庭園・美術館巡り

  • 2019.02.23 Saturday
  • 05:54
庭園美術館のスライドを探していて、一緒にあちこちの庭園や美術館にも行っていたのに気付きました。87年9月24日には日本民藝館、26日には古河庭園と世田谷美術館、そして27日に庭園美術館と続いていたのです。25日が抜けているし、まだ探せばでてきそうですが、なんでこんなに東京をほっつき歩いていたんだろう??としばし考えていて、ようやく思い出しました。確か9月20日くらいで前の植木屋を辞め、10月1日から建設コンサルタントに出社するので、わがままを言って旅に出たのです。幼子二人をかみさんに託し、友達の家を渡り歩いて、ずいぶんと呑気な旅をしていたのですね…(^^;) 本当に感謝です〜

このころアールヌーボーやアールデコに凝っていたけれど、同時に民芸にも強い関心があり、京都の河井寛次郎記念館に半日近くいたこともありました。民芸館は駒場の住宅地の中にあり、もう一度行って見たいと思いながら、なかなか再訪できないでいます。
日本民藝館1

ここには、河井の作品に合わせて濱田庄司や柳宗悦が集めた様々な民藝品が置かれていて。なかなか見切れないボリュウムだったかと。
日本民藝館2

26日には、前日から高校時代の友人宅に泊まって、歩いて世田谷美術館に行った記憶があります。後ろに見えるゴミ焼却場の煙突は、今は素敵な色に塗り替えられましたが、東京ゴミ戦争の結果、区内に焼却場を造らざるを得なくなり、この後ろに建設されたものでした。
世田谷美術館1

ここでは、なんとディヴィッドナッシュの展覧会が開催されていて、ものすごく興奮したことを思い出しました。その3年前に新婚旅行で福岡に行った時に、たまたまナッシュの展覧会を見て感動していたのです。ちゃんと記録も残っていました。
世田谷美術館3

その日は北区にある古河庭園にも行ってます。ここはもともと陸奥宗光の屋敷として造られ、息子が古河家の養子に迎えられたので、古河家の邸宅になったものです。武蔵野台地の端っこになるので、地形差が大きく、なかなか面白い庭園です。石造りの屋敷の中の記憶はなかったなぁ。
古河庭園1

ちょうどお彼岸過ぎなので、ヒガンバナがたくさん咲いていました。なかなかこの季節に本州に行かないので、しばらくヒガンバナも見ていないです。
古河庭園2

ここは和洋双方の庭園があり、どちらも完成度の高いものでした。庭園美術館とここは、戦前の邸宅の雰囲気をそのまま残している、貴重な遺構と言えるでしょう。
古河庭園3

この時には、原美術館や新宿御苑にも行ってたはずなので、どこかにスライドが埋もれていることでしょう。これだけ回れたのも、35歳の若さがあったからでしょうが、貴重な経験をしたものだと思いました。

アール・ヌーボー&デコ

  • 2019.02.22 Friday
  • 05:52
ロフトでごそごそ捜し物をすると、毎度なにかを発掘してしまいます。今回出てきたものは、かつてパルコの3階にあった「CLIFFORD GALLERY」のカタログでした。この頃のパルコには、パルコブックセンターがあり、他の本屋にはない本がたくさんあったので、しょっちゅう行っってました。
クリフォードギャラリー

ずいぶんと凝った作りのカタログを見ると、1986年11月のオープン特別企画の招待券が。なんでこれをもらったのか、全く記憶がありません。この椅子は、1900年頃のイギリス製で、ウィリアム・モリスの布張りだとか。ガチョウの首の花瓶やランプは、1925年のティファニー作なので、アール・デコの全盛時代に作られたもののようです。
カタログ

その中に、88年3月のミュシャ展の葉書も入っていたので、この時がミュシャとの出合いになった可能性が高いです。この頃はアール・ヌーボーからアールデコにかけて、いろいろと懲りまくっていたように思います。
ミュシャ1 ミュシャ2

それならと、事務所に置いてあるスライドを探してみると、やはりありました。1987年9月に東京都庭園美術館に行った時のスライドです。ここは目黒の自然教育園の一角になっていて、どちらも何度か行ったことがあります。この門扉や埋め込まれた明かり窓からして、ずいぶんと凝った造りになっていました。
門扉

ここは旧朝香宮邸跡地で、朝香宮がフランスに留学していた時がアールデコの全盛時代にあたり、アール・デコの粋を尽くした建物となっています。スライドは庭園部分しかないので、なんでかな?と思っていたら、やはり見つけたカタログを見ると内部の写真撮影が禁止になっていたのでした。昔の一眼レフなら、ポケットに忍ばせて…なんてことは出来なかったからねぇ…(>_<)
浅香宮邸

カタログを見て少しずつ思い出しましたが、このガラスは迫力がありましたねぇ。他にもたくさんあったけれど、この冊子は全然いいところを撮していなくてがっかり。撮影禁止にするのなら、もっといいカタログにしなくちゃ。
ガラス

品川の原美術館も来年閉館になると言うし、昔通ったところをもう一度しっかり見直しながら歩きたくなりました。
庭園

彫刻美術館

  • 2019.01.15 Tuesday
  • 06:00
昨日は早仕舞して、かみさんと二人で札幌彫刻美術館へ。17日まで『本田明二展』があるので、またぎりぎりになって飛び込みました。本田さんの展示会は、これまでやっていなかったのかな?本郷さんの後輩にあたり、親しく製作の手伝いもやっていた方で、野外彫刻もたくさん残しています。
サイン

園庭に雪像を作るためか、雪の塊がたくさん。あとで聞いてみたら、月末(25日から27日)に「さっぽろ雪像彫刻展」という催しがあるそうです。雪まつりの雪像とはまた違う、彫刻家による「作品」のようですよ。
雪像づくり

半分くらいは木彫で、これほど力強い作品を残されていたのに、かなりびっくりさせられました。シンボルともいえる『馬碑』はカツラ材を彫ったもので、さすがに迫力満点でした。
馬の首

初期の木彫作品を、よくこれだけ手元に残されていたものだなぁと見ていくと、素晴らしい作品ばかりなのにちょっと感激。無心に彫っていた時期のものの力強さに、二人とも心底圧倒されてしまいました。
木彫

彫刻美術館は、今日は休み明けなので休館日ですが、16,17日はやっています。興味のある方はぜひご覧になって下さい。
案内

帰ろうと外に出ると、もう薄暗くなっていましたが、冬至の頃に比べれば、少し明るくなったような感じです。筋向かいにある屋敷の冬囲いは、私も若い頃にやっていたので、あのしんどさと、やり終えた時の達成感を今でも思い出してしまいます。
冬囲い

拓本を採る

  • 2018.12.06 Thursday
  • 06:00
先日紹介した、西安碑林博物館の拓本。教えられるまで私には全然価値も分からず、送っていただいた方には申し訳ない思いでした。一応書き下し文を読んで、どのようなことが書かれているかは把握できたけれど、石に彫っておけば、二千年近くの時間を経ても、ちゃんと形が残っていることには驚きです。その意味では、千年も昔に石碑を集めた『西安碑林』を作った方はすごいと思いました。
西安碑林

この拓本は、博物館のミュージアムショップで売られているものでしょうか。布張りの紙の箱に収められ、中国だから和紙とはいわないでしょうが、かなりごわごわした紙質です。幅が27センチ、長さが80センチ近くの、石碑としてもかなり小さなものでしょう。そもそも、拓本とはどのように取るのかも、全く知識を持っておりませんでした。
蘭亭序

ネットで検索すると、金木和子先生の拓本の採り方が YouTube に公開されていたので、それを紹介させていただきます。
拓本1

和紙を碑面に当てて仮留めしておき、濡れタオルで紙を濡らしながら、ズレのないように伸ばしていきます。
拓本2

全体をきっちり貼り付けると、手ぬぐいを当てて破れないよう、ブラシで細かく叩きながら、文字の部分を凹ましていきます。深いものだと却って大変そう。
拓本3

墨を打つためのタンポは、綿を丸めて木綿で包み、いろんな大きさのタンポを作るのだそうです。こうしてみると、タンポポの語源が「タンポ穂」だというのは納得してしまいます。
タンポを作る

秘伝の墨は、ほんの少しずつ付けて、繰り返し繰り返し叩いていきます。これが一番の決め手になるのですね。こうしていくと、凹みには墨がつかず、平らな面がだんだん黒くなっていくのです。かなり根気のいる仕事でしょう。
墨を打つ

仕上がる頃には紙はすっかり乾いているので、破れないよう慎重に剥がしていきます。小さな文字であれば、簡単に剥がれそうです。
紙を剥がす

碑面に墨を塗って取れば裏返しになるので、どうやって採るのか、昔から不思議だなと思っていたのですが、これで疑問が氷解しました。これだと、碑面には水しかつかないので、汚すこともなくきれいな拓本が採れる訳です。金木先生、どうもありがとうございました。
拓本の完成

写真で撮しても、碑文はなかなか読みにくいものなので、このように拓本を採れば一目瞭然です。読めるかどうかは別として、書聖と呼ばれる王羲之の最高の書を、こうして間近に見ることのできる幸せを、改めて感じています。

フローラ ヤポニカ

  • 2018.11.26 Monday
  • 05:40
北大では、総合博物館で12月9日まで行われている『フローラ ヤポニカ北海道植物画展』を見てきました。総合博物館はもとの理学部で、重厚な造りが博物館にはピッタリです。館の外にまで、展示の案内がありました。
総合博物館

昨年イギリスの王立キュー植物園で開催された、ボタニカル アート展「Flora Japonica」が好評だったことや、それの帰国展が国立科学博物館で行われ、これもまた大変好評だったことを受けて、道内から選ばれて展示されていた早川尚さんと、福澤レイさんのお二人の作品を中心にして、この展示が企画されたものです。
案内

玄関を入ってすぐ目の前にある受付案内の左手を通り、暗い廊下の向こうにぽっかりと広がる部屋が、展示場所になっていました。会場内は撮影禁止なので、残念ながら紹介できませんが、お二人の素晴らしい植物画が40点も飾られています。

展示会場

お二人とのつきあいは、20年ほど前に芸術の森で行われた植物画の制作以来で、毎年の展示会もなるべく見に行ってます。早川さんは植物園後援会の会員で、植物園の植物を描いたポスターや、今回も展示されている、須崎忠助植物画集の解説の一部を担当されていました。

  須崎忠助

福澤さんは、ちょうど今年「野の花の調べ」という素敵な植物画集を出されたばかりです。自然雑誌 faura に5年も連載されたものをまとめたもので、書店に並べられていますので、ぜひご覧になっていただきたいです。(3,000円+tax)
  野の花の調べ

会場にはお二人の作品だけでなく、須崎忠助の作品や、舘脇操先生が描いた花を分解したスケッチも展示されていて、なかなか興味深いです。館内の展示はじっくり見れば半日はかかるほどですが、興味深いものもたくさんありますので、天気のいい日にぜひお出かけ下さい〜

植物画の季節

  • 2018.11.05 Monday
  • 05:30
この時期には、植物画の展覧会があちこちで行われています。北海道植物画協会展は、最近案内が来ないものだから、また行き損ねました。毎年10月最終週に時計台ギャラリーで行われていたのですが、あそこがなくなってしまい、昨年からアートスペース201でやっていました。
ちょうど案内が来たのは、10日から始まる『フローラ ヤポニカ北海道植物画展 (早川 尚、福澤 レイ)』です。お二人は、下記の案内にある通り、北海道を代表する植物画の大御所で、作風は少し異なりますが、とても素晴らしい作品を生み出してきました。
植物画展

場所は北大構内の、北海道大学総合博物館(旧理学部)で、11月10日から12月9日までの一ヶ月です(月曜休館)。博物館は、とても中身の濃い展示がたくさん並んでますので、ぜひご覧いただきたいです。
    案内

早川さんが主催する「ボタニカル アート フロス展」も、11月20日から25日の6日間、南1西3のラ・ガレリア5階のさいとうGallery で行われます。生徒さんの作品も、やはり先生の作風に影響を受けるものです。こちらは町中の1番街なので、お出かけの際には是非お立ち寄りください。

  フロス展
   案内

昨日は午前中、事務所の片付けに精を出しました。9月10月がぐちゃぐちゃの予定だったので、書類やデータも混乱の極みになっていました。これから始まる内業の季節前に、いったんリセットしなければなりません。午後からは自宅に戻り、家の回りや物置の整理を。暗くなる前になんとか片付けることができました。

そしてこの時期の恒例行事のジャム作り第一弾。今年は台風でリンゴの落果が多く、だめかなぁ…とあきらめていたけれど、仁木のY農園からいつもの紅玉が届きました。ありがたいことです。
紅玉

今年のリンゴは水分が少し多いようで、却って火の回りが早く、甘酸っぱいいいジャムができました。2歳になったばかりの三人の孫たちは、「じじ印ジャム」がみんな大好物なので、夏に作ったブルーベリージャムと共に、さっそく送ってやらねば♪
ジャム

富士山

  • 2018.08.31 Friday
  • 05:26
さくらももこさんが、8月16日に乳がんのため、53歳の若さで亡くなられたと、27日に公表されました。以後、さくらさんを悼む声が様々なメディアからあふれ出し、作品は売り切れが続出して各社が大増刷を始めたとのニュースも。
90年代に「ちびまるこちゃん」がテレビで始まった頃は、我が家でもたいてい見ていました。誰しもが、自分の子供の頃のことを思い出しながら、知らずに比較していたのかもしれません。我が家には、2000年に発売された『富士山』が残されています。わざわざ買いに行ったのではなく、本屋巡りをしていてこれを見つけ、あまりの面白さに引き込まれて買ったものでした。
富士山-1

これは、さくらももこ編集長が雑誌を作るという企画ながら、結局は企画、取材、記事の執筆、イラスト、漫画まで、すべて一人でやってしまった『さくらももこワールド』になりました。売れっ子作家ながら、一年間に4冊も発行したのですから、三十代前半の一番脂の乗りきった頃だったのでしょう。ちびまる子ちゃんの描き下ろしも載っていて、思わず読みふけってしまいました。
富士山-2

そういえば、友蔵の声優が亡くなって声が変わった頃から、テレビではあまり見なくなったような気がします。これを読んでいると、初代友蔵の声が聞こえてくるから不思議です。
富士山-3

永沢、藤木、山根、小杉の四人の突撃インタビューを見ていると、当時の番組が蘇ってくるようです。父ヒロシを始め家族はそのままだし、同級生だった長谷川健太のような実在人物と、ガロによく描いていた花輪和一から取った花輪君のように、架空の人物が混じっていたまるこちゃんは、誰しもより身近に感じられてしまったのでしょう。
富士山-4

全く新しい漫画の世界を見せてくれたさくらももこさん。本当にありがとうございました。安らかにお休み下さい。

追悼 アレサ・フランクリン

  • 2018.08.18 Saturday
  • 06:01
アレサ・フランクリンが亡くなったというニュースは、覚悟していただけに寂しいものでした。女性ボーカルでは、クィーン・オブ・ブルーズと呼ばれたダイナ・ワシントンに次いで、たくさんのレコードやCDを持っているでしょう。でも一番輝いていたのは、存在を知った80年代だったかもしれません。

朝日記事
 (朝日新聞DIGITALより拝借… m(__)m)

父が有名な教会の牧師であり、母もゴスペル歌手として活躍していたので、自然とその道に入っていったようです。どこまでダイナの影響を受けていたのかは分かりませんが、ダイナが亡くなった1963年12月のすぐあと、追悼アルバムを出しているところを見ると、少なくとも周囲は、その後継者として育てたかったのかもしれません。
ダイナ追悼

それまで所属していたコロムビアレコードから、ジャズやソウルのレコードを活発に出していたアトランティックに移籍し、早速出した「I Never Loved a Man the Way I Love You (邦題:貴方だけを愛して)」(1967)が大ヒットし、一躍クィーン・オブ・ソウルとして人気が爆発しました。
貴方だけを愛して

活躍したのはやはり30歳から40歳代で、ちょうど50歳の時に出した「Queen of Soul: The Atlantic Recordings」という4枚組約100曲入りのCD盤が、いわばアレサのベスト盤で、これ以降はぶくぶくと太り始めたこともあるし、目新しい試みもなく、何枚かCDを持っているけれど、あまり聴くこともありませんでした。

Queen of Soul

ゴスペルがしっかりと身に染みついている歌手は、きっともう出てこないのかもしれません。R&Bの全盛時代をかろうじてかすった私にとって、エスター・フィリップスやアレサ・フランクリンの歌声は、私のソウルに染み込んでいるかけがえのないものとなりました。ただただありがとうと言いたいです。

田中一村

  • 2018.08.07 Tuesday
  • 05:50
日曜美術館で、『田中一村』の特集をやっていました。滋賀県にある佐川美術館で、生誕110年の展示会が開かれているのだとか。田中一村(いっそん)は、NHKのディレクターが、名瀬市のダイバーの家で偶然目にした一枚のデッサンによって、その存在が明らかになり、1985年の春に日曜美術館で取りあげられました。私たちもそれを見て、全身を打たれたようになりました。これほどの衝撃を受けた作家は他にはおりません。その後NHKには問合せが殺到し、やむなく日本放送出版協会が、あるだけの資料で急遽まとめたのが、この「NHK日曜美術館 黒潮の系譜 田中一村作品集」だったのです。
作品集

美術書は二人合わせるとかなりの数を持っていますが、こんなに引っ張り出されるものは他にはないでしょう。日本画特有の音のない世界に、知らぬ間に引き込まれてしまうのです。
アダンの木

墨絵の世界かと思いきや、片隅にひっそりと真っ赤なサンタンカが顔を覗かせていたり、計算ずくで描き込んでいるはずだけど、何かの偶然の所産かと思わせてしまう不敵さ。この書にあるように、絵を描くことに全身全霊を傾け続け、本当に厳しい一生を終えた方だったのです。
奄美の杜

今回の放送では、一村がよく顔を出していた魚屋のおばあさんの証言がありました。こんなブダイをよく描いていたのだそう。でも絵に仕上がってみると、ブダイの上には夜香花(ナイトジャスミン)が枝をそっと伸ばしています。この枝一つで、毒々しい魚が静かになってしまったかのよう。
熱帯魚3種

この本には、10年後の1995年10月15日に、旭川美術館に見に行った「田中一村の世界」展や、さらに2004年の5月に大丸であった展覧会にも行った記録が挟まっていました。もう一度くらい本物を見る機会がありそうですが、それまで何度も、この本を引っ張り出すことになりそうです。

歌旅日記

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 05:45
そういえば、勇造さんの本があったなぁとロフトを探してみると、ありました!『歌旅日記』という本です。出版社は「プガジャ」といわれたプレイガイドジャーナル社で、1981年3月の発行になっています。
歌旅日記表紙

中にしおりのように折り込んだ手紙が挟まれており、勇造さんからの贈呈本だったのです。それで思い出しました。
  手紙

それが挟まれていたのが、真ん中あたりにある日本編の中表紙。この写真を提供したお礼に、送っていただいたものだったのです。勇造さんと一緒にカレーを食べているのは、当時植木屋時代の先輩であるSさん。彼は京都の生まれ育ちで、歳も勇造さんと同じだし、拾得辺りも出没していたので、よく知っていました。(この写真も無事発掘できました。)
中表紙 写真

歌旅日記のその日(1980年9月12日)のページを見てみると、前日に函館から札幌に移動。今はニセコに住んでいる梅本さんのところに泊まり、「昼過ぎ北海道新聞のインタビュー。ちょっとピント外れの記者やさかい、こっちからいっぱいしゃべる。どれだけ記事になるものやら。エルフィンの表で昼飯。ええ雰囲気で食える。カレーの大盛りと生野菜。」とあります。
エルフィン前

『ええ雰囲気』でギターを弾いている31歳の勇造さんを、このように記録できたのはラッキーでした。私は28歳になったばかり。この春に植木屋に入ったものの、一年目は鉛筆もハサミも持つことが許されず、ひたすら土方で穴掘りばかりやっていました。50kgそこそこしかなかったやせっぽちが、半年経った頃には10kg以上太ってムキムキになり、ズボンもシャツも弾けてしまってすべて買い換えたことを思い出します。私とSさんは家がすぐ近所だし、車を持っていなかったので一緒に動くことが多かったのでした。うまく昼にサボって、こんなところで飯を食いながら、勇造さんの歌を聴いていたのです…(^^;)
  勇造さん

まだ独身だし、エルフィンに入りびたっていたので、勇造さんが来るのを聞いて昼を食べに来たのでしょう。(この頃のエルフィンの写真はこちらにも載っています。写真の日付は9月11日になっていたのですが…)この頃は毎年のように勇造さんを呼んでいたので、いろんなチケットが挟まっていました。38年も前のことを、昨日のことのように思い出してしまうものですねぇ。
チケット

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM