夕刊休止

  • 2024.03.16 Saturday
  • 05:36
朝日新聞の夕刊が、今月末で「休止」することになりました。毎日新聞はかなり以前から、道新は半年前からなので、いずれはと思っていたところです。そもそも夕刊は読むところが少ないし、これだけネットニュースがあふれていれば、わざわざ2回配達しなくても、その必要性はほとんどなかったのです。読売だけは他社がなくなったことをきっかけに、夕刊付きを売りにして販売拡大をねらうようですが。

社告

以前は2ページあった道内版が、ずっと1ページになって中身が全然なくなっていたのを、また元に戻すようです。以前からデジタル契約しているので、こんなキャンペーンは用がないのですが、昔契約している金額からすると安すぎない?!と、こちらの方が頭にきます。

デジタル契約

道新は紙版は取っていなくてデジタル版だけですが、朝日は朝食を食べながらじっくり紙版を読み、事務所に出てからは道新や他のネットニュースを幅広く読み込みます。でもデジタルニュースはあまり頭に残らないのに対し、紙版はやはり頭の中に付箋が付けられているような気がします。デジタル版のコンテンツはやたら多くて、とてもこんなの見ていたらいくら時間があっても足りなくなります。うまく使い分けしていかないと、時間の無駄遣いにならないよう気をつけなければ…

デジタルコンテンツ

大倉山シャンツェ

  • 2023.08.15 Tuesday
  • 05:48
日曜日、娘達に持たせるものを作りたいけれど、ちびちゃん達がくっついていると何もできないので、どこかに連れてってよ!と言われました。そんなに時間がないので、近場で涼しくて駐車がしやすいところは??と探したら、灯台もと暗しで、すぐ近くに大倉山シャンツェがありました。多分20年以上来ていなかったと思います。
大倉山

エスカレーターで上の広場に上がると、いきなりミストの洗礼が。確かに暑い時期には効果的だけど、こんなにメチャクチャ出さなくても…と思うくらいの噴射量です。面白がってしばらくいたら、びしょびしょになっていました。
ミスト

ジャンプ競技場といっても、3歳半の6号にはピンときていないはず。でも見たことのない風景が広がっていて、うろうろはしゃいでいました。
競技場

3号が小学生になっているので、一人でリフトに乗ることができ、私は6号を抱っこしてこわごわと上がっていきました。やっぱり高いところは苦手です。6号は物怖じしない子なので、キャッキャッはしゃいでいましたが…(^^;)
リフト

展望台に上がったけれど、思ったほど歓声も上がらないし、感激もしてくれません。やっぱり知らない町だからピンとこないのかな?雲の上から入道雲が伸びている方が面白がっていました。私はポプラ通がこんなに見えるんだ!とか嬉しがっていましたが。
展望台

左が円山で、真ん中が神社山、右が藻岩山だよ!といっても、やはりピンとこないのですね…こういう所はもう少し大きくなってからの方が面白いようです。
山並み

リフトで下りてから、オリンピックミュージアムを覗いて見ましたが、これも展示は当然ながら興味なくてスルーし、いくつかあるシミュレーターを試していました。91m飛んだので、夏休みの絵日記に描けばいいのにと、写真を送っておきました。最後に「おかあさんに内緒だよ!」と、ソフトクリームを食べて家に帰りました。ちびちゃん達の楽しい思い出になったでしょうか。
シミュレーター

追悼 中西太さん

  • 2023.05.21 Sunday
  • 05:41
出張中新聞やネットニュースを見なかったら、中西太さんが亡くなったとの訃報が入っていてびっくり。太っさんは私の子供の時からのアイドルで、送ってもらったサインは今も私の宝物です。これでもう、あの栄光の西鉄ライオンズ黄金時代の選手達は、みんな鬼籍に入ってしまいました。90歳まで生きた太っさんは長生きした方です。

訃報
  (朝日新聞デジタルより拝借…m(__)m)

子どもの時から大切にしてきたパッチンも、まだ2枚ありました。あの頃はお相撲さんかプロ野球選手が一番人気で、もっと取っておけば面白かったのに…と思ってしまいます。4歳か5歳の時にテレビが入ってきたので、初めて映像で顔を確認できましたが、男子はパッチンの絵柄で顔を覚えたのではないでしょうか。

パッチン2 パッチン1

西鉄ライオンズに関する本や雑誌、ビデオなど、たくさん持っていますが、誰かが亡くなるたびに引っ張り出して見てしまいます。この写真は日米野球にやって来たドジャースの選手達が、中西の打球があまりにもすごいので、みんなベンチから出てきて見入っているところだそう。現在は大谷や吉田がメジャーで活躍していますが、当時の中西であれば十分通じたであろう思ってしまいます。

バッティング
(「九州ライオンズ激闘史」 ベースボールマガジン社、2014 より)

あまりの強打に手首の腱鞘炎がひどくなり、選手としてフルに活動できたのはわずか7年と極めて短かったけれど、のちにコーチとして各球団を渡り歩き、たくさんの選手を育ててきた功績は極めて大きいと思います。本当に残念ですが、心よりご冥福を祈りいたします。

じいじ・ばあば

  • 2022.12.04 Sunday
  • 05:33
たわいもない話で恐縮ですが、先月の新聞記事にこんな話題がありました。確かにうちの孫からは、じいじとかじじとか呼ばれていますが、これは意外と最近のことのようです。

記事

なんでも2000年頃からよく使われるようになったみたいで、首都圏から全国に広まっていったようです。じじぃ、ばばぁじゃ角が立つから、入れ替えた造語なんでしょうか? うちの子供たちは地名から「松山ばぁちゃん」函館だから「はこじぃちゃん」「はこばぁちゃん」と呼んでいたような。6年前に3人孫が生まれてきて以来、みんなにじぃじ・ばぁばと呼ばれて、別に嫌だと思ったことはないけれど、アンケートでは呼ばれたくない方が多いようです。
内訳

私が子どもの頃には、普通に「ばぁちゃん」と呼んでいました。祖父は生まれる12年も前に亡くなっているので、こんな写真しか知らないし、こうしてみるとあまり似ているところがありません。母方の祖父は高崎にいたので、私が4歳の夏に一度松山まで来てくれましたが、全く記憶がありません。この2年後に亡くなっているので、「じいちゃん」というイメージがないのです。

文夫 美邦

高崎の祖父が来た時に、一緒に写っているのが4歳の私です。こうしてみると、頭がでかいところが祖父譲りかなと思いますが、なんでスイカのヘタをほじくっているんだろう?自分としては、一度でいいから「じいちゃん」と呼んでみたかったです〜

      自分

白河の関越え

  • 2022.08.24 Wednesday
  • 05:53
夏の甲子園は、仙台育英の優勝で終わりました。大阪桐蔭を破った下関国際に勝たせてやりたい気持ちはあったけれど、勝負の世界はシビアなので、強いところが勝つのは仕方ありません。それにしても、やたらと「白河の関越え」という言葉が踊りました。今でも東北の人にとって、「白河の関」という言葉が生きていることに、ちょっとびっくりさせられます。

朝日
NHK

白河の関は、もともと東北の蝦夷が南下しないように作られた砦だったそう。その場所は白河神社の境内になっており、なんとここでパブリックビューイングが行われていたのだそうです。チームは新幹線を乗り継いで仙台に帰ったそうです。新幹線はここからはかなり離れた所を通っているけれど、選手たちは大騒ぎしていましたが、車内放送で「ただいま白河の関を通過中です」とはいわなかったのでしょうか。

白河の関
いわれ

駒大苫小牧が、北海道勢として初優勝したのは2004年のこと。この時は飛行機で帰っているので、白河の関のはるか上を飛び越え、津軽海峡を通過した時に機長が祝福のアナウンスをしたのだそうです。道民にとっては、以前は津軽海峡という大きな大きな障壁がありましたが、連絡船がなくなり、トンネルで知らぬ間に上陸していたり、飛行機で一万メートルの上空を飛んでくる時代には、はたしてこの様な障壁を意識する人がいるのでしょうか。

駒大苫小牧

2010年には、沖縄勢として興南が初優勝しています。この時にもやはり機長が「初めて本州九州を離れ、沖縄に向かうため南の海を渡りました」とアナウンスしたそうです。米軍統治下ではパスポートを持って本土に渡り、砂も持ち込めないで海に捨てられた時代があったので、それだけうれしかったのでしょう。確かこの時の機長以下乗員は、みんな沖縄出身だったような。

興南

夏の大会の都道府県別の勝率では、愛媛県はダントツで1位だったのに、最近はすっかり弱くなり、とうとう大阪に抜かれてしまいました。そんな野球どころ愛媛で育ったために、高校野球が始まるとそわそわしてしまうのが、自分でもなんかおかしく感じます。

ペニーレイン

  • 2022.07.25 Monday
  • 05:35
30年以上お世話になっていた美容室が、本日店を閉めることになりました。 先日の「おか田」の閉店といい、ショックなことが続きます。
       挨拶ハガキ2

先日最後のカットに行った時に、信号待ちしながら店を眺めて、もうここに来ることもなくなるのかと、ちょっとしんみりしてしまいました。
遠望

この店の裏庭に、屋根よりはるかに高いキリの木があります。一度大家さんにバッサリ切られましたが、そんなことにはお構いなくまたぐんぐん大きくなり、6月の初めに満開になるのです。ここのキリがタネを振りまくので、この辺りにはいろんなところにキリの稚樹が生えてきます。
キリの木

カットしている時にちょうど満開になっていたので、窓から屋根の上に出してもらい、キリの花を間近に撮すことができました。大きくなる木の花を、こんなにアップで花を撮すことができたのは奇跡的でした。よく見ると、奥さんが心配そうに見上げていたのですね…(^^;)
キリの花

中学高校は丸坊主だったけれど、高1の時に長髪闘争によって長髪を勝ち取りましたが、私は卒業まで坊主頭を続けました。髪を伸ばし始めた予備校時代に初めて床屋に行ったけれど、コテコテに固められるのが嫌で、その後は自分で適当に切っていました。強いくせ毛なのでなんとでもなったのです。大学を卒業後園芸フリーターとして細々と仕事をしていたけれど、とても食えなくて北18条駅前のビル掃除のバイトをやっていました。その時にテナントの美容室の方から、若い子のカットの練習台になってくれないかと頼まれ、ある程度それをやってからは、お金を払って結構長く付き合っていたのです。30台の後半くらいの時にその店を閉めることになり、それでかみさんが行っていたこの店にお世話になったので、以来30数年のつきあいになりました。
外観

ご主人は私より少し上で、山菜やきのこ採りが趣味だから、これからは曜日に関係なく出掛けることができることでしょう。夫婦共々本当にお世話になりました。でも来月から、どこに行けばよいのやら…(>_<)
ご夫婦

懲りない国

  • 2022.05.05 Thursday
  • 05:34
母の荷物すらまだ片付かないけれど、少しでも私の身の回りを整理しておこうと、ガラクタの詰まっているロフトの整理を少しずつ進めています。数日前にキャビネットの整理をしていたら、昔の週刊誌が何冊もある中に、こんなものが出てきました。1968(S43)年のサンデー毎日です。この年は高校一年なので、社会や政治に目覚め始めた時期に当たります。

サンデー毎日1

ドゥプチェク第一書記によって自由化が進められ、「プラハの春」を謳歌していたのもつかの間、ブレジネフ率いるソ連指導部は力をもってそれをつぶしにかかったのです。ワルシャワ条約機構軍約20万人が、戦車と共に一斉にチェコに侵入し、またたくまに全土を制圧してしまいました。ドゥプチェクは逮捕されてモスクワに送られ、すべての役職を解任されてしまったのです。

サンデー毎日3

今回のウクライナと大きく異なっているのは、国内に親ソ派がいて、すぐにソ連の傀儡政権にすり替えられてしまったことでしょう。小国チェコでは、とても抵抗することはできなかったのです。今回もこれと同じことができると、プーチンは思ったのでしょうか。もう50年以上も前のことですが、ロシアの悪あがきが、こんな形でウクライナに降りかかってくるとは、誰も想像できませんでした。無益な破壊とジェノサイドを止める手段はないものでしょうか…

サンデー毎日2

ウクライナ

  • 2022.03.17 Thursday
  • 05:40
毎日ニュースや新聞見ていても、なんとも重苦しい気持ちになってしまいます。一日でも早くプーチンを誰か暗殺してくれないかと思っても、なかなかそうもならないし…
と思っているところに、こんなメールが入ってきました。なんかおどろおどろしいし、きっと怪しいメールだろうと。
Readlle1

ちらちら読みながらゴミ箱に捨てようと思ったら、終わりの方に私が使っている Mac 用のソフトが書かれていたのです。なんだこの企業はウクライナのだったんだ。導入時にちょっとトラブルがあった時に、とても親切にフォローしてくれたので、好感を持っていたのです。(当然英語でのやりとりなので、翻訳機能を使って四苦八苦でしたが…(^^;))

Readlle2

そういえば、数日前の新聞にもこんな記事がありました。ソ連時代には、最先端技術や企業の多くがウクライナにあったことから、それが悔しくてプーチンが欲しがったという説もあるくらいです。
シリコンバレー
  (朝日新聞 2022.3.15朝刊より拝借…m(__)m)

それならちゃんと読んでみるかと、リンクのページも見てみました。今の私にできることといったら、少しでも募金をすることくらいしかないので、このページからいくら試みても受け付けてくれません。多分単位がUSDになっているから、円口座からだとダメなのかも…(>_<)

そこでいろんな募金の窓口を見てみると、確かにたくさんありました。今一番心配なのは、やっぱり子供たちだよなぁ…何に使われるのかがはっきりしている所でないと不安なので、やはりユニセフがよさそうです。既にかなりのスタッフが現地で活動しているようだし。

ユニセフ1

少しだけれど、何かお役に立てればいいですが。刻一刻深刻さが募っていくので、一日も早く平和が訪れることを祈るばかりです。

ユニセフ2

福岡国際マラソン

  • 2021.12.06 Monday
  • 05:52
先日新聞を見ていて、「最後の王者は誰だ」とあるので、初めて福岡国際マラソンがなくなることを知りました。びわ湖毎日マラソンがなくなるのは知っていたけれど、まさか福岡国際まで・・・主催はどちらも新聞社なので、いよいよ経営不振が深刻になってきたのでしょうか。

最後のマラソン

実は今からちょうど50年前、第25回大会を目撃していたのです。1971年は福岡で浪人生活をしていました。さすがに札幌まで来て浪人するわけにもいかず、九大の予備校の方がレベルは高そうなので、家から近い福岡に来ていたのです。この予備校は、札幌も同様ですが、代ゼミなどの大手が地方に進出して予備校はやめてしまい、それでも専門学校として残っているようです。

英数学舘1
英数学舘2

50年前のこの日は最後の模試があり、日曜日に予備校に来ていた休み時間、ふと窓の外を見るとマラソンランナーが駆け抜けているのが見えました。この頃のコースは海の中道まで行って折り返すもので、予備校前の那の津通は40キロあたりでしょうか。当時はまだ市内電車がメインの交通機関で、西鉄グランドホテル前の大名2丁目の電停で下り、細い小路を抜けて那の津通に出たところに予備校の校舎がありました。今の専門学校は別のところに建っているようです。

親不孝通

因みに4年先輩が井上陽水で、7年先輩がタモリだそうで、同窓生なんだぁ。
英数学舘3

マラソンランナーがあんなに早いものなんだということを初めて知ったので、沿道で応援するのは無理だということがよ〜く分かりました。今はコロナで沿道での応援は禁止されているので、ランナー達は走りやすいのか、それとも力が入らないのでしょうか。この様なトップクラスのランナーだけが走る「エリートマラソン大会」はどんどんすたれていき、数万人規模の大都市型マラソン大会しか残らなくなっていくのが時代の趨勢だとか。50年経てば、世の中なんでも変わって当たり前になってしまうようです。

マラソン大会

とはいえ、このマラソンがあるために予備校時代のことを思い出していたのですが、これからはそんなこともなくなってしまいます。半世紀も経ったのですから、もう忘れてもいいのでしょう。

朝日新聞5万号

  • 2021.03.04 Thursday
  • 05:52
2日の朝日新聞の朝刊に5万号という特集がありました。さっそく一面を見ると、まだ48392号。東京で朝日新聞が発行されたのは、大阪で創刊されてしばらく経ってからなので、かなり号数が少ないのです。現在の新聞では毎日新聞が一番古いので、調べて見ると六年前に5万号に達していました。毎日も朝日も発祥は大阪なので、当時の町の勢いが感じられます。
   東京

大阪本社版を紙面ビューワーで見てみると、やはりきれいに50000号になっていました。大阪朝日は創刊よりアシの絵柄ですが、東京朝日は北海道支社を含めて桜になっています。
   大阪

創刊号のあいさつの中に「難波津によしとあしとをかき分けて」とあるのでアシにしたそうですが、大阪はもともと豊葦原瑞穂の国と呼ばれた時代から、じくじくとした葦原にできた町だったので、アシをシンボルにしたのでしょう。
創刊号

主要紙は4本社制なので、西部本社(北九州)版を見てみると、なんと不思議な49997号。なんで3号少ないんだろう?原版を届けるのに3日もかかったのかなぁ?
   西部

名古屋本社版は、ちゃんと50000号になっていました。名古屋も北九州もアシなので、かつての大阪本社はそれだけ勢力があったことが分かります。
   名古屋

大阪本社版の特集だけちょっと中身が違っていて、関西の私鉄が載っていました。これを見ると京阪以外は野球チームを持っていたのに、今では阪神だけになっているなぁ…なんて考えてしまいます。
関西私鉄

なお、5万号特集は5日の正午まで紙面ビューワーが無料で公開されています。興味のある方はこちらからご覧になって下さい。

古新聞

  • 2020.03.22 Sunday
  • 06:00
昨日の続きですが、かなりの古新聞の山から偶然見つけたのがこの一枚で、わが西鉄ライオンズがリーグ優勝した時のものです。3年連続日本シリーズで巨人と対戦し、3連敗のあと4連勝して、巨人を3たてを喰らわせた痛快な年でした。それにしてもリーグ優勝したのだから、もっと見出しはしっかりと書いてほしかったなぁ。
西鉄優勝
 (以下、北海道新聞 1958.10.4 から)

この年は、オールスターまでに南海に11ゲーム差を付けられていたのに、それ以降稲尾が17勝1敗と、獅子奮迅の投球で大逆転したものです。日本シリーズでも、7戦中6戦に稲尾が投げて4勝し、『神様、仏様、稲尾様』と呼ばれた年でした。中西もこの頃が全盛時代で、その後は故障に苦しみ、選手生活は短命に終わってしまったのでした。
リーグ総評

その横に地味な扱いで巨人も優勝したとありますが、自力ではなく阪神が広島に「気合い負け」して優勝が転げ込んだのです。今も昔も阪神はだめトラでした…(^^;) それにしても、旅館で乾杯している写真なんて載せるものかいな。まだビール掛けなんかやっていなかったようです。面白いのは、右下に「力道山、選手権防衛」とあり、プロレスがちゃんとスポーツだった頃のものですねぇ。
巨人優勝

もう一枚は朝日新聞の道内版。ここでいう「横路と町村」とは、横路孝弘のお父さんの横路節雄と町村金五が戦った知事選挙のことを取りあげた記事でした。この頃は社会党が強かったので田中知事が3選し、その跡目を争ったものです。翌年の選挙で町村が勝ってそのまま3選し、そのあとを堂垣内がまた3選、そのあとの選挙を今度は息子の横路孝弘が勝って3選するという、保革が入り乱れていた知事選が続きました。
朝日新聞

やはり広告が面白く、グリコはおまけではなく、補助券10枚でコインセット(4枚セット)が当たるというものです。そのコインがすごくて、古代ローマ金貨(本物?)、古代青銅貨、5フラン銀貨などなど。1つぶで2度おいしいアーモンドグリコは10円と20円。オマケつきグリコが10円とあります。そんな時代だったのですねぇ。
グリコ

たくさん積まれている古新聞から、この2枚だけを抜き取ったのはある意味正解で、ロフトのキャビネットに詰め込まれている古新聞は、まだ怖くて手がつけられません。じわじわと身の回りの片付けを進めていかないといけないのですが・・・

北区のまちづくり

  • 2019.12.16 Monday
  • 05:49
先日北区の土木センターでの打合せの中で、篠路にある五ノ戸の森の話になりました。30年くらい前あそこを整備する時に、後輩の会社の手伝いで、現況調査と保全の取り組みについて整理したことがありました。その後都市緑地かなにかになって市の管理になったのですが、再び関わったのが16,7年前。北区のまちづくり活動に携わった頃のこと。
  まちづくり通信

北区とは結構いろんなつきあいがあり、93年から98年まで北区まちづくり8人委員会として関わり、その後継事業として北区のまちづくりコンテストの審査員を2002年から05年までやっています。年間200万くらいの予算があり、1件2〜30万程度のまちづくり事業に応募して予算を獲得する際の審査を行ったのです。それに応募してきたのが、五ノ戸の森を舞台にいろいろな活動をしていて「ホッとしのろ21」でした。もちろん審査に通って印刷費を獲得し、できあがったのがA4版8ページのこの冊子です。
  五戸の森

野鳥観察や絵本の読み聞かせ、清掃や樹名板作りなど、多彩な活動を展開していたのですが、さすがに植生管理までは出来なかったようで、しばらくして見に行った時に、かなり荒れ果てているのが気になりました。その後しばらく行っていないので、その後どうなっているのか心配になります。
一年に2回、審査会と報告会があり、報告会の方が面白かった。このお陰で北区の隅々まで、いろんな活動がやられているのを実感できたのは、私にとっても本当に勉強になったのです。

  コンテスト

審査員なので、それぞれに講評しなければならず、これがまた大変でした。この会だけでは実情がつかめないため、自然系や花系の活動には、実際に足を運んで活動状況を見るようにし、より的確なアドバイスが出来るよう心がけていました。こんなコメントを今読むのも怖かったけれど、それほど変なことは言っていないようなので、公開しておこうかな…(^^;)
  コメント
印象に残っているのは、やはり子供たちも参加している取り組みです。子供たちが、それによっていろんな体験をし、できるだけたくさんの引き出しを作ってあげることが大切だと思います。もう一度足元を見つめ直さねば。

ラグビー

  • 2019.11.04 Monday
  • 05:54
ラグビーのワールドカップが開幕して1ヶ月半。ようやく南アフリカの快勝によって閉幕に。ラグビー好きの私にとって、慌ただしくも楽しくすごさせていただきました。それにしても昨日の決勝、もう少しイングランドが踏ん張れるかと思ったけれど、まさに緑の壁。全くこじ開けることはできませんでした。要のプロップが開始早々負傷退場したのが痛かったけれど、それにしても南アフリカの圧勝といえるでしょうね。

決勝

今回「にわか」ラグビーファンが一気にふくらんだのは、日本代表の活躍ぶりがあまりにも衝撃的だったことがあげられます。まさかアイルランド戦で勝てるとは…?!一戦ごとに異常なほど盛り上がっていくのがあきれるほどでしたが、本当に素晴らしい戦いでした。
アイルランド戦
  (以下の画像は日刊スポーツのHPより拝借しました。m(__)m)

あのころちょうどやっていた日本シリーズを見て、野球ってこんなまどろっこしいスポーツなんだ…とあらためて感じてしまいました。ピッチャーがだらだら投げているだけで、たまにヒットが出ればまだしも、大半の時間は退屈なやりとり。外野なんて1試合に何回仕事するのやら…と思ってしまいました。息も継がせぬ動きがあるラグビーの面白さが、ようやく伝わったのは本当によかったと思います。

試合の演出も、それぞれ意味があって楽しめました。開始前の入場に登場するマスコットキッズは、みんなそれぞれの国歌をしっかり覚えていて、ちゃんと歌っています。決勝で勤めた子は釜石からやって来て、堂々と南アフリカの国歌を歌っていましたから。釜石が、ラグビーの価値を伝える活動に贈られるキャラクター(品格)賞を受賞したことも、大変喜ばしいことでした。
マスコットキッズ

事前合宿から2ヶ月以上も滞在して、日本各地で様々な交流があったのも特徴の一つだったようです。ウェールズは、新聞の全面広告でお世話になった北九州市のみなさんに感謝の言葉を表しているし、終わりの頃は、どのチームも試合終了と共に観客席やグラウンドにお辞儀をしていました。

お辞儀

どこかのコマーシャルに、宿沢から松尾に、松尾から平尾に、平尾から?にとボールがパスされていたけれど、それぞれの思いの詰まったワールドカップだったと思うと、しみじみいい大会だったと改めて思ってしまいます。すべてはこれからなので、息長くこの「ブーム」が定着していくことを願ってやみません。

暑さの記憶

  • 2019.10.20 Sunday
  • 05:42
ここ数日、来年の東京オリンピックのマラソンが、急遽札幌での開催か?というニュースでもちきりです。滝野のガイドさんにも、フルマラソンどころか100キロのウルトラマラソンを走っている猛者がいるので、ガイド室でもこの話題で持ちきりに。

マラソン
  (朝日新聞DIGITAL より拝借…m(__)m)

それにしても酷暑の東京で、最も暑い時期にマラソンをやるというのはもともと自殺行為のようなもの。マラソンに限らず、屋外でやる種目にとっては、想像するのも怖いくらいです。震災の復興も道半ば、原発に至っては「アンダーコントロール」に程遠い状況にあるにもかかわらず、こんな馬鹿げたオリンピックをやる必要なんかなかったものを。
スケジュール
  (オリンピック組織委員会 HP より拝借…m(__)m)

ちょうど本日実施の富丘西公園大掃除会の資料を作っていて、今年の作業内容の記録を見返していたので、7月末から8月初めまで続いた真夏日のことを思い出してしまいました。参加者のほとんどが高齢者なので、体調管理には相当気を使わなければならないのです。それにしても、喉元過ぎれば熱さ忘れるという言葉があるけれど、暑さの記憶も意外と早く忘れてしまうものですねえ。
記録的暑さ
  (日本気象協会 HP より拝借…m(__)m)

IOCは、ドーハであった世界選手権陸上で、マラソンや競歩で棄権が続出したことから、急遽「涼しい」札幌に変更することにしたとのこと。確かにこんな記録を作るほどの暑さは、めったにないことなのかもしれませんが、感覚的にはこのところずっと高温傾向が続いているように感じます。富丘西公園で毎年開いている自然観察会は、二年連続で見どころの花がすっかり終わってしまい、来年から一週間早めることにしようと考えていたところでした。
真夏日の記録
  (道新 WEB より拝借…m(__)m)

バッハ会長の強い意向が反映しているので、多分もうこのまま札幌でやることになるのかもしれませんが、その判断の根拠は平年値を見たのかなぁ?という気がします。早朝ならなんとかなるといっても、今年のような熱帯夜がまた再現することだって十分ある訳ですから。大騒動して札幌で開催したものの、また今年のような記録的な暑さになれば、なぁんだ…ということになりかねません。そうなったら誰が責任もつのでしょうねぇ…

  今年の東京
  今年の札幌
  (気象庁 HP より拝借…m(__)m)

ラグビー

  • 2019.09.22 Sunday
  • 05:52
いよいよラグビーのワールドカップが始まりました。初戦のロシアとの試合は、初めのうちは目を塞ぎたいほどガチガチになっていましたが、前半が終わりに近づいたあたりからようやく本来のテンポに戻り、最終的には30-10で順当勝ちしてくれました。野球よりはるかにラグビー好きな私としては、しばらく落ち着かない日々が続きます。
試合結果

試合を観ていて、どうしても頭によぎってしまうのは、平尾に見せてやりたかったなぁ…という思いでした。誰よりも日本のラグビーを強くしたいと努力してきた人だからです。
平尾誠二
(『全国社会人ラグピー大会50年史』 日本ラグビーフットボール協会、朝日新聞社、1998より)

分厚い『全国社会人ラグピー大会50年史』を出して見ていたら、中に新聞の切り抜きが挟まっていました。2002年12月14日の新聞で、最後の社会人ラグビーの特集です。翌年からトップリーグに移行してしまうので、戦後まもなく始まった社会人大会が55回大会で終わることになったのです。

古新聞

この中に歴代優勝チームが載っていたので、ラグビーを見始めたのが82〜83年くらいだと分かりました。ちょうど新日鉄釜石が連覇を伸ばしていた時のことです。この頃は社会人王者と学生王者が1月下旬に戦って日本一を決めていましたが、学生王者として同志社大が挑み続けていたのです。
優勝チーム

新日鉄釜石の司令塔は「ミスター・ラグビー」と呼ばれた松尾雄治で、ほとんどが高卒の選手なのに、猛練習で無敵のチームに作り上げ、とうとう7連覇を果たしたのです。この記事は、これで引退することになった松尾の特集で、「さよなら松尾雄治 ラグビークライマックス」となっていました。「北の鉄人」と呼ばれていたこのチームは、やがてリストラの中でクラブチーム化し、現在も釜石シーウェイブスとして活動しています。この活躍があったからこそ、今回のワールドカップでも釜石で試合が行われることになりました。
松尾雄治
 (Nunber 117、1985.2.20発行、文藝春秋社 より)

平尾たち同志社大は、とうとう釜石を破ることはできませんでしたが、平尾は卒業後英国留学を経て神戸製鋼に入り、またたくましいチームを作り上げて7連覇をすると共に、ラグビーの近代化に大きく貢献することになったのです。
平尾誠二

一次リーグを突破するとニュージーランドと戦うことになりそうなので、24年前に喫した『145点の悪夢』を吹き払うような戦いをして、平尾のところに朗報を届けてほしいと願っています。

祝 神鋼優勝!

  • 2018.12.17 Monday
  • 05:51
土曜日にあったラグビーのトップリーグ決勝&日本選手権で、神戸製鋼が優勝しました。トップリーグでは第1回目に優勝して以来15年振り、日本選手権では18年振り10度目の優勝となりました。しかも、2連覇中だったサントリーを55ー5で破る圧勝振り。神鋼ファンとしては最高にうれしいです。

神鋼復活
 (朝日新聞 2018.12.15 朝刊より拝借…m(__)m)

ゲームキャプテンの橋本選手の手には、2年前に亡くなった平尾誠二さんの遺影が、しっかりと掲げられていました。今季から加わったニュージーランドの世界的なプレーヤーであるダン・カーターも、神戸製鋼がどのようなチームであるか、しっかりと学び、そしてその遺産に心からリスペクトした上でプレーをしたとのこと。なおのことうれしくなります。

平尾に捧ぐ

私がラグビーに夢中になったのは、新日鉄釜石の7連覇のあたりから。その時には釜石の司令塔であった松尾雄治が引退を決めており、その釜石に挑戦したのが大学ラグビー3連覇中の同志社大学で、その司令塔が平尾誠二だったのです。

   松尾引退
 (Number 117 1985.2 発行より)

この時は同志社が善戦したものの、満身創痍の松尾の踏んばりで7連覇を達成し、有終の美を飾りました。この試合が、次の全日本の司令塔になる平尾へのバトンタッチになったのです。
平尾誠二
 (Number 117 1985.2 発行より)

その後平尾は、イギリスにラグビー留学ののちに神戸製鋼に入り、釜石同様、全日本7連覇を達成します。同志社で培われた『自由に!』をモットーに、各人が常に次のその次のプレーを考え、フォワードとバックスが一体になって、常に球を動かしながら変幻自在なプレーを継続する、新しいスタイルを確立しました。今回ニュージーラントから来た総監督のスタイルも、まさにそれだったのです。
神鋼7連覇
 (『全国社会人ラグピー大会50年史』 日本ラグビーフットボール協会、朝日新聞社、1998より)

今シーズンの神戸製鋼は、一敗もせずに頂点に立ったことにより、他のチームも当然このスタイルを追いかけてレベルアップしていくことでしょう。ラグビーワールドカップは来年なので、また盛り上がっていくことを期待したいです。

イーディス・キャベル

  • 2018.12.05 Wednesday
  • 05:49
私のパソコンは、起動時のトップページを Google にしているので、週に一、二度普通のロゴではなく、誰かの人物になっていることがあります。ほとんど誰か分からないのですが、絵の中に必ずGoogleの文字が隠されています。
ハインツ

右端のボッチを押すと、誰かの生誕○○年などと出てくるのですが、ほとんど知らない人ばかりなので、気になる人だけは検索して、ふ〜んと納得するのです。このハインツ・ジールマンさんというのは、ドイツの生物写真家だそうで、その方の生誕101周年ということなわけです。
なまえ

昨日のトップページはこれでした。赤いバラと白いライラックがあるということは、間違いなくイーディス・キャベルだと分かりました。昨日12月4日は、彼女の生誕153年だったそうです。
Google

彼女はイギリスの看護婦で、第一次世界大戦の際に従軍看護婦としてベルギーに渡り、敵味方なく傷ついた兵士を助けていました。そして連合軍兵士の脱出を助けたとして、ドイツ軍に捕らえられ、反逆罪の罪によって銃殺されたのです。

イーディスキャベル

フランスのライラック育種家であるルモワンによって、さっそく翌年に、真っ白で八重咲のライラックに彼女の名前が付けられ、国際ライラック協会に登録されました。
レジスター
 (International Register and Checklist of Cultivar Names in the Genus Syringa L. より)

そのライラックは、創成川公園にも導入されています。品種名が正しいか、データベースを確認し、その名前の由来を調べていてこれを知り、他の品種とは違う気高さを感じてしまいました。30数品種あるライラックの、すべてではありませんが分かる範囲の由来などの情報は、すべてデータで納めているので、それらをQRコードで読めるようにすれば、もっと楽しくライラックを見て歩けるのですがねぇ…
創成川

‘Edith Cavell’という品種名のついた植物は、ほかにもシャクヤクやジャーマンアイリスで、清楚な白花にこの名が付けられていました。ところがポリアンタローズの‘Edith Cavell’は、燃えるような真っ赤。これは流された血を意味しているのでしょうか…
バラ

なんと山の名前にもなっています。カナダのアルバータ州にあるジャスパー国立公園では、もともとフィッツフュー(Fitzhugh)という名前の山が、殺された翌年に彼女の名前に改名されていました。これはちょっと迷惑だったかも…
山

ロンドンのトラファルガー広場に、彼女の立派な追悼モニュメントがあるそうです。直後に聖人に列せられて今でも手厚く追慕されている存在ではありますが、戦争では名もない数百万もの方が命を落としていることを、絶対に忘れてはならないでしょう。
モニュメント

 (創成川公園のライラック以外は、すべてネットから拝借しました…m(__)m)

景観との関わり

  • 2018.07.31 Tuesday
  • 06:00
寝苦しい熱帯夜状態が続きます。まだ咳や痰が絡んで夜中に何度も起こされますが、完治までもう一息の所まで来ました。夏風邪をこじらすと長引くというのは本当で、こんなに長く苦しむとは… 前半戦の疲れが溜まっていたこともあったかもしれません。なかなか年相応の動きになっていきませんねぇ…(^^;)

今月の初め、北海道からペラペラな封筒が届いたと思ったら、中には知事からのお礼状?が1枚入っていました。北海道景観審議会の委員を4期8年務めたので、任期が満了になり、先月末で退任したばかりでした。今はこんなしくみになっているんだと、ちょっと苦笑… というのも、90年代には建設部だけでなく、水産林務部や環境生活部、商工労働観光部、保健環境部など、いろんな部署の委員を次々とやっていました。便利な存在だったのでしょう。当時の道庁の羽振りは今では信じられないくらい。委員会の節目には夜の部があり、帰りにはタクシーチケットが渡されました。終了時にはなんか記念品までもらった委員会もあったなぁ…(^^;) 遠い昔のことでした。
挨拶状

景観とのつきあいは、1991(H4)年に北海道景観アドバイザーに任命されてからです。だいたいコンサルに転身して3年目、緑のことはある程度分かっていたけれど、景観については学生の頃に本を読んだくらいで、頭の中に全く蓄積がありませんでした。景観アドバイザーのしくみはその2年前にスタートしていたけれど、緑の専門家が足りないので手伝ってくれと声をかけられ、いきなり他分野の専門家2名とと組んで市町村に派遣され、ワンストップサービスのように、短期間に問題を整理して解決法に導いていかなければならないという、実に大変な仕事でした。
景観アドバイザー

何回か派遣されるにつれて、だんだん要領がつかめるようになり、気の効いたことも言えるようになるまでは本当に大変でしたが、いろんな現場で苦労し、解決策を共同して導いていくという、とてもいいトレーニングの場となったのでした。行く人は毎回変わるので、いろんな分野の人と知り合いになったのも、いまとなっては大きな財産になりました。まだギラギラしていた頃の私のプロフィールです〜
  決意表明

景観アドバイザー制度は、10年後の2002(H14)年に幕を下ろして、ホッとしたところに、札幌市の都市計画課から、都市景観審議会の委員になってほしいとの依頼が入りました。これは、退任した私の先輩でもあるWさんの推薦だというので、それならありがたく承りますということに。初めの1年くらいは、そんなに大きな案件もなく、わりとのんびりやっていたのですが、2004(H16)年に景観法が施行されることになり、それに合わせて市の景観施策をすべて整合性をつけるよう、膨大な作業が始まったのです。当時の都市計画課の面々も本当によくやったと思いますが、私たちも必死で勉強しなければチェックができず、あれは本当によくできたと思います。私の担当だった景観資産の仕組みづくりも、なんとか軌道に乗せることが出来ました。
札幌市都市景観審議会

市の都市景観審議会も、4期8年が任期なので、やれやれようやく重たい荷が下りたと思っていたところに、道庁の都市計画課から、待ってましたとばかりに声がかかり、そのまま北海道景観審議会に入りました。主要都市や景観に敏感な町村は、独自の景観団体になっているので、道の審議会はそれ以外をカバーする形です。広域景観が主たる対象になるので、新幹線対策や、風力・太陽光発電施設などの対応に追われました。
北海道景観審議会

結局のところ、最後の審議会で議論になった「北海道らしい景観」とはなにか?というところに行き着くのでしょう。道民一人一人が作り出していく生活の積み重ねが、これからの北海道の景観になっていくことを、今一度かみしめていきたいと思います。

入学相談会の案内です

  • 2018.04.08 Sunday
  • 07:15
今朝の朝日新聞に、再び北星余市の記事がありました。まだ5名足りないそうです。札幌だけでなく、東京や大阪でも説明会があるそうなので、どうかよろしくお願いいたします〜
追加募集

 ※詳しくは、こちらの記事を参照下さい。

北星学園余市高校

  • 2018.04.05 Thursday
  • 05:51
今朝はまた冬の寒さに逆戻り。2日からは峠を越えて盤渓までのコースに切り替えているのですが、道端にはうっすら雪が積もり、雪融け水が路面を流れていたところは、数十mにわたってスケートリンクになっていました。ニュースでやっていた青森の雪景色よりはましだけど、関東以西との気候の落差はまだまだ大きいですねぇ…(>_<)

余市にある北星学園余市高校は、引きこもりなどで不登校や中退した子供たちを積極的に受け入れ、普通の社会生活が送れるようにきめの細かい指導をしながら、たくさんの卒業生を送り出してきました。ところが近年では、林立する単位制や通信制の高校に生徒をとられ、経営的にかなり厳しくなってしまったのです。昨年学園の理事会から、70名の新入生がなければ即募集停止との最後通告を受けましたが、昨年はなんとかクリアできました。

そんな学校に、3年前から娘が非常勤講師として、総合講座を担当することになりました。当時の校長先生が、地域とのつながりをもっと持ちたいと、娘を口説き落としたのでした。
カリキュラム

3年前には、HBCのテレビで大きく取り上げられたこともあります。まだこの時には子供がいなかったし、ハル農園の管理もやっていたので、それなりに伸び伸びとやっていたと思います。
ブドウのお仕事

ビデオで見る限り、やんちゃな子供たちも「やる時はやる!」という感じで、与えられた仕事に精を出しているようでした。
苗木

でもその次の年には畑から離れ、妊娠して子供が生まれたので、一体どうやって授業を続けたんだろう?と心配ながらも、講師を続けてきました。先日の報告会を学校のブログで見ると、赤ん坊をおんぶして授業をやっていたようです…(^^;)
発表会

昨年はずいぶんと話題になって各種の報道があったけれど、今年は全然取りあげられなくなったので、今年は大丈夫なんだと思っていました。先月の末の朝日新聞に、かつての在校生が、この学校をつぶしたくないと、学校の魅力を綴った冊子を作ったという記事がありました。その最後のあたりに、今年の入学見込みの生徒がまだ目標の70名に届いていないとあってビックリ。5月1日までに70名に届かなければ募集停止になってしまうのです。

朝日新聞

少子高齢化社会の弊害は、まずこういう一番弱いところからじわじわと忍び寄ってきます。厳しい環境の中で、なんとか子供たちを社会に送りだそうと、精一杯の努力している先生方の苦労が、たった数人のことで無になってしまっては大変なんです。こんな学校があることに興味をお持ちの方は、ぜひ回りにも知らせていただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。

追記:今朝の読売新聞にも、「学校存続ピンチ」の記事がありました。札幌での相談会が15日にあるそうです。

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