道新の連載

  • 2020.01.14 Tuesday
  • 05:48
私が園芸のライターみたいになってしまったのは、まだ研究室に残っていた時のこと。一浪して入ったことで大学院に行くのはあきらめ、一年だけ研究生として残らせてもらいました。卒論で結果を出した落葉性ツツジ類の挿し木を、もう一度再検証したかったこともありました。年末近く、そろそろ進路を決めなくちゃという時に、私の先生のところに道新から連載の依頼が来たのです。私が指導を受けていたT先生は、その頃眼の具合がよくなく、「ボクがちゃんと面倒見るから、あんた書いてくれ」といきなり振られることになりました。それで12月の第1木曜から書き始めたのが『室内園芸』です。

室内園芸

原稿を書いて先生のところに持っていくと、すぐに真っ赤になって帰ってきます。それを再度書き直して持っていってもまた真っ赤。初めの頃は3〜4回も書き直していたように思います。月曜の昼までに道新に原稿を届けなければならないので、毎度夜なべして書いていました。もちろん手書きなので、結局全部書き直すために、ものすごく時間と手間がかかったのです。それでもなんとか20回の予定を切り抜け、やっと終わるかと思ったら、好評なので引き続き連載をと、4月半ばから『北の園芸』に切り替わりました。

北国の園芸

その頃になると赤ペンの数が少しずつ減り始め、書くことも自分で決めていくことができるようになりました。この厳しい添削が、私の文章修行にとても役だったことはいうまでもありません。4月からは大学を離れ、それまで何軒か庭の管理をやっていたこともあり、半分自営業のような園芸フリーターの形で生計を立てていくことになったけれど、とても食えないので半年近くは中央市場で野菜運びのバイトをしていたし、よくあんな無茶をやったものです。その連載が翌年2月になった頃に、また道新から連載を切り替えて、『北の園芸 質問箱』として引き続き書いて下さいということになりました。

質問箱

その頃になると、先生のところに行くこともかなり少なくなってきたし、自分の中の貯金も少しずつできてきたので、割とすらすら書いていくことができるようになりました。とはいえ、毎週休みなく続くし、ワープロもファックスも、もちろんメールもなく、ひたすら手書きで原稿を書いて、道新の受付に届ける日々が続きました。この質問箱がまた好評で、この連載はなんと105回も続くことになり、書き始めてから170週連続、3年3ヶ月も書き続けることになったのです。ふぅっ。
道新連載
このお陰で、ふだんから情報をたくさん集めるためのアンテナや、集まった情報を整理していつでも出せるようにしておくこと、限られた文字数で起承転結、平易な文章にまとめて意図を伝えられることなど、25歳前後の青二才ながら、社会人の基礎が出来たように思います。
最終回となる1980年2月28日の日付を見て、ここが私の人生の転換点だったんだなぁ…と改めて、いろんなことを思い出してしまいました。
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