札幌市立高専
- 2019.03.26 Tuesday
- 05:44
年度末を迎え、仕事の方の目途が立ってきたので、暇を見つけてはデスク周りや書類の整理を始めました。この時期にやっておかないと、年度途中では絶対に手がつけられなくなってしまいます。事務所内にいったいどれだけの紙が入っているのか、想像するのも怖いくらいですが、今はデータを簡単に電子化できるので、できるだけ紙を残さないようにしなければなりません。
そんなことをやっていて、書類棚から思わぬものが出てきてしまうと、ついめくって見てしまいます。札幌市立高専の開学してまもない頃のパンフレットなどが、一束出てきました。
中を見てみると、開学したのが1991年で、最初の卒業生が出る96年頃に作られたものでした。この年にはちょうど滝野公園の仕事をやっていたし、ここの先生方には環境デザインだけでなく、建築や彫刻などいろんな知り合いがいたので、帰り道になんやかやと立ち寄っていました。その頃の先生方はみなさん退職されてしまったので、最近は全然行ってないだけに、こんな写真を見るとなんだか懐かしくなってしまいます。
初代校長は建築家の清家 清先生で、先生の考え方が組織作りや校風にも大きく影響していたようです。建築・環境・産業・工芸・彫刻・絵画・情報・視聴覚の8つの分野が、お互いに影響し合いながらデザインし、最終的には芸術に収斂していくこの模式図は、本当に見事にここの性格を表していました。
高専なので、16歳で入学した後は、受験勉強に消耗することなく、伸び伸びとそれぞれの特性を磨いていき、専攻科まで行けば学士になれるという、ある意味かなり恵まれた環境だったようです。最初の卒業制作集も入っていましたが、なかなかの力作ばかりだし、おやこの人も!なんて、今も活躍している方の名前を見つけてしまいました。初期の卒業生からは、今でも多方面に活躍している人が多いし、開学したての熱気の中で伸び伸びと力を蓄えていったのでしょうね。
そんなことをやっていて、書類棚から思わぬものが出てきてしまうと、ついめくって見てしまいます。札幌市立高専の開学してまもない頃のパンフレットなどが、一束出てきました。
中を見てみると、開学したのが1991年で、最初の卒業生が出る96年頃に作られたものでした。この年にはちょうど滝野公園の仕事をやっていたし、ここの先生方には環境デザインだけでなく、建築や彫刻などいろんな知り合いがいたので、帰り道になんやかやと立ち寄っていました。その頃の先生方はみなさん退職されてしまったので、最近は全然行ってないだけに、こんな写真を見るとなんだか懐かしくなってしまいます。
初代校長は建築家の清家 清先生で、先生の考え方が組織作りや校風にも大きく影響していたようです。建築・環境・産業・工芸・彫刻・絵画・情報・視聴覚の8つの分野が、お互いに影響し合いながらデザインし、最終的には芸術に収斂していくこの模式図は、本当に見事にここの性格を表していました。
高専なので、16歳で入学した後は、受験勉強に消耗することなく、伸び伸びとそれぞれの特性を磨いていき、専攻科まで行けば学士になれるという、ある意味かなり恵まれた環境だったようです。最初の卒業制作集も入っていましたが、なかなかの力作ばかりだし、おやこの人も!なんて、今も活躍している方の名前を見つけてしまいました。初期の卒業生からは、今でも多方面に活躍している人が多いし、開学したての熱気の中で伸び伸びと力を蓄えていったのでしょうね。