札幌 1957 俯瞰編

  • 2018.01.09 Tuesday
  • 05:51
昨日の朝から鼻水とくしゃみが止まらず、風邪引きかけているのでおとなしくしていました。早く帰って、7時から4時まで、9時間ぐっすり休んだらすっきり。年末年始の呑み疲れもあったのでしょう。肝臓休めてしばし静養に努めます。

背文字のない薄い本は、書棚では回りの本に埋もれて、なかなか手に取ることがなくなってしまいます。捜し物をしてして、ようやく見つけたのが岩波写真文庫『札幌 1957』という小さな冊子でした。1957(S32)年といえば、私はまだ5歳。札幌に住み始める15年前のことですが、来た年に行われた札幌オリンピックに合わせて町が大改造されているので、ずいぶん変貌している感じがします。町中でもビルがほとんどなく、大通より南には三越から丸井くらいしかないなんて…
表紙

北大構内も、左端にある農学部以外には、理学部と工学部の白亜館、北大病院くらいしか目立つ建物がなく、木造の建物がぎっしりと建っていたようです。今よりももっと込みいった感じですね。
北大構内

写真でよく見る大通1・2丁目の風景。ここにあった望楼の上から写したものでしょう。この間にはまだ北大通がなく、電話局と郵便局がどっしりと建っていました。煉瓦造と軟石造の重厚な作りなので、さぞや存在感があったことでしょう。のちに公園になったところには、市営バスのターミナルがありました。まだボンネットバスも現役のようです。この時には豊平館は既に中島に移設中で、この右側にテレビ塔が完成間近のはずです。
大通

望楼から南を向いた風景。手前の橋が創成橋で、その右の小さな建物が創成交番(正式には札幌警察署南一条巡査派出所)で、現在は開拓の村に移設保存されています。狸二条広場には、小さな鉄塔が立っていたのですね。その右のビルが大谷会館。ここにはライブやコンサートで何度通ったことか。懐かしい建物です。川に丸太を渡して桟敷を作り、サーカスをやったというのはこの辺りなんでしょうか?
  創成川

これもちょっと信じられない風景です。左にある藻岩山から石山通まで突き出しているのが軍艦岬。この辺りの豊平川のなんと雄大なことか。軍艦岬の下から流れ込んでいるのが山鼻川だけど、豊平川との間には築堤がなく、全くの自然河川状態です。下流に行くと幌平橋や豊平橋、東橋などで思い切り築堤間が狭められ、窮屈な川になってしまうのに対し、この辺りではまだまだ、広大な玉石河原(パラピウカ)が広がっていたのですね。(つづく)
豊平川
コメント
この頃の札幌は存じ上げておりませんが、、、
かつての市民会館前のハルニレが写っているような、、、

三越があったのにはびっくりです!
大阪万博の前年に一時住んでましたがその頃の丸井しか記憶になく?子供だったからでしょうか。

家から円山動物園への道が北海道を感じる道でした。関西とはまったく違いましたからねぇ〜。

いろいろ札幌の商業の歴史を知るきっかけになりそうです。

  • patyco
  • 2018/01/09 1:40 PM
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