追悼 野坂昭如

  • 2015.12.15 Tuesday
  • 05:53
今年はたくさんの親戚や私にとって身近で大切な人達、そしていろいろと影響を受けた人達も次々と亡くなっていきました。先週には野坂昭如さんが。とても繊細でシャイな人なのに、やることはとにかく派手で型破り。あんまり小説家というイメージはなかったかもしれません。最初のきっかけは『面白半分』という小さな月刊誌でした。
面白半分
(『面白半分』19号、1973(S48)年7月号、イラストは米倉斉加年)

『面白半分』は Wiki によると、吉行淳之介が「『日本軽薄派』という雑誌を作ってみたい」と書いているエッセイを見て、編集者の佐藤嘉尚が1971年12月に創刊しています。初代編集長の吉行淳之介以降、半年ずつで交代するというシステムで発刊され、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良など錚々たるメンバーが編集長を務めていました。このうち野坂と開高は二度、筒井は連続一年編集長をやっており、人気があったのでしょう。私が読み始めたのは五木寛之時代で、編集長が替わると中身ががらっと変わるので、その後は藤本義一、二度目の野坂、そして筒井の時など、面白いのが出るたびに買っていたようです。(それにしてもほとんどの方が亡くなられているのですねぇ。)

最初の野坂編集長時代に、伝永井荷風作と言われる「四畳半襖の下張」を掲載したかどで警視庁の摘発を受け、最終的には最高裁で有罪が確定しています。60年代にあった赤瀬川原平さんの「千円札裁判」といい、今ならこんなもので有罪なんてあり得ないことが、平気で起きていたのです。
四畳半
(『面白半分』23号、1973(S48)年10月増刊月号)

この増刊号では、東京地裁出廷当日のルポが掲載されており、まだ40歳ほどの野坂さんのかっこいい姿が残っています。あの世にもサングラスをかけて旅立ったそうですね。
その6 その3
(『面白半分』23号、1973(S48)年10月増刊月号 から)

結婚するまでテレビのない生活をしていたので、番組やCMでの活躍ぶりは全く知りませんでした。でもこの面白半分などでは、まじめな部分で勝負していたように思います。人間的にしっかりと芯が通っているからこそ、ハチャメチャをやっても凄みがあったのでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。
サンヨーコート
(『面白半分』87号、筒井康隆編集長時代、1978(S53)年6月号の裏表紙)
コメント
個性的だった「面白半分」の連中がメディアに重用されなくなって10年。
言論界は静かになってしまった。
亡くなった藤本義一の心中や、いかばかりであったか。
  • ケヤキの向こう
  • 2015/12/15 10:43 AM
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