知新の駅

  • 2020.09.03 Thursday
  • 05:52
今年は台風や低気圧に向かって吹き上げてくる強風が、熱気と湿度を運んできて、蒸し暑くなることが多いように感じます。本州方面は台風の直撃が心配ですが、遠く離れた北海道でもこんな影響を受けています。

昨日は厚別の現場まで行ったついでに、北広島でやられている「野幌原始林の自然環境」の展示を見てきました。場所は北広島団地の中にある北広島市エコミュージアムセンター「知新の駅」。少子高齢化のために閉校になった学校の跡地に、いろんな施設と共に入っていました。
知新の駅

いかにも校舎の中という感じの間取りですが、中に入るといきなりマンモスが。これは市内の小中学生が約千人も関わって作り上げたもので、発泡スチロールとヤシの繊維などで作られているそうです。分解して運べるようになっているので、他の施設に出張することもあるとか。
マンモス

野幌原始林といっても、札幌の人だと野幌森林公園を考えてしまいますが、実は森林公園からはかなり離れた北広島市街地の近くの国有林内にあります。1921(T10)年に天然記念物指定、1952(S27)には特別天然記念物指定を受けている貴重な原生林ですが、骨格となっていたトドマツ林はその後台風などで衰退し、手つかずの広葉樹林として保全されてきました。
野幌原始林

私は昔から知ってはいたのですが、中に入れないので、どんなものだろうかずっと気になっていました。ところが例のボールパークが国有林に隣接した場所にできることになり、急に身近な存在になったわけです。黄色く区切られた3つが特別天然記念物に指定されていた区域で、ボールパークのアクセス道路を建設することになったことから、バッファーゾーンを設置することになり、赤く囲われた部分が新たに特別天然記念物の指定を受けました。
位置図

詳しい調査はこれからなので、なんとか紛れ込めないかと密かに考えてはいるのですが、ちゃんとした学者じゃないと無理だろうなぁ…(>_<) 今年の調査で入った時に、エゾシカの全身骨格が落ちていたのだそう。そのうちクマの骨だって落ちているかもしれませんねぇ。
鹿の骨

入り口のパネルの日付は毎日更新されているので、誕生日記念に1枚撮してもらいました。内部はチシマザサ(根曲竹)がかなり広がってきて、林床植生が単調化しているとの情報もあります。
プレート

施設内は博物館的なものと郷土記念館的なものが合わさった感じで、島松沢で中山久蔵によって栽培された「赤毛」種の解説などもあるし、図書コーナーも充実しています。この方面の方にはお奨めの施設です。
赤毛

場所がちょっと分かりにくく、広葉交流センター「いこ〜よ」の看板が入り口の目印です。

北海道の作庭

  • 2020.08.15 Saturday
  • 05:58
先日来すっかりはまっている「北海道の作庭」は、私の師匠である岸村茂雄氏(親方と呼ばないとどやされました)が、月刊北国の園芸に1980年1月号から1983年4月号まで、計39回もの連載となっています。1回分が6ページなので、計234ページにもなり、まとめれば1冊の本になるボリュウムがあります。その初回はこんな文章で始まっていました。

その1

79年2月から一年間豊平緑のセンターに臨時職員として勤務し、正職員になるはずが採用試験の健康診断(血圧がたった1mm!)に引っかかって不採用になってしまいました。市からはもう一度受け直してくれといわれたものの、今一度基礎から勉強し直すべきだと考えて、あそこだけは止めておけと言われた親方のところに行くことにしたのです。親方はセンターによく顔を出してしていたし、北国の園芸に何度も記事を書いていて、なんとも不思議な魅力を感じていました。この連載が始まったのが80年1月なので、センターを辞する直前だったのも、今にしてみれば不思議な縁でした。この記事の中に、本郷新さんのアトリエの写真が出ていますが、ここの庭は本郷さんと建築家の上遠野(かとの)さん、親方の合作のような緊張感のある庭でした。
本郷さん

3月4日の月曜から親方のところに行くはずが、前日の昼間に知り合いの引っ越しの手伝いをやっていて、八紘学園の近くで猛吹雪に巻き込まれてあえなく正面衝突。膝をつぶして1ヶ月近く入院してしまいました。このため4月5月はびっこを引き引き庭園管理の雑用をやっていたのですが、親方の作ったいろんな庭を見て歩くのがとても新鮮で、たくさんの写真を撮しています。本郷さんは80年2月に亡くなられましたが、5月にアトリエの管理に行った時に写したのがこの写真です。背後の御影石との組み合わせがものすごく印象的でした。

堰

今回連載をデータ化しながら、結局すべて読み返してしまいましたが、心にグサッとすることがあちこちに書かれていてとても新鮮でした。最終回の最後にはこんなことが書かれていたなんて、その当時にちゃんと読んでいたのかなぁ…

        39-5
39-6

ここに書かれていることは、親方が常々言っていたことではありますが、なんか最終回を締めくくるにはちょっと違和感が。きっともう何回か連載を続けたかったのではないか?伝えきれないもどかしさを感じてしまいました。ともあれ、親方のところには87年まで居させてもらい、無我夢中で働きました。いろんな技術を学び、たくさんの庭を造ったり、かなり大きな工事もこなせるようになってきたのですが、今一度自分の立ち位置を変えてチャレンジしたいという思いが強くなってきました。それでとうとう87年の8月で退社・転職することになったのです。今回あれこれ資料を探していて、当時親方が作ってくれた転職の挨拶状を発見。しみじみと当時のことを思い出してしまいました。あれから30数年、親方の思いにちゃんと応えられたのだろうか?
    挨拶状

勇造ライブ

  • 2020.08.08 Saturday
  • 06:26
今年はコロナ禍のお陰で、演劇やコンサート、ライブなどがすべて自粛対象になってしまいました。毎年6月に北海道ツアーをやっていた豊田勇造さんも、3月後半からすべてのツアーが中止になっているというのは、アルバムを出している音楽事務所からのメールで聞いていました。それがようやく解禁になり、2ヶ月遅れでやってくるという葉書が。
  はがき

この葉書を見ると、例年回っている場所ですべて実施できたようです、やっぱり勇造さんの声を聞かないと夏が来ないと思っている方は、全国にいるということでしょう。
みんたるライブ

ライブの場所は、北大病院前にあるフェアトレードもやっている「みんたる」です。ここでやるようになって3年目。行きやすくなってよかったです。
みんたる

勇造さんと出会ってもう44年にもなりました。去年70歳になったけれど、歌声はちっとも変わってへんし、声に深みがでできたんちゃうかぁ。という感じです。オンラインでは絶対に味わえない、ライブならではの感覚は絶対になくしてはいけないものでしょう。
勇造さん

今回のライブは、アイヌの豊川容子さんも参加され、素晴らしい歌声を聞かせていただきました。私は危険を冒して、つばが飛び散りそうなかぶりつきで聞いていたのですが、間近に聞いていると発声法が和人とは全く違うことがよく分かります。勇造さんはエラ・フィッツジェラルドに似てると言ってたけれど、確かにあのスキャットもこんな感じだったかも。
アンコール

アンコールで歌ったのは、デビューアルバムでもある『さあもういっぺん』の代表作である「大文字」。コロナ禍で歌も歌えへんし、ツアーにも行けへんようになってしもたけど、昔よく聞いたウッディガスリーのアルバムを聴き直したり、新しい唄もたくさん作れたんで、かえってよかったわぁ。さあもういっぺん出直しや〜というライブでした。

さあもういっぺん

追悼 弘田三枝子

  • 2020.08.06 Thursday
  • 05:52
先月末の新聞に、ちっちゃく弘田三枝子の訃報が載っていました。同じ日の山本寛斎の訃報記事には比べものにならない扱いでしたが、私にとっては大好きな歌手だっただけに残念なことでした。

訃報1

こんな小さな記事では読めないでしょうから、デジタル版の記事も載せておきます。

訃報2

大好きな歌手といっても、好きな歌はほんの初期のモノラル版の時代のもので、20年くらい前によく行ってた飲み屋で聞いて感激し、覆刻されたCDを早速手に入れました。もともとのレコードは、1962年の発売ですから、彼女がまだ15歳の時のものです。

一枚目

翌年出た第2集を合わせて、49曲も入っている二枚組CDは、USBに入れてカーオーディオでいつも聞いています。10代前半でこんなにパンチの効いた歌を歌っていたなんて、ちょっと信じられないレベルです。アメリカのニューポートジャズフェスティバルでも唄っているし、エラ・フィッツジェラルドが養女にしたいと言ったほど、その実力はアメリカでも認められていました。

二枚目

当時の日本では、ようやくカレッジフォークやグループサウンズが始まりかけていた時期に、アメリカンポップスやリズム&ブルース調の歌では時代が早過ぎたのでしょう。売れなくなってしまった彼女は思い切ってダイエットし、「人形の家」でカムバックして以降は、こんな雰囲気で普通の歌謡曲を歌うようになり、まるで別人になってしまったのです。

   変身後

Amazon の購入履歴を見てみると、この2枚組CDと一緒に買ったのがエタ・ジェイムズのベスト盤でした。確かにノリがそっくりで、ミコちゃんがアメリカで活躍していたら、きっと可愛がってくれただろうにと思ってしまいました。

エタジェイムズ

美空ひばりに唯一認められたとか、桑田佳祐や大滝詠一など影響を受けたアーティストがたくさんいたとか、いろんな情報が出てきていますが、一度当時の唄声を聴いてほしいです。(YouTubeにはいろんな動画が出ているし、7日夜にはBS東テレで追悼番組もありますので)

農民オケ

  • 2020.06.30 Tuesday
  • 05:44
日曜日に函館の親戚から電話があり、小春ちゃんが新聞に出てるよ〜というのであわてて買いに行きました。日曜版の「時を訪ねて」という特集のテーマが、2013年に花巻で行われた農民オケの特別公演だったのです。北海道農民管弦楽団(通称:農民オケ)は、余市で果樹農園をやっている牧野さんが、宮澤賢治の「農民芸術概論綱要」に刺激を受けて、1994年に結成されました。

農民オケ1

農民オケといっても、純粋の農民は少なく、農協や指導員など農業関係者を入れても65人中20人だそう。その中の一人が牧野さんのところから5分くらいのところに農園を拓いた娘だったので、取材を受けたのでしょう。子ども二人と共にホルンを掲げて写っていました。(仁木ではなく余市です)
農民オケ2

2013年の花巻公演は、宮澤賢治の没後80年と、震災復興支援を兼ねて行われました。この公演をきっかけに結成された「東北農民管弦楽団」と共演し、大盛況だったそうです。

花巻公演

この公演に合わせて、テレビ番組も作られ、その中で娘が大きく取り上げられていました。大学を出て長野に就職し2年勤めましたが、会社が経営難になってしまい、こちらに帰ってきて余市の農園の管理人になっている時のことでした。大学では森林科学科だったのに、この頃から農業をめざすことに決めた時期でもあったようです。
テレビ番組

農民オケには学生の時から参加しており、西高OBオケと北大オケ、農民オケと、目一杯関わってきていました。2011年には、農民オケの一員としてデンマーク公演にも参加していたほどです。やるといったらぶっ倒れるまでとことんやるのは、どうやら私の血を引いているらしくて、なかなか自分でブレーキをかけることができないのです。

デンマーク公演

今は子育てにかかりきりなので、しばらく音楽からは遠ざかっていますが、一段落したらまた復帰することでしょう。土とふれあいながら芸術に関われる環境はとても素晴らしいことで、とてもうらやましく思ってしまいます。

ネット通販

  • 2020.05.18 Monday
  • 05:50
外出の自粛が続いているため、ネット通販が活況を呈しているらしく、自宅の近くでもたくさんの段ボールの宅配が頻繁に来ています。これに慣れてしまうと、ますます実店舗に足を運ばなくなってしまうのでしょうか。世の中の仕組みが大きく変わってしまう予感があります。とはいえこういうネット通販も。

藤川さんも新型コロナの影響を受け、本州方面での春の個展が軒並み中止になってしまいました。その代わりに、京成バラ園さんのネット販売に組み込まれました。(こちらからお入り下さい。

京成バラ園

15日からアップしたら、さっそく売れて行っているようです。この「春の庭」なんか、時期的にもピッタリですが、まだ残っているようですよ〜
藤川原画

一点ずつちゃんとコメントが付いており、サイズなども明記されているので、どの場所にピッタリなのかがよく分かるようになっています。思うような行動ができないので、こういうネット通販はお奨めでしょう。「スケッチぐらし」では、花のぬりえの原画も公開されていますので、子どもや孫と一緒に取り組んでも面白そうです。

春の庭

毎年ライブにやって来ていた豊田勇造さんも、ほとんどのライブが中止になって困っているようです。勇造さんのCDなどを出しているビレッジプレスからこんなメールが。

こんにちは! 豊田勇造です。
3月末からのライブは2回だけ。その他は6月中旬までのライブが36カ所、すべて中止や延期になりました。なんとか元気にやっていますが、旅の歌うたい、にとってはなかなか大変です。
旅をしながら歌を聴いてもらうことは無理でも、CDを買ってもらうことで元気をもらえるし、また次のCDを作ることにもつながります。自分でも大好きな、『さあ、もういっぺん』と『血を越えて愛し合えたら』が再プレス出来てきます。
どうぞよろしくお願いします。


さぁもういっぺん

「さあ、もういっぺん」は、実質ファーストアルバムで、好きな歌がたくさん入ってます。LPだとなかなか聴きにくいので、この際CDを買っておこうと思います。いつも6月初めに来ていた札幌のライブも、今年は難しいのかなぁ…

太田洋愛原画展

  • 2020.04.20 Monday
  • 05:45
上野の国立科学博物館では、「ボタニカルアートで楽しむ日本の桜 -太田洋愛原画展-」が開かれていました。
日本の桜1

我が国のボタニカルアートの先駆者である太田洋愛さんは、牧野富太郎や大賀一郎などの植物学者に師事し、極めて質の高い植物画を残してきましたが、1973年に高名な植物学者である大井次三郎と共に「日本桜集」をまとめています。今回の展示はその原画と元になった腊葉標本を同時に展示した画期的なものだったようです。

日本の桜2

ところが、新型コロナウイルス感染防止のために臨時休館となってしまい、公開されなくなってしまいました。このため、展示を監修した科学博物館植物研究部の方が、解説しながら展示を見ていただく YouTube を公開してくれました。三本で計30分ほどの番組ですので、時間のある時にご覧になって下さい。

 「ボタニカルアートで楽しむ日本の桜 その1」(8:18)

 「ボタニカルアートで楽しむ日本の桜 その2」(8:12)

 「ボタニカルアートで楽しむ日本の桜 その3」(13:19)

私は学生の頃から太田洋愛さんにある種のあこがれを持っていましたが、残念ながらボタニカルアートには進めませんでした。今も手元にある太田さんが監修した「アトリエ 570 植物画の描き方」にも、日本桜集の原画が数点載せられています。

紅豊

今年は花見に出歩けないので、この番組で桜の面白さを見つめ直してはいかがでしょうか。

ホセ・ムヒカ

  • 2020.04.01 Wednesday
  • 05:55
昨日は朝いちでシアターキノへ。映画を観るのも何年ぶりだろう…と思うくらい久しぶりの映画館でした。さすがに朝いちは行列もなく、ちょっと拍子抜けでしたが。
シアター・キノ

キノをやっている中島洋さんとは、エルフィンランド以来のつきあいなので、もう45年にもなりました。キノ開設以来の株主なので、毎年送られてくる招待券はもっぱらかみさんが行ってたけれど、今年は孫が次々と生まれたりして忙しく、券が余ってしまいました。いよいよ最後の日になってしまったので、上映メニューを見るとこれだ!ということで、駆けつけた次第。
チケット

お目当ては「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男 ホセ・ムヒカ」です。生き様もすごいけれど、言葉にものすごい力があり、シンゾーとは雲泥の差というか、比べるのも失礼なくらいの凄みがありました。近所にいた日系人から花の栽培を教えられ、それを生業としていたとか。久しぶりの感激です。もう一つの「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」は4月18日、「人生フルーツ」は4月20日に特別上映がありますよ〜(詳しくはキノのHPを)

ムヒカ

狸小路に出ると、昼近くだというのに通りはガラガラで、外国人は一人も歩いていませんでした。この先どうなるのでしょうねぇ…
狸小路

朝は結構寒かったけれど、昼近くになると日差しが暖かく、まだ3月なのに・・・変な感じです。地下鉄に向かって歩いていると、駐車場の向こうの建物の壁に「トマソン」物件が。このような謎の高所ドアと外壁に焼き付いた原爆タイプの跡は、まさにトマソン物件です、
トマソン

謎のドアを間近に見に行くと、足元ではフキノトウが満開になっていました。家の辺りはまだ堅いつぼみだけど、町中はさすがに暖かいのでしょう。春を見つけるたびに嬉しくなってしまいます。
フキノトウ

歌謡ポップス

  • 2020.03.08 Sunday
  • 05:48
ドーナツ盤特集もいよいよ最終回。最後は歌謡ポップスというか寄せ集めになりますが、トップバッターは若大将加山雄三の「旅人よ」(66年)。流行ったのはもちろんA面の「夜空を仰いで」ですが、私はB面の「旅人よ」の方が好きでした。作詞は岩谷時子、作曲は弾 厚作(加山雄三)、演奏は加山雄三とザ・ランチャーズです。
加山雄三

ちょっと甘ったるい声が売り物だった奥村チヨには、こんな爽やかな歌もありました。「北国の青い空 HOKKAIDO SKIES」(67年)。作曲はなんとベンチャーズです。もう北国へのあこがれを持っていたのかなぁ?
奥村チヨ

これはちょっと記憶がありませんが、どこか気に入ったところがあったのでしょうね。ビクターからコロムビアに移籍した第1弾で、半年後に出した「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットして一躍人気歌手になりました。
いしだあゆみ

坂本九ちゃんの数あるレコードの中では、「見上げてごらん夜の星を」(69年)が好きだったので、新品で買っています。オリジナルシングルは63年発売で、これは「遠い昔の母の胸に」のB面として再発売された時のものでした。飛行機事故で亡くなられたのは85年8月12日で、9月に最後のシングル盤としてこの歌が再発売されているのは、鎮魂の意味があったのでしょうね。
坂本九

デビュー当時の和田アキ子はけっこう好きでした。のちにソウルやブルースが好きになったのは、このあたりから来ているのかな?デビュー2作目の「どしゃぶりの雨の中で」(69年)から5作目の「さすらいのブルース」(70年)までの4曲が入ったコンパクトLP盤で、600円と大変お得だったのです。まぁ可愛いこと。
和田アキ子

つのだ☆ひろの「メリージェーン」は72年発売なので、札幌に来た年だけど、これを新品で買うほど好きだったのかなぁ?これ1曲で食っていけるほどのロングヒット曲になっています。この頃は「つのだ★ひろ」ですが、黒星は縁起がよくないので、その後「つのだ☆ひろ」にしたそうです。
つのだ☆ひろ

残念ながらドーナツ盤は聴くことができなかったけれど、YouTube で一通り聴き直したので、いろいろと懐かしく思いだしてしまいました。長々とおつきあい下さいましてありがとうございました〜(ドーナツ盤トップに戻る。)
 (発売年やエピソードなどの多くは、Wikipedia を参考にさせていただきました。m(__)m)

グループサウンズ

  • 2020.03.04 Wednesday
  • 06:00
私のドーナツ盤コレクションのうち、8割くらいは中古盤です。松山の銀天街商店街の真ん中に、明屋(はるや)書店という町で一番大きな書店がありました。昔はここと大街道三越の隣にある小さな店と2店だったと思ったけれど、今はなんと全国13都道府県にフランチャイズを含む86店舗もある、全国有数の書店になっていました。この本店の右隣に、間口が2〜3mくらいしかない、うなぎの寝床のような古本屋がくっついていて、その2階に古レコードが置かれていました。高校生の頃には、しょっちゅうここに通ってドーナツ盤を探していたのです。(暮しの手帖のバックナンバーもここで仕入れていました。)1枚50円くらいだったかなぁ…

そうやって集めたのがこれらのドーナツ盤で、グループサウンズ(GS)の波が終わろうとしていた頃なので、安く手に入ったのでしょう。GSやフォークが流行ったのは60年代後半で、ちょうど私の中高時代に当たっていました。GSと言えばやはり「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」(ブルコメ)でしょう。「森とんかつ、泉にんにく」で育っているので、やっぱり懐かしいです。「青い渚」は66年。
青い渚

「マリアの泉」は67年、もう一枚「何処へ」(66年)も持っています。ブルコメが特に好きなわけではなかったけれど、唄がよく耳になじんだように思います。
マリアの泉

GSと言えば、ブルコメの「ブルーシャトー」(67年)と共に真っ先に思い浮かぶのが、ザ・ワイルド・ワンズの「想い出の渚」(66年)。加瀬邦彦のギターは何度聞いても最高ですねぇ。
思い出の渚

加山雄三の従兄弟である喜多嶋兄弟が作ったバンドであるザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」(67年)もよく流行りました。全員慶大生のボンボンといった感じかな。
真冬の帰り道

67年には、ヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」も流行りました。このあたりがGSの最盛期なんでしょうか。
バラ色の雲

もう一枚忘れてはいけないのが「亜麻色の髪の乙女」(68年)でしょう。アマの説明をするのに、このジャケットを使うと盛り上がるのは、お歳が分かってしまいますねぇ…(^^;)
亜麻色の髪の乙女

スパイダーズやテンプターズは興味なかったので一枚もありません。ザ・タイガースも好きではなかったけれど、「廃墟の鳩」(68年)はトッポの声がよかったので持っています。
廃墟の鳩

ジュリーは大嫌いだったけれど、B面の「風は知らない」(69年)だけは許せたので、コレクションに入っていました。
風は知らない

ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」(69年)もやはりB面からのヒットになったので、あわてて入れ替えて再発売されています。作詞は阿久悠で、南太平洋で散っていった若者を偲んで作られた唄だというのを、今回初めて知りました。阿久悠の、GS唯一のヒット曲になったようです。GSもこのあたりが最後で、やがて70年代に突入していくのでした。(つづく)

涙のオルガン

関西フォーク

  • 2020.02.26 Wednesday
  • 05:53
60年代後半は、なんといっても関西フォークの全盛時代。67年に爆発的に流行ったザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の「帰って来たヨッパライ」から、堰を切ったように様々な歌手やグループが飛び出してきました。それにしても、68年のたった一年しか活動しなかったフォークルの存在感はすごかったと思います。私が一番好きな歌は、「戦争は知らない」(1968)。渋谷公会堂でやったハレンチリサイタルのライブ音源ですが、父親を戦病死によって亡くした寺山修司の歌詞もいいし、3人のハーモニーも一番フォークルらしいです。
戦争は知らない

一年だけの約束どおり、プロとしてはあっという間に解散してしまったけれど、今聞いてもいい唄がたくさんあります。フォークルのレコードは、この年発売されたLPの「紀元弐阡年」と解散後発売されたベスト盤でほぼすべて持っているけれど、まさに時代を突き抜けた強さを持っていると思います。
紀元二千年

最後のシングルが、五木寛之作詞の「青年は荒野をめざす」(1968)だけど、これはちょっとくさくて苦手かなぁ…(^^;)
青年は荒野を目指す

同じ年にメジャーデビューしたのが岡林信康。A面の「山谷ブルース」(1968)は、確かに流行ったけれども、私たちにとってはB面の「友よ」が体に染みつくほど歌った歌でした。60〜70年代初めの荒れた時代には、これと「インター」は集会やデモのいわばテーマソングになっていたのです。その後はなんと自衛隊の駐屯地でも歌われたり、Jリーグの応援歌としても歌われているとか…(^^;) 牧師の家庭に育った岡林によると、この歌の根幹にあるのは賛美歌だそうなので、いろんな使われ方も想定内だったのかも。
友よ

この年には、西岡たかしの五つの赤い風船から、「遠い世界に」(1968)も世に出ていました。これはB面だったので、翌年あわててひっくり返して再発売されています。この唄はたくさんの歌手にカバーされて、今なお中学校などでも歌われているそうです。
遠い世界に

フォークル解散後は、加藤和彦はミュージシャンとして、北山修は医学部に戻って精神科医の道へ、はしだのりひこは杉田二郎などと共にシューベルツを作って活動を始めました。「風」(1969)や「朝陽のまえに」(1969)など、それなりにヒット曲も出していましたねぇ。
シューベルツ

ウッディー・ウーの「今はもうだれも」(1969)もいい唄だったけれど、一発だけであとは聞かなかったかも。これらがわっと世に出てきたのですから、やはり時代だったのでしょうねぇ。
今はもう誰も

これらの歌は、ほとんどが YouTube にアップされていて聴くことができるので、懐かしいと思われる方は、是非聴き返してみて下さい。(つづく)

カレッジフォーク

  • 2020.02.25 Tuesday
  • 05:48
昔のレコード第2弾。60年代後半には、カレッジフォークというかカレッジポップスというか、大学生の若者の歌が一斉に流行してきました。私はちょうど中学から高校にかけてで、そんなに歌には敏感ではなかったけれど、大学に行った兄がギターを背負って帰省して弾いているのを見て、ふぅんと思い始めました。手元にあるドーナツ盤の中には、4曲入りEP盤が何枚か入っていて、45回転がいかれたプレーヤーでも久しぶりに聞くことができました。ザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」(1965)やザ・サベージの「この手のひらに愛を」(1966)あたりが一番初期のものでしょうか。(サベージに寺尾聰がいたなんて)
若者たち

この年に、生まれて初めて買ったLPが荒木一郎の「ある若者の歌」でした。この年にはこのレコードで芸術祭文部大臣奨励賞を『空に星があるように』で日本レコード大賞新人賞をとっています。(以前こんな記事を書いています。)
荒木一郎

マイク眞木の「バラが咲いた」(1966)もちょうど同じ頃で、かなり流行りました。EP盤はA面が4曲入って600円なので、シングル400円よりはるかにお得だから、よく買っていたのでしょう。森山良子なんて、今でもちょくちょくCMやテレビに出てきますねぇ…
バラが咲いた

ちょうど高1の時に流行った「小さな日記」(1968)あたりから、東京の歌手やバンドは、だいたいが私立大学のボンボンで、四国の片田舎にいて聴いていると、なんとなく違うなぁ…と違和感を感じ始めてきました。
小さな日記

「白いブランコ」(1969)あたりになると、ちょうど学内で学校側といろいろもめていたし、ベトナム反戦運動に首を突っ込み始めたりして敏感になってきていたこともあり、もうこらあかんと思ってしまいました。(でもなんでレコード買ってたんだろう??) 今となっては、時代の記録として貴重な存在になっているのかもしれません。(つづく)
白いブランコ

ドーナツ盤

  • 2020.02.23 Sunday
  • 05:45
今のカーオーディオでは、SDカードに入れた曲をかけられるため、CD100枚分くらいの曲を入れて聴くことができます。先日買い物帰りに荒木一郎の曲をかけていたら、かみさんが中山千夏の曲も聴きたいねぇ…というのです。家に帰って、禁断のドーナツ盤コレクションの中から探しだし、フレーヤーにかけたところ、なんと45回転に切り替わらなくて男の声になってしまいました。LPは時々聞いていましたが、しばらく45回転にしなかったので、スイッチがバカになってしまったよう…(>_<)

しかたなく、ドーナツ盤の整理だけやっておきましたが、なんとも懐かしくなったので、今回は女性のフォークシンガーを紹介しておきます。中山千夏のデビュー曲である「あなたの心に」は1969(S44)年の発売です。うーーん、聴きたかったなぁ… 今でもお元気で、伊豆半島に住んでいるそうです。

中山千夏

ついでに女性フォークシンガーのドーナツ盤にはこんなものも。ベッツィ&クリスのデビュー曲である「白い色は恋人の色 」は、フォークルのメンバーだった北山修の作詞、加藤和彦の作曲で、やはり1969(S44)年の発売でした。

ベッツィ&クリス

もとまろの「サルビアの花」は当然早川義夫のカバー曲。こちらの発売は1972(S48)年なので、札幌に住み始めた年に買ったレコードのようです。こちらに詳しく紹介しています。

もとまろ

ウィッシュの「ご案内」も同じ年の発売なので、この年に買ったもののようだけど、まだプレーヤーは持っていなかったのに買っていたのですねぇ。ヤマハのポピュラーミュージックコンサート(ポプコン)に入賞してレコード化されています。ご案内よりも、B面の風は気まぐれの方が好きだったような。作詞はなんとやなせたかしだった。

ウィッシュ

チューインガムの「風と落ち葉と旅びと」もやはり72年で、やはりポプコンの常連だったとか。福岡で浪人していた時に、ヤマハのライト・ミュージック・コンテストの九州予選を聴きに行ってたので、当時はこのあたりが一番の好みだったようです。

チューインガム

ドーナツ盤は70枚ほど。初期のカレッジフォークやフォークグループなどから、グループサウンズなど、お宝がたくさん含まれているので、ぼちぼちと紹介していきましょうか〜(^^;) (つづく)

わたしの草と木の絵本

  • 2020.02.02 Sunday
  • 05:56
正月に自宅の本棚を少しだけ片付けたときに、ふと取り出した本が何冊かありました。買ったはいいけれど、あまり読まずにしまい込んでしまった本はたくさんあるけれど、これはちょっと懐かしい本です。30数年前、六花亭の仕事をやっていたので、自然に直行さんに惹かれていきました。包み紙に使われている着色した植物画は(3枚に66種)、ていねいに切り抜いてすべて持っているのですが、この本は単色の素朴さがとても新鮮でした。
草と木の絵本

この本のまえがきは、六花亭の初代社長の小田豊四郎さん。小田さんが今から60年前の1960(S35)年から発行している、子供たちの詩誌「サイロ」の表紙を飾るために、直行さんが描き続けた絵を集めた本なのです。

サイロ

この本がまとめられたのは1976(S51)年なので、私が大学を卒業した年。帯広千秋庵から六花亭に改名したのがその翌年なので、この時はまだ千秋庵の名前でした。帯広に旅行した友人が、十勝には珍しいお菓子がいっぱいあるぞと、ホワイトチョコが大人気だった頃でした。

フクジュソウ

取りあげている植物は、身の回りのものが半分と、高山の植物が半分を占めています。直行さんは山岳部に所属していたので、学生の時からずっと十勝や日高の山を登っていました。直行さんを囲む『歩々(ぽっぽ)の会』というのがあり、そのうちの一人だったAさんの家に何度か伺ったときに、奥様が直行さんの妹だと聞いてびっくりしたこともありました。

ウコンウツギ
やはり歩々の会のメンバーだった鮫島淳一さんの画文集が、同じような目線で書かれていて、とても読みやすいのは、そんな交友関係のせいなのかもしれません。子どもに語りかけるようなやさしさがにじみ出ているこの本は、仕事に疲れた時の一服にはちょうどよく、しばらく楽しめそうです。
文章

レコードの整理

  • 2020.01.19 Sunday
  • 05:58
正月休みが終わり、子供たちが帰ってから、長年の懸案事項になっていたLPレコードの整理を始めました。きっちり数えたこともなかったけれど、400枚くらいのレコードを持っています。最近は聞くこともほとんどなくなり、大晦日には紅白なんか見ないので、ここぞとばかりに書ける程度。出し入れしてグチャグチャになっていたので、なんとか片付けたいと思っていたのです。

レコード棚

まずは右半分の女性ヴォーカルから。ここではなんといっても、ダイナ・ワシントンのコレクションが存在感を放っています。あの頃の学生は、ジャズ喫茶に入りびたってうんうん唸っているのが多かったけれど、タバコ嫌いだったのでとてもなじめず、毎度聞いていたFMラジオから情報を増やしていくうちに、ジャズ演奏ではなくジャズヴォーカルに惹かれていきました。でも、当時流行っていたビリー・ホリデーやエラ・フィッツジェラルとはどうにもなじめず、たまたま聞いたダイナ・ワシントンにぐいぐい引き付けられていったのです。
ダイナ1

レコードを買い始めたのは社会人になってからで、札幌ではほとんど手に入らなかったため、帰省のたびに東京に立ち寄り、あちこちの古レコード屋などを探し回りました。もう亡くなっていたので、新譜では手に入らなかったのです。こうして集まったダイナのレコードは、なんと51枚もありました。
ダイナ2

ダイナのレコードは、デビューから50年代はマーキュリーから、60年代の4年間はルーレットから出ていました。80年代にダイナのマーキュリーベスト盤が全7巻で出たのですが、初めの4巻はレコードで、後半の3巻はCDになり、時代の変化を示していました。
ダイナ3

ダイナはデビュー当初はブルースばかり歌っていて、その後レコード会社の戦略でジャズ・ヴォーカルが増えていきましたが、ジャズにはとても納まらず、こぶしの利いたリズム&ブルースが一番似合っていました。そんなダイナの後継者と伸びていったのが、エスター・フィリップス。デビュー当時はダイナそっくりのR&Bで、だんだんディープソウルに移っていきました。
エスター1

その頃に、何度か京都からやって来たのがウェストロードブルースバンド。札幌のブルースシーンもかなりの盛り上がりがありました。たまたま買って持っていたのか、ジャケットにみんなのサインが残っています。
エスター2

そして、ソウルの女王といわれたアレサ・フランクリンもダイナの後継者としてスタートし、興行的にも大きな成果を遺しました。アレサのレコードは10枚。4枚組CDベスト盤は私の宝物の一つです。
アレサ

ダイナのあと、ルース・ブラウンやエタ・ジェイムス、ダコタ・スティトン、デラ・リーズなど(計17枚)が活躍し、やがてソウル全盛時代に突入していきます。ここに挙げたその他の歌手たちのレコードが、約80枚もありました。

その他女性

結局、R&B系の女性ヴォーカルだけで155枚ものレコードが。よくもまぁこんなに集めたものだと思いますが、このほかにCDが何十枚もあるので、2〜300枚ものコレクションがあることが分かりました。左側の棚には男性ヴォーカルが同じくらい入っているので、この冬のうちに整理しなくては。こういうものは私が死んだあと、どうすればよいのか決めておかなければいけないかなぁ…(^^;)

森ヒロコさん

  • 2019.12.15 Sunday
  • 05:55
先日打合せに行った場所から、ふと森ヒロコさんのことを思い出してしまいましたが、仕事の資料を探してキャビネットをさまよっていたら、あるファイルの中から、45年前の森さんの個展のリーフレットが出てきたのです!
個展1

「森ヒロコ銅版画展」は、1974年9月2日から約4週間、NDA画廊で行われています。74年は大学3年生で、農学部に移行して圃場に通い詰めだった頃です。実はこの年の4月にあの『エルフィンランド』が開店して、学生の身ながら連日通い詰めていました。その中には、普通の学生生活をやっていれば絶対に会えないような、実にいろんな人と知り合ったり、飲み交わしたり、ワイワイと過ごしていた中に、大柄で声が太く、しゃべり出したら止まらない、二十歳過ぎの若造から見れば、とってもおっかないおじさんがおりました。それが長谷川洋行さんで、NDA画廊をやっていたのです。
個展2

森さんのことは当然知らなかったので、長谷川さんに誘われて行ったのでしょう。それが森ヒロコさんの作品との出合いでした。森ヒロコ・スタシス美術館のHPを見ると、ここで個展をやったのはこれが初めてで、翌年お二人は結婚されているので、運命の出合いだったのかもしれません。

個展歴
 (森ヒロコ・スタシス美術館 HPより)

それから10年後、私は植木屋にいて造園工事や庭園管理など、毎日楽しく仕事をしていました。大学にもよく顔を出していたので、当時の3代目になるT教授にもいろいろと可愛がられていました。先生は花が専門だったので、相性がよかったのかもしれません。先生の奥様にもえらく世話になったのは、お子様がいらっしゃらなかったせいもあったのでしょうか。ある時友達の庭先をきれいにしてほしいのでと、仕事を紹介してくれました。やはり農学部の先生のお宅で、いろいろ話をしているうちに、そこの奥様がなんと森ヒロコさんのお姉さんだということが分かってびっくり。そして、その年の12月に結婚することが分かると、ぜひお祝いを受け取ってほしいと、T教授夫妻からいただいたのがこの作品でした。

筒井先生

森さんのどんなのが好きなの?と聞かれて、作品としてはキリッとしているのがいいけれど、我が家に置くのであればかわいいネコの作品が…と言ったら、これを選んでくれたのです。

夕暮れ

これは「夕暮れ」という作品で、我が家でも一番目立つところに掛けています。T先生も数年前に亡くなられてしまいましたが、長谷川さんも2016年に、森さんも後を追うように2017年に亡くなられてしまいました。かみさんの友達は、ずっと森さんの所で仕事を手伝っていたのですが、目を患ってほとんど失明してしまい、制作から離れざるを得なくなりました。なので、森さんの作品にはいろいろと思い入れが強いようです。美術館は来年再開するようなので、あの素晴らしい作品に会いに行ってみようかな。
再開の報

ARAMAKI WORLD

  • 2019.12.09 Monday
  • 05:48
連日厳しい寒さが続きますが、今日はぎりぎり真冬日から脱出できそうです。雪が積もらないので、あんまり寒さが続くのも、植物にとっては困りもの。近郊のスキー場もこれではお手上げでしょうね…

市民交流プラザの中には、いろいろなスペースがあるのですが、パネル展の向かい側の SCARTSコートでは、ARAMAKI WORLD が開かれ、土曜日はちょうど SHAKE SUMMIT で賑わっていました。FMで最初聞いた時には、荒巻さんだからSF関係のイベントかと思ったら、新巻鮭の方でした…(^^;)
入り口

恵庭出身で宮大工の村上智彦さんと、同じく恵庭出身でギター製作者の鹿川慎也さんのコラボ作品展です。その素材がなんと新巻鮭の入っている木箱。その板を使って作られる作品群がとんでもないものばかりです。あんな軽いトドマツ材からなんでウクレレやギターが作れるの??とびっくりさせられます。
シヤケレレ

これはウクレレではなく「Shakelele(シャケレレ)」という商標登録まで特許庁から取得している念の入れ用。もちろん楽器としても十分使用できる本物なので、お値段の方も結構しておりましたが。
登録商標

村上さんは札幌市立高専のインダストリアルデザイン学科建築デザインコースを卒業のあと、関西で社寺建築の仕事に携わり、大工、建築家、デザイナーとしての仕事をされてきただけあって、その腕も一級品。新巻鮭の木箱から造られた社は、釘1本使わないで建てられているそうです。
社

こんな神棚なら、そこいらの胡散臭い神社にいる神さんではなく、この地に根ざした産土神(うぶすながみ)が居ついてくれそうな気がします。でもちょっと生臭いかなぁ…
神棚

木箱に押されている鮮やかな文字や記号は、こんな版を押されていたのですね。新巻鮭は、段ボールには似合わないので、いまだに木箱が使われているのでしょう。
はんこ

ちょうどこの版を使って、Tシャツやトートバッグにスタンプを押すワークショップが行われていました。うわーうまくおささったぁ!と、にぎやかに盛り上がっておりました。
スタンプ

確かに、この世に一つしかないものばかり。こんな焚き付けになるような素材からこれだけの価値を生み出すのですから、工芸家と言うより芸術家といった方が似つかわしいのかしらん。
トートバッグ

このイベントは本日まで。創世スクエアで私たちのパネル展と共にやっていますので、町中にお出かけの際には必見ですよ〜

ボタニカル アート

  • 2019.11.16 Saturday
  • 05:32
この時期には、植物画の展示会が続けて行われているのですが、一番規模の大きな北海道植物画協会展は、例年10月末に行われていて現場のピークと重なるため、しばらく行けておりません。ようやく行ってきたのが、17日(日)まで行われている flos society 教室展です。
案内

主宰している早川先生とは、20年前に芸術の森で仕事をお願いして以来の長いつきあいになりました。先生の作風が生徒さんにも伝わるのか、キレのいい作品が多いように感じます。
トサカケイトウ

会場は南1条のラ・ガレリアにある「さいとうギャラリー」です。H&Mの店内を突っ切ってエレペーターに行き、5階にあります。最初はエレベーターを探してうろうろしてしまいました。
ギャラリーさいとう

生徒さんたちの作品展なので、レベルは幅広く、中にはおっと思わせるレベルの高いものがありました。単に「植物を描いた絵」ではなく、ボタニカルアートと言えるレベルになるまでには、かなりの時間がかかるようです。
展示

先生の作品は一点だけでした。ツツジ類が3種寄せられていて、こうなれば同定しなければいけません。右下はカバレンゲ、左はエゾムラサキツツジとすぐに分かりますが、右上はぱっと見では分かりません。
先生の作品

よ〜く見ると、葉が3枚なのでミツバツツジ系ですが、雄しべが10本あるので、ミツバツツジではありませんでした。(ミツバツツジは5本しかありません)道内に植えられているものでは、トウゴクミツバツツジが最も多いので、そのあたりということにしておきました。本来のボタニカルアートは正確さが求められるので、ここまで描き込まれているのです。
トウゴクミツバツツジ

この週末、大通周辺に行かれる方は、ぜひご覧になって下さい。

西高OBオケ

  • 2019.08.19 Monday
  • 05:35
今回余市の娘が帰省してきたのは、毎年お盆に行われるOBオケに出るためでした。中学の時に吹奏楽でホルンをやり始め、高校に進学すると迷うことなくオケラに入りました。西校には新制高校に移行した翌年の1951(S26)年に、早くもオーケストラ部ができており、多分道内でも数少ないのでは。毎年お盆にはOBが集まって演奏会をやっていて、娘はかなりの頻度で出ています。
表紙タイトル

出演者名簿を見ると最年長は19期なので、間もなく70代になろうかという方もいらっしゃいます。娘だって卒業して14年も経っているのですから、ホルンでは最年長になっておりました。
イラスト

今回の演目は、なんとシベリウスのフィンランディアと交響曲第2番、ワグナーのニュルンベルグのマイスタージンガーという、私のお気に入りばかりだったので、とても楽しみにしていました。

プログラム
娘は長野に2年いた時にも、お盆にはホルン担いでフェリーで帰ってきてましたからねぇ…(^^;)
年明けには出産なので、帰りがけには3年くらいは出られないとみんなに挨拶しておりましたが、きっとちびどもをうちに預けてまた復帰するに違いありません。
開園前

ずっと指揮者を務められていたN先生が、直前に脳梗塞で倒れられ、指揮者は急遽交代されたとか。でも演奏はすばらしく、朝から肉体労働していたので眠たくなるかと思いきや、最後までずっと聞き惚れていました。
終了

それにしても、卒業後もずっと母校に関わり続けられる部活というのも珍しいと思います。私のように、いろいろあって母校とは縁を切ってしまった者にとっては、うらやましい限りでした。

さっぽろ文庫

  • 2019.08.12 Monday
  • 06:00
先月の朝日新聞に、興味深い記事がありました。「文化育てたさっぽろ文庫」という記事で、毎年4冊ずつ発行され、25年でちょうど百冊の本になったさっぽろ文庫が紹介されていました。

新聞記事

私はその中で、3冊に文章を書かせていただきました。最初に声がかかったのは1991年発行の56号『花ある風景』です。この巻の編集長は鮫島惇一さんで、私も編集委員として呼ばれ、「街を彩る花」と「花風景の広がり」という二つの文章を書いております。

文庫

文章は大したことはないのですが、一つだけこっそり自慢にしていることがあります。カラーページの最後にこの巻にふさわしい絵を入れたいと木原さんに相談され、迷うことなく八木伸子さんを推薦しました。八木さんは家もすぐ近くでも、普段は挨拶する程度だけど、私は大ファンだったのです。本が送られてきた時にこの絵を見て、とてもうれしかった。『花ある風景』にピッタリの絵だと思います。八木さんには、会うたびにお礼を言われましたが、この絵はほしかったなぁ…(^^;)
  八木さん
その何年後だったか、なにかの席で鮫島さんにバッタリ会った時に、ちょうどよかった。書く人がいなくて困っているのが二つある。あんたならなんとかしてくれそうなので頼むよ!と押しつけられたのが、74号『わが街新風景』の三吉神社と西野緑道でした。境内で一時間くらいうろうろしながら構想を練り、一気に書き上げたのがこの文章でした。
  三吉さん

そして2002年には、いよいよ100号の完結編『北都、その未来』では、緑に関して好きなことをいてほしいとの依頼があったので、「町角の緑 市民の財産をつくろう」という8ページほどの文章を書きました。「緑から見た札幌の特性」、「緑は町の記憶」、「五感で感じる緑」と書き進んで、最後に「緑の聖域づくりを」提唱しています。格子状の街路に四角いビルを詰め込めば、まとまった緑は造ることができません。再開発のようなまとまった造成をする機会があれば、その一角に今後手を付けない空間を設定し、ハルニレのような何百年も生きる木によって緑の聖域(サンクチュアリ)を造れば、次の世代も繋がるものになるだろうと、後のハルニレプロジェクトに繋がる提案をしていました。

     緑の聖域
こういう場で提案したことが、実現することはないとしても、その時の自分の立ち位置をはっきりさせたという意味で、文庫は私の背中を押してくれたといえるでしょうか。「さっぽろ文庫」は図書館などには必ず常備されているし、電子本でも読めるので、興味のあるテーマを是非読んでいただきたいです。

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   
<< September 2020 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM