さっぽろ文庫

  • 2019.08.12 Monday
  • 06:00
先月の朝日新聞に、興味深い記事がありました。「文化育てたさっぽろ文庫」という記事で、毎年4冊ずつ発行され、25年でちょうど百冊の本になったさっぽろ文庫が紹介されていました。

新聞記事

私はその中で、3冊に文章を書かせていただきました。最初に声がかかったのは1991年発行の56号『花ある風景』です。この巻の編集長は鮫島淳一さんで、私も編集委員として呼ばれ、「街を彩る花」と「花風景の広がり」という二つの文章を書いております。

文庫

文章は大したことはないのですが、一つだけこっそり自慢にしていることがあります。カラーページの最後にこの巻にふさわしい絵を入れたいと木原さんに相談され、迷うことなく八木伸子さんを推薦しました。八木さんは家もすぐ近くでも、普段は挨拶する程度だけど、私は大ファンだったのです。本が送られてきた時にこの絵を見て、とてもうれしかった。『花ある風景』にピッタリの絵だと思います。八木さんには、会うたびにお礼を言われましたが、この絵はほしかったなぁ…(^^;)
  八木さん
その何年後だったか、なにかの席で鮫島さんにバッタリ会った時に、ちょうどよかった。書く人がいなくて困っているのが二つある。あんたならなんとかしてくれそうなので頼むよ!と押しつけられたのが、74号『わが街新風景』の三吉神社と西野緑道でした。境内で一時間くらいうろうろしながら構想を練り、一気に書き上げたのがこの文章でした。
  三吉さん

そして2002年には、いよいよ100号の完結編『北都、その未来』では、緑に関して好きなことをいてほしいとの依頼があったので、「町角の緑 市民の財産をつくろう」という8ページほどの文章を書きました。「緑から見た札幌の特性」、「緑は町の記憶」、「五感で感じる緑」と書き進んで、最後に「緑の聖域づくりを」提唱しています。格子状の街路に四角いビルを詰め込めば、まとまった緑は造ることができません。再開発のようなまとまった造成をする機会があれば、その一角に今後手を付けない空間を設定し、ハルニレのような何百年も生きる木によって緑の聖域(サンクチュアリ)を造れば、次の世代も繋がるものになるだろうと、後のハルニレプロジェクトに繋がる提案をしていました。

     緑の聖域
こういう場で提案したことが、実現することはないとしても、その時の自分の立ち位置をはっきりさせたという意味で、文庫は私の背中を押してくれたといえるでしょうか。「さっぽろ文庫」は図書館などには必ず常備されているし、電子本でも読めるので、興味のあるテーマを是非読んでいただきたいです。

町の本屋さん

  • 2019.06.27 Thursday
  • 05:29
大島行きの準備をしていて、ちょっと買い物が必要になったので、近くのスーパーの2階にある百均に行きました。すると通路の左側がすっかり囲われていたのにびっくり。本屋が改装でも始めたのかと思いました。

封鎖

すると真ん中あたりに貼り紙が。よく見ると、前日の24日になにわ書房の破産手続きの開始が決定され、破産管財人がこの物件を封鎖したことが書かれていたのです。いやはやびっくりでした。

貼り紙

なにわ書房といえば、札幌に来たての頃に、駅前通のグランドホテル前の店によく行ってました。その後は大通駅に直結した日之出ビル地下のリーブルなにわに、飲みに行く前は必ずといっていいほど立ち読みに。入り口近くにあった道内出版のコーナーが充実していたので結構本も買ってました。ネットで調べると、やはりネット通販で売上げが低迷と… 私はネットではほとんど買わず、専門書は町中の大書店で買うことが多いけれど、雑誌や普及書はほとんどここで買っていたのですが、焼け石に水でしょうねぇ。

新聞情報

そうなると、ポイントカードもゴミになってしまったようです。昨年500円分使っていたので、あまり残っていなかったのは幸いか。マルヤマクラス店はどこかが引き継ぐようだけど、東光ストア店はなくなってしまい、跡に本屋が入ることはもうないでしょうねぇ…

ポイントカード

本屋に限らず、このあたりでもコンビニや携帯電話店、ビデオ店、金物屋などが次々と閉店したばかりで、すっかり寂しくなりました。この辺りでも、こういう店舗はますます立ちゆかなくなっていくのでしょうか。

勇造ライブ2019

  • 2019.06.06 Thursday
  • 05:46
4日の夜には、昨年に引き続いて豊田勇造のライブがありました。夕方まで滝野公園にいたので、会場に着いたのは開演直前。ちょうど霧雨は上がっていました。
みんたる

バタバタしていて予約を入れてなかったら、前日の夜に勇造さんから電話があり、「りゅうくん!今年はきぃへんの?」と言われてしまいました。場所がよく知っている「みんたる」なので、そのうちと思っているうちに前日になってしまったのです。中に入るとほぼ一杯になっており、その中に懐かしい顔が。昔の呑み仲間でもあり、仕事も一緒にやっていたKさんが、現在住んでいる信州からやって来ていたのです。なんと27年振りの再会で、すぐに盛り上がってしまいました。
ちらし

前座には、主催者でもあるIさんが2曲歌い、勇造さんの登場です。最初の出合いから43年も経っているのが信じられないくらいで、昔からあんまり変わっていないように感じてしまいます。当然歌にも深みが加わっているだろうし、ギターも凄みが出ているのは間違いないけれど、勇造さんの歌は本当に体にしみ込んでいく感じ。

熱演

休憩を挟んで約2時間近くの熱演で、大いに盛り上がっていきました。初めてという方も結構いたとのことでしたが、勇造さんの歌は、時間や世代やいろんなものを超越していると感じます。アンコールをたっぷり2曲歌い上げ、終わったのは9時過ぎておりました。

アンコール

勇造さんは7月になんと70歳になります。60歳の時にも6時間60曲ライブをやったそうですが、今度は3時間半で70曲コンサートをやるとのこと。暑い京都なので体が心配ですが、いつまでも若々しい勇造さん、がんばってなぁ!

70歳記念ライブ

葛の布 帯展

  • 2019.05.09 Thursday
  • 05:49
6日から開催されている『渡邊志乃 葛の布 帯展 −無地とその周辺』に行ってきました。場所はちょっと分かりにくく、目印の赤い看板を見落として一度通り過ぎてしまいましたが、旭丘高校のバス停すぐ近くにあるギャラリー門馬です。
ギャラリー門馬

葛から糸を取り、それを織っている方は道内では渡邊さんお一人、全国的に見ても静岡県に三人いらっしゃるだけだとか。身近にある葛のつるは強靱なことから、籠などを作るのは知っていたけれど、葛の糸からこんな帯ができるなんて。帯一本織るのに何と一ヶ月以上、一日せいぜい30cmほどなので、「一日一尺」なんだそう。大変な手間と努力が必要なのです。
帯

縦糸には絹糸を使用し、横糸に葛の糸を使って織り上げるそうです。それらがなんとも優しい色に染め上げられていました。もちろん草木染めによって染められており、ドングリやアカソ、ヨモギ、フジ、アイ、アカネ、なんとフキノトウなど、身近にある植物などが、様々な媒染剤によって微妙な色合いに染め上げられているのです。
草木染め

渡邊さんは富丘に住んでいて、富丘西公園の作業にも数年前から参加されていました。昨年の夏、スズランの生育を抑圧してしまうススキを刈り取っていたところ、刈り取ったススキをもらっていいですか?と聞くので、どうぞどうぞ、どうせ捨てるものなので結構ですが、一体何に使うのですか?と聞いて、初めて葛の糸を取り出すのにススキが必要なことが分かりました。ススキでムロを作り、その中でクズのツルを発酵させて繊維を取り出すのです。(渡邊さん提供の画像から)

ススキ 発酵

そうやって取り出された繊維を川で晒していくと、生成りのやさしい色合いになっていくそうです。昔の人がいろいろと試行錯誤して、このような方法にたどり着いたのでしょうね。
  水晒し

できるだけ細く裂いた繊維は、撚らないでそのまま特殊な結び方で繋ぎ合わせていき、ようやく糸になっていきます。さらにこれを染めていく訳ですから、大変な手間がかかっているのです。
葛の糸

今どきこんな作品を作っている方が、身近なところにいるなんて、ある意味大変幸せなことかもしれません。このやさしい色合いと、しっかりした手触りを感じていただきたいと思います。
 案内

札幌市立高専

  • 2019.03.26 Tuesday
  • 05:44
年度末を迎え、仕事の方の目途が立ってきたので、暇を見つけてはデスク周りや書類の整理を始めました。この時期にやっておかないと、年度途中では絶対に手がつけられなくなってしまいます。事務所内にいったいどれだけの紙が入っているのか、想像するのも怖いくらいですが、今はデータを簡単に電子化できるので、できるだけ紙を残さないようにしなければなりません。

そんなことをやっていて、書類棚から思わぬものが出てきてしまうと、ついめくって見てしまいます。札幌市立高専の開学してまもない頃のパンフレットなどが、一束出てきました。
  市立高専

中を見てみると、開学したのが1991年で、最初の卒業生が出る96年頃に作られたものでした。この年にはちょうど滝野公園の仕事をやっていたし、ここの先生方には環境デザインだけでなく、建築や彫刻などいろんな知り合いがいたので、帰り道になんやかやと立ち寄っていました。その頃の先生方はみなさん退職されてしまったので、最近は全然行ってないだけに、こんな写真を見るとなんだか懐かしくなってしまいます。
バーズアイ

初代校長は建築家の清家 清先生で、先生の考え方が組織作りや校風にも大きく影響していたようです。建築・環境・産業・工芸・彫刻・絵画・情報・視聴覚の8つの分野が、お互いに影響し合いながらデザインし、最終的には芸術に収斂していくこの模式図は、本当に見事にここの性格を表していました。
しくみ

高専なので、16歳で入学した後は、受験勉強に消耗することなく、伸び伸びとそれぞれの特性を磨いていき、専攻科まで行けば学士になれるという、ある意味かなり恵まれた環境だったようです。最初の卒業制作集も入っていましたが、なかなかの力作ばかりだし、おやこの人も!なんて、今も活躍している方の名前を見つけてしまいました。初期の卒業生からは、今でも多方面に活躍している人が多いし、開学したての熱気の中で伸び伸びと力を蓄えていったのでしょうね。
作品

庭園・美術館巡り

  • 2019.02.23 Saturday
  • 05:54
庭園美術館のスライドを探していて、一緒にあちこちの庭園や美術館にも行っていたのに気付きました。87年9月24日には日本民藝館、26日には古河庭園と世田谷美術館、そして27日に庭園美術館と続いていたのです。25日が抜けているし、まだ探せばでてきそうですが、なんでこんなに東京をほっつき歩いていたんだろう??としばし考えていて、ようやく思い出しました。確か9月20日くらいで前の植木屋を辞め、10月1日から建設コンサルタントに出社するので、わがままを言って旅に出たのです。幼子二人をかみさんに託し、友達の家を渡り歩いて、ずいぶんと呑気な旅をしていたのですね…(^^;) 本当に感謝です〜

このころアールヌーボーやアールデコに凝っていたけれど、同時に民芸にも強い関心があり、京都の河井寛次郎記念館に半日近くいたこともありました。民芸館は駒場の住宅地の中にあり、もう一度行って見たいと思いながら、なかなか再訪できないでいます。
日本民藝館1

ここには、河井の作品に合わせて濱田庄司や柳宗悦が集めた様々な民藝品が置かれていて。なかなか見切れないボリュウムだったかと。
日本民藝館2

26日には、前日から高校時代の友人宅に泊まって、歩いて世田谷美術館に行った記憶があります。後ろに見えるゴミ焼却場の煙突は、今は素敵な色に塗り替えられましたが、東京ゴミ戦争の結果、区内に焼却場を造らざるを得なくなり、この後ろに建設されたものでした。
世田谷美術館1

ここでは、なんとディヴィッドナッシュの展覧会が開催されていて、ものすごく興奮したことを思い出しました。その3年前に新婚旅行で福岡に行った時に、たまたまナッシュの展覧会を見て感動していたのです。ちゃんと記録も残っていました。
世田谷美術館3

その日は北区にある古河庭園にも行ってます。ここはもともと陸奥宗光の屋敷として造られ、息子が古河家の養子に迎えられたので、古河家の邸宅になったものです。武蔵野台地の端っこになるので、地形差が大きく、なかなか面白い庭園です。石造りの屋敷の中の記憶はなかったなぁ。
古河庭園1

ちょうどお彼岸過ぎなので、ヒガンバナがたくさん咲いていました。なかなかこの季節に本州に行かないので、しばらくヒガンバナも見ていないです。
古河庭園2

ここは和洋双方の庭園があり、どちらも完成度の高いものでした。庭園美術館とここは、戦前の邸宅の雰囲気をそのまま残している、貴重な遺構と言えるでしょう。
古河庭園3

この時には、原美術館や新宿御苑にも行ってたはずなので、どこかにスライドが埋もれていることでしょう。これだけ回れたのも、35歳の若さがあったからでしょうが、貴重な経験をしたものだと思いました。

アール・ヌーボー&デコ

  • 2019.02.22 Friday
  • 05:52
ロフトでごそごそ捜し物をすると、毎度なにかを発掘してしまいます。今回出てきたものは、かつてパルコの3階にあった「CLIFFORD GALLERY」のカタログでした。この頃のパルコには、パルコブックセンターがあり、他の本屋にはない本がたくさんあったので、しょっちゅう行っってました。
クリフォードギャラリー

ずいぶんと凝った作りのカタログを見ると、1986年11月のオープン特別企画の招待券が。なんでこれをもらったのか、全く記憶がありません。この椅子は、1900年頃のイギリス製で、ウィリアム・モリスの布張りだとか。ガチョウの首の花瓶やランプは、1925年のティファニー作なので、アール・デコの全盛時代に作られたもののようです。
カタログ

その中に、88年3月のミュシャ展の葉書も入っていたので、この時がミュシャとの出合いになった可能性が高いです。この頃はアール・ヌーボーからアールデコにかけて、いろいろと懲りまくっていたように思います。
ミュシャ1 ミュシャ2

それならと、事務所に置いてあるスライドを探してみると、やはりありました。1987年9月に東京都庭園美術館に行った時のスライドです。ここは目黒の自然教育園の一角になっていて、どちらも何度か行ったことがあります。この門扉や埋め込まれた明かり窓からして、ずいぶんと凝った造りになっていました。
門扉

ここは旧朝香宮邸跡地で、朝香宮がフランスに留学していた時がアールデコの全盛時代にあたり、アール・デコの粋を尽くした建物となっています。スライドは庭園部分しかないので、なんでかな?と思っていたら、やはり見つけたカタログを見ると内部の写真撮影が禁止になっていたのでした。昔の一眼レフなら、ポケットに忍ばせて…なんてことは出来なかったからねぇ…(>_<)
浅香宮邸

カタログを見て少しずつ思い出しましたが、このガラスは迫力がありましたねぇ。他にもたくさんあったけれど、この冊子は全然いいところを撮していなくてがっかり。撮影禁止にするのなら、もっといいカタログにしなくちゃ。
ガラス

品川の原美術館も来年閉館になると言うし、昔通ったところをもう一度しっかり見直しながら歩きたくなりました。
庭園

彫刻美術館

  • 2019.01.15 Tuesday
  • 06:00
昨日は早仕舞して、かみさんと二人で札幌彫刻美術館へ。17日まで『本田明二展』があるので、またぎりぎりになって飛び込みました。本田さんの展示会は、これまでやっていなかったのかな?本郷さんの後輩にあたり、親しく製作の手伝いもやっていた方で、野外彫刻もたくさん残しています。
サイン

園庭に雪像を作るためか、雪の塊がたくさん。あとで聞いてみたら、月末(25日から27日)に「さっぽろ雪像彫刻展」という催しがあるそうです。雪まつりの雪像とはまた違う、彫刻家による「作品」のようですよ。
雪像づくり

半分くらいは木彫で、これほど力強い作品を残されていたのに、かなりびっくりさせられました。シンボルともいえる『馬碑』はカツラ材を彫ったもので、さすがに迫力満点でした。
馬の首

初期の木彫作品を、よくこれだけ手元に残されていたものだなぁと見ていくと、素晴らしい作品ばかりなのにちょっと感激。無心に彫っていた時期のものの力強さに、二人とも心底圧倒されてしまいました。
木彫

彫刻美術館は、今日は休み明けなので休館日ですが、16,17日はやっています。興味のある方はぜひご覧になって下さい。
案内

帰ろうと外に出ると、もう薄暗くなっていましたが、冬至の頃に比べれば、少し明るくなったような感じです。筋向かいにある屋敷の冬囲いは、私も若い頃にやっていたので、あのしんどさと、やり終えた時の達成感を今でも思い出してしまいます。
冬囲い

拓本を採る

  • 2018.12.06 Thursday
  • 06:00
先日紹介した、西安碑林博物館の拓本。教えられるまで私には全然価値も分からず、送っていただいた方には申し訳ない思いでした。一応書き下し文を読んで、どのようなことが書かれているかは把握できたけれど、石に彫っておけば、二千年近くの時間を経ても、ちゃんと形が残っていることには驚きです。その意味では、千年も昔に石碑を集めた『西安碑林』を作った方はすごいと思いました。
西安碑林

この拓本は、博物館のミュージアムショップで売られているものでしょうか。布張りの紙の箱に収められ、中国だから和紙とはいわないでしょうが、かなりごわごわした紙質です。幅が27センチ、長さが80センチ近くの、石碑としてもかなり小さなものでしょう。そもそも、拓本とはどのように取るのかも、全く知識を持っておりませんでした。
蘭亭序

ネットで検索すると、金木和子先生の拓本の採り方が YouTube に公開されていたので、それを紹介させていただきます。
拓本1

和紙を碑面に当てて仮留めしておき、濡れタオルで紙を濡らしながら、ズレのないように伸ばしていきます。
拓本2

全体をきっちり貼り付けると、手ぬぐいを当てて破れないよう、ブラシで細かく叩きながら、文字の部分を凹ましていきます。深いものだと却って大変そう。
拓本3

墨を打つためのタンポは、綿を丸めて木綿で包み、いろんな大きさのタンポを作るのだそうです。こうしてみると、タンポポの語源が「タンポ穂」だというのは納得してしまいます。
タンポを作る

秘伝の墨は、ほんの少しずつ付けて、繰り返し繰り返し叩いていきます。これが一番の決め手になるのですね。こうしていくと、凹みには墨がつかず、平らな面がだんだん黒くなっていくのです。かなり根気のいる仕事でしょう。
墨を打つ

仕上がる頃には紙はすっかり乾いているので、破れないよう慎重に剥がしていきます。小さな文字であれば、簡単に剥がれそうです。
紙を剥がす

碑面に墨を塗って取れば裏返しになるので、どうやって採るのか、昔から不思議だなと思っていたのですが、これで疑問が氷解しました。これだと、碑面には水しかつかないので、汚すこともなくきれいな拓本が採れる訳です。金木先生、どうもありがとうございました。
拓本の完成

写真で撮しても、碑文はなかなか読みにくいものなので、このように拓本を採れば一目瞭然です。読めるかどうかは別として、書聖と呼ばれる王羲之の最高の書を、こうして間近に見ることのできる幸せを、改めて感じています。

フローラ ヤポニカ

  • 2018.11.26 Monday
  • 05:40
北大では、総合博物館で12月9日まで行われている『フローラ ヤポニカ北海道植物画展』を見てきました。総合博物館はもとの理学部で、重厚な造りが博物館にはピッタリです。館の外にまで、展示の案内がありました。
総合博物館

昨年イギリスの王立キュー植物園で開催された、ボタニカル アート展「Flora Japonica」が好評だったことや、それの帰国展が国立科学博物館で行われ、これもまた大変好評だったことを受けて、道内から選ばれて展示されていた早川尚さんと、福澤レイさんのお二人の作品を中心にして、この展示が企画されたものです。
案内

玄関を入ってすぐ目の前にある受付案内の左手を通り、暗い廊下の向こうにぽっかりと広がる部屋が、展示場所になっていました。会場内は撮影禁止なので、残念ながら紹介できませんが、お二人の素晴らしい植物画が40点も飾られています。

展示会場

お二人とのつきあいは、20年ほど前に芸術の森で行われた植物画の制作以来で、毎年の展示会もなるべく見に行ってます。早川さんは植物園後援会の会員で、植物園の植物を描いたポスターや、今回も展示されている、須崎忠助植物画集の解説の一部を担当されていました。

  須崎忠助

福澤さんは、ちょうど今年「野の花の調べ」という素敵な植物画集を出されたばかりです。自然雑誌 faura に5年も連載されたものをまとめたもので、書店に並べられていますので、ぜひご覧になっていただきたいです。(3,000円+tax)
  野の花の調べ

会場にはお二人の作品だけでなく、須崎忠助の作品や、舘脇操先生が描いた花を分解したスケッチも展示されていて、なかなか興味深いです。館内の展示はじっくり見れば半日はかかるほどですが、興味深いものもたくさんありますので、天気のいい日にぜひお出かけ下さい〜

植物画の季節

  • 2018.11.05 Monday
  • 05:30
この時期には、植物画の展覧会があちこちで行われています。北海道植物画協会展は、最近案内が来ないものだから、また行き損ねました。毎年10月最終週に時計台ギャラリーで行われていたのですが、あそこがなくなってしまい、昨年からアートスペース201でやっていました。
ちょうど案内が来たのは、10日から始まる『フローラ ヤポニカ北海道植物画展 (早川 尚、福澤 レイ)』です。お二人は、下記の案内にある通り、北海道を代表する植物画の大御所で、作風は少し異なりますが、とても素晴らしい作品を生み出してきました。
植物画展

場所は北大構内の、北海道大学総合博物館(旧理学部)で、11月10日から12月9日までの一ヶ月です(月曜休館)。博物館は、とても中身の濃い展示がたくさん並んでますので、ぜひご覧いただきたいです。
    案内

早川さんが主催する「ボタニカル アート フロス展」も、11月20日から25日の6日間、南1西3のラ・ガレリア5階のさいとうGallery で行われます。生徒さんの作品も、やはり先生の作風に影響を受けるものです。こちらは町中の1番街なので、お出かけの際には是非お立ち寄りください。

  フロス展
   案内

昨日は午前中、事務所の片付けに精を出しました。9月10月がぐちゃぐちゃの予定だったので、書類やデータも混乱の極みになっていました。これから始まる内業の季節前に、いったんリセットしなければなりません。午後からは自宅に戻り、家の回りや物置の整理を。暗くなる前になんとか片付けることができました。

そしてこの時期の恒例行事のジャム作り第一弾。今年は台風でリンゴの落果が多く、だめかなぁ…とあきらめていたけれど、仁木のY農園からいつもの紅玉が届きました。ありがたいことです。
紅玉

今年のリンゴは水分が少し多いようで、却って火の回りが早く、甘酸っぱいいいジャムができました。2歳になったばかりの三人の孫たちは、「じじ印ジャム」がみんな大好物なので、夏に作ったブルーベリージャムと共に、さっそく送ってやらねば♪
ジャム

富士山

  • 2018.08.31 Friday
  • 05:26
さくらももこさんが、8月16日に乳がんのため、53歳の若さで亡くなられたと、27日に公表されました。以後、さくらさんを悼む声が様々なメディアからあふれ出し、作品は売り切れが続出して各社が大増刷を始めたとのニュースも。
90年代に「ちびまるこちゃん」がテレビで始まった頃は、我が家でもたいてい見ていました。誰しもが、自分の子供の頃のことを思い出しながら、知らずに比較していたのかもしれません。我が家には、2000年に発売された『富士山』が残されています。わざわざ買いに行ったのではなく、本屋巡りをしていてこれを見つけ、あまりの面白さに引き込まれて買ったものでした。
富士山-1

これは、さくらももこ編集長が雑誌を作るという企画ながら、結局は企画、取材、記事の執筆、イラスト、漫画まで、すべて一人でやってしまった『さくらももこワールド』になりました。売れっ子作家ながら、一年間に4冊も発行したのですから、三十代前半の一番脂の乗りきった頃だったのでしょう。ちびまる子ちゃんの描き下ろしも載っていて、思わず読みふけってしまいました。
富士山-2

そういえば、友蔵の声優が亡くなって声が変わった頃から、テレビではあまり見なくなったような気がします。これを読んでいると、初代友蔵の声が聞こえてくるから不思議です。
富士山-3

永沢、藤木、山根、小杉の四人の突撃インタビューを見ていると、当時の番組が蘇ってくるようです。父ヒロシを始め家族はそのままだし、同級生だった長谷川健太のような実在人物と、ガロによく描いていた花輪和一から取った花輪君のように、架空の人物が混じっていたまるこちゃんは、誰しもより身近に感じられてしまったのでしょう。
富士山-4

全く新しい漫画の世界を見せてくれたさくらももこさん。本当にありがとうございました。安らかにお休み下さい。

追悼 アレサ・フランクリン

  • 2018.08.18 Saturday
  • 06:01
アレサ・フランクリンが亡くなったというニュースは、覚悟していただけに寂しいものでした。女性ボーカルでは、クィーン・オブ・ブルーズと呼ばれたダイナ・ワシントンに次いで、たくさんのレコードやCDを持っているでしょう。でも一番輝いていたのは、存在を知った80年代だったかもしれません。

朝日記事
 (朝日新聞DIGITALより拝借… m(__)m)

父が有名な教会の牧師であり、母もゴスペル歌手として活躍していたので、自然とその道に入っていったようです。どこまでダイナの影響を受けていたのかは分かりませんが、ダイナが亡くなった1963年12月のすぐあと、追悼アルバムを出しているところを見ると、少なくとも周囲は、その後継者として育てたかったのかもしれません。
ダイナ追悼

それまで所属していたコロムビアレコードから、ジャズやソウルのレコードを活発に出していたアトランティックに移籍し、早速出した「I Never Loved a Man the Way I Love You (邦題:貴方だけを愛して)」(1967)が大ヒットし、一躍クィーン・オブ・ソウルとして人気が爆発しました。
貴方だけを愛して

活躍したのはやはり30歳から40歳代で、ちょうど50歳の時に出した「Queen of Soul: The Atlantic Recordings」という4枚組約100曲入りのCD盤が、いわばアレサのベスト盤で、これ以降はぶくぶくと太り始めたこともあるし、目新しい試みもなく、何枚かCDを持っているけれど、あまり聴くこともありませんでした。

Queen of Soul

ゴスペルがしっかりと身に染みついている歌手は、きっともう出てこないのかもしれません。R&Bの全盛時代をかろうじてかすった私にとって、エスター・フィリップスやアレサ・フランクリンの歌声は、私のソウルに染み込んでいるかけがえのないものとなりました。ただただありがとうと言いたいです。

田中一村

  • 2018.08.07 Tuesday
  • 05:50
日曜美術館で、『田中一村』の特集をやっていました。滋賀県にある佐川美術館で、生誕110年の展示会が開かれているのだとか。田中一村(いっそん)は、NHKのディレクターが、名瀬市のダイバーの家で偶然目にした一枚のデッサンによって、その存在が明らかになり、1985年の春に日曜美術館で取りあげられました。私たちもそれを見て、全身を打たれたようになりました。これほどの衝撃を受けた作家は他にはおりません。その後NHKには問合せが殺到し、やむなく日本放送出版協会が、あるだけの資料で急遽まとめたのが、この「NHK日曜美術館 黒潮の系譜 田中一村作品集」だったのです。
作品集

美術書は二人合わせるとかなりの数を持っていますが、こんなに引っ張り出されるものは他にはないでしょう。日本画特有の音のない世界に、知らぬ間に引き込まれてしまうのです。
アダンの木

墨絵の世界かと思いきや、片隅にひっそりと真っ赤なサンタンカが顔を覗かせていたり、計算ずくで描き込んでいるはずだけど、何かの偶然の所産かと思わせてしまう不敵さ。この書にあるように、絵を描くことに全身全霊を傾け続け、本当に厳しい一生を終えた方だったのです。
奄美の杜

今回の放送では、一村がよく顔を出していた魚屋のおばあさんの証言がありました。こんなブダイをよく描いていたのだそう。でも絵に仕上がってみると、ブダイの上には夜香花(ナイトジャスミン)が枝をそっと伸ばしています。この枝一つで、毒々しい魚が静かになってしまったかのよう。
熱帯魚3種

この本には、10年後の1995年10月15日に、旭川美術館に見に行った「田中一村の世界」展や、さらに2004年の5月に大丸であった展覧会にも行った記録が挟まっていました。もう一度くらい本物を見る機会がありそうですが、それまで何度も、この本を引っ張り出すことになりそうです。

歌旅日記

  • 2018.06.13 Wednesday
  • 05:45
そういえば、勇造さんの本があったなぁとロフトを探してみると、ありました!『歌旅日記』という本です。出版社は「プガジャ」といわれたプレイガイドジャーナル社で、1981年3月の発行になっています。
歌旅日記表紙

中にしおりのように折り込んだ手紙が挟まれており、勇造さんからの贈呈本だったのです。それで思い出しました。
  手紙

それが挟まれていたのが、真ん中あたりにある日本編の中表紙。この写真を提供したお礼に、送っていただいたものだったのです。勇造さんと一緒にカレーを食べているのは、当時植木屋時代の先輩であるSさん。彼は京都の生まれ育ちで、歳も勇造さんと同じだし、拾得辺りも出没していたので、よく知っていました。(この写真も無事発掘できました。)
中表紙 写真

歌旅日記のその日(1980年9月12日)のページを見てみると、前日に函館から札幌に移動。今はニセコに住んでいる梅本さんのところに泊まり、「昼過ぎ北海道新聞のインタビュー。ちょっとピント外れの記者やさかい、こっちからいっぱいしゃべる。どれだけ記事になるものやら。エルフィンの表で昼飯。ええ雰囲気で食える。カレーの大盛りと生野菜。」とあります。
エルフィン前

『ええ雰囲気』でギターを弾いている31歳の勇造さんを、このように記録できたのはラッキーでした。私は28歳になったばかり。この春に植木屋に入ったものの、一年目は鉛筆もハサミも持つことが許されず、ひたすら土方で穴掘りばかりやっていました。50kgそこそこしかなかったやせっぽちが、半年経った頃には10kg以上太ってムキムキになり、ズボンもシャツも弾けてしまってすべて買い換えたことを思い出します。私とSさんは家がすぐ近所だし、車を持っていなかったので一緒に動くことが多かったのでした。うまく昼にサボって、こんなところで飯を食いながら、勇造さんの歌を聴いていたのです…(^^;)
  勇造さん

まだ独身だし、エルフィンに入りびたっていたので、勇造さんが来るのを聞いて昼を食べに来たのでしょう。(この頃のエルフィンの写真はこちらにも載っています。写真の日付は9月11日になっていたのですが…)この頃は毎年のように勇造さんを呼んでいたので、いろんなチケットが挟まっていました。38年も前のことを、昨日のことのように思い出してしまうものですねぇ。
チケット

勇造ライブ2018

  • 2018.06.08 Friday
  • 05:56
6日の夜には久しぶりにライブに行きました。若い頃にはあれほど入りびたっていたのに、50歳を過ぎたあたりから、とんと足が向かなくなったのは、歳のせいもあるけれど、ちょっと忙しくなりすぎたからねぇ… かろうじて行っていたのが、友人がやっていたスカイドッグブルースバンドや、今回の豊田勇造くらいでしょうか。勇造さんのライブは、わりとマメに行っていたのですが、このところの会場が東区の外れで、とても行きにくい場所だったので、しばしご無沙汰。ところが今年は北大病院前の「みんたる」に!ここは、娘が学生時代入りびたっていたところなので、面識もあったのです。
 案内葉書

記憶にあった場所と違っていたので、あとで聞いてみると、娘が信州に移り住む時にここで盛大な送別会があったのですが、その後まもなく現在のところに移ったのだそう。
みんたる

勇造さんは多少白髪が増えたものの、相変わらずどっしりとした存在感。柔らかい京都弁が独特の雰囲気で包み込んでくれます。すごくソフトな当たりだけれど、ひとたびギターを持つとその印象がガラッと。さすが、50年近くプロとして生きてきただけあって、そのパワーにはいつもながら圧倒されました。
勇造さん

勇造さんとの出合いは、76年5月6日に大谷会館であったライブから。これでいっぺんに虜になってしまいました。デビュー盤がこの「さあ、もういっぺん」で、翌年にも「走れアルマジロ」というLPが出され、6月にまたライブをやっています。久しぶりにLPを引っ張り出して聴いてみましたが、めちゃ懐かしかったです。
走れアルマジロ

勇造さんは京都の『拾得(じっとく)』というライブハウスを建設時から関わっているので、いわばここが本拠地。聞いてみると、京都にいるのが1/3、ツアーに出るのが年間約百回なので1/3、それと友人のいるタイに1/3近く滞在しているのだそう。15年前に出したアルバムも拾得のライブです。京都だからこういうライブハウスも生き延びて来られたのでしょう。
拾得ライブ

勇造さんは三つ歳上なので、来年7月にはなんと古希を迎えます!!60歳の時には「豊田勇造60歳6時間60曲フリーコンサート」を円山音楽堂でやっているので、来年には「豊田勇造70歳7時間70曲フリーコンサート」をやるんだそう。やる方も大変だけど、ずっと聴いてる方も大変そうです〜(^^;) いつまでもお達者で、ええ唄聴かせてね〜

アルテピアッツァのポプラ

  • 2018.05.01 Tuesday
  • 05:57
このところの低温で、山麓通りを越して荒井山あたりで停滞していた桜前線が、昨日の暖かさで一気に我が家まで登ってきました。朝はまだつぼみでしたが、夕方帰ると花がいくつか開いていたのです。4月中に開花したのは、記憶のある限り初めてだと思います。
小春桜

昨日は美唄にあるアルテピアッツァに行って来ました。ここのスタッフに知り合いがおり、樹木のことで困っているので、一度見てほしいと頼まれていたのです。ようやく時間を作ることができたので、かみさん共々出かけてきました。もともと石彫をやっていたこともあり、その恩師は安田さんの芸大時代の大先輩でもあったので、一度連れてってと言われ続けていたのです…(^^;)
馬乗り

問題というのは、旧体育館脇にあったイタリアポプラが昨年枯れてしまい、とりあえず地上部を伐倒しているけれど、思い入れのある方が多いので、復活することができるだろうかということでした。
アルテのポプラ
 (施設提供の写真を加工しています。)

3年前の秋に、強風で倒れたら危険だという声があり、初冬に枝を切り詰め剪定を行ったところ、翌年弱々しい芽吹きしかなくて一気に衰弱し、昨年完全に枯れてしまったとのことでした。切断面を見ても内部に腐朽はなく、健全な生育をしていたことが分かります。剪定の時期は休眠期なので、特に問題はなかったはずですが、枝の付け根あたりまで切っているので、切り詰めの程度が強すぎたようです。
切り口

このまま切り株を晒しておく訳にもいかないので、連休明けに根株を掘り上げて整地し、芝を貼っておく予定だけれど、また苗を植えられるだろうかということでした。これだけの根株なので、結構な大仕事になりそうでした。それにしても、ここには真っ白な大理石の玉石などがあちこちに使われているので、これもそんな修景の一つかと思ったら、まだ残っていた雪を割っていただけでした…(^^;)
切り株

イタリアポプラの苗木なんかどこを探してもある筈もなく、どこかに枝を取ることができれば挿し木した方が早いんだけどなぁ…と言ったら、園内にありますと案内してくれました。かつて駐日イタリア大使が記念植樹した時に、余った苗木を裏の方に植えているのが生き残っていたのです。肝心の植樹木は豪雪につぶれてなくなったけれど、この木はかろうじて生きておりました。でも剪定もされずにひどい状態だったので、不要枝をきれいに剪定し、その枝を挿してもらうことにしました。ポプラの挿し木は今の時期なら確実に発根するし、成長は極めて早いので、10年もすればかなりの大きさに復元してくれると思います。
イタリアポプラ

ついでに園内の樹木を一通り見ていくと、サクラの木にはテングス病が猛烈に蔓延しているので、見分け方をしっかり覚えていただきました。こんな取りやすい場所にあるものなんて、ここまで放置してはいけませんねぇ…
テングス病

久しぶりのアルテピアッツァでしたが、ごちゃごちゃしていなくて気持ちのいい空間ですねぇ。連休後半には近くの東明公園にある北限のソメイヨシノの名所も満開になりそうなので、ぜひお出かけ下さい。
広場

アレックス・カー

  • 2018.01.29 Monday
  • 05:46
土曜の夜にテレビを見ていたら、外国人観光客がよく訪れる場所の一つに、祖谷渓(いやだに)のさらに山奥にある『篪庵(ちいおり)が紹介され、アレックス・カーが案内していました。思わず、まだやっているんだ!と、すぐ横の書棚にある芸術新潮のバックナンバーから、この号を取り出して読み返してしまいました。1995年2月号なので、今から23年前。この前後十数年購読していたので、1m分くらい溜まっている中で、この号だけは別格だったので、別の場所に置いていたのです。白洲正子さんに傾倒していたので、彼女との対談形式での特集に、一体誰なんだろう?と興味津々でした。
芸術新潮

前半は、白洲正子さんの身の回りに無造作に置かれている器や書や、家具や衣装など。実はものすごい価値の骨董もあるけれど、器は使われてなんぼの世界。「生け花の先生は器でした。」とこともなげに言いつつ、気迫を込めて花を活けているのです。「自然の花は確かに輝いて見えるけれど、それはあくまで素材。人間が摘み取って、器に入れて、部屋に飾って、花に本当の命が吹き込まれるのだと思う。」ううむ。
白洲正子

アレックス・カーは、なんと私と同じ歳。海軍に勤めていた父と共に幼少時に日本で過ごし、エール大で日本学を専攻後慶応大やオックスフォード大に留学して、東洋の文化に精通していったのでした。白洲さんとはお互い共通の友人などを通して、一目置く存在として意識はしていたけれど、実際に会ったのはこの時が初めてとありました。今読み返しても、なかなか含蓄のあるやりとりに引き込まれてしまいます。
対談

彼は二十歳の時に、自身の「お城」を求めて全国各地の田舎を訪ね、東祖谷の山奥にある古民家にたどり着いたのです。私が北海道に来た年に、彼は四国の山奥でこんな民家を手に入れていたなんて。初めてここに泊まった朝に、縁側にそっとトマトとキュウリが置かれているのを見て、地元の方に受け入れられたんだととてもうれしかったと、テレビで話していたことが印象的でした。こんな田舎にこそ、本物の美しい日本の姿があるんだと、強く確信したことでしょう。その後の厳しい現代日本批判は、このような場所に住んでいるからこそ、力強さと説得力を持っているのです。

篪庵

築300年の茅葺き屋根の古民家は、内部はすっかりリニューアルされて、快適に過ごすことができるようになっているようです。また地域の方と協働で古民家の内部を改修して、一軒ごと借りて泊まれるようになっています。いつか泊まってみたいところが、また一つ出てきましたねぇ。

また駆け込みで…

  • 2017.12.10 Sunday
  • 05:56
ここしばらく続いた寒さも、ようやく緩んでくるようです。ある程度雪が積もったので、少しは寒さから守られているでしょうか。昨年の年末はドカ雪に見舞われて、札幌中がパンクしてワヤになっていたけれど、最初のドカ雪がちょうど10日でした。それに比べれば、多少寒いくらいどってことはありません。お昼に近くを歩いていると、街路樹のナナカマドが青空をバックに、真っ赤な実を輝かせていました。今年は実の付きがいいように思います。
ナナカマド

昨日も駆け込みで「丸山隆と教え子たち」展へ。10月に紹介しておきながら、ようやく行くことができました。彫刻美術館も、家からそんなに遠くないところにある割には、一年に一度くらいしか行ってませんねぇ…(^^;) 玄関前の通路にも、小品が置かれていました。
彫刻美術館

館内は撮影禁止でしょうから雰囲気だけ紹介しますが((^^;))、ちらと写っている作品『残留応力』(1992)だけが芸術の森美術館の所蔵で、あとの小品はすべて奥さまの所蔵品だそうです。私がお願いして、あいの里の集合住宅に設置した作品『残留応力』(1993)はその翌年なので、雰囲気がとても似ていました。
館内

丸山先生が使っていた道具も、少し展示されていました。これらはすべて手づくりで、丁寧にしっかりと作られていました。
道具

野外彫刻をたくさん残された先生なので、そのマップがありました。札幌市内には18点もあるのですねぇ。私がお願いしたのはあいの里の作品と、1995年に島松の交差点脇に作られた小公園に設置している『循環する形』の二つです。サンガーデンのすぐ近くなので、立ち寄っていただければと思います。
マップ

帰ろうと車に乗ったら、すぐ下の家の庭に竹が育っているのに気がつきました。以前見た時にはまだ塀からようやく見えるくらいだったのに、立派に枝葉を伸ばし、植物園のものより大きく育っています。モウソウチク(孟宗竹)ではなくマダケ(真竹)のようですが、いよいよ札幌でも竹が育つようになったのですねぇ。
真竹

札幌レトロ・グラフィックス展

  • 2017.12.09 Saturday
  • 05:51
気になっていた展示を、最終日ぎりぎりに見てきました。「道内の企業や店舗が、昭和時代に使っていた包装紙や菓子箱、酒のラベルなど」を集めた展示だというので、ガラクタコレクターの私としては見逃せないのです。場所は南大通に面した東4丁目の紙屋さんの中でした。店の一角の小さなコーナーですが、立派な貼り紙が、わざと古ぼけた紙に印刷されていました。
レトログラフィック展

書かれている説明を読んでいくと、単なる包装紙などのコレクションではなく、札幌におけるグラフィックデザイナーの草分けと考えられるM・M氏が、デザインの参考にと、身の回りにある様々な印刷物をスクラップブックに集めたものだったのです。B4大のスクラップブック40冊が、その方の死後古本屋に出ていたものを、やはりグラフィックデザイナーのIさんが見つけ、散逸してはいけないと引き取っていたのです。すべて手書きのレタリングやイラストによって作られた原稿も何点かあり、手書き時代の最後だった私にとっても、大変懐かしいものでした。
手描き原稿

壁面には包装紙のコレクションがずらりと。最終日とあって、結構たくさんの方が見に来ていて、いやー懐かしいなぁ〜という声が何度も上がっていました。
包装紙コレクション

私は北海道生まれではないので、知っているのは五番館や丸井さんの包装紙くらいでしたが、名前だけは知っている古い店のものがずらりとありました。
五番館

真ん中の展示は、キャラメルやバターなどの紙箱類。こちらもじーーっと見つめている方が結構おりました。だいたい40〜50年くらい前のものなので、私より上の世代だととても懐かしいものになるのでしょう。
紙箱

森永やグリコなどの全国規模のものよりも、フルヤのウィンターキャラメルや、バンビキャラメルなど、地元メーカーのものがたくさんあったのですね。雪印もキャラメルを作っていたとは知りませんでした。
キャラメル

マッチや昔の電化製品などのカタログ類などもありました。このへんなら、まだ開けていない秘密の引き出しにたくさん入っているのですがねぇ…(^^;) とにかく面白くて、じっくりと会場を2回回って見てしまいました。ほんの一部の展示のようなので、ぜひ続編をやってほしいものです。
マッチ

せっかく町に出かけたので、あちこちで用足しをして歩きましたが、ちょうど地上は吹雪状態だったので、チ・カ・ホにはたくさんの方が歩いておりました。世間はボーナスが出たらしいので、この週末はたくさんの人で賑わうことでしょう。
チ・カ・ホ

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