岩村通俊の無念

  • 2013.10.26 Saturday
  • 07:23
昨日は狩勝園地への出張の予定でしたが、この雨では仕事にならないので延期に。おかげで体を休ませることが出来ました。背中の張りもかなり薄れ、かなり楽になってきました。終日事務所に籠もっていたので、もう一つ歴史ネタを。

島義勇が札幌を去った後、本府の経営は縮小を余儀なくされますが、函館で引き継ぎを行って札幌に乗り込んだ岩村通俊判官や、その後ようやく札幌に来た、島を罷免した東久世通禧(みちとみ)長官は、島の壮大な計画にあらためて感嘆し、再び再経営に乗り出すことになります。
島による本府の計画図として「石狩国本府指図」が残されていますが、これは京の街並みを模したものといわれ、北の官地と南の民地を隔てる火防線(後の大通公園)が設定されていました。

明治4年から5年にかけて創成橋を起点に区画割りが行われていきますが、京の街割りとは異なり、その姿は一町角の区画を11間の道路によって区切られた、格子状の街路形態になっていたのです。岩村は後に初代道庁長官として、殖民区画の設定を全道に進めますが、その際にはアメリカなどで採用されているタウンシップ制を取り入れたものと考えられています。明治四年当時岩村は32歳。留学した訳でもなく、まだお雇い外国人がやってくる前のこの時期に、どうしてこの様な計画になったものなのか、本当に不思議です。
明治4年市街圖
(「明治四年及五年札幌市街之圖」さっぽろ文庫別冊「札幌歴史地図(明治編)」より)

島が奉持した開拓三神を円山に社殿を造って祀り、市民の憩いの場として市街の北にわが国初の公園として偕楽園を設置。また働く者に対する娯楽を提供するために、歓楽地として薄野を設定(遊郭になったのは後のこと)。本府を取り囲むように衛星集落を設置して、丘珠村、苗穂村、円山村と名付け、食糧生産にあたらせせる。大友堀を延長し、今の創成川の流路を整備して舟運を確保、などなど。この二年間に、わずか211戸637名の人口が、709戸1949名に急増していったのです。
(「さっぽろ百年のあゆみ」札幌市編、1970、「札幌沿革史」札幌史学会編、1897)

岩村にとって不運だったのは、既に開拓使の次官になっていた黒田清隆とそりが合わず、意見が対立してしまったことです。岩村は土佐、黒田は薩摩の出身で、同じ歳ながら黒田の方がわずかに早く出世していたことが、岩村の悲運の始まりでしょう。様々な事業を興し、町の発展を着実に進めて行った岩村に対し、予算を無断で浪費したと厳しく叱責し、明治6年2月に罷免されてしまいます。岩村にしてみれば、現場で苦労を重ねながら経営しているのに対し、東京にいて結果しか見ない黒田のやり方には、不満があったと思われます。
明治6年市街圖
(明治6年の札幌周辺の地図。後からできた山鼻屯田兵村は、きっちり南北に合わせて設定されているのに対し、既存の大友堀に合わせて街割りを進めた本府は、南北軸とずれていることが分かる。(「明治六年北海道札幌之圖」さっぽろ文庫別冊「札幌歴史地図(明治編)」より))

岩村はその後、佐賀や鹿児島、沖縄の県令(知事)を経て、明治19年に初代北海道庁長官としてカムバックします。札幌は既に1万5千人の人口を抱え、着実に発展していましたが、まだ内陸部の開拓が進んでいなかったので、上川開拓の推進や、殖民地撰定事業に乗り出し、今も各地に残る基線を基にした拓殖区画が設定されていきました。岩村の北海道経営は、順調に進んでいったのですが、ここでも悲運が。明治21年4月、初代首相の伊藤博文が辞職して2代目の首相になったのが黒田だったのです。わずか2ヶ月後に長官の職を追われ、閑職へと転じていきました。
岩村像

今円山公園に岩村通俊像があることは、ほとんど知られていません。人通りもない北のはずれ、北一条通の喧噪を背中に受け、木立の中にひっそりと佇んでいます。昭和42年、開基100年を記念して造られた四体の像のうち、ケプロンと黒田の像は大通10丁目に仲良く並び、永山武四郎像は旭川の常磐公園にあります。確かに円山村の名付け親でもあり、関係がない訳ではないでしょうが、それにしてもなんでこんな場所に…という思いが残ってしまいます。
この像は若き佐藤忠良氏の手によるもので、作品の質も極めて素晴らしいものがありますが、この像の価値だけでなく、悲運の人岩村通俊は、もっとその功績が知られてしかるべきだと思います。
コメント
黒田はアメリカを視察し
ケプロンから
フィラデルフィア型を教わっているわなあw

島も黒田も岩村も皆りっぱだよ。
まあ、念頭にあったのは、皆平安京みたいだけど。
4人全員の銅像が建っていて、ま、よかったかな。
  • ケヤキの向こう
  • 2013/10/26 11:13 AM
高知県宿毛市で観光ガイドをしています。
岩村通俊の功績を辿っています。
ブログの内容を参考にさせてください!

銅像、みんな並べて欲しいものです(笑)高知駅のモニュメントでは、竜馬も武市半平太も中岡慎太郎もみんな一緒におります(笑)
  • 宿毛コンシェルジュ
  • 2019/01/12 6:37 AM
宿毛コンシェルジュさま

寒い中ご訪問いただき、まことにありがとうございました。
岩村は宿毛の出身でしたね。
私は松山の出身なので、毎年正月には宿毛の鯛を食べております。

参考になるところがあれば、どうぞお使い下さい。
岩村の功績は、もっともっと知ってほしいです〜
  • こまめ
  • 2019/01/12 8:15 AM
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