エルフィンランドの時代(その3)〜舞踏編〜

  • 2014.02.12 Wednesday
  • 05:21
このブログにはカウンターが付いていませんが、一応アクセスログを確認することができます。先月末には、そろそろだなぁ…と思っていたのですが、身内に不幸がありバタバタになってしまいました。ふと、どうだったかなと確認してみたら、2月2日の11時10分頃に300,000アクセスに達していたようです。
このブログを始めたのが2012年4月24日なので、足かけ650日で30万アクセスにもなったということ。こんなブログに毎度おつきあいいただき、感謝の言葉もありません。こんな感じでしか続けて行くことはできませんが、これからもどうかよろしくお願いいたします。

先日いただいたコメントの返事になりますが、70年代の暗黒舞踏のお話を。
土方巽(ひじかたたつみ)が始めたといわれる暗黒舞踏は、大野一雄や笠井叡(かさいあきら)、田中泯、麿赤兒(まろあかじ)の大駱駝館などに幅を広げつつ、さらなる分派として天児牛大(あまがつうしお)が始めた山海塾と共に、北を目指したのがビショップ山田の北方舞踏派。1975(S50)年に山形県鶴岡で活動を初め、結成記念公演「塩首」の公演が行われています。
塩首

この時に札幌でもエルフィンが主催で公演をやった縁で、小樽に本拠を移すことになり、みんなで手伝いながら海猫屋を造っていきました。そして翌76年には、鶴岡と札幌で二回目の公演として「酢爪坂 -闇の手本-」の公演が行われています。この時から、飲み友達だったかっちゃんが北方舞踏派に参加しています。
酢爪坂

海猫屋は、一階は喫茶と飲み屋、二階には立派な練習場がありました。しっかりした軟石造の倉庫の活用例として、以降運河周辺のトレンドになっていったのです。
募集

北方舞踏派が何年間ここで活動していたのか記憶もありませんが、パートナーの雪雄子さんを中心にした女性たちの鈴蘭党も何度か公演を行っています。
鈴蘭党

その後の北方舞踏派の消息は、ネットで調べてみてもどうもはっきりとわかりませんでした。でも昨年、ビショップ山田は慶応大学で舞踏講座をやっているし、雪雄子さんも活動を継続しているようなので、さすがだなぁと改めて思いました。新宿で北方舞踏派が公演をしたのかは不明ですが、83年に全国縦断ツアーとあるので、その時かもしれません。(つづく)
コメント
1983年に、あなたが来いと言うから
新宿厚生年金会館に行ったじゃないの。

こういうポスターじゃなかったけど
北方舞踏派だったと思う。
そういえば一度だけ北方舞踏派のポスター制作を依頼されて作ったことがあります。
  • 梅本 彰
  • 2018/05/19 4:15 PM
梅本さま

ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
あの時代はとにかくいろんなことが起きました。
あんな時間を過ごせたことは、大変だったけれど、ラッキーだったのでしょうね。
  • こまめ
  • 2018/05/20 7:01 AM
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