アレックス・カー

  • 2018.01.29 Monday
  • 05:46
土曜の夜にテレビを見ていたら、外国人観光客がよく訪れる場所の一つに、祖谷渓(いやだに)のさらに山奥にある『篪庵(ちいおり)が紹介され、アレックス・カーが案内していました。思わず、まだやっているんだ!と、すぐ横の書棚にある芸術新潮のバックナンバーから、この号を取り出して読み返してしまいました。1995年2月号なので、今から23年前。この前後十数年購読していたので、1m分くらい溜まっている中で、この号だけは別格だったので、別の場所に置いていたのです。白洲正子さんに傾倒していたので、彼女との対談形式での特集に、一体誰なんだろう?と興味津々でした。
芸術新潮

前半は、白洲正子さんの身の回りに無造作に置かれている器や書や、家具や衣装など。実はものすごい価値の骨董もあるけれど、器は使われてなんぼの世界。「生け花の先生は器でした。」とこともなげに言いつつ、気迫を込めて花を活けているのです。「自然の花は確かに輝いて見えるけれど、それはあくまで素材。人間が摘み取って、器に入れて、部屋に飾って、花に本当の命が吹き込まれるのだと思う。」ううむ。
白洲正子

アレックス・カーは、なんと私と同じ歳。海軍に勤めていた父と共に幼少時に日本で過ごし、エール大で日本学を専攻後慶応大やオックスフォード大に留学して、東洋の文化に精通していったのでした。白洲さんとはお互い共通の友人などを通して、一目置く存在として意識はしていたけれど、実際に会ったのはこの時が初めてとありました。今読み返しても、なかなか含蓄のあるやりとりに引き込まれてしまいます。
対談

彼は二十歳の時に、自身の「お城」を求めて全国各地の田舎を訪ね、東祖谷の山奥にある古民家にたどり着いたのです。私が北海道に来た年に、彼は四国の山奥でこんな民家を手に入れていたなんて。初めてここに泊まった朝に、縁側にそっとトマトとキュウリが置かれているのを見て、地元の方に受け入れられたんだととてもうれしかったと、テレビで話していたことが印象的でした。こんな田舎にこそ、本物の美しい日本の姿があるんだと、強く確信したことでしょう。その後の厳しい現代日本批判は、このような場所に住んでいるからこそ、力強さと説得力を持っているのです。

篪庵

築300年の茅葺き屋根の古民家は、内部はすっかりリニューアルされて、快適に過ごすことができるようになっているようです。また地域の方と協働で古民家の内部を改修して、一軒ごと借りて泊まれるようになっています。いつか泊まってみたいところが、また一つ出てきましたねぇ。

また駆け込みで…

  • 2017.12.10 Sunday
  • 05:56
ここしばらく続いた寒さも、ようやく緩んでくるようです。ある程度雪が積もったので、少しは寒さから守られているでしょうか。昨年の年末はドカ雪に見舞われて、札幌中がパンクしてワヤになっていたけれど、最初のドカ雪がちょうど10日でした。それに比べれば、多少寒いくらいどってことはありません。お昼に近くを歩いていると、街路樹のナナカマドが青空をバックに、真っ赤な実を輝かせていました。今年は実の付きがいいように思います。
ナナカマド

昨日も駆け込みで「丸山隆と教え子たち」展へ。10月に紹介しておきながら、ようやく行くことができました。彫刻美術館も、家からそんなに遠くないところにある割には、一年に一度くらいしか行ってませんねぇ…(^^;) 玄関前の通路にも、小品が置かれていました。
彫刻美術館

館内は撮影禁止でしょうから雰囲気だけ紹介しますが((^^;))、ちらと写っている作品『残留応力』(1992)だけが芸術の森美術館の所蔵で、あとの小品はすべて奥さまの所蔵品だそうです。私がお願いして、あいの里の集合住宅に設置した作品『残留応力』(1993)はその翌年なので、雰囲気がとても似ていました。
館内

丸山先生が使っていた道具も、少し展示されていました。これらはすべて手づくりで、丁寧にしっかりと作られていました。
道具

野外彫刻をたくさん残された先生なので、そのマップがありました。札幌市内には18点もあるのですねぇ。私がお願いしたのはあいの里の作品と、1995年に島松の交差点脇に作られた小公園に設置している『循環する形』の二つです。サンガーデンのすぐ近くなので、立ち寄っていただければと思います。
マップ

帰ろうと車に乗ったら、すぐ下の家の庭に竹が育っているのに気がつきました。以前見た時にはまだ塀からようやく見えるくらいだったのに、立派に枝葉を伸ばし、植物園のものより大きく育っています。モウソウチク(孟宗竹)ではなくマダケ(真竹)のようですが、いよいよ札幌でも竹が育つようになったのですねぇ。
真竹

札幌レトロ・グラフィックス展

  • 2017.12.09 Saturday
  • 05:51
気になっていた展示を、最終日ぎりぎりに見てきました。「道内の企業や店舗が、昭和時代に使っていた包装紙や菓子箱、酒のラベルなど」を集めた展示だというので、ガラクタコレクターの私としては見逃せないのです。場所は南大通に面した東4丁目の紙屋さんの中でした。店の一角の小さなコーナーですが、立派な貼り紙が、わざと古ぼけた紙に印刷されていました。
レトログラフィック展

書かれている説明を読んでいくと、単なる包装紙などのコレクションではなく、札幌におけるグラフィックデザイナーの草分けと考えられるM・M氏が、デザインの参考にと、身の回りにある様々な印刷物をスクラップブックに集めたものだったのです。B4大のスクラップブック40冊が、その方の死後古本屋に出ていたものを、やはりグラフィックデザイナーのIさんが見つけ、散逸してはいけないと引き取っていたのです。すべて手書きのレタリングやイラストによって作られた原稿も何点かあり、手書き時代の最後だった私にとっても、大変懐かしいものでした。
手描き原稿

壁面には包装紙のコレクションがずらりと。最終日とあって、結構たくさんの方が見に来ていて、いやー懐かしいなぁ〜という声が何度も上がっていました。
包装紙コレクション

私は北海道生まれではないので、知っているのは五番館や丸井さんの包装紙くらいでしたが、名前だけは知っている古い店のものがずらりとありました。
五番館

真ん中の展示は、キャラメルやバターなどの紙箱類。こちらもじーーっと見つめている方が結構おりました。だいたい40〜50年くらい前のものなので、私より上の世代だととても懐かしいものになるのでしょう。
紙箱

森永やグリコなどの全国規模のものよりも、フルヤのウィンターキャラメルや、バンビキャラメルなど、地元メーカーのものがたくさんあったのですね。雪印もキャラメルを作っていたとは知りませんでした。
キャラメル

マッチや昔の電化製品などのカタログ類などもありました。このへんなら、まだ開けていない秘密の引き出しにたくさん入っているのですがねぇ…(^^;) とにかく面白くて、じっくりと会場を2回回って見てしまいました。ほんの一部の展示のようなので、ぜひ続編をやってほしいものです。
マッチ

せっかく町に出かけたので、あちこちで用足しをして歩きましたが、ちょうど地上は吹雪状態だったので、チ・カ・ホにはたくさんの方が歩いておりました。世間はボーナスが出たらしいので、この週末はたくさんの人で賑わうことでしょう。
チ・カ・ホ

丸山隆展

  • 2017.10.12 Thursday
  • 05:58
宮の森にある本郷新記念札幌彫刻美術館で、7日から「記憶素子 丸山隆と教え子たち」の展示が始まりました。これは行かなくてはなりません。
  丸山隆展

彫刻美術館によく行っていたので、道内作家の作品はよく見ていたけれど、丸山さんの作品が一番好きでした。やさしさと力強さを併せ持つと言えばいいのか、強く惹かれるものを感じていたのです。まだコンサルに転じて間もないころの1990年に、あいの里駅前に大規模マンションの計画が始まり、その外構計画をやることになりました。そのエントランスのシンボルにはやっぱり彫刻を置きたいと、施主であるN不動産に強く働きかけ、設置できたのが『残留応力』という作品です。(スライドが探せないので、こちらからご覧下さい。)

その打合せで何度もあいの里の教育大に通い、研究室でいろんなお話を伺いました。出身が信州安曇野で、なんと碌山美術館の近所だったとか。そういう環境から芸術的な感覚が磨かれていったのでしょうか。この写真の通り、本当に優しいまなざしですが、いつもキラッと光る視線を感じる方でした。
丸山さん

その後、1994年に恵庭市の仕事で、島松の交差点を挟んだ二つの広場の設計をやることになり、現場に何度も通って考え込んだのですが、やっぱりこれは彫刻の出番だと丸山さんに相談に行きました。あんまり高い費用はかけられなかったけれど、それぞれの広場にベンチとしても使えるどっしりとした作品を置くことができました。
おはよう広場

この広場は地元の方から「おはよう広場」と名付けられ、ラジオ体操を始めいろんな活動の場所として大切に使われているそうです。
作品

私は関係しておりませんが、大通高校に植えられているハルニレ第1号のすぐ近くにも、丸山さんの作品『記憶素子「丘」・「森」』が置かれています。
記憶素子

彫刻美術館は、もともと本郷さんのアトリエをベースに作られた施設なので、道路をはさんで記念館と美術館があります。駐車場は狭いけれど、バス停から歩いてもそれほどでもなく、裏山にも散策路が整備されていますので、紅葉見物がてら、ぜひお出かけください。

鎌田芳治展

  • 2017.08.09 Wednesday
  • 06:01
めずらしく個展の案内を。個展をやるのは、私の植木屋時代の先輩です。
私たちの親方は、岩城亘太郎(せんたろう)や斉藤勝雄など日本を代表する作庭師たちのところで修行した方なので、図面にはものすごく厳しい人でした。当時働いていた若者たちは、みんな造園とは無縁のところから入って来た人たちだったので、なまじ学校で造園をかじっていた私には、結構風当たりが強かった… それでも歯を食いしばって現場仕事や図面書きを覚えたものでしたが、それまで図面書きを一手に引き受けていた鎌田さんにはとてもかないませんでした。とにかく根気が強く、面倒な芝点々を実に丁寧に書いていくのです。(芝のマークは、鉛筆を立てて、あんまり力を入れないで無数の点々を書いていくので一番嫌でした…) そうやって図面を書いていくので、仕上がりが抜群にきれいなのです。

私は35歳で植木屋から転職してしまいましたが、鎌田さんも確か60歳前くらいで会社を辞められ、家で何かをこつこつやっているという話は聞いていました。そうして最初の個展の案内が来てびっくり。エンピツ画という、全く独自の表現を切り開いていたのです。これは2回目の個展の案内だったかな。たった1本の鉛筆で、ここまで精緻な表現ができるものかと感心させられました。
2013年個展

今回は札幌での3回目の個展。案内はがきはさらに複雑な絵になっており、これがはたしてどんなサイズで描かれているのか、ちょっとわくわくしてしまいます。模写となっている通り、元になる写真をその通り描いていく訳ですが、なんだ模写するだけか〜なんてとても言えない仕上がり。写真以上に陰影が深くなるので、より実物に近く感じてしまいます。
鎌田展1

15日から20日までの六日間やっています。町中に行く機会があれば是非覗いて見て下さい。絶対に損はしないですから。
鎌田展2

ミュシャ展

  • 2017.05.22 Monday
  • 05:50
せっかく東京に出てきたので、これだけは見ておきたかったのが『アルフォンス・ミュシャ展』。パリ時代のポスターなどは,以前函館美術館で見ていたけれど、「スラブ叙事詩」がメインのこの展示はどうしても見ておきたかったのです。
場所は六本木の国立新美術館。開館が10時なので、それまで東京ミッドタウンと六本木ヒルズを見て歩き、かなりくたびれた頃に美術館に向かいました。六本木ヒルズからは青山墓地脇のトンネルをくぐり、坂の下からのろのろと上がって行かなければなりません。すると途中の木々に怪しい水玉模様が。なんと草間彌生展と同時開催だったのです。
アプローチ

まだ開館15分前だというのに、既に館の中にも、外にある券売所にも長い行列が。それでも早く行ったおかげで5分ほどで券が買え、入館して並んでいると、外には草間展とミュシャ展のそれぞれ別の列がどんどん長く伸びており、館の職員も既に声を涸らして誘導に当たっていました。なにせ30℃にもなる予報なので、炎天下の行列は大変です。行列の看板を見ていると、私たちの頃の30分待ちが、40分50分とどんどん伸びていくのです。
行列

館内でものろのろと牛歩戦術のような行進が続き、ようやく2階に上がったと思ったら、超長い廊下の端から端まで到達するのに、40分くらいかかりました。私が並び始めてから、ちょうど一時間で展示室まで到達できましたが、昼からだと何時間かかることやら…
中の行列

展示室の中も、キャンバスがあまりに巨大なため、うまく動線が取れなかったのでしょう。どこから次の展示に行けるのかがよく分からないので、満員電車の中を移動しているようなもの。なかなか落ち着いて見ることができませんでしたが、ある程度予習をしていたこともあり、なんとか20枚ほどの巨大な作品を鑑賞することができました。
内部

最後の展示室は写真撮影がフリーになっていたので、みんなバシャバシャとカメラの放列に。珍しい対処だと思います。でもこの存在感は、写真や印刷物ではとても伝わらないでしょう。もう二度と見ることができないであろうこれらの作品を、しっかりと目と心に焼き付けておきました。
スラブ叙事詩

出口で図録を買うのにもまた大行列になっており、ほうほうの体で展示室から転げ出し、再び館内を見てまたびっくり。どこが先頭なんだか分からない二つの大行列が、館の内外にとぐろを巻いておりました。一体何時間待ちになっているのでしょうか?
大行列

帰りに直結している乃木坂駅から出ようとしたら、そのすぐ脇に屋外展示が一つ。先日新聞に出ていた草間さんのカボチャのオブジェです。シンプルだけど力強い作品です。
カボチャ

草間展は今日まで、ミュシャ展も来週月曜までなので、今度の土日も大混雑になるのでしょう。回りの声を聞いていると関西からやってきたおばちゃんや、どこか地方の方もおりました。こうやって東京の吸引力はますます強くなり、人も情報もなんでも飲み込んでいくのでしょうね。

はなのすきなうし

  • 2017.01.29 Sunday
  • 05:47
家に帰ったときにテレビをちらっと見ると、本屋さんの話題の中に懐かしい絵本がありました。「はなのすきなうし」という本です。探してみると子供たちに買った絵本や図鑑の中にありました。発行年からすると、これは結婚する前にかみさんが買ったもののようです。
   表紙
(「はなのすきなうし」 マンロー・リーフ、ロバート・ローソン著、岩波書店、1976 より)

久しぶりに読んでみると、こんなに小さな本だったかな?とまず思ってしまいました。この時には定価が320円でしたが、今でも640円で売られているのですから驚きです。岩波書店が出していたのですね。
はなのすきなうし11

これを初めて読んだときに、真っ先に自分の子供時代のことを思い出してしまいました。放課後も誰とも遊ばず、いつも一人でいろんな道をたどりながら、家に帰っていました。小学校は地区の真ん中の田んぼの中にあり、ちょっと遠回りするとため池や川の土手で、いろんな植物を見て歩きながら帰ることができるのです。
はなのすきなうし12

今にして思えば、相当変わっていた子供だったのかもしれません。運動系がからきし苦手だったこともあり、男子と遊ぶことはほとんどありませんでした。休み時間にいつも女子と一緒にいたので、よくいじめられたなぁ。植物というか、自然と付き合うことの楽しみがなかったら、完全に引きこもりになっていたのもしれません。
はなのすきなうし13
 (それにしてもコルクガシの木に、コルク栓の実がなっている絵は困るなぁ…(^^;))

兄弟三人の中で、私だけがそんな風に育っていったけれど、母も祖母もなんにも言わずにそのまま見ていてくれたことには感謝しています。なので、この本を初めて読んだときに、まるで自分のことが描かれているかと思ってしまいました。子供の時にこれを読んでいれば、また違う気持ちになっていたのかもしれませんが、こういう本との出合いはとても大切です。これらの絵本は、ちゃんと孫たちに引き継いでいかなくては、絶対にタブレットでは見せたくありませんから。
はなのすきなうし14

猫の肖像

  • 2017.01.26 Thursday
  • 05:55
お年玉切手などが入った整理箱をひっくり返していたら、思わぬものが出てきました。1996年に発行された「ふみの日」の葉書と切手です。元の絵はもちろん山城隆一さん。こんなものがあったなんて、すっかり忘れていました。切手も11枚残っています。
  ふみの日

山城隆一さんの『猫の肖像』は、私が最も大切にしている本で、うちにいる生の「こまめ」よりかわいがっているかもしれません…(笑) この本が出てしばらくして、パルコの上にあったパルコブックセンターで、この絵はがきが売られているのにびっくりして、あったものすべて買い求めていました。もちろんもったいなくて使っておりませんが。
はがき
 (パルコ発行の絵葉書  1986)

『猫の肖像』の中身は、本当に全部紹介したいくらいかわいい猫ばかり出てきます。最後に載っているこの絵皿は、一番弟子Y氏の、結婚式の引き出物に描いた絵皿だそう。なんと200枚も、伊豆の窯元のところに缶詰になって描いたとあります。「センセの腕なら3日もあれば200枚くらいアッという間にできますよ」と、これをそそのかしたのが、かつての部下だった長友啓典氏だったとありました。ビズのアートディレクションをずっとやっていた長友さんです。絵付けの絵の具はザラザラしてとても大変だったとありますが、その出来映えは本当に素晴らしい。
  絵皿0
 (『猫の肖像』  山城隆一著、求龍堂刊、1984 より)

変な干支の切手作るより、毎年この猫の切手にしてくれた方がはるかに面白いのになぁ… ネコ年のない恨みは深いです〜(^^;)
絵皿2
 (『猫の肖像』  山城隆一著、求龍堂刊、1984 より)

鳥瞰図の魅力

  • 2017.01.16 Monday
  • 05:57
先週チ・カ・ホで、鳥瞰図のフェアをやっているというので、あわてて行ってきました。これらの鳥瞰図は、大正から昭和にかけて約三千点もの鳥瞰図を遺している吉田初三郎のものです。札幌グランドホテルのロビーに、これを拡大した大きなパネルがあり、いつも見飽きないで眺めていました。(写真が見つからなくて残念…)
鳥瞰図
 (フェアを企画した総合技研のパンフレットより)

これを見てビックリしたのは、道内の主要都市くらいしか作られていなかったのかと思いきや、ほとんどの市町村や国立公園、道立自然公園など、200点近くもあったのでした。でも印刷の精度が低く、とても細部まで読めません。折り込み地図仕立てになっていた札幌、函館、旭川、小樽の4都市にしても、函館と旭川はかなり画質が粗く、文字が読めないので断念し、精度のよかった札幌と小樽だけ手に入れてきました。
札幌・小樽

鳥瞰図は醍醐味は、限られた空間にぎっしり情報を詰め込むため、真ん中あたりはいいけれど、両端になるとものすごくゆがんで、よくもこんなにデフォルメできるものだと思うくらいの形になるところ。でもちゃんと分かるところが面白いのです。札幌の右の方にはすぐに小樽があり、その先に気渡島半島が伸びて函館があり、なんと青森まで描き込まれて笑ってしまいます。
札幌部分

札幌は格子状の街区だから全然面白味がないのに対して、小樽は港を囲むように町が広がっているので、とても鳥瞰図に向いています。これは昭和6年製作となっているので、小樽が最も隆盛を極めていた頃の絵図になるでしょう。手宮の高架桟橋から盛んに石炭を積み込んでいたことがよく分かります。運河の沖にたくさんの船が浮かんでおり、当時ははしけに積んで陸揚げしていたものでしょう。
小樽手宮

水天宮や小樽公園、住吉神社など、小樽の町は地形に変化が多く、ブラタモリでもこのあたりを歩き回って昔の痕跡を探していたわけです。左上の松が枝町には遊郭があり、市街地から隔離されたところに作られていた様子がよく分かりますが、こんな所にまで出かけていたのにはびっくりさせられます。今では普通の住宅地になっていますが、この手前には洗心橋というのが残っていて、当時を偲ぶよすがなんだそうです。
小樽山の手

吉田初三郎(1884〜1955)は京都に生まれ、
友禅染の図案工を経て商業美術に転じ、鉄道沿線の名所図や観光案内を手がけて有名になっていったそうです。その絵心も素晴らしいのですが、ちょっとひねった遊び心がそこかしこに感じられて面白いのです。デジタル時代には絶対に描けない絵だけに、道内各地の作品については、もっとしっかりとした公開が待たれるところです。
  あとがき

カイ

  • 2016.12.17 Saturday
  • 05:48
『カイ』という雑誌がありました。2008(H20)年秋に創刊され、今年の春まで季刊誌として発行され、30号まで出ていたのです。「カイ」とは、アイヌ語で「この地に生まれし者」。松浦武四郎がアイヌの古老から教わった言葉で、のちに開拓判官として、蝦夷地に代わる名前の候補の選定を行ったときに、「北加伊道」として提案した名前でもありました。
  カイ01

知り合いが何人もエッセーを書いていたこともありますが、テーマ選びがなかなか素晴らしかったのです。この号なんか、私の大切な本の一つになりました。ライターもセンスのいい方を使っているので、とにかく面白く、目からうろこが落ちっぱなしになるほどでした。
  カイ08

この号なんて、思わずなんじゃこれは!と、叫びそうに。誰がこんな企画を作ったのかと思ったら、主なライターは元花新聞編集長の○藤さんだったのです。その他にも素晴らしい特集が満載で、これも手放せない本になりました。
  カイ11

楽園周遊では、真鍋さん、紫竹さん、そして武市さんなどなど。これをすべて掲載したいくらいです。
陽殖園

そんな思い出話をしようとしたのではなく、この『カイ』が、この春からWEBマガジンに模様替えして公開されました。残念ながら、バックナンバーは公開されておりませんが、内容は以前と同じく、じっくりと北海道の魅力を掘り下げてる、とてもいい企画が満載です。紙ベースからWEBに移行するというのは、私のような人間にはとても寂しいのですが、こうやって出し続けてくれることに感謝したいです。

運営は主にまちづくりのコンサルタント「ノーザンクロス」。いろんなところでお世話になっている、渋くていい会社です。ぜひごひいきに読んでみて下さい。(メルマガに登録しておくと、新しい記事が掲載されるたびに知らせてくれます。)

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