食器への思い

  • 2020.01.05 Sunday
  • 06:03
三が日が終わると、食器類もすぐにしまわれます。このお重がいつから我が家にあるのか分からないのですが、祖母と祖父が明治の終わりに結婚すると共に熊本を離れ、山陰の餘部鉄橋建設現場の鉄道病院に数年間勤務したのち、大正の初めに松山に落ち着いているので、その頃に松山で買い求めた物ではないかと思っています。当時の引っ越し事情では、こんな重たくて割れやすいものを持って歩いたとは考えられないですから。
蓋

それからでも既に百年経っているし、私の子ども時代から既に60年も経っているので、私的には十分に骨董的な価値が積み重ねられて来ているのです。子どもの頃、母は医院の仕事が忙しいため、家事はほぼばあちゃんがやっており、中学に上がるまでは買い物から竈の火加減から(記憶の初めの頃は、まだ羽釜で飯を炊いていました)調理まで、たいていのことはマスターしておりました。お重に何をどう詰めるのか、自然に覚えていたのです。
お重1

このツルの模様が合うように、そっと持ち上げてはめていくのが、子どもの腕ではなかなか大変で、あの緊張した気分は体に染みついています。
お重2

このお椀も正月だけに登場するもので、輪島塗のしっかりしたものです。昔は座敷で宴会やったり、法事の時に親戚一同が集まって食事をするために、輪島塗のしっかりしたお膳も20客あったのですが、こちらでは使わないので、松山の親戚に10客ずつ置いて来ました。その後使うこともなかったでしょうねぇ…
お椀

輪島の世良利平作とあるので、ネットで調べてみると、ヤフオクとかに結構でてくるのです。お椀やお重がある中に、なんと薩摩藩島津家の家紋入りのお重が出品されていました。祖父は薩摩士族の出身なので、なんか因縁があったのでしょうかねぇ…

ヤフオク
世良利平

我が家を建て直した30年前に、ちょうど松山の実家も町中に引っ越しすることになり、昔の道具やちゃぶ台や食器など、軽くトラック1台分の荷物が送られてきました。それこそ火鉢が二つに石臼まで、よくもこんなに送ってきたものだと感心するほどの骨董品の山になったのです。お陰で、今も時々使っている小鉢などが食器棚に入っています。
瀬戸物1

こんなみすぼらしいものを…と言われながらも、私にとっては子どもの時から目に焼き付いている食器なので、なかなか捨てられないものです。こういうものは、遺言として処分方法も指定しておかないと、後に残されたものが困ってしまうだろうなぁ…(^^;)
瀬戸物2
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