タコの頭

  • 2018.09.10 Monday
  • 05:58
相変わらず物流が滞っているようで、生鮮食料品や加工品、ガソリンなどがあんまり手に入らないようです。うちの孫も大好きな牛乳が飲めないので、かなりストレスになっているとか。一日も早く、平穏な日常生活が戻って来ますように。

先日のこと、ある場所を探して Google map を見ていて、おやっと思う地点を見つけました。北区にある北高の西に、エルムの森公園がある辺りです。整然とした区画の中に、不思議な曲線が残っているのは、多分その昔川が流れていたのでしょう。
地図

この辺りは、私の学生時代には農場が広がっていました。北18条までが第1農場で、農学部裏に果樹・蔬菜の園芸第1部、それから私たちの花卉・造園の園芸第2部、隣に養蚕部があり、ポプラ並木から北は主に畑作圃場でした。北18条以北を第2農場と称しており、畜産系の採草地が北24条通を越えて27条まで続いていたのです。この飛び出した部分は、その形状から「タコの頭」と呼ばれていました。
タコの頭

もう20年以上前のことだったか、この「タコの頭」がねらわれて、結局大部分が払い下げられ、札幌聾学校や住宅供給公社によってマンションが建てられました。エルムの森公園も、その時に切り離された頭の部分にできたのです。
航空写真

農学部に移行し、3年の春の農場実習の最初の講義では、農場担当のT先生が農場の案内を農学部の裏で始め、一つずつ概要を説明していくのです。当時はまだ桑園・琴似側にビルなど全くなく、手稲山が本当に近く見え、畑も本当に広々していました。教養の裏の森を抜け、獣医の横には建物が全く建っていなくて、見渡す限り牧草地が広がっていたのです。北24条通を渡って「タコの頭」の説明を受けて、「以上です。解散。」と言われて、思わずみんな顔を見回しました。ここで解散と言われても…地下鉄で帰る訳にも行かないから、ぼちぼち帰るか…と、今来た道をとぼとぼ帰った記憶があります。そんなことを思い出してしまいました。
農場全圖

町中に残る地形の記憶は、普段誰も気付かないけれど、たとえば地震で液状化した清田区の現場のように、突然表面化してきます。安穏と生きている私たちへの警鐘を、しっかりと受け止めなければなりません。
コメント
百田宗治著「中学生 詩の本」を北大近くの古書店で買い求めました。偶然です。
札幌の歴史をつづった作品「にれの町」を読み、「どこかで春が」の作詞者が札幌に住んでいたことに驚いています。
いろいろ検索しているうちに。笠さんのBlogに出合いました。
いろいろ分かりました。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いしまsう。
  • ワイン好きの料理おたく
  • 2018/09/11 4:44 AM
ワイン好きの料理おたく さま
コメントありがとうございました。
こんなブログでも、何かお役に立つようなことがあれば、とてもうれしいです。
いろんなことに興味を持っているので、どこかに引っかかれば幸いです。
これからもよろしくお願いいたします〜
  • こまめ
  • 2018/09/11 8:36 AM
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