札幌1957 生活篇

  • 2018.01.10 Wednesday
  • 06:00
昨日は1957(S32)年の札幌を、俯瞰しながら眺めてみましたが、今日は地上に下りて生活をじっくり見ることに。まずは丘珠のタマネギ畑です。まだこの頃は‘札幌黄’の全盛時代ですね。昨年暮れにこれを10キロいただき、現在食べていますが、料理されると品種の違いはなかなか分からないものです。30年ほど前に転職したときに、会社が伏古だったので、会社の回りがタマネギ畑だらけだったのにはびっくり。真っ赤な火山灰みたいな土なのに、こんな土で毎年タマネギばかり作っているんだと、いささかカルチャーショックを受けました。そんなことよりも、エアコンなんてまだなかったので、夏に窓を開けていると机がざらざらになって大変だったことを思い出します。この収穫風景では、頭もザスザスになったことでしょう。
タマネギ畑

私が札幌に住み始めた頃は、暖房が石炭から灯油に変わった時期かもしれません。ポット式のストーブの全盛時代でした。12年の間に7回引っ越して今のところに落ち着きましたが、石炭を焚いていたのはペチカのある一軒家に共同で住んでいたときだけ。確かに石炭運びや灰の処理など結構大変でしたが、みんな焚いていた頃は煤煙だらけですごかったことでしょう。この写真の下には、建設中のテレビ塔と、解体中の豊平館が写っていました。ハルニレはもう少し左手前でしたね。
煤煙の町

この頃の人は、雪が降っても傘を差すことはない、なんて書かれているけれど、今では男だって差しているので、危なくて仕方ありません。昔は除雪なんてそんなに入らなかったでしょうから、電車の線路をみんなが歩いて危なかったという話を聞いたことがあります。この頃は車自体が少なかったから、そんなに問題も起きなかったのでしょう。
雪融け

漬け物は、北国の風物詩としていまだに生きているでしょう。どんなに素敵な家でも、ベランダに大根がずらりと干されていると、思わずにやっとしてしまいます。家中が暖かくなりすぎて、保管するのには苦労しているようですが。
漬け物

この子たちは私と同じ歳くらいなんでしょう。ここまでは着ぶくれしていなかったけれど、似たような格好の写真が残っています。昔はセーターでも手袋でも、ばあちゃんがせっせと古毛糸で編んでくれるし、男三人兄弟の末っ子だったので、着ているものはほとんどお下がりばかり。おねだりしても買ってくれないのであきらめていましたが、そんな時代だったのかもしれません。角巻き姿のおばちゃんは四国にはいなかったけれど、昔の年寄りはたいていショールを羽織っていましたねぇ。
スキー

賑わう荒井山のスキー場。このリフトは、この前年(1956)に道内初の市民向けリフトとして開設されたものだそうです。(藻岩山は進駐軍専用だったため)子供たちが大倉小にいた頃まであり、長男はこれでスキー授業を受けることが出来たけれど、次男の時には休止していたので(2000)、スキー授業をコバランドかばんけいでやったはずです。やがて撤去されて、歴史あるリフトも姿を消してしまいました。市内各地から市電で円山にやって来て、ここまでスキーかついで上がってきていたのですね。
荒井山

藻岩からずっと西の三角山の山裾には、冬になると牧場や畑がたくさんの「ゲレンデ」として、子供達に利用されていたそうです。これを南から挙げてみると、こんな名前と縄張りがあったとか。
「新藤牧場及び水道山」伏見の浄水場あたり。山鼻小の縄張り(以下略)。
「温泉山」旧札幌温泉のあったあたり(旭山公園の南斜面)。山鼻小。
「源ちゃんスロープ」温泉山と双子山の間にあり、旭山公園造成により消滅。
          急斜面で起伏があり、上級者向きだったそう。
「双子山及び南斜面」双子山は急斜面、円山の山裾は緩斜面。幌西小。
「荒井山」最も利用された市民スキー場。もちろん円山小。
「寺口山」琴似山の手で国立病院の西側。北大生はシルバースロープと呼んでいた。
     琴似小と桑園小。

 (「札幌古地名考」 札幌原人(小川高人)著、1981より)
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