桑園碑

  • 2015.11.24 Tuesday
  • 05:59
知事公館の庭には、もう一つ石碑がありました。西門から入ってすぐ左に踏み分け道をたどっていくと、大きなメタセコイヤの足元に『桑園碑』という仙台石の立派な石碑があります。
桑園碑

札幌中心部には、条丁目化されて地名にはなっていないけれど、地域を表す桑園、円山、山鼻、苗穂などの地域名が残っています。この桑園もその一つで、今をさかのぼること140年前の1875(M8)年に、この一帯に桑を植えて養蚕を始めようとしたことが名前の由来となったものです。
桑園
(「札幌歴史地図 明治編」札幌市教育委員会編、より『明治八年札幌市街圖』)

当時はまだ植物園もなく、今の道庁敷地より一回り広い開拓使本庁敷地から西はずっと桑畑になり、現在のSTVのところに養蚕室が設けられていたようです。この桑畑を開墾したのは酒田県の元武士たちの一団。この時開拓判官だった松本十郎が、故郷より呼び寄せた旧鶴岡藩の士族156名が、6月から9月までの約百日かけて、約70haもの荒れ地を開墾し、桑が植えられるようにしていったのです。一団は四つの小隊に別れ、仕事をするときには腰の大小は近くの木に架けておき、休憩中も四書五経を読みながら仕事を進めていったのだそう。その時の記念写真が残っています。
酒田桑園
(「山鼻百年史」 山鼻百年史編纂委員会編 より)

元の侍とはいえ、故郷では開墾にも従事していたそうで、規律正しくめざましい成果をあげて開拓使を感激させたそうです。宿舎のあった場所がまさしく今の公館の場所で、その後1892(M25)年頃に一体が払い下げられた時、ここを購入したのが札幌農学校の二代目の校長を務めた森源三でした。森は長岡藩の出身で、河合継之助と共に官軍と激しく戦ったにもかかわらず、その才能を惜しんだ黒田によって開拓使に採用されていたものです。そういえば、先日円山墓地を散策していて、森家の巨大なお墓を見つけたばかりでした。
森のお墓

東門の近くにある「国富在農」の碑のことを調べていて、なんとこれが最初の「桑園碑」だったことが分かりました。森源三の息子である森廣(札幌農学校に学び、のちにアメリカから持ち帰ったポプラを農場に植えた人)が、1912(M45)年に建立したものが、いつのころか改刻されて「国富在農」になってしまっていたのです。それを残念に思っていた人達が、1966(S41)年に力を合わせて復活した碑がこの新しい「桑園碑」でした。いやはや勉強になりました。
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