ライラック事始め

  • 2012.05.22 Tuesday
  • 07:21
ライラックの季節になりました。
四国生まれの私にとって、ライラックの花は全くの未知の花でしたが、最も印象の残る出会いは香りにありました。それについては昨年道新の連載に書いてあります。

連載

札幌の街のシンボルツリーがライラックになっているように、札幌の町には昔からどこの家にもライラックが植えられていたようです。大通公園の西4丁目には、「家ごとにリラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし」という、吉井勇の歌碑があります。この歌は、札幌を初めて訪れた1955年(昭和30年)ころに詠まれたもののようです。

歌碑
吉井勇の歌碑

ところで札幌にいると、最古のライラックは北大植物園にあるとずっと思い込んでいる方が多いと思いのではないでしょうか。

2003
植物園にあるライラック(2003.5.28)

北大花
かなりふつーのライラックのよう

植物園に入ってすぐ右手にある昔の事務所(現宮部記念館)の玄関の左手にあるライラックに、次のような表示があります。
「このライラックは、1890(M23)年頃、サラ・スミス女史(北星学園の前身・スミス女学校の創始者)が故郷アメリカから携えてきた苗木から育てられたものです。北星学園に植えられた母樹は 現存していませんので、今では、北海道で一番古く大きい株になりました。この株からさらに多<の木が育てられ札幌のあちこちに分けられています。この木は当初、温室付近に植えられていました。その後、この場所に移植されましたが、その際、運搬に使ったソリが植え穴から引き出せなかったので、そのまま埋めこまれたと伝えられています。」

植物園を作った宮部金吾博士が、スミス女史からライラックを分けてもらい(多分ひこばえをもらったのでしょう)、植物園に植えたものがこれだというのです。確かにこのライラックはとても巨大で、このような伝説を信じさせるだけの存在感がありました。

しかし、これに敢然と異を唱えたのが市立函館博物館の佐藤理夫氏でした。佐藤氏は、函館に残る詳細な記録を丹念にひもとき、スミス女史がアメリカからライラックを持ち帰るよりかなり前(明治12年)に、当時のイギリス領事のユースデンとその夫人が、イギリスから取り寄せたライラックを2株植栽していたのを突き止めたのです。(詳細は、道新から出ているモーリー12号に、宗像和彦氏の記事があります)

その後このライラックは、洞爺丸台風によってなぎ倒されて枯死してしまいますが、その子孫が数々の数奇な変遷を経て、2008年に再び函館公園に植栽されています。

記事2

先日函館に行った時にはまだつぼみでしたが、昨年行った時にはわずかに開いていました。

函館1
函館公園のライラック(2010.5.20)

函館花
このライラックも、花はあんまり目立つものではなく、原種に近いのか?

植物園のライラックも、2004年9月8日に本道を襲った台風18号による強風で、隣のハルニレから大枝が落ちてきて半分がつぶされてしまいました。以前の姿からは一回り小さくなってしまいましたが、今なお元気に花を着けています。
この季節、植物園は花盛りです。たまには出掛けてみませんか?

台風
台風による被害(2004.9.11)

現状
少し回復していたライラック(2011.5.17)
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