40年前の決断

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 05:49
古い話ばかり続きますが、今から40年前の1980年は、私にとっては嵐のように荒れ狂った年でした。79年の2月から、豊平公園の緑のセンターに臨時職員として勤めることになり、最初の一月は残業が150時間もの激務を乗り切って無事3月にオープン。来館者があまりにも多くて大変だったけれど、楽しい職場でした。
緑のセンター

そして7月には市の採用試験を受けて、すんなり市の職員になるはずでした。ところが、11月1日に届いた通知では『不合格』。あわてて部長が確認すると、最低血圧が1ミリオーバーしていたために不合格になったことが分かり、大騒動になりました。確かにたった1回測っただけで、正確な血圧なんか分かるはずもありませんからね。

結局その判定は覆らないものだから、J部長から何度も呼び出され、臨職を特例でもう一年延長するから、再度試験を受けてくれというのです。その時は本当に悩みましたが、ここは一度原点に立ち返らないと一生悔いが残るからと、きっぱりと断って造園会社に行くことに決めました。あちこちに原稿を書きまくり、テレビの準レギュラーにもなったりして、やっぱり天狗になってしまっていたのです。そこで選んだのが、当時センターによく来ていた岸村さんの会社でした。確かに腕はいいかもしれないが、大酒飲みだし給料なんかまともにもらえないので、あそこにだけは止めておけとみんなに言われましたが、そこに行くことに決めました。(この写真は、亡くなられた後歴代の仲間が集まり、親方にも献杯をして酒を酌み交わした時のものです。)
親方

緑のセンターを辞めた2月11日には、センターの仲間全員と、市の係長まで来てくれて、送別会を開いてくれました。一年間の勤務が濃密だっただけに、もう行けなくなるのかと思うと、ものすごく寂しい思いと、先行きへの不安が募って来たことを思い出します。
送別会

そうして、道新の連載も2月28日付けが最終回。読み返してみると、これで終わりですとは書いていなくて、質問募集が載っているということは、そのまま誰かに引き継いだのかなぁ…? 私からは推薦していないので、道新の方で後釜を見つけたのかもしれません。

最終回

そして3月3日の日曜日。真駒内からもみじ台に引っ越す知り合いのを手伝っていて、もみじ台に向かう途中に、八紘学園の横のところで猛吹雪に巻き込まれ、一寸先も見えない中で正面衝突。右膝をつぶして厚別の救急病院に運ばれ、約一ヶ月入院してしまいました。翌日から出勤するはずだった造園会社にも電話することもできず、二日後の夜にようやく連絡して事情を説明して、約2ヶ月遅れてようやく植木屋生活が始まりました。本当に嵐のような半年間、ボロボロになりながらも、よく乗り切れたものだと思います。
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