親不孝通り

  • 2017.02.22 Wednesday
  • 05:56
ニュースを見ていたら、「親不孝通り復活決定」というのが目に入りました。せっかくなので、地元西日本新聞で見てみると、初めは「親不孝通り」だったものが、イメージが悪くなったので「親富孝通り」と言い換えていたものを、再度元に戻すことにしたんだそう… この近くにに「円山豆富店」という豆腐屋があるようなものです。
  西日本新聞
  (西日本新聞より借用しました…m(__)m  2017.2.20)

私が福岡で浪人生活をしていたのが、1971年4月から72年1月まで。札幌は遠かったし、東京や大阪はいやなので、九大のある福岡なら予備校もしっかりしてると両親を説得して、やって来たのでした。本当は西鉄ライオンズの応援ができる!!というのが一番の目的でもあったのですが…(笑) 下宿は、福岡の西の端にある姪浜(めいのはま)。当時は西鉄の市内電車の貫線という路線が、姪浜から東の端の九大前まで走っており、中心市街である天神の一つ手前の「西鉄グランドホテル前」で下りて、北に向かって細い道をぞろぞろと歩いて行きました。
マップ

当時はこの道に名前なんかついていなかったのですが、その何年か後にもう一つの予備校が近くに移転してきたことから、浪人生が一日中ぞろぞろ歩くので、「親不孝通り」という名前がついたのだそうです。私の「母校」は九州英数学舘という、大阪以西では最大の予備校で、一体何人いたんだろう?ものすごい数の浪人が西日本各地から集まっていました。調べてみると、大手予備校が進出してきて成り立たなくなり、今では外国語教育の専修学校に。札幌も似たような感じでした。

英数学館
  (Wikipediaより)

当時は那の津通りに面した大きなビルだったので、年末に走る福岡朝日マラソンの中継を見ていると、「浪人生たちが声援を送っています〜」と紹介されて懐かしかったものですが。ストリートビューで見てみると、今は空き地になってセブンが立っており、奥にあった別館だけが残っているようです。卒業生の欄を見ると、タモリや陽水が。陽水は4年上、タモリは7年上なので、意外と近かったんだ。あんまりここに出ていないところを見ると、浪人したことは誰も明かさないからなんでしょう。

  卒業生

数年前、熊本に墓参りに行ったついでに一回りして
、やっぱり懐かしい町でしたが、こんな通りには行ってみたくないですねぇ…(^^;)
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