二条小周辺の変遷

  • 2018.12.20 Thursday
  • 05:58
このノニレは、一体いつからここにあるのか?いろんな地図で見てみました。まずは1928(S3)年の「最新調査 札幌明細案内圖」を見てみました。市電一条線は、円山公園まで開通したのが1924(T13)年で、このあたりはその2年前には開通していました。師範学校が、今の資生館小学校のところから移転してきたのが1894(M27)年ということなので、みなさんてくてく歩いて通っていたのですね。敷地の右端には附属小学校があり、最初は南1条西14丁目とあるので、電車通寄りだったようです。

S3住宅地図

1901(M34)発行の札幌市街圖では、師範学校の敷地は南1〜3条と西14〜15丁目の2丁角になっています。先ほどの住宅地図では西14丁目は大半が官舎になっているので、師範学校が西の方にずれていったのかもしれません。それにしてもこの地図で見れば、札幌區と山鼻屯田のズレがせめぎ合って、西の方は道路が繋がっていません。山鼻屯田はちゃんと測量して、南北の軸をきちんと設定したのに対し、札幌區は大友亀太郎が適当に掘った大友堀に合わせて区画を設定したために、こんなずれが生じたのです。

1901市街圖

もう少し新しい1936(S11)年の市街圖では、西線の電車が開通しているけれど、附属小学校の敷地を突っ切れないので、ものすごい鋭角ターンして西15丁目で一条線に合流しています。本当にこんな鋭角に曲がれたのでしょうかねぇ…

S11市街圖

これを先ほどの住宅地図に落としてみると、師範学校の敷地を横切ることになってしまいます。これは住宅地図の精度が適当なのでしょうか。ただ、1922(T11)年に附属小学校が南2条西15丁目に新校舎を建てて移転しているので、このようなショートカットが可能だったのかもしれません。

西線開通

戦後になって、1949(S24)年に北海道学芸大学が発足して山鼻に移転していき、1950(S25)年にはその跡地に札幌医科大学や二条小学校が開校しているので、当然師範学校や附属小学校の校舎を使用した可能性があります。また、それに合わせて西線の経路が、現在のような斜めの経路に移されています。
S25

こうしてみると、師範学校が移転してきた明治の中頃には、この辺りはまだ原っぱの中に道路が出来たばかりで、新校舎の周りにいろいろな樹木を植えたに違いありません。師範学校のすぐ町寄りには営林署があるので、それからいろんな苗木が供給された可能性もあります。それにしたって120〜130年しか経っていないのですから、あんなに巨木になるのでしょうかねぇ…教育大学には昔の写真が保管されていそうなので、それらを探していけば手かがりがつかめそうな気もします。うーーん、謎が深まるばかりです。
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