渡島大島へ
- 2019.07.18 Thursday
- 10:57
ようやく海が安定し、渡島大島への船が出せるようになったので、これから松前に移動して、明日島に渡ってきます。本体の植物調査班は既に調査を済ませているので、私は昨年に引き続き、日帰りの突貫調査になってしまいました。
実は昨日、突然の悲報が飛び込んできて、一時はまた渡航中止になるところでした。ここ20年ほど、ずっと交通船の船長を務めていたI船長が、昨日の午前中に突然亡くなられたのです。確かに70歳前後なので、何があってもおかしくないかもしれませんが、今年も淡々と操船されていたとのことなので、突然の悲報に絶句してしまいました。
この船をいつから使ってきたのか、手元に残っている野帳の山から、渡島大島分を引き出して調べて見ました。最初の調査は90年10月なので、今年でなんと30年目になるのです。
多分このあたりだろうと調べていくと、96年6月に当時の事務所長が、江差の会社がもっていた近海登録船を、島との物資や人員の輸送用に借り上げる道筋を付けたことが分かりました。渡島大島は沿岸から20海里(約37km)以上にあるので、船舶に厳しい規制がかかるため、普通の船では行けないのです。実際に乗せてもらったのは、97年6月の帰りからで、今まで4時間かかっていた航海が、わずか1時間40分程度になったので、夢のように早く感じたものでした。
私はいつも操舵室の船長の横に座り、なんだかんだと話ながら行き来していたので、いろんなことを思い出してしまいました。これまで30往復近く島と行き来させてもらい、慎重かつ安全な操船に毎度助けられてきただけに、船長のいない航海はどんなものになるんだろうと思いながら出かけることにします。
したがって、明日の更新はできませんので、どうかよろしくお願いいたします。
実は昨日、突然の悲報が飛び込んできて、一時はまた渡航中止になるところでした。ここ20年ほど、ずっと交通船の船長を務めていたI船長が、昨日の午前中に突然亡くなられたのです。確かに70歳前後なので、何があってもおかしくないかもしれませんが、今年も淡々と操船されていたとのことなので、突然の悲報に絶句してしまいました。
この船をいつから使ってきたのか、手元に残っている野帳の山から、渡島大島分を引き出して調べて見ました。最初の調査は90年10月なので、今年でなんと30年目になるのです。
多分このあたりだろうと調べていくと、96年6月に当時の事務所長が、江差の会社がもっていた近海登録船を、島との物資や人員の輸送用に借り上げる道筋を付けたことが分かりました。渡島大島は沿岸から20海里(約37km)以上にあるので、船舶に厳しい規制がかかるため、普通の船では行けないのです。実際に乗せてもらったのは、97年6月の帰りからで、今まで4時間かかっていた航海が、わずか1時間40分程度になったので、夢のように早く感じたものでした。
私はいつも操舵室の船長の横に座り、なんだかんだと話ながら行き来していたので、いろんなことを思い出してしまいました。これまで30往復近く島と行き来させてもらい、慎重かつ安全な操船に毎度助けられてきただけに、船長のいない航海はどんなものになるんだろうと思いながら出かけることにします。
したがって、明日の更新はできませんので、どうかよろしくお願いいたします。