切り抜き

  • 2024.02.16 Friday
  • 05:42
昨日はそんなに暖かくなかったけれど、事務所前の道路はドボドボに。駐車スペースをきれいにしておいたので、私の車は難なく逃げ込みましたが、きっと大変だろうなと思っていました。そうしたら昼前に同じマンションの方からSOSが。二軒隣の奥さんが、玄関の目の前でスタック。これは近所の人が集まってなんとか脱出できまましたが、午後から何台も立ち往生していました。こんな小路に入らなければいいのに…
スタック

新聞の切り抜きは1980年から始めているので、もう44年目になります。最近は切り抜くことが目的ではなく、もう一度読み直したいものに付箋を付け、しっかり読み直してから切り抜いてスキャンし、pdf データで保管しています。この記事はサントリー美術館にある『武蔵野図屏風』という17世紀に描かれたものを紹介していました。文章もよかったけれど、これは絶対に実物を見てみたいと、強く思ってしまいました
草に入る月

これはなんで付箋を付けたのか、あまり記憶がありません。いろんな地方でこのような国際芸術祭は開かれていますが、特に奥能登に惹かれたわけでもなく、なにか虫の知らせがあったのでしょうか…ほとんどの作品は壊れてしまったと報道されていたし、崩れてしまった珠洲市にある見附島もちゃんと写っていました。
奥能登

コモチレンゲ(Orostachys boehmeri)は、お雇い外国人のルイス・ベーマーが発見して報告したことから、学名にその名が残っている植物です。発見地は日本海側ですが、これは襟裳岬にあるものでした。ベーマー会員としては、見逃せない記事です。
  コモチレンゲ

コモチレンゲが載っている朝刊の一面を見てあらら…どこかで見たことのある奴が写っていました。この時には後ろめたく思っていなかったのか、その時の心境を是非聴かせてほしいものです。

盛山

ボタニカルアート

  • 2023.12.28 Thursday
  • 05:30
ボタニカルアートは、牧野先生が描いていた科学的な植物画とはちょっと意味合いが違いますが、我が国でも昔から盛んに描かれてきました。札幌でもたくさんのグループが熱心な活動を続けてきていて、展示会にもよく行っています。そのうちの一つフロスソサイエティのH先生から、たくさん(4セット24枚)の絵はがきが送られてきました。

   表紙

各セットには、表紙として寄せ集めたものがあり、単独のものが5枚と、製作の趣旨が書かれたものが入っていました。北大植物園後援会はかなり昔から活動していて、時々カレンダーや絵はがきを製作し、その販売利益を植物園に寄贈してきています。

挨拶

ただ残念なことに、これらを売られているのが北大生協の書籍部くらいしか見たことがないのです。植物園には売店がないので売っていないはずですが…これだけレベルの高いものなので、いろんなところで売ればいいのにと思ってしまうけれど、いろいろと難しいのでしょうね。

   エンビセンノウ

私のところには、いただいたり買ってきたボタニカルアートの絵葉書が何十枚できかないくらい溜まっています。さすがに使う気になれなくて溜まる一方で、これもまた困ったものですが…(^^;)

狸つながり

  • 2023.12.15 Friday
  • 05:48
WEBニュースに狸小路の話題がありました。狸神社は5丁目にあると思ったら、今は2丁目にあるそう。ゆっくり歩いたことがないので。2丁目にこれがあるのは気付かなかったです。

狸神社
 (北海道新聞WEBニュースより拝借…m(__)m)

その記事の中に「タヌキといえば日本三大タヌキ伝説が有名だ。」として、茂林寺の分福茶釜と証誠寺の狸囃子と共に、松山騒動八百八狸物語とあるのでビックリ。松山にそんなのがあったなんて、全く知りませんでした。愛媛と香川は野球でも学力テストでもいつも張り合って仲が悪く、「伊予猿」と「讃岐の狸」と呼んでいたので、狸は香川のものだと思っていたのです。

松山繋がり

松山の観光情報の中にこれが紹介されていて、ふーーんとなったのですが、その下に狸小路商店街とのつきあいが始まり、2001(H13)年に銀天街・大街道商店街振興組合と姉妹提携をして、松山にはそれを記念したモニュメントを設置したとのこと。そういうことだったのかと、ようやく納得したのでした。

八百八狸
 (松山観光コンベンション協会HPより拝借…m(__)m)

松山の銀天街と大街道はL字型の長大なアーケート商店街で、その中ほどにこれがあるのをいつも見ていました。そういうことだったんだとやっと分かりましたが、いつも左の小さな石はなんだろう?と言っていたのです。今回いろいろ調べていたら、この位置で狸と手を繋げば、この石が狸の尻尾になるように作られているというのです。いろいろと謎が解けた気分でした。

狸像2

アイヌ文様

  • 2023.12.12 Tuesday
  • 05:47
先週末、用足しに町中に行った帰り道、バスに乗るために地下街から地上に出ると、ピーカンに空が晴れていました。ちょうど市役所の所だったので、やはりハルニレのところへ。向こうのタワマンが邪魔くさいけれど、今年も元気でよかったなぁと挨拶しておきました。オリンピックが消し飛んだので、いつ市役所の建て替えが動き始まるか分かりません。今しばらく動向を、しっかりと見ておかなければ。

ハルニレ

大型郵便物を出そうと大通郵便局に行くと、ポストのラッピングが今年もやられていました。円山辺りのはなにもしていないので、ここの独自の取り組みでしょうか。今年はうさぎ年だけど、来年は私の干支の辰年なので、どんな絵柄になるか楽しみです。

ポスト

外でバスを待つのは寒いので、ロビーに入って窓際のベンチに行くと、外に背を向けてアイヌ文様のタペストリーが飾られています。日光で変色しないよう、このような飾り方になったているのでしょう。あるのは知っていたけれど、じっくり見たことがありませんでした。左側は宮川正子さんの作品で、『レラア』(風が吹く)という題で、「自然の恵みを大切にし、感謝するというアイヌ民族の思いが広く世界に、そして未来に羽ばたくことを願い、「コタンコカムイ」」(シマフクロウ)が風に乗って羽ばたくイメージを作品にしました。」との説明が。こういう解説を知った上で作品を見ないと、全然伝わるものが違ってきます。

アイヌ文様1

右側の作品は石井美香さんの『エトイオポパ』(萌え出る)という題で、「紺の生地に描いた美しい刺繍糸の直線や曲線の中に、みずみずしい葉や色鮮やかな花を刺繍することによって、自然の美しさや力強さ、生命の尊さを表現しました。」とあります。緑が萌え出る春の躍動感がしっかりと伝わってきます。

アイヌ文様2

チ・カ・ホのデザイン監修をやった時に、北端部にアイヌコーナーを設けるという市の方針を聞いた時に、ん?と思ったけれど、あえて異論は挟みませんでした。そんな窮屈な所に設けたって、誰が見るのかと思ったのです。開通してから見ていても、さっぽろ駅構内との間にはガラスドアの仕切りがあるため、勢いよく流れる人の流れの中で、あそこに展示されている作品を眺めることは難しいです。あれでは本当にもったいないと、改めて思ってしまいました。

エンピツ画展

  • 2023.09.22 Friday
  • 05:41
私の植木屋時代の先輩の『エンピツ画』展に行ってきました。案内の葉書をもらったときに、ますます凄みというか、切れがよくなったように思いました。
  個展案内
会場は町中のさいとうギャラリー。この界隈もどんどん建物が新しくなり、工事中の北陸銀行ビルができれば、以前の雰囲気を思い出すのが難しくなりそうです。

ギャラリー

今回は小品ばかりで、このフランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテル旧館が一番大きいサイズです。明治村に移築された現物を取材に行き、細部までじっくり見てきたそうです。今年の夏に描き上げたばかりの作品でした。

帝国ホテル

私は知らなかったのですが、「神のような音を出す…」といわれた伝説の指揮者宇宿允人(うすき まさと)という方だそうです。ご存命の時に伺って、直筆のサイン入りの作品でした。

宇宿允人

今回は、なんと51点もの作品が展示されています。これどうやって描いたの?と思ってしまうような作品ばかりで、一見の価値があります。24日までですので、週末町中にお出かけの際にはぜひご覧いただきたいです。

案内

OBオケ

  • 2023.08.14 Monday
  • 07:46
娘は中学時代はブラスバンドでしたが、高校に入るとすぐにあこがれのオーケストラに入りました。西高には珍しくオケがあったのです。その後も北大オケ、農民オケとずっとホルンを吹いていますが、西高にはOBオケがあり、年に一度お盆に演奏会をやっています。

OBオケ

以前はちゃんと演奏会も聴きに行っていましたが、子供を連れて帰省するとちびちゃんたちの面倒を見なくちゃなので、演奏会はとんとご無沙汰しています。

定期演奏会

昨日は終演に合わせて会場のちえりあに行きました。ここには何度か講座があったので来ていますが、隣のスーパーと共有している駐車場が大きくて、こういう時には便利です。

ちえりあ

ちびちゃん達と楽屋のモニターを見ながら待っていると、なかなか出てきません。OBオケは、上は70代から現役まで幅が広く、いろんな世代とのつきあいができて面白いらしく、あちこちで話し込んでいるのでしょう。娘だって卒業して20年経つのですから、中堅どころになっているはずです。

楽屋

ようやく出てきた娘と楽器を積み込み、すぐ脇の札樽道に乗って余市まで送ってきました。下りはほとんど車はいませんでしたが、上り車線は積丹や小樽などからの車がびっしり。16日までお盆休みを取っていれば、まだまだ休みは続くのでしょうか。我が家はやっと一息ついて、日常が戻りそうです。

帰り道

月形へ

  • 2023.05.22 Monday
  • 05:47
昨日は雨の中月形町へ。まず向かったのは役場の隣にある月形樺戸博物館です。旧樺戸集治監本庁舎は、1886(M19)年に火災で焼けた建物を再建したものが、現在まで残されているという歴史的建造物です。月形町との縁も、集治監のために造られた水道施設の遺構をどう整備するかという委員会のメンバーで、梅木さんと知り合う数年前のことでした。
月形樺戸博物館

玄関先の石段のすり減りようはかなりのもので、よく滑って転ばなかったものです。このくらいなら、すり減らない堅い石に取り替えればよかったものをと思ってしまいます。
階段

内部は撮影禁止のため写真はありませんが、訪問の目的は集治監関係ではなく、先月オープンした本田明二ギャラリーでした。本田さんの娘さんがたくさんの遺作を一時公開していたのですが、個人で維持できる量ではなく、生まれ故郷である月形町がそれらを引き受けてギャラリーを開設してくれたのです。スペースの関係で一部の公開となっていましたが、質の高い作品がずらり並んで素晴らしい空間となっていました。
本田明二ギャラリー

ちょうどお昼になったけれど、雨は降るしとても寒く、何か暖かいものを食べたいねというので、久しぶりに月形温泉の入口にあるテラへ。
テッラ

さすがにラーメンはないので、「こだわりの無い普通のカレー」というチキンカレーをいただきました。ちょうどほかのお客さんがいなかったので、Tさんとはあーだこーだといろんな話をして盛り上がってしまいました。
普通のカレー

それから向かったのが、旧知来乙小学校を改装したツキガタアートビレッジ。国道から少し奥にあるため、月形町側からは行きやすいですが、札幌側からはなかなか難しい経路かも。
アートビレッジ

小規模校らしく、教室は低学年と高学年の二つで、講堂兼体育館が同じ空間に入っています。教室には戸が付いていたけれど、冬はかなり寒かったろうなぁ…なんて余計なことを考えてしまいました。
講堂

目的は渡邊志乃さんの雪草 葛の帯 個展『軌跡、時と』。前回の個展の場所がかなり暗くて人工照明のため、この帯の淡い色彩がよく分からないねぇ…と意見したことがありましたが、今回のギャラリーは旧校庭に面していて、自然光にあふれていました。残念ながら雨だったのですが、それでも繊細な色合いを十分楽しめました。来週28日までの開催です。
葛の帯展

梅木さんはあいにく不在で、庭のチェックができませんでした。また機会を作って訪れてみたいと思います♪

おひな様

  • 2023.04.08 Saturday
  • 05:43
我が家では、おひな様を飾るのは3月3日ですが、しまうのは4月4日でちょうど1ヶ月。というのは、松山ではひな祭りは今でも4月に行われているのです。全国的に見ても、愛媛くらいだそうですが。
愛媛のひな祭り

松山では4月の初めにちょうどモモが咲いてくるので、その意味からもぴったりです。この写真は2日に撮した切り花ですが、3月に売られている促成ものの貧相なモモと違い、庭木から切ってきたものでしょう。この時期は庭先のあちこちにモモが咲いているので、サクラやウメとは違って温かみが際立っています。
モモの花

我が家のおひな様は、男雛はちゃんと右に置いています。こういうしきたりは、きちんと伝統を守っていかないと、訳が分からなくなってしまいますから。
おひな様

このミニチュアセットはおふくろの手づくりで、こういう細工物を得意にしていました。こればかりは娘や孫に引き継いでもらおうと思っています。
ミニチュア


一つお知らせが。富丘在住の葛布織り工芸作家である渡邊さん。今度の個展はなんと月形で始まりました。土日のみのオープンですが、5月28日まで開かれていますので、月形方面にお出かけの際には、ぜひ立ち寄ってみてください。国道から少し入るので、ちゃんと調べてから行かなくては。
葛布展
月形

直行さん

  • 2023.02.08 Wednesday
  • 05:43
先月末に直行さんの番組が二つあったので、ビデオに撮ってもらっていたのをようやく見ることができました。一つは日曜美術館ですが、もう一つの道内版に編集していた方が内容が充実していたような。
山と原野とスケッチと

テレビの横の本棚には直行さんの本が並んでいるので、久しぶりにめくりながら見比べてしまいました。直行さんは絵も素晴らしいけれど、文章もシンプルでかつ温かみがあり、人柄が伝わるようないい文章だと思います。
茗渓堂

確かに日高の山並みは、神々しく鎮座しています。手前に原野が広がっているからこそ、こういう雰囲気になるのでしょう。日高側からだと平地が全くないので、こんな風には絶対に見えませんから。
原野から見た山

この二冊の画文集は、文庫本では再版されているようだけど、それでは雰囲気は伝わらないでしょうね。今では古本屋で数万円もするそうで、大切にしておかなくては。
雪原の足あと

確かに中札内にある六花の森には、直行さんの絶筆が展示されていました。原野から眺めるだけでなく、これらの山々をくまなく登り尽くした直行さんにとっては、この山並の存在は格別のものがあったのでしょう。
絶筆

直行さんの山の絵と、身近な存在であった野山の草や木の花の絵とは、タッチが全く違います。北大の農学実科で学んだときには、館脇先生の元で勉強していたらしく、『北海道産野生櫻草屬に就きて』という共著の小論文をまとめています。常に植物図鑑を見ていたと書かれているので、科学的な見方をしていたことがこれらの絵にははっきりと滲み出しているのです。
ヤナギラン アヤメ

直行さんは牧野図鑑を使っていたらしく、画文集にちゃんと引用しながら「ハマナシ」説を採用しています。これら六花亭の包装紙は、今はどうか分かりませんが昔は3種類ありました。木や草の花が2種類と木の実草の実が1種類です。ていねいに切り取っていけば、立派な植物画集ができあがります。
アオダモ ハマナシ

雪のうえにのびる道

  • 2023.01.17 Tuesday
  • 05:52
10日から始まっている展覧会『雪のうえにのびる道』にようやく行くことができました。バスを降りてグランドホテルにちょっと寄り道。パンを買う前に、ここのロビーの花を見るのが冬の楽しみの一つです。今回はネコヤナギとアセビを骨格に、マムやデンファレがアレンジされていて、目の保養になりました。
花

場所は市民交流プラザの1階にある SCARTS コート。昨年話を聞きにきた二組4人の表現がどのようになっているのか、興味津々でした。

展覧会

松延総司さんとアレキサンドル・カトーさんの「借りてきたもの」は、『庭園』に着想を得たインスタレーション。「何はなくとも作庭という行為は、空間に情報を与え、意味で満たすということである。時としてそれは支配の道具にもなる。庭を作るということは、個人がその領域/領土との間に、日々新たな関係性を結び、これを自分たちのために存在させる方法だと考えられる。」
借りてきたもの

その結界として選ばれたのが「石炭」というのが面白い。人間的尺度をはるかに越える数千万年前の植物である石炭によって、北海道で刻まれてきた時間を取り込もうとしたものらしい。
石炭1

惜しむらくは、リーフレットの写真のように自分たちがその石炭の固まりとしてここに存在する仕掛けがあれば、大受けしたかもしれません。
石炭2

もう一組の、アラナ・グレゴリーさんと升谷絵里香さんの『Vindur』(アイスランド語で風という意味だそう)。オーストラリア出身のアラナさんと出会ったのがアイスランドというのもすごいなぁ… こちらは、製作に特に関わってはおりませんが、どんなものなのか興味津々でした。
ヴィンダー

奥の暗い部屋に巨大なスクリーンがあり、映像が流れています。解説に書かれてあることはとても難しいけれど、5分ほどの映像を見ていくと、とてもうまい作りだと何度も見返してしまいました。北の大地に流れる風が、時間軸と絡み合っていろんなものを思い起こしてくれます。
野生の実験

会期は22日(日)までで、11時から20時まで解放されています。お近くに行く機会があれば、是非覗いてみて下さい。

砂澤ビッキ展

  • 2023.01.14 Saturday
  • 05:46
どうしても行きたかった展覧会『砂澤ビッキ展』にようやく行ってきました。これだけの規模の作品を一同に鑑賞できる機会はそうありませんから、とても楽しみにしていました。

  ビッキ展

近代美術館に行くのは、二年前の「猫まみれ展」以来かと。平日の昼間なので閑散としていました。エジプト展の時は長蛇の列だったとのことですが、そんなに人気がないものか。65歳以上は無料で観覧できるのですから、もっと見てほしいなぁ…
近美

入口を入っていきなり並ぶ「樹函」シリーズに圧倒されました。製作はわりと初期のものが多いのですが、その数と緻密な掘り痕に圧倒されました。これはぜひ実物を見てほしいです。
動物

ビッキの作品は、本当は実際に手に触れてこそその価値が伝わるはずですが、残念ながらそれはできません。せめて一つだけでも触らせてほしかったなぁ…

掘り跡

音威子府に移り住み、大型の作品を作れるようになってからは、安っぽい言い方で失礼ですが、作品に神々しさが表れてきたように感じます。でもそのノミのあとは滑らかでやさしいばかり。芸術の森の「四つの風」のように、木彫ながら自然の中に置かれてこその作品が真骨頂だったのではないでしょうか。
会場

私が札幌に住むようになって数年後、75,6年頃だと思いますが、一度だけ町中で見かけたことがあります。植物園の北側の北5条通をがっしりした自転車に乗ってゆったりとこぎながら通り過ぎて行ったのを見て、あっ!ビッキだとすぐに分かりました。あの体、あの雰囲気に一瞬でも触れたことは、彼の作品の理解に今でも役立っているようです。57歳で亡くなられたのは本当に惜しまれます。

藤原新也

  • 2022.12.28 Wednesday
  • 06:00
先日TVを見ていたら、珍しく藤原新也が出ていました。すっかり老人になっていたけれど、相変わらず飄々としてカメラを写しながら、故郷門司の町をうろついていました。今からちょうど40年前に、しばらく彼に夢中になった時期があったのです。
印度放浪
東京漂流

インド放浪とか東京漂流など文章も面白かったけれど、なんといっても写真家なのでいろんな画像とセットになっていなければ面白くありません。ちょうどその時に連載されたのが『全東洋街道』で、なんと月刊プレイボーイでした。毎度買うのが恥ずかしかったけれど、これを読みたくて2年以上買い続けました。
全東洋街道

ギリシャを出発してトルコから中東、イラク、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドと、今では絶対に通れない経路をたどっているのです。当然フィルムカメラですから、どうやって入手し、送り続けたのか大変な旅立ったわけですが、とにかく毎月引き込まれるような迫力がありました。
経路1

なんでそんなに夢中になったのか、今考えても不思議ですが、自分には絶対に行けないところをこんな角度で切り取ってくれるものにあこがれたのでしょうか。
カルカッタ

後半はインド、ビルマ、タイから、まだくすぶっていたインドシナを避けて中国に飛び、朝鮮半島から日本に戻ってきます。ギリシャからしばらくは砂漠地帯を通り、インドや南アジアのモンスーン圏に入ると、湿度でベタベタしてきます。それが日本に入るとなんと透明感があり、こういうところに住んでいるんだと納得させられた気がします。
経路2

藤原新也の Wikipedia に「1972年の処女作『印度放浪』は単行本になる前にアサヒグラフで連載され、インド放浪記として大きな反響呼び、当時の学生運動の終息後、精神的支柱を失くした青年層のバイブル的な存在となった。 」とあるけれど、私もそういう時代に生きてもがいていたのでしょうか。
韓国

Wikiを見ていたら、ビズにも連載していたと書いてあるので、1冊引っ張り出したらちょうど最終回。八木さんが頼んだのかなぁ…? 2003年8月号なので全然記憶がありませんが、こんなところにも書いていたんだ。今度読み返してみよう。
ビズ

2人展

  • 2022.12.17 Saturday
  • 05:37
昨日は円山にある小さなギャラリーへ。場所は南6条通に面していて、パールモンドールから西にちょっと寄ったところにある、はこだて工芸社SAPPORO です。
ギャラリー

木版画家の山下さんとは、40数年前からの長〜いつきあい。手の平サイズのちっちゃな版画が、なんともほのぼのして味があります。
2人展

今回は羊毛フェルト作家の方との2人展。組み合わせはギャラリーの館主の設定だそうですが、雰囲気がぴったり合っていました。
展示

かつてイヌやネコを飼っていたこともあり、素材的には結構登場しています。小さいだけに額縁がしっかりしていないと雰囲気が台無しになってしまうけれど、いい組み合わせがあります。
作品

函館の本店は十字街の銀座通入り口にあるそうで、今度行ってみなくては。館主のお父さんが焼いている陶芸作品もたくさんあって、これがまた素晴らしい作品ばかり。こちらの方で盛り上がってしまいました。
陶板

手ぶらで行くのもなんだから、コーン付きのアカエゾマツの枝を一房下げて行ったら喜んでくれました。リボンを付けるとこれだけでも立派なリースに。しばらく飾ってくれるそうです♪
リース
案内

※明日は更新することができません。一日休みになりますので、よろしくお願いいたします。

野外美術館

  • 2022.07.28 Thursday
  • 05:49
昨日は札幌市立大学へ。造園学会北海道支部の事務局は、現在市立大の先生が担当しているので、時々支部長印をもらいに行かなければならないのです。判子は世間的にはほとんど廃止されたけれど、私が担当している『北の造園遺産』の認定証には、やはり判子を押さないと様にならないのでした。ここには市立高専時代からよく出入りしていたけれど、アプローチに植えられているメタセコイヤがずいぶんと大きくなりました。時間の経過を感じます。
メタセコイア

たった数分の用事を済ませて、そのまま帰るのがもったいないので、現在無料公開中(11月3日まで)の野外美術館に行って見ました。(車で行けば駐車料金500円はかかります)ここでは1999年から2001年までの3年間、仕事で入りびたっていたことがありました。ガイドボランティアの方たちが、案内する途中の植物や野鳥、昆虫などについても聞かれて答えられないので、わかりやすい手引きを作ってほしいとの依頼がありました。数社のコンペだったので、それだけならつまらないから、ボタニカルアートを描いて残せばいろいろと役に立つはず!という提案をしてみごと仕事を勝ち取ったのでした。
野外美術館

その時は隅から隅までよく分かっていたけれど、最近は全然行ってなかったので、マップを見ながら回って行きました。どうしても最初にダニ・カラヴァンの「隠された庭への道」から見てしまうので、あまりの存在感にしばらく続く作品が貧弱に見えてしまうのが困ったもの。やっぱり逆回りしなければ。
ダニ・カラバン

福田繁雄の「椅子になって休もう」は、ここで一番人気のある作品でしょう。一体壊れて梱包されていたけれど、この冬のドカ雪のせいかなぁ…(>_<)
福田繁雄

せっかくの野外美術館なんだから、空間との取り合いを考えた作品にすればいいのに、どこかの画廊に置いてあるような作品はちょっとしらけます。この速水史朗の「SAPPORO'90」なんか、素晴らしい存在感を示していてぐるぐる回ってしまいました。
速水史朗

砂澤ビッキの「四つの風」は、もともと4本の木の柱が立っていました。音威子府でもそうですが、倒れて朽ち果て、形がなくなることが想定済みなので、一切なにも手を付けておりません。最後の1本も間もなく倒れることでしょう。
砂澤ビッキ

ちょうど写真展「四つの風〜砂澤ビッキの創作世界」が東川町で開かれています。8月7日までなので、旭川周辺の方はぜひご覧下さい。撮影した井上浩二さんは、一時花新聞の編集長をされていた方で、退職後も精力的に活動を続けていて案内を送ってくれます。
写真展

「佐藤忠良記念子どもアトリエ」は初めて中に入りました。忠良さんのデッサンが好きで、一万円もするデッサン集を独身時代からいつも眺めていましたが、ほのぼのした小品が並んでいてとてもよかったです。
佐藤忠良

アールブリュット

  • 2022.03.11 Friday
  • 05:41
町中に出かけたついでに、あるギャラリーに寄ってきました。場所は時計台のすぐ北側の北2条通。ウイングビルの1階にあり、歩道から直接入ることができます。
案内

昨日は天気がよかったので、ギャラリーの中にも燦々と日が差して眩しいくらい。ここは電気屋さんがやっているようで、ちょっと不思議な作りになっていました。
ギャラリー

出品している9人は、それぞれ年齢もバラバラだけど、本当に個性的でとても面白いのです。
ホール

中でもこのネコのシリーズは抜群で、筆致の確かさが半端なく素晴らしかった。絵はがきも売っていたので、ここにはないネコの絵も全部買ってしまいました。
オージ

アールブリュットは、狭義には「障がい者のアート」とされていたことも多いのですが、「生のアート」という意味で使われるのが本来だとされています。ブレインズの交流会にによく参加されていた津別のOさんは、『活汲(かっくみ)アールブリュット美術館』を作られていて、一度行って見たいと思いながらまだ果たせないままになっています。
日高

自由に伸び伸びと描いた絵が、こんなに生き生きとしているとは。そういう機会を作ってくれている方たちの活動こそが、素晴らしいと言えるのかもしれません。

グラフさっぽろ

  • 2022.03.07 Monday
  • 06:05
グラフさっぽろはあと3冊残っているのですが、紹介するほどのものがだんだん少なくなっていきました。1990年の第9号は「札幌のデザイン」。あんまり面白いのが載っていませんでしたが、私が関わったものがいくつかありました。

  札幌のデザイン

二番街商店街の整備は、地下鉄東豊線の開通に合わせているので、1987年の冬工事です。商店街は全部桜にしたがっていましたが、それをなんとか説得し、1/3をシナノキにすることができました。桜はすべて十勝から、シナノキは札幌近郊から1本ずつ確認して歩きました。施工時はちょうどキリンビールの温室の施工をやっていたため、夜間工事の開始時の9時に現場に行き、作業の指示を出すことに。毎日6時過ぎに家を出て千歳に通っていたので、よく身体がもったものだと思います。これは整備後三年の姿になります。
二番街

庭園紹介に出ていたのが、親方が設計して私たちが管理をしていたKさんの庭園。個人庭園としては結構広かったけれど、落ち着いた雰囲気の庭でした。親方がデザイン協議会に入っていたので、こういうセレクトになったのでしょう。
河田さん

これに対して洋風庭園としてあげられていたのが、真駒内に今もあるIさんの庭園。私が植木屋を辞めた年に作った最後の庭の一つで、思い入れがけっこうあります。あんまりいい写真ではありませんが、こんなところに紹介されていたなんて、全く記憶がありませんでした。
井上さん

第10号は「札幌の公園」で、全く面白い記事もなくてスルー。1992年の第11号は「札幌の道」。今となっては時代を偲ぶよすがになる4プラが写っています。

  札幌の道

ここにはちょっと懐かしい写真がありました。南10条にあった新通市場です。72年に入学し、大学のすぐ前の下宿に入ったのですが、なんだか来客が多くて落ち着きません。半年で我慢しきれなくなり、この近くのアパートに引っ越したのです。中島公園の駅からいつも歩いていたので、ここはよく通りました。それから20年ほど経っているけれど、まだ賑わっていたのですね。今はほとんど店もなくなり、名残を探すのも難しい程です。
新通市場

これは道庁前のイチョウ並木。まさかここの整備に関わることになるとは夢にも思いませんでしたが、いろんな時に写真は撮していました。整備前の姿としてはいい記録になると思います。
道庁前

照葉樹林文化

  • 2022.03.06 Sunday
  • 05:49
先日ツバキの原稿を書いている時に、久しぶりで「照葉樹」という言葉を使って懐かしく思いました。日本の森林帯は、この図のように南から照葉樹、落葉広葉樹、針葉樹と三つに分けられるのが一般的でした。照葉樹とは常緑広葉樹と言っても同じですが、ツバキやタブノキ、クスノキなど、葉にクチクラ層が発達してテカテカしているので、照葉樹というのがより分かりやすかったのです。
森林帯

この照葉樹林は、日本だけでなく中国南部からヒマラヤの麓まで「東亜半月孤」と呼ばれる地域に続いており、ここに発達した文化がかなり近接していることから、京都大学のグループが現地に入って、植生や栽培植物、食物の加工法、様々な文化や習慣などを詳細に調べていったのです。
照葉樹林帯

彼らは今西錦司をヘッドにした京大人文科学研究所のグループで、中尾佐助、佐々木高明、上山春平などを中心に、『照葉樹林文化論』を展開していきました。70年代、ちょうど学生から卒業したあたりにかけて、たくさんの本が出てきたので夢中になって読みあさりました。
照葉樹林文化

彼らは様々な分野から構成されていたので、農学系の人達は栽培植物の起源を世界中で調査し、それらがどのように伝搬していったかを調べていきました。もちろん作物だけでなく、それらをどのように料理・加工していったかも当然調べられています。
栽培植物・料理

我が国の縄文文化や弥生文化が、どのように重なり合っていったのかすら、いまだに明快な答えは見えていないし、日本人が大陸系や北方系、そして南方系など、様々な人達が入り交じって成立していったのかも全く解明できておりません。そんな中に、日本人の風俗や習慣の中にこの様な文化が横たわっているという仮説を提起したことは、本当に画期的なものだと思います。引っ張り出した本を、ついあれこれ斜め読みしては、昔の興奮を思い出してしまいました。
栽培植物の起源

暁の宇品

  • 2022.01.07 Friday
  • 05:50
先月半ばの新聞に、第48回大佛次郎賞受賞の記事がありました。普通なら読み飛ばしてしまうのですが、題に「宇品(うじな)」とあったので、思わずなんだろうと読んでしまったのです。宇品とは広島の海の玄関口の港で、近くにある江田島や似島に渡る定期船だけでなく、松山と結ぶフェリーや高速船が出ています。飛行機を使わずに松山から関西方面に出る場合、フェリーに乗って広島に渡り、広島駅から新幹線に乗るのが一番早いのでよく乗りました。そんな宇品でなにがあったのか?
大佛次郎賞

広島が軍都だったことは知っていましたが、宇品に陸軍船舶司令部という組織が置かれていたことは全く知りませんでした。この書評を見てすぐに注文を出し、年末近くに届いた本を、年賀状書きに疲れた時にちらちら読み始めました。5名の選者がみなさん絶賛する筆致の確かさもあり、内容は極めて重たいのに、本当に読みやすかったのです。

書評

筆者はその司令官が残した大量の資料を丹念に読み解き、あの戦争の真実を見事にあぶり出していきました。400ページ近く、かなりのボリュウムの本でしたが、実質は三が日だけで読み切ってしまいました。如何に軍の指導者たちが、兵站を無視して戦線を拡大し、無防備の輸送船ごとたくさんの兵士の命を奪い、ジャングルの中で餓死していったのか、なぜ広島に原爆が落とされたのか、その事実を明らかにしてくれる本でした。

暁の宇品

これが気になったのは、いつも読んでいるビッグコミック オリジナルに連載中の「昭和天皇物語」と同時進行だったからかもしれません。これは昭和の歴史探偵と呼ばれた半藤一利さんの「昭和史」が原作で、氏が監修もされていましたが、ちょうど一年前に亡くなられてしまいました。このコミックの内容と「暁の宇品」が見事にシンクロして、無謀な戦争に国民を巻き込んでいったのかをあぶり出してくれたのです。興味のある方は、是非一読してみて下さい。

昭和天皇物語

古本屋

  • 2021.12.15 Wednesday
  • 05:49
昨日もあれこれ用足し日で、事務所近くの銀行やら郵便局やら時計屋やらをうろついてました。朝はツルツルだった路面もすっかり融けて、また雪のない世界に戻ってしまいそう。お昼をおか田で食べて戻る途中、いつもは見ない振りをする古本屋に、なぜか引っかかってしまいました。もう本の置き場はないし、今からあれこれ買うのはやめようと、本屋も古本屋も避けていたのですが…
並樹書店

吸い込まれるように入っていくと、ここは道内ものがかなり多く、けっこう掘り出し物を買ってきてところだけに、ついつい見入ってしまいます。この店はその昔、ススキノ近くにありました。南行き西5丁目通の、南4条の手前にあったので、飲みに行く前にはよく入ってたし、いろいろ買った本も多いのです。聞いてみるとこちらに移転して35年ほど経つとか。
北海道関係

見るだけだぞ!と思っていたのですが、ちょっと懐かしい本が。著者のY先生は隣の園芸教室の助教授で、野菜関係の授業でお世話になりました。同期会にもよく来てくれて、いつも手品を披露していたのですが、もうお亡くなりになっています。黒百合会という絵画のサークルの顧問を永らくやっていて、植物関係のスケッチ本は持っていたのですが、この風景画の方はもっていなかったのです。定価の半分以下だからまぁいいやと、買ってきました。
八鍬さん

20丁目の交差点を渡ると、角の店の前にかわいい花が。こんなグレーシーズンでは、ちょっと花があるだけで、周りがぱあっと明るくなります。
街角

本州以南だと露地で冬を越せるシクラメンやプリムラ類やキンセンカなどは、北国のグレーシーズンを飾るのにはちょうどいいのです。でも気温の下がる夜は取り込まないと傷むので、出し入れが面倒だからあまり飾らないけれど、ここの店は毎年きれいに飾ってくれるのがうれしいです。
シクラメン

いつも出てくる円山小前の民家の軒先。スイートアリッサムがまだまだ大丈夫と、雪の中からけなげに咲いていました。またしばらく降りそうもないので、陽だまりを彩ってくれそうです。
スイートアリッサム

4プラのポスター展

  • 2021.12.09 Thursday
  • 05:45
先日こんな葉書が届きました。ちらちらニュースになっていましたが、4プラが来年1月末で閉館するのです。ここの社長はよく知っているので、葉書を送ってくれたようですが、これまでのポスター展をやるというので、始まるのを待っていました。
   葉書

地下2階のにしりんを使って、4プラの歴史と初期のポスター展をやっています。既に閉館売り尽くしセールが始まっているので、たくさんの人が地下街から流れてきますが、ここに入る人はほとんどいません…(>_<)
にしりん

オリンピック前の札幌は、最初の受験に来た時にちらっと歩いた程度なので、ほとんど記憶がありません。このあたりも地下鉄の工事でグチャグチャになっていて、三越の入り口脇に長靴洗い場があったのは、なぜかよく覚えています…(笑)
4プラ

初期のポスターは、ほとんどが写真なのが今となっては不思議ですが、まだデザインする段階まで行っていなかったのでしょうか。
初期のポスター

7階までエスカレーターで上がっていくと、こちらはかなりユニークなポスターばかりです。私がこの辺りをうろついていたのは、70年代後半から80年代でしょうか。88年に転職してからは、飲みに出る回数もガクンと減っているので、90年代以降のものはピンときませんでした。
7階

なんといっても懐かしかったのが自由市場でしょう。知り合いがいろんな形で関わっていたので、他のフロアの記憶は全くありませんが、ここにはよく出没していました。
自由市場

左奥にあった中古レコードの Records-Records (通称レコレコ)にしょっちゅう来ていたし、4プラホールでは演劇が定期的にやられていたし、うーーん懐かしいなぁ…(T_T) 来月いっぱいやっているので、もう一度見に来たいです。
マップ

外に出て外観を撮そうとしたら、ちょうどポラリスが行き違いを。この風景は新しいものですが、すっかり町になじんでしまったようです。いろいろと自分が関わったものが、この町に定着しているのは不思議な感覚です。
ポラリス

三越前から見た4プラは、やはり存在感があります。札幌の街角の風景では、ススキノのニッカのネオンと、この4プラの風景が一番札幌らしいと思います。4プラの50年は、私の札幌生活とダブっているので、これがなくなるのは寂しいですが、ここがこれからどんな風景になっていくのでしょうか。
全景

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