入学相談会の案内です

  • 2018.04.08 Sunday
  • 07:15
今朝の朝日新聞に、再び北星余市の記事がありました。まだ5名足りないそうです。札幌だけでなく、東京や大阪でも説明会があるそうなので、どうかよろしくお願いいたします〜
追加募集

 ※詳しくは、こちらの記事を参照下さい。

北星学園余市高校

  • 2018.04.05 Thursday
  • 05:51
今朝はまた冬の寒さに逆戻り。2日からは峠を越えて盤渓までのコースに切り替えているのですが、道端にはうっすら雪が積もり、雪融け水が路面を流れていたところは、数十mにわたってスケートリンクになっていました。ニュースでやっていた青森の雪景色よりはましだけど、関東以西との気候の落差はまだまだ大きいですねぇ…(>_<)

余市にある北星学園余市高校は、引きこもりなどで不登校や中退した子供たちを積極的に受け入れ、普通の社会生活が送れるようにきめの細かい指導をしながら、たくさんの卒業生を送り出してきました。ところが近年では、林立する単位制や通信制の高校に生徒をとられ、経営的にかなり厳しくなってしまったのです。昨年学園の理事会から、70名の新入生がなければ即募集停止との最後通告を受けましたが、昨年はなんとかクリアできました。

そんな学校に、3年前から娘が非常勤講師として、総合講座を担当することになりました。当時の校長先生が、地域とのつながりをもっと持ちたいと、娘を口説き落としたのでした。
カリキュラム

3年前には、HBCのテレビで大きく取り上げられたこともあります。まだこの時には子供がいなかったし、ハル農園の管理もやっていたので、それなりに伸び伸びとやっていたと思います。
ブドウのお仕事

ビデオで見る限り、やんちゃな子供たちも「やる時はやる!」という感じで、与えられた仕事に精を出しているようでした。
苗木

でもその次の年には畑から離れ、妊娠して子供が生まれたので、一体どうやって授業を続けたんだろう?と心配ながらも、講師を続けてきました。先日の報告会を学校のブログで見ると、赤ん坊をおんぶして授業をやっていたようです…(^^;)
発表会

昨年はずいぶんと話題になって各種の報道があったけれど、今年は全然取りあげられなくなったので、今年は大丈夫なんだと思っていました。先月の末の朝日新聞に、かつての在校生が、この学校をつぶしたくないと、学校の魅力を綴った冊子を作ったという記事がありました。その最後のあたりに、今年の入学見込みの生徒がまだ目標の70名に届いていないとあってビックリ。5月1日までに70名に届かなければ募集停止になってしまうのです。

朝日新聞

少子高齢化社会の弊害は、まずこういう一番弱いところからじわじわと忍び寄ってきます。厳しい環境の中で、なんとか子供たちを社会に送りだそうと、精一杯の努力している先生方の苦労が、たった数人のことで無になってしまっては大変なんです。こんな学校があることに興味をお持ちの方は、ぜひ回りにも知らせていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。

追記:今朝の読売新聞にも、「学校存続ピンチ」の記事がありました。札幌での相談会が15日にあるそうです。

さよなら3月

  • 2018.03.31 Saturday
  • 05:59
閉店したハンズのコピーじゃないけれど、あっという間に3月が終わりました。前の会社に勤めていた時には、年度末は地獄の日々。成果をまとめながら、全道各地で完了検査を渡り歩く、思い出すのも胃が病んできそうな滅茶苦茶な生活をしていました。それに比べれば、実に平穏な気持ちで年度末を迎えることができるようになり、ありがたいことだと思います。今週の暖気のお陰で、札幌は29日に積雪が0になり、町中からはほぼ完全に雪が消えました。こんな春の到来の仕方も、今までに無かったパターンでしょうか。

探していた本の在庫が近くの本屋になく、マルヤマクラスの姉妹店にあるというので、そちらまで行ってきました。もちろん歩道に雪はなく、その代わり冬の間に滑り止めで撒かれた砂の量のすごいこと。昔はこんなに撒かなかったのになぁ。早く一雨降ってすっきりしたいものです。殺風景な外から館内に一歩入ると、花屋さんの花たちが温かく迎えてくれます。先日葉桜だと言われたからではないだろうけれど、新しくシダレザクラの大枝が活けられていました。これは売り物ではないだろうし、ディスプレイにこれだけのことをやる心意気には感心させられました。
シダレザクラ

数日前に新聞のチラシを見て、あれっ?滝野公園がもうチラシをいれてる??と思ってよく見たら、お隣さんでした…(^^;)
TAKONO

以前ある開発計画の中に、樹木葬のエリアを設けようとみんなで検討したことがありました。こんな小綺麗なものではなく、自然林を極力いじらず、その中にうまく収められないかというものです。もう10年以上前のことですが、うまくいけば面白かったのにと思い出してしまいました。
樹木葬

おひとり様用のガーデン葬まで用意される時代なんだと、半ばあきれましたが、我が家もいずれはどうにかしなければならないのに、ただ目を背けているだけですからねぇ。松山と熊本の墓のことも含めて、そろそろ子供たちと相談しなければならないようです。
ガーデン葬

景観あれこれ

  • 2018.03.29 Thursday
  • 05:55
昨日は16℃になるというので、出かける前に家の前に残っていた氷を割ったり、家の横に溜まっている雪を割ったりと、朝から一汗かきました。その際、危うく踏みつぶしそうになったのがこれ。
スノーフレーク1

どうやって厚い氷を溶かしながら芽を伸ばしてくるのか、春咲きスノーフレークが力強くつぼみを伸ばしてきていました。もう少し日当たりのいいところでは、しっかりと緑の葉も見えてきています。朝からこんなのを見てしまうと、本当に嬉しくなるものです。
スノーフレーク2

札幌は日がほとんど差さなかったので、あんまり暖かく感じませんでしたが、前日同様コートを着なくても全然平気でした。朝いちから景観審議会があったので、北2条の交差点で信号待ちしていたら、タワマンがまた少し高くなっているのに気付きました。だんだん鬱陶しい高さになっていくことでしょう。それにしても今月は、かでるやら緑苑ビルやら、この交差点に何度立ったことか。
かでる前

審議会では、10年前に策定された「北海道景観形成ビジョン」の見直しが行われているので、新ビジョンの骨子を確認しました。先日来すったもんだしながらワーキングで検討を進めてきたので、整理されてかなり分かりやすくなったと思います。でも担当者が、ほとんど年度末で異動してしまうとのこと… 頻繁に異動する役所って、継続性をいかに保つか大きな問題ですねぇ…
景観審議会

景観といえば、昨年の夏に十勝管内の国道に植えられているシラカンバが、無残にぶつ切りになった「事件」が起きました。さすがにこれは大問題だし、景観審議会副会長としても見逃す訳には行かないので、それなりの筋から事実確認してもらいました。すると役所内でも問題になっていたらしく、意外とすんなり対応していただくことに。こんな無残な状態をいつまでも晒しておく訳にはいかないので、先日きれいに伐採し、この春に新たな苗木を植えていただけることになったのです。時間はかかりますが、いつかまたあの素晴らしい道路景観が復活することを期待しましょう。

シラカンバ

迷走の新球場が…

  • 2017.02.08 Wednesday
  • 06:05
先週の新聞に、「ハム新球場、八紘学園候補に」との記事がありました。北広島市に先行され、焦りに焦った札幌市が目をつけたのは、やはりここだったのです。
道新
 (北海道新聞の記事を拝借m(__)m   2017.2.2)

札幌ドームの目の前でもあり、産業共進会場跡地(月寒ドーム)の用地が今は空いているので、きっと目をつけるだろうなと思っていました。航空写真で見るとこんな位置関係になっています。
航空写真

八紘学園は、秋田県出身の栗林元二郎が1930(S5)年に設立した、農業の実業教育を行う学校です。開設当初から北大農学部との関係が深く、わが研究室も含めて先生方は開設当初から関わりが深いのです。先生に知り合いもいることから、ちょこちょこ出入りしていたので、「八紘学園七十年史」なる分厚い本もいただいております。これによると、開設時の八紘学園からすぐに(財)八紘学院へ、戦後は進駐軍の命令で月寒学院に改称させられ、1971(S46)年に再び八紘学院に戻り、1976(S51)年に学校法人八紘学園が運営する北海道農業専門学校となったものだそうです。
ああややこしい…
看板

農場の中を斜めに横切るポプラ並木は、学校の開設後まもなく(1930年代)植えられたものとのことで、北大農場のようにすっきりとはしておりませんが、なかなかの風格があります。これも真ん中を北野通が横切ったために、途中でぶち切られてしまってます。
ポプラ並木

ここの目玉の一つが花菖蒲園やラベンダー畑、ヘメロカリス類などの花卉類の増殖です。これらは北野通の向こう側になっており、ジンギスカンクラブの近くになります。おそらくねらわれているのは北側なので、このあたりもかかってしまうのでしょうか。一度真夏の暑い盛りに、研究会の見学会でこの中を一通り歩き、ジンギスカンを食べたことがありましたが、ここのマトンは臭みがなくて本当に美味しかったのを思い出しました。
ヘメロカリス類

かつて80年代には,北大農場ですら長沼に追い出し、跡地を開発しようという動きがありました。デベロッパーの目から見れば、こんなおいしい土地が「無駄に広がっている」としか見えないのでしょう。こりゃまたムシロ旗でも立てなければならなくなるでしょうか。私的には、アンタッチャブルだとされている真駒内の自衛隊をどこかに移し、あそこを活用するのが一番だと思っているのですが。そんな度胸のある役人はいないでしょうねぇ。

まちづくり

  • 2017.01.27 Friday
  • 06:00
ほぼ毎日チェックしている「東洋経済ONLINE」は、時々頭をがぁーんと、ど突かれる思いをさせてくれることがあります。数日前の『ドイツには「まちづくり」という言葉はない』という高松平蔵さんの記事は、まさにそんなものでした。(記事の内容は、またじっくりと読んでみて下さい。)
ドイツ

この記事にもあるように、「まちづくり」という言葉は、まさに1990年代からやたらと使われるようになりました。ただでさえ曖昧な言葉ではありますが、一般的には「さらに良い生活が送れるように、ハード・ソフト両面から改善を図ろうとするプロセス」(Wikiより)程度の意味で使われていると思っています。高度成長が一段落し、量から質への転換が求められるようになってきたことから、ようやく目線が足元に向いてきたとも言えるでしょうか。花博は、そういう意味では格好の起爆剤になりました。たとえば、日本花の会が毎年実施している「花のまちづくりコンクール」が始まったのは、90年の大阪花博が終わった翌年のことでした。
花のまちづくりコンクール

私が88年にコンサルに転職し、人前で話すようになったのが91年からですが、それを振り返ってみると「○○のまちづくり」という演題の多いこと。自分で付けた訳ではないけれど、なんだか恥ずかしくなってしまいます…(>_<)

北海道がフラワーマスター制度をスタートさせたのが93年、『花と緑のまちづくり賞』をスタートさせたのが96年からなので、90年代は花のまちづくりが満開になった時期といえるでしょう。ビズの八木さんが『ガーデニング』で流行語大賞に入ったのが97年ですから、まさにそんな時代にはぴったりの言葉だったのです。
花と緑のまちづくり賞

なにをぐだぐだと言っているかというと、現在連続講座が進められている「さっぽろまちづくりガーデニング講座」の最終回に、『花と緑のまちづくり』という題で講義をしなければならないのです!事務局とは、なにを話せばいいんでしょうねぇ…と弱気の打合せをしていたのですが、確かにドイツでよく使われるという”Standortfaktor”(日本語で言えば「立地要因」とか「立地特性」)の方が、ドイツ的な厳密さでアプローチ出来そうな気もします。この記事を読んでしまったので、また一から組み直さなければならないようですねぇ…(^^;)

魅力度・幸福度

  • 2016.12.30 Friday
  • 06:24
仕事納めが終わり、円山の渋滞もウソのように収まりました。昼夜兼行で行われている除排雪もかなり進み、あちこちの道路が広くなっています。世界最大の除雪規模を誇る札幌だけに、このあたりの進め方はさすがですね。年間の予算規模が200億円という、天文学的な金額を投入しているだけに、毎年水になって溶けてしまうことに、こんなに税金を投入し続けることができるのかいな…と思わざるを得ません。因みに駅前の地下歩行空間の整備事業が、ほぼ同じ200億の規模ですから、そのすごさを思い知らされます。

今年の10月に、「地域ブランド調査2016」の結果の概要が公表され、全国1,000市区町村の中で、函館市がトップになったというニュースが入ってきました。道内からは、トップ10に3位札幌、4位小樽、6位富良野と四つも入っているのですから、観光地としての魅力は十分に持っていることが分かります。(札幌はちょっと疑問ではありますが…)ちなみに都道府県でも、北海道はダントツの1位を確保していました。

ランキング
(第11回「地域ブランド調査2016」(株)ブランド総合研究所 ニュースリリースより 以下同)

インターネットによる調査ですが、項目が77もあるため、それなりの信頼度はあるのでしょう。もちろん観光が基軸なので、本州の人から見ればいいことばかりが目に付くのかもしれません。
調査方法

ただ経年変化を見てみると、低下傾向が続いていることから、「メッキが剥げてきた」ものか、旅の多様化が進んで、ほかの町の魅力が増えてきていることも考えられるでしょう。何もしなくても人が来てくれる時代ではなくなったことが、この経過を見ればはっきりと分かります。

年度別推移

それよりももっと大変なことが起きました。もう一つ、全国の中核市を対象に調査された「幸福度ランキング」で、魅力度トップの函館市が最下位になってしまったのです。幸福度ランキングは、(1)人口増加率、(2)1人当たりの所得、(3)国政選挙投票率、(4)財政健全度、(5)合計特殊出生率、(6)自殺者数 の6つを「都市の持続可能性や住民生活の根幹を支える要素」として基本指標に設定。これに健康や文化、仕事などに関する33指標を加えた39指標によって調査されています。ようするに町の元気度ですから、トップはトヨタのある豊田市だし、2位の長野市、3位の高崎市などが続いています。ここで函館市は、自殺者数や生活保護受給率、大学進学率の三つが最下位になるなど足を引っ張り、総合点で最下位になってしまったのです。
道新記事
(道新WEB 2016年12月15日 から拝借  m(__)m)

函館市議会でもこれが問題になったようですが、ここまで極端だと住んでいる者にとっては耳の痛い話でしょう。でもこれからがんばっていけば、少しずつでも上がるわけですから、魅力度が落ちないうちになんとかしてほしいものです。

追悼 平尾誠二

  • 2016.10.24 Monday
  • 06:00
先週滝野公園からの帰り道、なんとなくラジオを聴きながら、思わずえっ!!っとはじかれてしまいました。平尾誠二氏が亡くなった…と聞こえたのです。戻ってからさっそく調べてみると本当でした…

80年代からのラグビーファンとして、平尾たちの同志社は、泥臭い明治ラグビーに代表されるセオリー型のつまらなさを吹っ飛ばしてくれた、最高の痛快ラグビーを展開してくれたのです。同志社の3連覇、そして神戸製鋼の7連覇は、まさに同志社ラグビーの黄金時代でした。

   自由に!

セオリーによって選手が動くのではなく、その場その場で各自がベストのパフォーマンスを発揮できること。それが同志社ラグビーの強みでした。前へ!と縦突進しかできなかった明治や、フォワードが弱くて横に展開するしかなかった展開の早稲田!ではなく、フォワードでもバックスからでも、どこからでも攻めていけるのが同志社ラグビーの強みであり、それを大きく開花させたのは、間違いなく天才といわれた平尾がいたからこそでしょう。

解説

平尾は同志社を卒業後イギリスに留学した後神戸製鋼に入り、さらにそのラグビーに磨きをかけていきます。フォワードには先に入社していた林と大八木がいたので、これまでのラグビーとは全然スタイルの違う、無敵のチームを作り上げていきました。ウィリアムズの奇跡の逆転トライに象徴される、宿敵三洋電機の挑戦をことごとく跳ね返し、社会人ラグビーそのものの近代化を促していきました。ワールドカップ以来のラグビーの隆盛も、その延長線上にあったと思います。
ラグビー界では、早稲田OBの宿沢広朗(ひろあき)(55)、慶応OBの上田昭夫(62)と、優れた指導者が早生されるのが残念です。まさかこの大事な時に、スタンドオフ(SO)の平尾が倒れてしまうなんて… 合掌
評伝

原稿書き…

  • 2016.10.17 Monday
  • 06:01
久しぶりに原稿書きに追われ、特にこの二日間は缶詰状態で、必死に原稿を書いていました。これまでもたくさん原稿は書いているのですが、今回のはちょっと気を使う部分があり、なかなか筆が進みませんでした。
(やっぱり文字にするには、キーボードをたたけませんでした…では雰囲気が出ないもので…(^^;))
デスク回り

さすがに1万字超の原稿書きは大変です。少しは使い回しができるかと思ったけれど、残念ながらほとんど出来ませんでした。ようやくほぼ完成。久しぶりに脳みそを搾った感じがします。この二日間は天気もよく、あちこち行きたいところもあったのになぁ…(>_<)

まぁ、受けてしまった以上は、がんばらない訳にはいきませんので。
したがって、今日のブログはお休みさせていただきます。m(__)m

暮しの手帖(札幌編)

  • 2016.10.08 Saturday
  • 05:56
南国四国に住んでいた者が、なんで北の果てまでやって来たのか、と言われると、たいていは「家から一番遠いところに行ってみたかった。」と答えていました。でも本当は、暮しの手帖のある記事に、少なからず影響を受けていたのです。1964年の73号には、日本紀行 その3「雪と土と星の町」として、札幌が冒頭27ページにわたって特集されていました。

発売された時にはまだ12歳ですから、どれだけ読んでいたものか分かりませんが、他の町の特集には見向きもせずに、その後何度も何度も読み返していました。なんで煤煙に煙る汚い街に惹かれたものでしょうか…
日本紀行札幌_0

特に中学から高校にかけて、学園紛争の嵐の中に翻弄されて神経をすり減らしていた時に、北の端にこんな理想に燃えた学校があったのか…どうせ大学に行くのなら、ここを選べばいい!と考えるようになっていったのです。
日本紀行札幌_1

少し長いですが、52年前の札幌の姿を振り返ってもるのも一興でしょうか。現役で受験に来た時には、全くこのままの通りと言っていい姿の町でした。住み始めて2年目の冬に、円山のおんぼろアパートに住んだ時、家賃を払いに大家の部屋に行くと、これと全く同じようなストーブの前で、シャツ一枚でビール飲んでました。
日本紀行札幌_2

やや感傷的で時に激しい筆致になるこの文章は、誰が書いたとも何も書かれておりません。花森安治がこんなに地方をじっくり回るヒマがあったのか?とも思いますが、やっぱり花森によるものだと思います。署名記事ではかなり抑制的な書き方をしていますが、これでは感情がほとばしるように筆が踊っています。
日本紀行札幌_3

72年には冬季オリンピックがあり、一浪してやって来た時には、札幌の町はどんどん変わっていく途中でした。地下鉄ができたばかりで、駅前通から電車が姿を消し、その復旧工事でグチャグチャドロドロの町になっていたし、ここに書かれていた通り、本当に汚い街に来たものだと心底思いました。
日本紀行札幌_4

確かに雪解け後はものすごく汚かったし、それが乾くとひどい砂埃で髪の毛がザスザスになってしまったけれど、5月になり緑が萌えるに連れ、まさに「なんということでしょう〜」と、感激の嵐に包まれてしまいました。うっとうしい常緑広葉樹の世界しか知らなかったので、鮮やかな緑を見るにつけ、弾けるようにあちこち歩き回りました。やっぱり来てよかったと、心底思ったのです。
日本紀行札幌_5

現実と理想の違いには、その後も何度もぶつかりながら、ともかくもこの町で生きてきました。今読み返してみても、ちょっとこの捉え方はなぁ…と思わないでもありません。でも四国の片田舎から、思い切って飛び出す勇気を与えてくれたことには間違いありません。
日本紀行札幌_6

暮らしの手帖の冒頭に、カラーページを30ページ近くも取って、こんな特集を載せた意図はなんだったのでしょうか?戦後の復興期に合わせて創刊し、なんとか普通の暮らしを少しでもよくしていこうと努力して、それなりの成果というか、手応えを感じていたことでしょう。それが一気に高度成長期に突入し、いわばバブルに翻弄されていくような世相に対して、花森はかなりの危機感を持っていたことと思います。そんな焦りがこの様な企画を生んだのではと思っています。
ともあれ、一人の人間がこのように北の国にやってきて、とうとう住み着いてしまったのですから、この雑誌もその役目を果たしたといえるでしょう。
日本紀行札幌_7

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