牧野植物圖鑑
- 2018.01.22 Monday
- 05:51
私の最も大切な本は、牧野富太郎の『牧野 新日本植物圖鑑』です。何かにつけて書棚から引っ張り出しているので、昨年とうとう背表紙がバラバラになってしまいました。背中むき出しでいるのもかわいそうだけれど、製本屋に貼り替えてもらうと本が買えるほどの費用がかかるだろうしと、ようやく少し時間に余裕ができたので、自分で直すことにしました。
この本を買ったのが1974年12月なので、大学3年の冬のことになります。4月に研究室に配属となり、半年圃場に通い続けて園芸植物についてはだいたい理解ができてきました。今度は自生植物に手を広げようとして、この図鑑を買ったものでしょう。自分で買った本では、最も高価な本だったかもしれません。
もともとの図鑑は、1940(S15)年に出されたので、序は「嗚呼、皇紀二千六百年」から始まっており、最後の謝辞も、「今之レニ對シ茲ニ其勞ヲ感謝セネバナラヌノデアル」となっておりました。結網学人とは、「『漢書』董仲舒伝にある言葉。『淵に臨みて魚を羨むは、退いて網を結ぶに如かず』(淵に立って魚を得たいと願うよりは、家に帰ってそれを獲るための網を結ったほうがよいという意味。※)」なんだそうです。牧野先生は、なにかにつけてこの言葉を使っていたようです。
はがれてバラバラになっているところは、すべて写真用セメダインで丁寧に貼り直していきます。これは無色透明だし、変色しないので結構重宝な接着剤です。
こういう厚い本では、背表紙は浮かせて両側に貼り付けなければならないので、ちょっと工夫が必要で、両側は強力な製本テープで留めてみました。コンサルに転職した頃は、報告書の製本もたいてい自分たちでやっていたので、こういう時には役に立つこともあるようです。
30分ほどで、なんとか使用に耐えるほどの出来映えで直すことができました。学名や分類は変わってしまったものがかなりあるけれど、名前の由来とか、学名の意味などはこれが一番分かりやすく、安心ができます。小学生の頃、植物採集や腊葉標本づくりを始めた時に知った牧野先生は、私が初めて意識したあこがれの存在なので、いまだに別格の存在感があります。これからもよろしくお願いしますという、新鮮な気分になりました。
(参考:礫川全次のコラムと名言 HPより)
この本を買ったのが1974年12月なので、大学3年の冬のことになります。4月に研究室に配属となり、半年圃場に通い続けて園芸植物についてはだいたい理解ができてきました。今度は自生植物に手を広げようとして、この図鑑を買ったものでしょう。自分で買った本では、最も高価な本だったかもしれません。
もともとの図鑑は、1940(S15)年に出されたので、序は「嗚呼、皇紀二千六百年」から始まっており、最後の謝辞も、「今之レニ對シ茲ニ其勞ヲ感謝セネバナラヌノデアル」となっておりました。結網学人とは、「『漢書』董仲舒伝にある言葉。『淵に臨みて魚を羨むは、退いて網を結ぶに如かず』(淵に立って魚を得たいと願うよりは、家に帰ってそれを獲るための網を結ったほうがよいという意味。※)」なんだそうです。牧野先生は、なにかにつけてこの言葉を使っていたようです。
はがれてバラバラになっているところは、すべて写真用セメダインで丁寧に貼り直していきます。これは無色透明だし、変色しないので結構重宝な接着剤です。
こういう厚い本では、背表紙は浮かせて両側に貼り付けなければならないので、ちょっと工夫が必要で、両側は強力な製本テープで留めてみました。コンサルに転職した頃は、報告書の製本もたいてい自分たちでやっていたので、こういう時には役に立つこともあるようです。
30分ほどで、なんとか使用に耐えるほどの出来映えで直すことができました。学名や分類は変わってしまったものがかなりあるけれど、名前の由来とか、学名の意味などはこれが一番分かりやすく、安心ができます。小学生の頃、植物採集や腊葉標本づくりを始めた時に知った牧野先生は、私が初めて意識したあこがれの存在なので、いまだに別格の存在感があります。これからもよろしくお願いしますという、新鮮な気分になりました。
(参考:礫川全次のコラムと名言 HPより)