円山朝市跡

  • 2014.12.21 Sunday
  • 06:00
昨日はまた寒さが緩み、先日の暖気で凍り付いて凸凹になった上に水が溜まり、恐ろしいことになっていました。近所を用足しに歩いている間、何度も足を取られて間一髪、危うく初転びするところでした。昔酔っ払ってすすきののど真ん中ですっ転び、あばらにヒビが入ったことがあるだけに、スケート選手が転ぶのを見るたびにドキッとしてしまいます。

円山の西24丁目の一角にだけ、古い街並みが残っています。ここはその昔円山朝市があったところ。その名残の古い建物が数軒まだ並んでいるものの、シャッターが閉まった店も多くなりました。
商店街

つい数年前まで八百屋が三軒並んでいて、いろいろ品定めしながら買い物で賑わっていましたが、今では一軒だけが残っています。その右隣はベトナムの雑貨屋さん「Vank 2 (バンク)」。ベトナムの女性がやっており、店内で料理も出してくれます。米の麺であるフォーを食べたことがありますが、独特の香草の香りがあるさっぱりしたスープで、なかなかいける味でした。まだがんばっているようです。

明治から大正時代、札幌の近郊集落であった円山は、野菜の産地として発展していきました。本州から野菜を送ることなんかできない時代、ここで作られる野菜が札幌市民には不可欠で、早くから温床による促成栽培が行われていたほどです。当初は西10丁目辺りまで運んで市場ができていたのですが、市街地が拡大するにつれ、西15丁目、西20丁目と移転し、大正の初めには南一条(裏参道)西24丁目の藻岩村役場前まで移動してきました。この写真はその頃のもののようです。
朝市

当時の裏参道は、札幌と小樽とを繋ぐ幹線国道だったので、早朝だけの市とはいえ、大混雑になってしまうために、一時西25丁目の民地に市場を移転しました。ところが、円山まで電車が延長されることと、円山地区全体の区画整理事業を行うことになり、1922(T11)年には西24丁目の大通から北1条までの間に朝市が移転され、戦後もずっと円山地区の台所を預かる市場として賑わってきたのです。市場機能は北円山に移転したものの、その後建てられた円山公設市場を中心に、夏祭りも開かれるほどの町並みが形成されていましたが、その公設市場も数年前には閉鎖されてマンションになってしまい、当時の賑わいの名残はこの部分だけに残されているのです。

靴屋
北から二軒目にある「小池靴履物店」。一度入って見たいのですが、なかなか機会が無くてまだ果たせておりません。上の看板の通り、オーストラリアの方がやっているビヤホールです。この建物もいつまで残るのか心配です。

少し南には豆腐屋さんも一軒残っています。豆が腐るという文字を嫌って、『豆富』としているくらいなので、頑固なオヤジさんががんばっているのでしょう。
豆腐屋さん

この辺りは、本当にマンションだらけになってしまいました。高層マンションのおかげで歩道には日が差さなくなり、いつもツルツルで危ないのです。古い建物を利用したユニークな店も次々と姿を消し、商店もどんどん少なくなって、円山の魅力もすっかり半減しているようです。

 (参考:「円山百年史」 円山百年史編纂委員会発行、1977)
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