。

西山から

松山のサクラもこんな具合に咲いているのかもしれませんが(これは3年前の4月2日の様子です)、今回ばかりはどこにも行くことは出来ないでしょう。これからは松山にも足が遠のいてしまいそうなので、精一杯松山の空気を吸ってきたいと思います。

太山寺の地獄絵

  • 2016.03.14 Monday
  • 05:37
先日行った松山のすし丸で、「松山百点」という小さな冊子をいただきました。創刊が昭和40年3月で、隔月刊の発行で現在307号。地方の情報誌が苦戦している中では、よく続いています。帰ってきてからようやくパラパラめくり始めて、懐かしいものが載っているのに気付きました。太山寺の地獄極楽絵です。
松山百点

私の生まれた町には二つの札所があり、家のすぐ近くには53番札所の圓明寺が(地元では‘えんめいじ’ゆうとったけど、本当は‘えんみょうじ’やと…ほんとかや)、もう一つの52番札所の瀧雲山太山寺というのは、3〜4km離れた山の中にある大きなお寺です。太山寺町の突き当たりに一の門があり、本堂はさらにその奥1kmくらい登ったところにあります。(写真は2007年のものです。)
一の門

子どもの頃、参道にはスギの巨木がずらりと並び、昼なお暗くて不気味な道でしたが、高3の秋に松山を襲った大きな台風によって、そのほとんどがへし折られてしまい、すっかり明るい道になってしまいました。その行き止まりの右にまた高い石段があり、そこにあるのが二の門(仁王門)です。本堂と同じく鎌倉時代(1305年)の再建ですが、これは重要文化財の指定です。子どもの頃には。この仁王さんの間を通るのも怖かった…
二の門

巨大な本堂は、県下最大の木造建造物で、こちらは国宝になっています。この本堂の右に見える鐘楼の中に、この地獄極楽絵が描かれているのです。
境内

とっても怖いのだけれど、怖いもの見たさで何人かでそおっと入り、無言でこの絵を見つめていました。とても一人で入る勇気はありませんでしたねぇ… 嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれるとよく言われるけれど、私達はこの絵をよく知っているので、とてもリアリティがありました。
閻魔様

この鐘楼は江戸末期の建造とされ、この絵は明治期に描き直したものと書かれていますが、何をどう描き直したものなのでしょう。より怖い絵柄にしたとしか思えません。児童会館などにこのパネルを置いておくと、子供たちは品行方正になるかもしれません。
地獄絵

梅津寺散策

  • 2016.03.09 Wednesday
  • 05:55
鯛飯のお昼を食べて、のんびり三津の町並みを散策し、また渡し船に乗って港山に戻りました。隣駅の梅津寺(ばいしんじ)まではすぐなので、腹ごなしに歩いて行こうと路地にもぐり込んだのです。線路と海岸の間に細続く道は、どう見ても自転車しか通れそうもないけれど、途中に車が止まっているので、やっぱりここを走っているのです!消防車や救急車なんて、どう見ても通れません…
路地

息苦しくなったので、家のすき間から砂浜に出ると、なんだか黄色い花が満開になっていました。近寄ってびっくり。なんとガザニア(Gazania rigens)が野生化して砂浜にはびこっているのです。そりゃ南アフリカの砂漠に生えているのでしょうから、なんの不思議もないのかもしれませんが、こんなところには生えてほしくないです…
砂浜

その脇に見慣れた花が咲いていると思ったら、こちらはハマダイコン(Raphanus sativus var. raphanistroides)でした。ノラニンジンと同じく、栽培種が野生化したことになっていましたが、今では元々の野生種が世界各地に広まってきたと考えられています。ノラニンジンの根は全然太らないけれど、ハマダイコンは立派に太っていました。
ハマダイコン

この辺りは昔から一番人気のある海水浴場で、電車の駅から直接砂浜に下りることができます。梅津寺には伊予鉄道が戦前から開発した遊園地があり、私の子供時代には梅津寺パークとして、遠足にも来る人気スポットでした。今は遊園地部分はすべて撤去され、梅林部分だけが有料(50円)公園として、伊予鉄道の管理で公開されています。
梅津寺公園

この公園の目玉は、なんといっても坊ちゃん列車でしょう。伊予鉄道は、1888(M21)年に開業した私鉄では2番目に古い鉄道です。ただ、軌間は762mmの軽便鉄道として開業したため、夏目漱石に「マッチ箱のような」と揶揄されたかわいい列車が走っていたのです。その1号機関車がこれで、鉄道記念物にも指定されている貴重品です。町中を走っているのはこれを元に復元したレプリカで、ディーゼル機関ながら、シュッポシュッポと擬音を響かせてにぎやかに走っています。
坊ちゃん列車

園内のウメはほとんど終わっており、数本ある寒桜だけが見事な花を咲かせていました。松山には‘彼岸桜’という早咲きのサクラが有名ですが、これがそうなのかなぁ?
寒桜

入り口のおじさんから、「日当たりのええとこにはツクシが出とるけん、探しとぉみや〜」と言われたので、端の方を歩いているとシロバナタンポポ(Taraxacum albidum)がたくさん咲いていました。やっぱりタンポポはこれじゃのぅとせっせとタネを取ってきたので、また播いてみようかな。以前も家で育ててましたが、3年くらいで消えてしまいました。それにしてもセイヨウタンポポは全く見当たらず、園内で見つけたのは一株だけ。あとの黄色い花はすべてジシバリでした。そういえば町中でもセイヨウタンポポは見なかったなぁ。
シロバナタンポポ

町中でもやたら増えているのがオキザリス類。昔はムラサキカタバミくらいでしたが、最近やたら増えてきたのが黄花のオオキバナカタバミ(Oxalis pes-caprae)で、完全に雑草化しています。これほどではなくて、草姿がもっとコンパクトなのがフヨウカタバミ(Oxalis purpurea)。帰るたびに増えていくという印象です。ピンクと白のコントラストが優しく、花茎が短くてだらしなくないので、前者より人気が出ているのかもしれません。
オキザリス

ようやく帰宅

  • 2016.03.07 Monday
  • 05:51
朝いちでホテルを引き払い、再び実家へ。今回の帰省では、老母の今後をどうするのか、あれこれと重い決断をしなければなりませんでした。最後の詰めを済ませてから空港へ。日曜日なので道路も空いており、すんなりと到着。松山空港は、町からのアクセスがいいので本当に便利です。
帰りも伊丹経由で戻ってきましたが、伊丹までのプロペラ機がメチャクチャ揺れたので、かみさんが悲鳴を上げていました。私は丘珠空港からのYSやボンバルディアによく乗っていたので、まぁこんなものかなと思っていましたが、ジェットしか知らない人には、これだけ揺れたら大変でしょう。千歳は雨でしたが、円山ではほとんど上がっており、まだ明るいうちに家に帰ることができました。

ぬいぐるみ
4日もほったらかしにしていたので、こまめも怒っているだろうなと思ったら、案の定すねてどこかに隠れてしまいました。玄関から階段の上、二階のフロアなどに、点々とぬいぐるみが… 寂しい時にはこれらのぬいぐるみと遊んでいる不思議な猫なんです。一時間くらい経って、階段の下からすねた目つきでようやく出てきました。

こまめ
さらに近寄ってくるのに30分くらいかかり、ようやく捕まえてだっこすると、ホッとしたのか体の力が抜けてきて、ごろごろと喉を鳴らし始めました。

だっこ
三泊四日家を空けたのは初めてだったので、ただでさえ寂しがり屋のこまめにとっては、とても不安な時間だったことでしょう。フリースの中に入れてやると、ようやく安心してくれました。盛りだくさんな旅を終え、今日からは気持ちを切り替えて、公私共にがんばらなければなりません。雪融けまでの一ヶ月が正念場となりそうです。

春 爛漫

  • 2016.03.06 Sunday
  • 06:04
昨日の松山は、最高気温が22℃と暖かく、気持ちのいい天気になりました。朝いちで、前日に回りきれなかった親戚に行こうと、電車で郡中(ぐんちゅう)へ。泊まっているホテルからほど近い古町(こまち)から、高浜線と郡中線を乗り継いで45分ほどのところにあります。しばらく電車で行ったことはなかったので、先頭に座ってはしゃいでいたら、かみさんにあきれられました。線路脇には菜の花が咲き乱れ、本当にのどかな風景です。
郡中線

電車を降りて信号待ちしていたら、店の前に植えられている丸い低木に。たくさんのハチが集まっていました。なんだろうと見てみると、小さな水色の花がたくさん咲いており、なんとローズマリーを刈り込んだものでした。チェリーセージやマーガレットが低木になっていたり、四国まで来ると気候の違いに目を丸くしてしまいます。
ローズマリー

挨拶を済ませて再び松山に戻り、商店街を一回りしてみました。松山には、伊予鉄の本拠地である市駅前から伸びる銀天街と、一番町にある三越前から伸びる大街道の、二つのアーケード商店街がL字に連なっています。今でもそこそこ賑わっているものの、いくつか空き店舗もあり、コンビニやマツキヨ、スタバにダイソーなどの店も目立ちました。
銀天街

二つの商店街の接点にある広場に、昔から大きな御影石でできたタヌキの彫刻があるので、改めて下に埋められている銘板を見てみると、なんと札幌の狸小路との姉妹商店街提携記念に送られたものだったのです。全然気がつきませんでした。
タヌキ

再び市駅から高浜線に乗り、松山の港町である三津に向かいました。昨年は行けなかった鯛飯屋にお昼を予約していたのです。三津の一つ向こうの港山で電車を降り、住宅の間を抜けると渡し場があります。そこで手を振ると、向こう側にいる船頭さんがすぐに渡船を回してくれるのです。おばあちゃんに連れられた子供二人と一緒でした。
渡し

おばあちゃんは車で向こうに回りましたが。こちらは数分しかかからないので、当然こちらの勝ちです。こんな不思議な渡船がいつまで残っているのでしょうね。三津に渡ると昨年見つけた看板がお出迎え。
看板

かつて繁栄を極めていた三津の街には、このような伝統的建造物がいくつか残されています。それを活用して名物の鯛飯屋にしているのが、この「鯛や」さんです。念願かなってようやく来ることができました。(詳細はまた後ほど)
鯛や

さて今日は、また飛行機乗り継いで札幌へ。息子に一度様子を見てもらいましたが、一人で留守番しているこまめが寂しがっていることでしょう。もうすぐ帰るからね〜

法事など

  • 2016.03.05 Saturday
  • 06:33
昨日は朝いちでレンタカーを借り、松山総合公園にと思って行ってみると、まだゲートが閉まっていて断念。やむなく町中を流れている石手川に行ってみました。この川は、先日のブラタモリでも紹介されていたように、400年前の松山築城に際して、この辺りを暴れていた川筋を大きく掘り込んで誘導し、安定した市街地を作ったものです。申し訳程度にしか水が流れていないのは、上流のダムでせき止められ、松山市の水道に供給しているためですが、こんな細い川だし、もともと降水量の少ない瀬戸内なので、毎度断水騒ぎになるはずです。土手には一面に菜の花が咲いており、のんびりした春の雰囲気を楽しめました。
石手川

この辺りは市街地から少し遡り、道後の近くだったので、石手寺の裏山にある弘法大師像が見えました。高さが16mもある大きなもので、体が中国、顔がインドを向いているのだそうです。
弘法大師

実家に寄って母を乗せ、堀江という古い港町にあるお寺さんに行きました。ここの山門の幅が狭くて一番小さなクラスでもぎりぎりなため、ものすごく緊張しました。この辺りは古い家並みのままなので、軽でも無理!!という道路ばかりなんです。一時間近くお経をいただきました。次は50回忌なのでまた連絡させていただきますとおっしゃってましたが、その時は私も80歳なので、私だってどうなっているか分からないです…(^_^;)
お寺

ちょうどお昼だったので、また昨年同様近くのみなと食堂へ。安くて美味しいので、相変わらず賑わっておりました。客あしらいも小気味よく、人気があるはずです。
みなと食堂

寒い本堂にいたために体の芯まで冷え切ってしまい、暖かい麺類でようやく人心地。母達は鍋焼きうどん、私はまた中華ソバでした。
中華蕎麦

そのあと墓参りを済ませて母を家まで送り、親戚やら恩師のお宅など、夕方まで松山の町を走り回りました。運転のマナーが最悪の土地柄なので、いつ来ても本当に冷や冷やものです。愛媛での運転は、くれぐれも用心しましょうね。

夜には小春夫婦が広島経由で合流したので、母との顔合わせをいつもの「すし丸」でやりました。店先の生け花は、節句らしく桃の切り枝でしたが、まだほとんどつぼみのまま。松山の節句は月遅れの4月3日なので、その頃がちょうど桃の満開に当たります。
すしまる

婿殿にもたっぷりと海鮮を堪能してもらいました。これは鯛そうめんと松山鮓(もぶり鮓ともいう独特の風味のちらし寿司)です。すっかり食の細くなった母も、美味しそうに食べていたので一安心。小春達はまだ10日ほど各地を回ってくるそうで、楽しそうに道後にある宿に向かっていきました。
もぶり寿司

3月の松山

  • 2016.03.04 Friday
  • 06:41
千歳を飛び立って約2時間。飛行機は大阪の都心部で旋回して伊丹空港に進入していきます。まだちょっと寒々しい大阪城がよく見えましたが、こんな低空でひっきりなしに飛んでいたら、うるさくないのかな?と思ってしまいます。それにしても、いつも屋根をかすめて降りていくのは、本当に怖い空港です…
大阪城

伊丹でプロペラ機のボンバルディアに乗り換え、45分ほどで松山空港へ。ダッシュ島は遠くにしか見えませんでした。これは松山沖に浮かぶ、由利島を舞台に展開しているのです。ロビーで迎えてくれるのは、ポンジュースのオブジェ。愛媛の家庭には、ポンジュースの出る蛇口があるという「伝説」に基づいたものです。
ポンジュース

バスでJR松山駅へ。松山の中心は伊予鉄道の松山市駅(しえき)なので、こちらはこぢんまりとした駅です。ちょうどお昼だったので、改札口の横にあるうどん屋で昼食を。ここは宇和島の蒲鉾屋がやっているので、迷わずじゃこ天うどんを。これで500円ですから安いものです♪
うどん

いつも泊まるホテルはここから5分ほどなので、ぶらぶらと歩き始めると、昼下がりの日差しの強いこと。気温は15℃くらいでも、凍てついた北海道から来れば天国のような暖かさです。店の前の小さな植え込みでは、オステオスペルマムやガザニアがお日様を浴びて満開になっていました。
オステオ

ホテルに一度落ち着いてから、ほど近い実家に向かいました。市電で3駅乗り、そこから住宅地の中の迷路のような道を歩いて10分弱。やはりウメやツバキはほとんど終わり、サクラにはまだ早いので、木々の花はほころび始めたカンヒザクラくらいでした。それでもプランターに植えられたパンジーやクリサンセマム、プリムラ・マラコイデスなどが満開なので、けっこう春らしく感じました。
カンヒザクラ

母は少し腰が曲がったものの、相変わらず元気なのでホッとしました。真っ暗になるまで実家にいて、再びホテルまで戻り、近くの居酒屋で遅い夕食を。せっかく松山に来てるから、活きのいい魚でも食べようとアジの刺身を頼んだところ、こんな姿で出てきました。三枚に下ろしているのに、尻尾がピクピクと動いているのです。早く成仏してくれよ〜と手を合わせていただきましたが、さっきまで泳いでいただけあって活きのいいこと。大変美味しくいただきました。
アジ

こちらは夜明けが遅く、ようやく明るくなってきました。少し雨が降ったらしく道路が濡れています。さて今日もどんな一日になるのでしょうか。

これから松山へ

  • 2016.03.03 Thursday
  • 04:36
今日は朝いちの飛行機で松山へ。以前は直行便があったので2時間で着いたのに、なくなって本当に不便になりました。羽田の乗り換えは、あの広いターミナルの端から端まで移動しなければならないので、歩くと気が遠くなるほどですが、伊丹での乗り継ぎは楽だからまだ我慢できます。それにしても空模様が落ち着いてよかった。誰かさんのように嵐は呼ばないですから…(笑)

今回は父の三十三回忌。早いものです。昨年はばあちゃんの五十回忌だったので、これで法事関係はしばらく回ってこないでしょう。昨年は一月だったので、サザンカが満開、ロウバイやスイセンがようやく咲き始めくらいでした。こちらから行くと寒いということはないけれど、一応真冬なので寒々しい感じだったかもしれません。
2014サザンカ

その前は2013年の4月初めに一人で帰ってます。この時はちょうどソメイヨシノが散り始め、中手のサクラが見ごろだったので、あちこちでたくさん花を楽しめました。
2013シダレザクラ

その前は2011年のやはり4月ですが、10日過ぎだったので普通ならサクラは終わっているはずなのに、この年は異常気象で開花が遅れ、半月遅れの満開に行き当たりました。子どもの頃はサクラの花なんて気にもしなかったので、町中にこんなにサクラの木があるのかと、びっくりするほどでした。よくカレンダーに出てくる松山城のサクラを、生まれて初めて見たのもこの時です。
2011桜満開

さて今年はウメがまだ残っているのか?ツバキが見頃なのか?やはり楽しみです。不定期ながら更新できると思いますので、ぼちぼち報告させていただきます〜

海外研修(フィンランド編1)

  • 2016.02.14 Sunday
  • 06:02
この海外研修の資料が、なぜ書類の中に埋もれてしまっていたのか、ページをめくっていて思い出してきました。報告書はB4判の紙に写真や地図や資料を貼り付け、細かく解説を加えたものが50ページ近くあるのに、表紙も目次もなく、ただバインダーに挟まれていただけです。最後までめくって、なんと未完のままになっていたのでした。フィンランドとスウェーデンまでは整理されていたものの、ノルウェー、デンマーク、イギリス編がなかったのです。ちまちまとあまりに詳しくやり過ぎて、仕事が忙しい時期に突入してしまい、途中までやりかけのままになっていたのでした…(>_<)

その日の行動や食事の内容まで細かくメモしていた手帳が行方不明なのは残念ですが、一通りの記録は最後まで復命書としてまとめていたので、なんとか記憶を甦らせることができた次第。極めて濃密な2週間の旅でした。

ハルビアラ1
ヘルシンキに着いた翌日、見学の第一号はフィンランド最大のナーセリーであるハルビアラ社の見学でした。前の年に植物材料を探しに北海道に来て、植物園にコンタクトを取っていたヨハン・スレーティス氏が、ホテルまで迎えに来てくれました。ヘルシンキから高速で約一時間、フィンランドは御影石の岩盤が氷河で削られてなだらかになり、その上にうっすらと溜まった土壌に貧弱な植生層が発達した程度なので、北海道の豊かな緑を見慣れた目にはかなりスカスカに感じます。

ハルビアラ2
ハルビアラ社は規模こそ大きいものの、厳しい環境下で生育できる植物の数が限られているため、生産するのはかなり楽だと感じました。日本のような少量多品種の植物材料では、経営が大変になるはずです。生産現場や圃場などを見て歩く中で、目に止まったのがこの木でした。

銀葉ヤナギ
私が「銀葉ヤナギ」の名で、その後イギリスから輸入して増殖した、セイヨウシロヤナギの‘アルゲンテア’(Salix alba f. argentea)との出合いがここだったのです。ヘルシンキ郊外の団地や公園などで、こんもりした樹冠のこの木がよく植えられていました。

アリストロキア
意外だったのが、暖地性だと思っていたアリストロキア(Aristolochia macrophylla)が生育できていたこと。アメリカの東岸地方からカナダのオンタリオ州まで広く自生し、耐寒性が最も強い種類でした。英名がDutchman's pipe (オランダ人のパイプ)の名の通り、変わった花を咲かせるけれど、葉が大きな割には花は小さく目立たなさそうです。左に咲いているのは、クレマチス‘ジャックマニー スーパーバ’(Clematis 'Jackmanii Superba')です。

近くの郊外型リゾート地である「アウランコ」も見学してきました。ホテルやゴルフ場、海水浴場などが約200haの敷地に広がっており、ゆったりとした造りが新鮮でした。

ヨーロッパアカマツ
かなりの面積を森林が占めているのですが、とんがったクリスマスツリー状のヨーロッパトウヒ(Picea abies)か、気味悪いほどまっすぐに育っているヨーロッパアカマツ(Pinus sylvestris)ばかり。なんでこんなにまっすぐに育つのか?と聞いたら、日本ではなんで曲がって育つのか?と逆に聞かれてしまいました。モンスーンに影響されないし、冬は海も氷結してしまうので風がないのでしょう。

カルーナ
松林の足元は、じゅくじゅくした泥炭が発達していることが多く、ツルコケモモと共にちょうど花が終わったばかりのカルーナが至るところに生えていました。

ドイツスズラン
小高いところには広葉樹(といってもシダレカンバ(Betula pendula)ばかりでしたが…)も少し生えており、ワラビのようなシダやスゲの仲間に混じって見たことがある葉が一杯あると思ったら、これがドイツスズランでした。フランスでは5月になると森の中にスズランを取りに行くというので、一体どんな所に生えているかいな?と不思議でなりませんでした。こうやって自生地での生え方を見れば、マイヅルソウのようなもんなんだ〜と感心した次第。こんな暗いところでどのくらい花が咲くのか分かりませんが、スズランにとって最適な環境が一体どんなものなのか、未だに解決策が見つかっていないのです。(つづく)

海外研修記録

  • 2016.02.13 Saturday
  • 06:00
今年の冬は、事務所の中からいろんなものが掘り出されています。先日出てきたのは、初めて海外に行った時の研修記録でした。前の会社に転職したのが87年の10月なので、入社して3年目のことでした。北大の淺川先生から、北欧とイギリスを回っていろいろ見てこようと思うんだけど、一緒に行かないかいと声をかけていただきました。入社以来かかりきりだった大阪の花博の仕事が一段落していたので、タイミングとしてはちょうどよかったのです。(春のオープン間もなく行ったきりで、結局閉幕する前に行くことができなくなりましたが…)社長に恐る恐る企画書を持っていくと、意外にあっさりと「いいんじゃないか」と判子をついてくれました。
企画書

それでもこれを見ると約70万もかかっています。当時の為替レートを調べてみると140円ほどなので、今とそんなには違わず、やはり航空運賃が高かったのでしょう。行程表では1990年9月8日に出発し、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの北欧4国をを回り、最後にイギリスに3日滞在して22日に戻って来ています。なにせ海外旅行は初めてのことなので、普通ならびびりまくるところですが、先生と一緒なので言葉の心配がいらないのが最大の魅力でした。おまけに辻井先生からあちこちの植物園の知り合いに手配していただき、普通では見られないところも組み込むことができたのです。
行程表

こうなると、私の出番は町歩きのルート探しになるので、地図と「地球の歩き方」を仕入れてきて、しっかりと頭にたたき込んでおきました。本棚の片隅に、まだ捨てられないまま取りあげられることもなく眠っていた2冊が残っています。「地球の迷い方」とやゆされることもあったこの本は、私にとってはものすごく役に立ちました。町中の移動には、ほぼ公共交通機関を駆使できましたので。
地球の歩き方

成田からフィンエアーに乗って14時間あまり、夕刻のヘルシンキ ヴァンター空港に着くと、フロアが寄せ木造りでギシギシいうのにまずびっくり。さすが森の国だけありました。今でもあんな素朴な空港なのかしらん?ちょうど父ブッシュとゴルバチョフの会談が市内で行われており、厳戒態勢の中でホテルに向かったことを思い出します。ホテルはかなり古びていて、テレビなんか丸みを帯びて四本足がついている骨董品のような代物でした。今手元には自分で風景や植物を撮したポジしかないので、身の回りを撮したネガがないのが残念です。

ホテルは中央駅のすぐ近くで、翌朝さっそく町の中心部に散歩に出かけると、9月10日というのに気温が5℃しかなく、寒いのにびっくりでした。駅前の国立劇場前にある銅像は、調べてみると19世紀に活躍した国民的作家のアレクシス・キヴィ(ALEXSIS KIVI)という方だとか。
国立劇場前
(保管状態が悪く、キャビネットの手前の方のスライドがカビてしまっておりました…(>_<))

その前にある花壇には、白いゼラニウムに縁取りがされたブルーサルビアが。このあといろんなところに行くたびに、花壇にはゼラニウムが多用されていることに気付きます。
花壇

25年も昔のことだけど、細かく記録された資料を見ていろんなことを思い出してきたので、主な出来事を紹介していくことにしましょう。(つづく)

42年前の写真

  • 2015.12.22 Tuesday
  • 05:58
日曜日、捜し物してロフトに上がり、あれこれひっくり返しているうちに、古いネガを入れた箱が出てきました。自分で写真撮し始めたのは大学に入ってからなので、1973(S48)年の春からのものです。入学して一年経った春休み、松山に帰ってから熊本に行き、考古学者の親戚を頼って先祖さまのルーツ探しの旅を撮したものがNo.1のネガでした。この時にもう一つの古い墓と菩提寺を確認し、過去帳からご先祖さまの戒名なども発見することが出来て、とても実り多い旅になったのです。二年前にも墓参りに行ったので、この写真を見直して、とても懐かしくなりました。

これは私の祖母が暮らしていた場所にある新しい方の墓で、私のひいじいさんから二代とその一族の墓です。横に立っている方が旧家の隣に住んでいるSさん。笠家が熊本を離れて50年ほども経っているのに、きちんと墓を守って下さっていたのです。坊ちゃんがやってきたと大興奮して、お座敷で大変なご馳走になったことを懐かしく思い出しました。ご先祖さまは代々「在医」という田舎に派遣される医者をやっていたので、それなりの信頼があったのでしょう。(1973.3.21)
墓参り

このあとは福岡に移動して、一年前の予備校時代を過ごした町をうろうろしています。当時呉服町にあった博多大丸裏のうどん屋「みやけ」にも行ってました。二年前に40年振りで行った時、回りはかなり変わったのに、この店だけが全然変わっていないのにびっくりしました。(1973.3.23)
みやけ

懐かしかったのは西鉄の福岡市内線の路面電車。住んでいたのが西の端にある姪浜(めいのはま)というところで、そこから東の端にある九大前まで東西に貫いていた貫線という系統の電車に乗り、天神近くにある予備校に通っていました。これを撮したのは道が狭くて曲がっているところを見ると、多分東の端にある九大前あたりのような気がします。この二年後に貫線は廃線になっているので、最後の写真になったのでした。(1973.3.23)
貫線

松山に戻り、実家に一週間くらいいたようで、ポツポツと写真が残っています。これは私が入学前に松ぼっくりから取り出して播いて育てたクロマツの盆栽で、今は井関農機の本社工場になってしまった田んぼの中にあった、一本松の子孫になるものです。この時二十歳ですから、15年近くになっていたのですねぇ。(1973年3月末)
盆栽

家の回りのあぜ道や道端などには、まだセイヨウタンポポは入っていなくて、すべてシロバナタンポポでした。中学に入り、松山の町中の学校に通い始めて、校庭の隅にある司祭館の回りに咲いている黄色いタンポポを初めて見た時、感動というか、びっくりしました。持って帰ってばあちゃんに見せたことも鮮明に覚えています。
タンポポ

一枚の写真からでも、湧き出るようにいろんなことを思い出すものだなあと、改めて感じ入ってしまいました。

南アフリカ土産

  • 2015.12.10 Thursday
  • 05:46
先日机回りを少し模様替えしなければならなくなり、忙しいさなかに片付けものをしてしまいました。その際にひょっこり出てきたものがこれです。
土産

4年前に小春が南アフリカに行った時の土産です。こういうものは、そのうち飾ろうとどこかに仕舞われてしまうと、なかなか日の目を見ないまま死蔵されてしまうものです。広げて見ると結構大きく、南アフリカを代表する植物が10種類配置され、机の横の壁にすき間を作って貼ってみると、ぐっと部屋が明るくなりました。
ポスター

トリトマ、エリスリナ(デイゴの仲間)、ストレリッチア、クンシラン、アガパンサス、カラー、プロテア、グロリオサ、熱帯スイレン、テコマリア(ヒメノウゼンカズラ)の10種類です。このうちトリトマとアガパンサスの一部が札幌周辺でも越冬できるほかは、非耐寒性の温室植物になり、南アフリカは園芸植物の宝庫だということがよく分かります。

現在フランスでCOP21(気候変動枠組条約締約国会議)が開かれていますが、この時には南アフリカのダーバンでCOP17がありました。ちょうど3.11の半年後で、温暖化防止には原発が不可欠という流れをなんとか阻止しようと、環境NGOの派遣メンバーになぜかもぐり込んでいたのです。当時娘は長野に住んでいたので詳しいことはよく分かりませんが、長野からも南アフリカに派遣しようと、たくさんの人から募金をいただいて出かけたとか。どこにいても熱く活動する人間なのでした…(^^;)

朝日の記事
(朝日の全国紙にも載りましたが、これはWEB版から)

そんな慌ただしい旅行の中でも、わざわざ土産を買ってきてくれたものがこれだったのです。この花たちを眺めながら、今年の冬を乗り切ることにしましょう。

湯島本郷界隈

  • 2015.05.25 Monday
  • 05:58
泊まったホテルは御茶ノ水駅のすぐ近く。向かい側が湯島聖堂で、隣にあの有名な神田神社(明神)があるので、会場に行く前に寄ってみました。仕事初めのお参りに、サラリーマン達が押し寄せるあの神社です。
神田神社

江戸の町の総鎮守(氏神様)とあり、神田祭の賑わいを見ると江戸っ子には格別の思いがあるようです。なにせ都心部の鎮守様なので、仕事始めのお賽銭で潤っているのか、境内はなんだかピカピカで、巨大な大黒様などがあちこちに。
大黒様

最近整備されたばかりのようですが、駐車場の屋根が屋上庭園になっていて、隣の公園から直結しているのがユニークでした。さすが、時代を読むのが素早い神様のようです。
屋上緑化

学会の会場である東京大学までは、本郷通を歩いて30分もかからないので、まだ涼しいうちに散歩しながら向かいました。江戸時代の赤門が残されており、さすが〜という感じ。正式には御守殿門(ごしゅでんもん)と言い、将軍の娘の嫁ぎ先であった前田家の屋敷に設けられたものだとか。
赤門

北大と違って広々とした空間はないものの、北大博物館(旧理学部)を一回り大きくしたような建物がずらりと並ぶ様は壮観です。本郷キャンパスには、ほとんどの学部が入っているので、よくもこんなに入るものと感心するような建物の詰まり方。中央を貫通する道路をまたぐように建物が配置されているのです。
建物

繁みの底には三四郎池があるのですが、そこまで行く余裕がなくて断念。常緑広葉樹を交えた森には厚みがあり、北海道の森のような明るさがないので、ちょっと不気味観があります。
森

キャンパスの真ん中あたりには、例の安田講堂が。まぁ個人的な感慨はありませんが、妙な懐かしさを覚える場所かもしれません。それにしてもその背後に高層ビルが。キャンパスの景観が台無しだと東大出の先生が憤慨していましたが、キャンパスプランがしっかりとコントロールできていないようです。
安田講堂

会場の農学部は、道路を隔てた弥生キャンパスにあり、ちょっとちゃちな歩道橋で結ばれています。花の終わったキリの実が少し大きくなっていて、花時には見事だっただろうなぁと思ってしまいました。
キリ

農学部の建物は、北大と似た感じのスクラッチタイルで覆われていますが、内装とかはかなり傷みが目立って古びており、天下の東大でもこんなものかとちょっとびっくり。北大のA先生は、思わず勝ったと思ったそう…(笑) 
タイル

一角にはまだ整備中でしたが、例の忠犬ハチ公が上野英三郎教授をお迎えしている銅像が置かれていました。上野博士は、わが国の農業土木の草分けだった方です。渋谷駅のは一匹で寂しそうと、死後80年を記念して資金を募り、3月に作られたばかりでした。また新たな観光スポットになりそうです。
ハチ公

ミニフォーラムでは北海道におけるランドスケープ遺産の現況と、支部活動の状況を報告して、ちゃんと仕事もしてきましたよ〜
発表

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