西鉄ライオンズ

  • 2013.11.15 Friday
  • 07:10
先日の日本シリーズは、久しぶりに盛り上がりました。球界の老舗球団である‘巨人軍’(いまだに軍なんですよ…(^_^;)) に対して、新興の東北楽天が挑むという図式が、盛り上がりの大きな要因になったと思います。

我が家にテレビが登場したのは、多分昭和33年のことで、私は保育園に行っていた歳でした。最初に見たのは日豪対抗水上で、山中毅とコンラッズ、ローズの死闘が目に焼き付いています。緞帳のような垂れ幕を上げ、スイッチを入れるとしばらくしてからテストパターンが浮かび上がり、放送が始まるのを待っていたことを思い出します。今のように一日中やっておらず、昼の休みが終わって相撲が始まるのをよく見守っていたのです。この頃は千代の山と鏡里、吉葉山に対し、小柄ながら粘り強い栃若が人気を博していた時代で、テレビの導入が最も早かった我が家には、相撲が始まると庭中にぎっしりと子供たちが集まってくるので、よく見えなかったくらいでした。

そんな時に、ものすごく盛り上がったのが野球の日本シリーズで、この年は西鉄ライオンズが3連敗のあと4連勝して、3年連続で日本一になった年でした。この切り抜きは、その時のものではありませんが、兄からもらった貴重なものです。
1956
(3連覇のスタートした時の優勝記事)

我が家では、祖母は巨人、父は阪神、兄は大洋と中日と、みんな違っていたのですが、なんで私だけが西鉄ライオンズファンになったのかな?ばあちゃんを除いて巨人嫌いだったために、最初に見た野球で西鉄ファンになってしまったのでしょうか。とにかくこの時の日本シリーズは盛り上がりました。今回の楽天の優勝と同じ図式で、九州の田舎球団が大巨人軍に挑むという図式でしたからね。しかも今回の田中と同様、「神様・仏様・稲尾様」といわれた稲尾の奮闘ぶりは、田中の比ではなかったですから。

西鉄は、その後一度パリーグを制覇したけれど、エースの池永が黒い霧に巻き込まれて永久追放されるなど、チーム力は坂を転げ落ちるように弱小球団になってしまったのです。最初の受験に失敗し、さてどこの予備校に行こうかということになった時、札幌は遠いし、東京や大阪はいやだし、福岡なら近いし予備校もしっかりしているのでと、福岡の予備校に行くことにしたのです。でも実は、…これで西鉄を、稲尾監督を応援しに行ける!!という腹づもりもありました…(^_^;)
  ファンブック
予備校は天神の近くで、平和台球場まで10分余り。早速ファンブックを手に入れ、シーズンが始まるのをわくわくして待っていたのです。
サイン
2軍戦がある時には、‘早引き’して早速駆けつけました。当時の2軍戦の入場料はたった100円。そんなに仕送りもいただいていなかったので、しょっちゅうは行けませんでしたが、昼は素うどん一杯で我慢して、結構通ってました。腹が減っても楽しかったですねぇ♪1軍戦にはそんなに行けませんでしたが、ダブルヘッダー(DH)で450円とあるので、当時の私には大金でした。2軍もひどく弱くて、いつも負けてばかり。まだ入って2年目の東尾は、1軍と2軍を行ったり来たり、ほっぺたを真っ赤にして、それでも必死で投げていたのをよく覚えています。
東尾
翌年は無事に合格して札幌に来ましたが、相変わらず弱小西鉄を応援していました。新聞を取り始めたので、切り抜きやスポーツ紙がたくさん残っています。でも翌年にはとうとう西鉄は球団を身売りし、太平洋クラブライオンズに、四年後にはクラウンライターライオンズに、そして二年後には西武に買収され、とうとう福岡を離れてしまったのです。
今の西武ライオンズには何の興味もなく、西鉄の歴史を引き継いでいるかのように言われるのがシャクで、埼玉の飲み屋でケンカしたこともありましたねぇ…
(西鉄のことになるとつい盛り上がり、貴重な時間を申し訳ありませんでした…m(__)m)
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