すいーとたいむず
- 2014.01.22 Wednesday
- 05:50
とうとう掘り出してしまいました。私のガラクタ箱の中で最も強烈で甘美なもの、それがこの『すいーとたいむず』です。このまか不思議なミニコミ誌は、1977(S52)年3月の創刊準備号から、1978(S53)年5・6月合併号まで、計14号が世の中に出ていきました。普通の音楽系とかタウン系のミニコミは珍しくなかったけれど、むさい男が飲み屋に5人集まり、○○のチーズケーキはレアがいいけど、△△のはカスタードの方がいいね!!とかいいながら、グビグビお酒を飲んでいるのだから、相当な変態集団と思われていたはずです。
(1977年4月の創刊号の表紙。この号は6ページでした。)
ちょうどこの時には、大学を離れて就職もせず、中古の軽バンを親に買ってもらって、自営業を始めたばかり。すでに何軒か庭の管理をやっていたのと、ある先輩から庭の管理や作りかけの物件などを引き継いで、細々と食べていました。ちょうど道新の園芸欄や園芸ガイド等、原稿書きも多かったので、なんとかやっていけたのですね。親元から遠く離れていたのでできたのでしょうが、こんな無鉄砲な生き方をするなんて、今じゃとても考えられないので、子供のやっていることを全然平気で見ていられるのです…
それにしても結構センセーショナルなミニコミで、たくさんの喫茶店や飲み屋などに置いていただき、広告もそれなりに付いてきました。初めは千部くらい、ピーク時には二千部くらい刷っていたように思います。札幌だけでなく、小樽にも毎月配達に走っていたので、40〜50軒ほどはあったでしょうか。多い時には10〜12ページもの厚みがあり、よくこんな汚い手書きの文章を読んでいただいたものだと、今さらながら感謝したい気持ちになりました。
最後のページは、最年長ほそださんのお菓子コーナー。洋菓子職人だったので、事務局のあったほそださんの店「TOYS」は入りびたっていました。5人の個性が全く違っていたので、書いている内容もバラバラ、それが面白かったのでしょうか。早速新聞にでかでかと掲載されてしまいました。
これを見ると、左から二人目のKさんだけがひげを生やしていなくて、右の3人は鼻ひげ。当時の私はソルジェニツィンひげと呼ばれた額縁ひげだったのです。Toy'sでコーヒーを飲んでいた時に、カウンターの中からほそださんが、りゅうちょっと!と声をかけられた時にパシャリ。あとでその写真を焼いてくれたものが残っています。間もなく26歳になろうとする若者が、一体その時何を考えていたものなのか、この写真からはうかがい知れないのです。
(ほそださんによって残された、セピア色の自画像 1978.5.22 TOYSにて)
(つづく)
(1977年4月の創刊号の表紙。この号は6ページでした。)
ちょうどこの時には、大学を離れて就職もせず、中古の軽バンを親に買ってもらって、自営業を始めたばかり。すでに何軒か庭の管理をやっていたのと、ある先輩から庭の管理や作りかけの物件などを引き継いで、細々と食べていました。ちょうど道新の園芸欄や園芸ガイド等、原稿書きも多かったので、なんとかやっていけたのですね。親元から遠く離れていたのでできたのでしょうが、こんな無鉄砲な生き方をするなんて、今じゃとても考えられないので、子供のやっていることを全然平気で見ていられるのです…
それにしても結構センセーショナルなミニコミで、たくさんの喫茶店や飲み屋などに置いていただき、広告もそれなりに付いてきました。初めは千部くらい、ピーク時には二千部くらい刷っていたように思います。札幌だけでなく、小樽にも毎月配達に走っていたので、40〜50軒ほどはあったでしょうか。多い時には10〜12ページもの厚みがあり、よくこんな汚い手書きの文章を読んでいただいたものだと、今さらながら感謝したい気持ちになりました。
最後のページは、最年長ほそださんのお菓子コーナー。洋菓子職人だったので、事務局のあったほそださんの店「TOYS」は入りびたっていました。5人の個性が全く違っていたので、書いている内容もバラバラ、それが面白かったのでしょうか。早速新聞にでかでかと掲載されてしまいました。
これを見ると、左から二人目のKさんだけがひげを生やしていなくて、右の3人は鼻ひげ。当時の私はソルジェニツィンひげと呼ばれた額縁ひげだったのです。Toy'sでコーヒーを飲んでいた時に、カウンターの中からほそださんが、りゅうちょっと!と声をかけられた時にパシャリ。あとでその写真を焼いてくれたものが残っています。間もなく26歳になろうとする若者が、一体その時何を考えていたものなのか、この写真からはうかがい知れないのです。
(ほそださんによって残された、セピア色の自画像 1978.5.22 TOYSにて)
(つづく)
コメントありがとうございました。
うろ覚えで恐縮ですが、TOYSを閉めてから神戸に行ったように思います。
自分で掘り返しておいてなんですが、それにしても懐かしいです〜
幻の変態集団だったのですよ〜(^。^;;
毎日宴会で、食べ過ぎないように気をつけて下さいね〜
遠いところをお越しいただきありがとうございます。
よくもこんなへんてこブログに行き当たりましたねぇ…(^^;)
TOYSは、WADA COFFEE SHOPと共に入りびたっていましたので、私にとっても懐かしい場所でした。
こちらに当時の店を紹介しています。
http://blog.sapporo-ryu.com/?eid=689
またカテゴリーの一番下にある「ガラクタ箱」をひっくり返すと、いろんな情報が埋まっていますので、お暇な時に覗いて見て下さい。
あれから40年近く、子供どころか今年の秋には‘まご’ができそうで、わくわく冷や冷やしていますからね〜
こう云う写真が公になるのはなぁ。。。でも、なんか懐かしいです。
小生、未だに、両党です。
ご無沙汰です。お元気ですか?
もう40年も経ってしまったのですね。
私も基本的にはあまり変わっておらず、こだわりは持ち続けています。
しいて言えば、あまりケンカをしなくなったことくらいですかね。