漫画鳥瞰圖

  • 2017.01.17 Tuesday
  • 06:00
しばらく続いた厳しい寒さがようやく緩み、少し過ごしやすくなりました。朝晩少しずつ昼間が長くなっていくのがよく分かり、まだまだ春は遠いものの、少しずつ近づいているのは確かです。

吉田発三郎による、格調高い鳥瞰図には及びもしませんが、函館の『漫画鳥瞰圖』なるものがあることを思い出しました。結婚して間もないころに、函館の義父にコピーをいただいたもので(といってもA1サイズもありますが)、大正時代末期の函館の様子がよく分かって面白いものです。1925(T14)年に、青函連絡船が直接貨車を船倉に引き込んで、貨物輸送を始めた記念の年でした。それまでははしけに積み替えて輸送していたので、ものすごく手間と時間がかかっていたのです。
漫画鳥瞰図

函館の町は、何度も大火に見舞われており、1934(S9)年の大火では、市街地の約半分、一万戸以上もの家屋を焼き尽くし、死者も2,166名を数える最大の被害を出していますが、その前が1921(T10)年の大火で、いわゆる西部地区を焼き尽くしています。その後コンクリート造の建築物が通りに面して建てられ始め、現在も数多く残って西部地区の景観を作り出しているわけです。
  函館大火
 (「函館大火と復興・再生のまちなみ」  市立函館博物館館長 田原良信氏作成資料より)

この鳥瞰圖が発行された年は、大正大火から四年、まさに復興に邁進して町に活気があった時代を反映しているものと考えられます。それにしても、この大澤観文なる人がどんな方なのか全く分からず、地元新聞に挿絵でも描いていたのでしょうか?戦前は、地図は軍事機密のため、必ず軍の検閲を受けなければ発行できません。当時の絵葉書を見ても、函館山には必ず雲がかかって、見えなくされてしまっているのです。
奥付 査閲済

湯の川までは電車が開通しているけれど、千代台を過ぎる頃には町並みがなくなり、五稜郭のお堀ではスケートや氷の切り出しが行われいたようです。亀田八幡は亀田村ですが、師範学校(現教育大函館校)までがぎりぎり絵図に載っており、函館はここまでだったわけです。
五稜郭

駅前には朝市もなければ棒二さんもなく、函館の賑わいの中心はまだ十字街にありました。それでも大森稲荷の前にあった函館(大森)遊郭に向けて、両側に映画館などがたくさんたち始めていた時期でしょう。遊郭の前には大きな門柱が立っていて、それを大門と呼んでいたことから、駅前地区全体が大門と呼ばれるようになり、その呼び名だけが残されているわけです。
大門

十字街から末広町にかけては、景観地区として現在もたくさんの建造物が残されている地区となっています。この赤丸のところがかみさんの実家のあるところで、これには寺井商店となっていますねぇ…?この建物は、1907(M40)年にリューリ商会として建てられたことになっているけれど、いろいろ調べた方によると1921(T10)〜1926(T15)に建てられたものではないかとされておりました。これが1925(T14)年に描かれたところを見ると、まだできていなかったのでしょうか??絵図としてはあんまりいい出来ではないけれど、細かく見ていくといろんな情報が見つけられそうです。
末広町
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