坊ちゃん列車

  • 2023.11.18 Saturday
  • 05:45
運転手不足でバスの減便や廃止がニュースを賑わしていますが、松山の市内を走っている坊ちゃん列車が、11月3日から無期限で運転休止になっているとのニュースを見つけました。

ニュース

運行している伊予鉄道のHPを確認すると、ずいぶんあっさりと1行の社告が載っているだけ。素っ気ないものです。この列車は2編成あり、松山市駅前で方向転換を人力で行わなければならないため、それぞれに3人乗らないと運行できません。でも運転手は1人だけだと思うのですが。

伊予鉄

外観は本物そっくりに復元されていますが、もちろん蒸気機関車ではなく、中身はディーゼルエンジンを積んで駆動しています。煙突からは水蒸気を出し、シュッシュッポッポというドラフト音はスピーカーで流しているだけですが、普通の電車に混じってこれが走ってくると、誰もが振り返ってしまいます。
道後駅前

モデルになった機関車はどちらもドイツのクラウス社製ですが、煙突や窓の形が微妙に違っています。道後温泉前から松山市駅前までの区間と、車庫のある古町(こまち)に行く路線の二系統が運転されていました。一度しか乗っていませんが、びっくりするほど狭い客車で、漱石に「マッチ箱のような」と言われたはずでした。
二号機

伊予鉄道が開業したのは古く、1888(M21)に松山・三津浜間が開通しています。現存する私鉄としては南海に次ぐ古さの鉄道で、なんでこんな田舎町に鉄道を走らせようと考えたのか不思議です。道後温泉までは別の会社が路線を作りましたが、のちに合併して城の周りを回れる環状線の一部になっています。社章は昔からこれで、伊予なのでイが4つ組み合わされているのです。
エンブレム

ドイツのクラウス社製の機関車は、東京の刺賀商会が輸入したので、プレートにはそのようになっています。その1号車が鉄道記念物に指定され、梅津寺(ばいしんじ)公園に静態保存されていました。何度か行きましたが、誰も見に来る人がなく、ちょっと寂しい状態です。
一号機

でも保存状態は素晴らしく、いつもピカピカに磨かれていて誇らしげです。走っているレプリカの方は全然磨かれていなくて、ちょっとかわいそうな状態でした。松山の町をこれが走っていないのは寂しいので、一日も早く復活してほしいです。
クラウス

タイヤ交換

  • 2023.10.18 Wednesday
  • 05:44
昨日はタイヤ交換へ。朝早くに滝野公園に行ったり、峠越えもあるのでいつも早くやっています。この車にしてから、タイヤの重たさが限界なので、スタンドに預けて交換までやってもらうことに。今は何でもアプリ経由だけれど、22日までは半額なので使わない手はありませんから。

アプリ

朝からずっと晴れたり雨になったりと、晩秋らしい目まぐるしい天気でした。もう少し気温が下がれば、これが雪になっていくことでしょう。
黒雲

西野にあるスタンドからは、手稲山のてっぺんをぎりぎり臨むことができますが、ほんの少しだけ白くなっていました。朝からこんなものだそうで、初冠雪といっても、うっすら積もった程度のようです。
初冠雪

車を入れ換えて2回目の冬になり、すんなり終わるかと思ったら、バランスがかなり狂っているので…と、調整もお願いしました。事務所で待っている間、タイヤ交換の予約の電話が鳴りっぱなし。手稲初冠雪を聞くと居ても立ってもいられなくなるのでしょうか。でもアプリ経由でないと半額にならないんだけどなぁ…
タイヤ交換

スタッドレスになると、ハンドルがメチャ軽くなり、びっくりするほどすぅっと走るようになります。しばらく気をつけなくては。さて今日は北に向かって走ります。
晴れ間

ドラレコ

  • 2023.10.09 Monday
  • 05:37
先日車の保険の更新を行いました。これまでずっと担当していた方は、今から44年前に豊平公園緑のセンターにいたときからのつきあいでしたが、高齢のため引退するので代わりの方を連れてきました。今度の方は実は親戚だそうですが、個人営業ではなく大会社の保険部にいて、まさにバリバリの方でした。今までずるずると最低ランクの契約内容で済ませてきたのですが、70歳を越えるといろいろなリスクが高まるので、あれも付けろこれも付けろと説得され、特にドライブレコーダーは絶対に付けてほしいといわれたのです。
ドラレコ

私はどちらかというとあおる方なので、ドラレコなんか付けませんと言ってきたのですが、根負けして着けることにしました。するとさっそく送られてきたのです。開けてみるとこれだけかい!これならすぐに付けられるとさっそくやってみました。
部品

ところが運転席側にはGPSのアンテナが着いているので、これ以上邪魔なものは付けたくないし、助手席側だとほとんど手が届かないけれど、こんなもの使うこともないやと、なんとか取り付けました。それ自体は簡単だけど、コードがメチャ太くて、すき間に埋め込むのが一仕事。なんだかんだと一時間以上もかかってようやくセットできました。
設置

今月はあちこち走り回るので、もちろん付けておくに越したことはないのですが、これまで通り慎重な運転を心がけましょう。箱をばらしながら、そういえば最近の仕切りはすべて段ボール製で、発泡スチロールは全く使わないけれど、一体どうやってこんな複雑な折り方を考えるんだろうと感心してしまいました。何でもやればできるものなのですね。
函 展開

ドアバイザー

  • 2022.12.02 Friday
  • 05:44
12月は雪と共にやって来ました。積雪は10cmもなかったけれど、一日中だらだら降り続きました。昼ころ郵便局に用事があって出かけたら、ナナカマドに綿帽子が。空が晴れていればきれいな写真が撮れたのに…
ナナカマド

途中ちょっと寄り道して柿の木を見に行くと、ここにももっこり雪が積もっています。生りすぎてこんなに小さいのか、これが本来の姿なのか分かりませんが、渋柿なのか甘柿なのか確かめてみたいなぁ…(^^;)
カキ

数日前に車を6ヶ月点検に出した時、いくつか不具合の修理もやりました。それに合わせてやったのがこのドアバイザーの撤去です。車を入れ換えた時には全然気付かなかったのですが、新車に初めてこれが付いてきたのです。そういうものかと気にもしなかったけれど、初めて洗車した時にその邪魔さかげんに気が付きました。
ドアバイザー

高圧洗浄機で洗車すると、このすき間に吹き付ければ汚れは飛ばせるけれど、今度はふき取りができません。洗車ブラシで手洗いすれば、こんなすき間に入らないので洗うことすらできません。窓ガラスを半分下げてなんとか拭き取っても、指すら入らないフレームの部分はそのままです。よく見るとほとんどの車に付いているけれど、どうやって洗ったり拭き取ったりしているのでしょう?
邪魔

検査で工場に入るので、こんなものはずしてくれといったら、なんと工賃が1万以上もかかるというのでプッツン!そもそもカタログの写真に付いていないんだから、余計なものを勝手に付けたんではないか!これが付くと不細工だから、カタログ写真には付いていないのであって、勝手に付けてくるメーカーがおかしい!と断じて、根引きさせました。
カタログ

雪が降るまでに取り外して大正解。ここに吹き込んだ雪は取りようがないし、凍り付いたらひどいことになるところでした。他の車を見たこともなかったけれど、みんなどうしているのでしょうか…
すっきり

摩周丸

  • 2022.08.21 Sunday
  • 05:48
函館二日目の朝、見事に晴れていたので、朝食を食べてから散歩に出かけました。駅前の花壇は、降りしきる雨の中でロクに写真も撮せなかったので、ちょっとピーカン過ぎて写りは悪いけれど、一通り記録の意味で撮しておかなければ。さてどこに向かって歩こうか?と思ったら、意外と海の方に出たことがなかったので、そのまま真っ直ぐ海岸に出てみると、あんなに雨に煙っていた函館山がくっきりと見えました。
海

目の前に青函連絡船摩周丸が係留されていて、近寄れないのかと思ったら、船の中に入るのは左の建物からしか入れないけれど、デッキの上をずっと歩けるようになっているのです。30過ぎまで飛行機に全く乗らず、ひたすら鉄道で移動していた鉄ちゃんだったので、連絡線にはずいぶんとお世話になりました。ホームに下りてから、いい場所を取ろうとみんな走ること。函館も青森もずいぶんな距離があったように思います。
摩周丸

一番先まで行くと函館山が間近に迫り、真っ正面に前日上っていった八幡坂が。きっと向こうからも、正面に見える連絡船を撮していることでしょう。右側には公会堂がくっきりと見えました。
八幡坂

左の建物二つは函館国際ホテル。ニチロが北洋の景気のよかった時代に建てた格式の高いホテルでしたが、北洋漁業の衰退と共に売りに出され、今はアメリカ資本のものとなっているそうです。昔出張で来た時にここに来ると、今日は空いているので新館のスイートでもいいですよと言われて行ってみたら、眼前に海の広がる素晴らしい部屋でした。でもそんな部屋にポツンと一人でいてもつまらないこと…(^^;) そんな思い出がよみがえってきました。
ベイエリア

四国で生まれ育ったので、昔は船に乗らないと本州や九州に渡れません。こんな5千トンクラスの船はなかったけれど、別府と神戸・大阪を結んでいた関西汽船だと3千トン、柳井、広島などを結ぶフェリーだと千トン弱くらいの船でした。船の移動はやはり格別で、出航や入港する時のわくわく感が忘れられません。しばらく船に乗っていないなぁ…
連絡船

戻ろうとしたら、ともえ大橋に上がる階段がありました。正式には臨港道路「函館湾岸大橋」だけど、函館市の市章にもなっている巴(港の形が巴の字に似ている)から、普通はともえ大橋と呼ばれています。8月1日の花火大会の日には、車輌を通行止めにしてここから花火を見物できるそうですが、まだ一度もこの日に当たったことがありません。
ともえ大橋

すぐ横が朝市で、観光客がぞろぞろ歩いていました。イカも全然とれていないというので、ちらと中をのぞいてみると、真ん中あたりにすごい人垣が。こんな密でいいのかしらんと恐る恐る近寄ると、活イカ釣りの店でした。ここが元祖だと。でも食べているのを覗くと、片手の指を広げたくらいのかわいいサイズ。海峡から漁り火が消えて何年も経つそうだけど、本当にさみしい限りです。
活イカ釣り

車の入れ換え

  • 2022.07.11 Monday
  • 05:48
先週車を入れ換えました。今まで乗っている車に不具合があるわけでもなく、まだまだ走ることはできるのですが、我が社は私の体一つで動いているので、経費で落とせるものが全くなくなるのが困るとのことで、入れ換えることにしたのです。きびきびとよく走る車だけに、別れるのがさみしくて、きれいに洗ってお別れしました。

さよならシャトル

シャトルに乗り換えたのはちょうど6年前。十勝ヒルズのグランドオープンのために、大雪森のガーデンから山を越えて十勝に向かう途中で、不覚にも居眠り運転をしてしまい、対向車線のガードレールに激突してクラッシュ。どこもケガがなかったのは不幸中の幸いでしたが、山中で電波がほとんどない中、なんとかJAFに繋がり、真夜中にようやく帯広まで送ってもらいました。グランドオープンのイベントは素知らぬ顔で切り抜けたものの、今から思えば大変なことをやらかしたものでした。その時に入れ換えたのがシャトルだったのです。6年間で69,000km、最盛期に比べれば半分以下のペースですが、よく走ってくれました。

69000km

HONDAの販売店に行くと、入口にはなんとこんなサインが!今までこんなことしてもらったことなんかないぞ!実は注文したのは3月で、その時には納車は半年後の9月末頃ですと言われていました。ネックになっている半導体が、どこからか手に入って納車が早まったのでしょうか。

サイン

あれやこれやと手続きやら使い方の説明を受け、ようやく引き渡しに。車に乗り始めて11台目、ホンダ車にしてから8台目の車はヴェゼルです。シャトルがあれば文句なくそれにしたのに、なんと廃版になってしまうので、やむなくこちらにしました。最新の安全装置が完備している方がいいので、選択肢がこれしかないのは残念です。ホンダのもの作りは最近すっかりおかしくなってしまっているように感じます。

新旧車

まだ一週間、いろんなボタンなどがよく分からないまま、そろそろ運転しています。汚れが目立たない地味な車を選んだつもりが、まだ2台しか見かけたことのない色なので、却って目立ってしまいそうです。

敬老優待乗車証

  • 2022.06.16 Thursday
  • 05:32
昨日区役所から、敬老優待乗車証の申請用紙が送られてきました。あと2ヶ月半で70歳になるので、自動的に送られてくるようです。否が応でも年齢を意識させられますが、「明るく豊かな老後の生活の充実を図るため」どんな制度になっているのかよく読んでみました。たった1,000円の負担で10,000円分も乗れるのであれば、ずいぶんとお得なサービスなんです。

優待乗車証

普段は車で動くことが多いけれど、現場がなくなれば極力公共交通機関を使っています。でも仕事で移動する時に、これを使うのはちょっとなぁ…と漠然と思っていました。多分1年に2万円も使っていないと思うけれど、それだと負担率は15%かぁ…

チャージ額

とりあえず私用と仕事用に、今までのサピカと敬老パスを使い分けながらやってみて、何年か後に仕事をスパッとやめれば(う〜んできるかなぁ…)、敬老パス1本にすればよいかと、申請書を出すことにしました。そろそろ真剣に、「老後」と向き合わなければならないようです。

申請書

昨日は歯医者に行く以外、どこにも出かけずにひたすら溜まっている事務仕事を片付けていました。自転車で歯医者に向かっていると、ついこの間まであった建物が更地になっていてびっくりしましたが、その前のマンションの前にサツキが満開に。普通6月下旬が満開のはずなのに、一週間以上開花が早くなっているようです。ニセアカシアが札幌まつりにもう散っているのですから…

大盃

サツキの植えつぶしは、植木屋時代に冬囲いが大変だったのと、濃いピンクの ‘大盃(おおさかずき)’がベターと咲いているのが好きじゃなくて、あまりいい印象がありません。でもこのように白花が紛れ込んで調和が乱されていると、なんだかホッとするのです。

ミックス

船の遭難

  • 2022.04.28 Thursday
  • 05:50
連日のウクライナのニュースにうんざりしていたら、今度は知床で観光船が遭難して、また気の重い日々が続きます。私も30年以上渡島大島に通っているので、海のこと船のことはいやが応にも詳しくなりました。そのうち20年以上は業務の責任者を務めていたので、絶対に事故を起こすわけにはいかなかったのです。渡島大島は道内では唯一外洋にあたる近海区域にあるため、普通の船より保安基準がはるかに厳しく、毎度乗せていただいているこの交通船も、相当の荒波でも航行できるようになっています。
近海登録船

真っ先に思ったのは、ライフジャケットをちゃんと着けることができないだろうなということ。ただ腕を通してチャックを閉めても、体が水没するとすり抜けてしまいます。危なくなってから「ライフジャケット着せろ!」など言うのは問題外。さらにこの水温では、10分ももたないだろうに、板状の浮きと浮き輪程度しか積んでいないのにはびっくり。以前は水温の低い時期には運行していなかったようですが、こんな時期に運行するのであれば、救命いかだくらい設置すべきでしょう。この樽状の中に詰め込まれていて、スイッチを入れれば数十秒で展開します。
救難いかだ

3mの波浪であれば、横からくらえばすぐに傾いて浸水してしまいます。港に戻ろうとすれば横を向かざるをえず、その時点でもうアウトでしょう。波に直角に船首を維持しなければいけないのですが、3mであればジェットコースターに乗っているように、空しか見えなくなった直後には船首が海に突っ込むほどの激しさです。そんな海に放り出されればどうなるか。この救命いかだであれば、移乗できればなんとかなるのですが。

救命筏

近海登録船には義務づけられているのがこのイーパブ。携帯や衛星携帯でも水没すればアウトだし、沿岸域とはいえ、知床のような気象条件の厳しいところで運行しているのであれば、せめてこれを設置しておけばと思ってしまいます。

イーパブ

救命いかだに持ち込んでスイッチを入れれば、救難信号を出してその位置がすぐに特定でき、救助される可能性が高くなります。万が一沈没しても、自動的に電波を発信してくれるので、船体の位置がすぐに探せるのですが。
しくみ

それにしても船というものは船長次第。船は出港すればすべて船長の責任です。この船長にたくさんの命を預かっている自覚があったのかどうか… なんともやりきれない思いです。一日も早く船体が見つかることを祈りたいです。

バスダイヤ改悪

  • 2021.03.05 Friday
  • 05:52
私たちが住んでいるのは宮の森の一番奥になり、宮の森シャンツェ発のJRバス荒井山線と、盤渓からやってくるばんけいバスも利用することができます。普段利用する17丁目のバス停だけでなく、ばんけいバスには18丁目のバス停もあり、こちらはスキーバスや夏の臨時バスだと乗降ができるので、使い分けができるのです。それぞれ乗車するバス停の発時間でないと不便なので、いつもExcelに打ち込んで時刻表を作っており、十数年分のダイヤが残っています。

数日前に、かみさんが経理の打合せに下りてこようとバスを待っていたら、時間になっても来ないのであわてて時刻表を見ると、3月1日付けで夏ダイヤに変わっており、しかもかなり大幅に時間が変わっていたそう。数人待っていた人も全然知らなくて、次のバスまで出直すわと帰って行ったそうです。いつも夏ダイヤに変わるのは4月1日なのに、なんで??と、あわてて調べて見ると、本当にガラッと変わっていました。
   2021春

昨年春のダイヤ改正で、これまで日中1時間に2本あったバスが1本になってしまいました。平行してばんけいバスも走っているので、合わせれば3本あり、それなりに分散していたので便利だったのが。ばんけいに近い方が残されてしまったので、32分を逃すと47分後でなければ次のバスが来なくなってしまったのです。今回はそれがさらに近くなったのです。(2020年夏ダイヤ)
   2020春

ばんけいバスは3月一杯はスキーバスがあるので、18丁目のバス停からだと乗ることができます。自宅はこのバス停の方が近いし、3年前までは夏にも臨時便が運行されていたので、それが使えましたが、運転手不足で廃止になってしまいました。(2017年夏ダイヤ)
   2017春

2010年の時刻表を見ると、こんなに走っていたんだとちょっとびっくり。数えてみるとJRバスは42本もありました。今回の改正では25本に減らされたので、10年で4割も減っているのです。少子高齢化で減少していたものが、コロナ禍で激減してしまったのでこういうことになったのでしょうか。これではますます尻すぼみになってしまわないか心配になってきます。
   2010冬
帰りのバスも大幅に変更され、なんと終バスが40分近くも早まっていました。今は飲み会もないので乗る人が少なくなっているかもしれませんが、地下鉄の改札口からバスタまで走って行ったのに、バスがなくて呆然とした人もいたのかもしれませんねぇ…(>_<)

北剣淵駅

  • 2020.12.16 Wednesday
  • 05:49
先日JR北海道の経営が悪化しているため、来春のダイヤ改正に合わせて、減便や駅の廃止を進めるという報道がありました。ただでさえ厳しかったのに、コロナ禍で人の移動が止まってしまい、ますます経営が苦しくなってしまったのです。その廃止予定駅の中に、「北剣淵駅」が入っているのを見て、そりゃそうだよなぁと思ってしまいました。
廃止駅

造園学会北海道支部の事業の中に、『北の造園遺産』認定事業というものがあります。私が支部長時代にスタートさせ、今年で12年目になりますが、その認定第15号に「深川林地」というものがあります。そのパネルに使う写真を撮しに剣淵まで出かけ、剣淵駅近くの防雪林の中にある記念碑を見付けました。
緑林護鉄路

深川林地とは、剣淵から士別にかけて約13kmも続く道内最大の鉄道防雪林です。除雪機械の発達していない時代では、鉄路を守るために時間はかかっても防雪林を作っていたのですが、この区間は泥炭地のためなかなか樹木が育ちませんでした。そこで林業技手であった深川冬至氏が、寝食を忘れるほど情熱を傾けて樹林の育成にあたり、ヨーロッパトウヒが最も適していることを見抜いて防雪林を完成に導きました。しかしその過労がたたり、45歳で亡くなってしまったのです。その功績をたたえて、ここを「深川林地」と名付け、記念林地に指定されたのです。
航空写真

剣淵駅から移動して北側から防雪林の写真を撮そうと、北剣淵駅のところでこの写真を撮すことができました。
鉄道防雪林

やれやれと思ってその辺りをよく見ると、駅といっても一両分のプラットホームがあるだけで、しかも板張りの仮設物のようなものでした。
北剣淵駅

道端にある小屋は、保線の資材でも入れているのかと思ったら、実は待合室だったのです。吹雪の時に列車が遅れでもしたら、待っている人は凍えてしまいますからねぇ…
待合所

中を覗いてびっくり。なんと布団が置いてあり、秘境駅巡りの乗り鉄がここに泊まって翌朝の列車に乗り継ぐようになっているのでしょうか。でも布団を持ってくる人はいないから、地元の人が寄贈したのかな?
布団

あとで調べてみると、この辺りには3軒の農家があるだけで、そこに名寄や旭川へ通学する子がいるときには朝晩利用されるけれど、卒業していなくなれば、まず乗り降りする人はいないそう。時刻表を見ても、上りが3本、下りが4本あるだけでした。廃止されても仕方のない駅だったようです。
時刻表

そんな寂しい駅でしたが、プラットホームから見ると辺りにはびっしり白い花が。下りてよく見ると、エゾオオヤマハコベ(Stellaria radians)でした。秘境駅にひっそりと咲く清楚な白い花!
とってもいい雰囲気だったことを思い出してしまいました。
エゾオオヤマハコベ

路面管理

  • 2020.12.06 Sunday
  • 05:47
毎日車で事務所に下りていきますが、数日前の朝、今年初めてツルツル路面にあいました。藻岩山麓通まではロードヒーティングが入っているため全然気付きませんが、それを過ぎてユースの森の前を下りていくとき、こりゃ危ない!!と、こまめにブレーキかけて、無事に信号で止まりました。その日の夜にそこを通った時、なんかテープが張られているなと思ったのですが、翌日見たら公園の擬木柵に車が激突した跡でした。急ブレーキでスピンして、突っ込んだのでしょう。
擬木柵

これだけ激しくぶつかったのなら、車はかなり傷んだろうなと、写真撮して前を見ると、中央分離帯にも車がぶつかって、縁石がひっくり返ってました。前日のツルツル具合なら、止まれなくて追突した車もかなりあったのでは… 冬の入り口によくあるパターンです。
分離帯

その翌日から、気温はマイナスなのに路面が濡れているのです。きっと警察から、ちゃんと路面管理をしなさいと札幌市に指導が入ったのでしょう。凍結防止材をせっせと撒き始めたのです。こんな緩勾配の区間なら、普通に運転していたらちゃんと止まることができるのに、こういう不心得者のおかげで車は真っ白になってしまいます。

融雪剤

スタッドレス時代の初めには、ツルツル路面で町中でも大渋滞になるほどでしたが、タイヤの性能がよくなったのとみんなが慣れてきたのか、それほどひどい路面に遭遇しなくなりました。その当時は町中でもかなりの凍結防止材を撒いていて、初めは塩化カルシウム(塩カル)や塩化ナトリウム(塩ナト)でしたが、やがて車が錆びないようCMA(酢酸カルシウムマグネシウム)がよく使われました。でも価格がかなり高いので、主要交差点などに限られているはずです。

CMA

普通の路線や、開発局が管理する国道や高規格道路、JHが管理する高速道路などでは、結局のところ塩ナト(=塩)がメインに散布されているため、ひとっ走りすると車は真っ白になってしまいます。道内では、車の裏側の防錆加工が欠かせないのはこのせいなのです。

塩ナト
  (北海道開発局のHPから)

北海道の人は、雪国に住んでいるのに夏も冬も同じでなければ気がすまないらしく、毎年毎年莫大な金額を使って世界最高レベルの除雪をやっているし、路面管理にも過度の要求をしていると思います。いつまでもこんなムダを続けていけるとは思えないのですがねぇ…

バスの減便

  • 2020.03.27 Friday
  • 05:41
新型コロナウイルスは、衰えることなく感染者が発生し続けています。私にとっては、いろんなイベントが中止になった程度で直接的な被害は全くないけれど、飲食業や観光関連などの業種では、相当深刻な状態になってきていることが、毎日のニュースで報道されています。
観光バス
  (北海道新聞電子版(2020.3.17)から拝借…m(__)m)

一方で、路線バスは乗降客の減少もあるけれど、運転手不足から減便になっているところが急増しているようです。
バス減便
  (北海道新聞電子版(2020.2.14)から拝借…m(__)m)

そんなニュースを見ても、対岸の火事のようなものかと思っていたら、4月からのダイヤ改正による新しい時刻表が配付されたのを、かみさんがもらってきてびっくり。昼間は1時間に2便あったJRバスが、何と1便に間引かれてしまったのです。私のところは、JRバスとばんけいバスが運行しているし、冬にはスキーバスが運行されるので最大4本ありました。スキーバスは、JRバスのバス停があるところでは下車できないけれど、盤渓寄りの18丁目バス停で下りることができるため、坂を登らなくても済むため結構便利なのです。(左が3月末まで、右が4月からの時刻表です)

冬ダイヤ下り夏ダイヤ下り

それが1便減ったばかりか、ばんけいバスの時間に近い方が残されてしまったために、ばんけいの19分の13分後の32分にJRバスが来て、あと47分間もバスがなくなってしまったのです。せめて52分を残してくれればよかったものを、なんでこんなバカなダイヤを組んだのでしょうか。

冬ダイヤ上り夏ダイヤ上り

2017年までは、ばんけいバスが夏にも臨時便を運行していたので、盤渓に陶芸に通っているかみさんはそれなりに便利でしたが、これも運転手不足で中止になってしまいました。観光バスが動かないのなら、路線バスに乗ればいいのに…なんて訳にもいかないものなのでしょうかねぇ。

2017夏ダイヤ

ボンゴ車

  • 2020.02.06 Thursday
  • 05:38
札幌は一気のドカ雪。40cmも積もっていて、あわてて帳尻合わせをしているかのようです。昨夜帰ろうとしたら車が埋まって見えません。あわてて雪かきしても、わらわらと降り続いてどうしようもない。あきらめて帰ろうとしたら、円山公園の中を通る裏参道で、松の木から雪がどさっと下りて来て車が埋まりそうでした。やっとのことで動物園までたどり着き、なんとか雪下ろしをして家に帰りました。車の屋根が凹んでないかなぁ…

昨日郵便局に行ったら、集配の車が止まっていて、珍しくマツダのボンゴでした。今ではワンボックスはトヨタか日産ですが、最初に世に出したのはマツダなので、一昔前まではワンボックスとは言わないで、ボンゴ車と呼んでいたのです。
ボンゴ車

初代が登場したのは1966年とのことなので、私が中2の年。広島に近かったので、マツダの車が多かったのかもしれませんが、車が少ない中でこの形はよく目立ち、かなり売れた車だったそうなので、よく覚えています。
初代ボンゴ車

以前はニュースで犯人が護送されるときに、ハイエースやキャラバンでもボンゴ型車に乗せられて…と呼ばれていました。マツダとしては画期的な車だったのです。
ボンゴの謂われ

ちなみに、ボンゴとはアフリカに棲息している動物の名前なんだとか。今回初めて知りました。なんでこんな動物の名前を付けたんだろう??
ボンゴ

最初に広まったものの名前が、普通名詞化しているのは結構あり、「車載型トラッククレーン」のことは誰もが「ユニック」と呼んでいますが、これも固有名詞でした。
ユニック

「油圧式ショベル(バックホゥ)」のことを「ユンボ」と呼ぶのも、フランスから入って来た固有名詞が一般化したものです。うちの孫たちも、車の窓から見つけると、ユンボ!!と叫んで、大好きです。
ユンボ

植木屋時代に、ミニユンボでは手に負えない作業量の場合、重機屋に頼んで「ポクレン」に来てもらいました。当時のポクレンは3輪で、なんだかよろよろ揺れながら現場に走ってくるのが、不安だったことを思い出します。
ポクレン

現在の「ホイール式油圧ショベル」は4輪になったので、安定して走っていますが、現場では今でも「ポクレン」と読んでいるのです。
油圧ショベル車

ボンゴから、いろんなことを思い出してしまいました。

札沼線

  • 2019.06.18 Tuesday
  • 05:38
月形へは鉄道を使いました。車で行けば飲まないか、泊まるかになるけれど、月形温泉が満室で取れなかったのです。大島調査直前は時間に余裕もないので、元乗り鉄としてはとっても嬉しい列車の日帰りコースとしました。桑園までタクシーで行き、学園都市線の電車で当別へ。以北に行く列車はディーゼルのキハ40形に乗り換えます。
キハ40

これがまたレトロな車輌で、1982年以降に造られているので、40年近くも走り続けている代物です。私が中高生の6年間汽車通学していた頃の車輌はもっと古かったけれど、同じ国鉄マークが付いた扇風機が並んでいるし、まさに昭和レトロの雰囲気です。
車内

当別駅では15分待ちで止まっていると、K教授が乗り込んできました。ちゃんと乗り継ぎを確認しないで乗ってきたので、駅周辺で時間をつぶしていたとのこと。ICカードで乗ってきたら、ここから先へは行けないので、いったんリセットしてキップを買い直したのだそうです。そのキップを見ると、桑園から乗ってきた私のキップと同じ料金でした。札幌市内どこから乗っても同じ料金なんだ!
キップ

医療大学前を過ぎると、あたりは完全な田園風景で、ほとんど乗降する客はいなくなります。私のイメージでは、学園都市線はあくまで医療大学前までの電化区間で、以北の単線ディーゼル区間は、やっぱり札沼線と呼んでほしいなぁ…
駅名板

ゴットンゴットンと走って、石狩月形駅に到着。ちょうど上り列車との交換で、(単線区間では、駅で行き違うことを交換と呼ぶのです。)狭いホームを挟んで、同じキハ40形が列び立つ格好になり、撮り鉄があちこち走り回っておりました。
交換風景

改札口では、なんと佐藤未希さんがお出迎え。梅木さんに言われて、柏倉くんと二人で迎えに来てくれたのです。いやーよかったよかったお疲れさんと、また盛り上がってしまいました。
お迎え

キップの販売や改札のない無人駅なのに、改札表示板がなぜ下がっているのかと不思議に思っていたら、あとで調べてみると、月形以遠の区間には1列車しか入れないので、その通票の管理を行う社員が運転時間内には配置されているのだそうです。
改札表示

来年5月7日に廃線となるので、近くになるとまたフィーバーが起きることでしょう。もう乗ってくることもなさそうなので、ちょっとしんみり記念写真を撮してもらったら、うしろでK教授も写っておりました〜(笑)
月形駅

路線マップ

  • 2019.03.18 Monday
  • 05:39
土曜日の町中からの帰り道、バスに路線マップがあったので、つい取ってしまいました。ものを溜め込まないようにしているといいながら、昔から集めているものなので、つい手が出てしまうのです。一番古いものは?と出してみると、1981(S56)年の札幌市交通局のものでした。これがどれだけ古いかというのは、定期観光バスを見ればよく分かります。
定期観光バス

このとき既に南北線は全線開通していたけれど、東西線は琴似白石間のみで、翌1982年に新札幌まで開通しています。まだ結婚していなかったので、今のところには住んでおりませんでしたが、バスは宮の森シャンツェまでちゃんと通っていました。ただ途中の大倉山競技場前のバス停がなく、動物園線も正門前まで行って、あとは円山西町止まりです。その前はアフターケアと言っていたはずですが。
荒井山線1981

もらってきた最新のJRバスのマップを見ると、動物園線が円山西町神社まで延びているのが大きな違いです。臨時のくらまる号も夏期間は走っているし、バス停の名前もずいぶんと変わっていることに気付きました。
荒井山線2019

久しぶりに引っ張り出したので、ついあちこち見てしまいましたが、南の端に滝野線があるけれど、まだ厚別(あしりべつ)の滝までで折り返し、山奥の滝野の集落までバスが通っていました。すずらん公園が部分開園したのは1983年なので、まだ何もないのは当然としても、駒岡の集落を越えて、真駒内2団、3団、器械場入口、滝野峠なんてバス停が載っていて懐かしいです。支笏湖線は中央バスの路線なので、こんな山の中を走っていた訳ですが、今は立派な道路になっているけれど、昔の道路はすれ違うのも大変だし、滝野峠なんて霊園入り口の横に、昔の道路の痕跡がまだ残っています。

滝野線

東区方面は、当然東豊線なんて影もないので、行くのはとっても不便でした。87年に転職した会社が赤丸の位置にあったので、バスで行く時には北12条駅からバスに乗り、今の環状通東駅のところにあった北15東16のバス停で下りて歩いて行って、よく遅刻したのを思い出します。

東区方面

この頃は、中央バス、国鉄バス、定鉄バスとライバル関係だったため、それぞれが独自のマップを作っていました。2004年には市営バス事業をそれぞれの会社に譲渡して撤退してしまった時に、その後数年だけは全部の路線を合体したマップを市が作っていたけれど、今はまたそれぞれ独自のマップに戻ってしまったようです。(これは2006年版です)

2006なまら

ネットの時代、いまだにこれが作り続けられていることも画期的ではありますが、いずれはなくなってしまう存在であることは間違いないでしょう。でもこうやってその時代を切り取ることができる存在として、やっぱり手元に置いておきたいものなのです。

新型路面電車

  • 2018.01.20 Saturday
  • 05:50
数日前の新聞に、「札幌市電に新型低床車輌が導入」とありました。でもその姿を見て??
なんと伊予鉄の5000形の写真が載っていたからです。
新聞記事
  (道新WEBから拝借…m(__)m)

昨年秋に松山に帰ったとき、何度かこの新型車両に会いました。昨年2両が導入されていたのです。伊予鉄道は低床化を以前から進めており、2100形が既に10両走っているので、旧型車はかなり少なくなっていました。ところがこの5000形は、2100形とは全く異なる流線型の形状で、定員もかなり増えているのです。全長は50cmしか違わないのに、定員が47名から60名になってました。
5000型

2100形は当初の塗装が白だったために、「とうふ」と揶揄されたほどの真四角な形状で、これが揺れながら近づいてくると、箱がひっくり返るのではと心配になるほどでした。同じメーカーなのに、なんでこんなに違うんだろう?と思うほどの激変振りです。
とうふ

記事にも書かれていますが、全国で低床車輌への更新が進んでいるため、生産が追いつかないとのこと。というのも、国内には路面電車を作っているメーカーは、なんと一つしかありません。一時は衰退する一方だったために、いろんなメーカーがどんどん撤退してしまい、阪急系のこのメーカーだけになってしまったのです。海外にはたくさんのメーカーがありますが、我が国の軌道はほとんど狭軌(1,067ミリ)のため、標準軌(1,435mm)対応の車輌しか作っていない海外メーカーでは、わが国に進出することが難しいため、このメーカーの生産能力がパンクしてしまったのでしょう。

松山市内線では、坊ちゃん列車が走っているので、時折こんな風景も見られます。いろんな車輌が混在しているのは、鉄チャンには堪えられない魅力なので、特に人気が高いのです。札幌はこのままではなく、ポラリス風に?外装を変えるそうですが、さてどんな姿になるのでしょうか?ポラリスの誕生に関わった者としては、興味津々で見て行きたいと思います。
坊ちゃん列車

ダイヤ改正

  • 2017.03.07 Tuesday
  • 05:54
私は乗り鉄でも撮り鉄でもないけれど、昔から人一倍鉄道や乗り物には関心を持ってきました。今のJR北海道の苦境も、起きるべくして起こった事態なので、普段乗りもしないくせに廃止反対を叫ぶ首長さんを見るにつけ、どっちらけになってしまいます。
先週4日から運用されたダイヤ改正では、乏しい資源をやりくりをしている痕跡がにじみ出た内容になっていました。
ダイヤ改正

トップに上がっていた、札幌と稚内・網走間の特急が、半分旭川発着となり、乗り換えをしなければならなくなったのが、今回の改正では一番大きな影響を与えそうです。これは、オホーツクやサロベツに使用されているキハ183系の車輌が、もうだませないほど傷んできているので、高速運転を余儀なくされる札幌・旭川間をできるだけ走らないように,旭川で打ち切りにしたものです。国鉄時代の製造から30数年使い続けてきているので、主要機器は交換されているとはいえ、満身創痍で走っているのですから。でも乗り継ぎのおかげで、結構不便になったと利用者からは苦情が出されている様子。乗り換えてちゃんと座れればいいけれど、自由席なら保証はされないですから。今年も上川に通わなければなりませんが、去年は車の運転ができなくて、ずいぶんJRの世話になりましたからねぇ…
オホーツク

もう一つの目玉が、札幌・旭川間に「ライラック」が復活したこと。以前から気になっていた、新幹線の開業に伴って不要になったスーパー白鳥の車輌が、ライラックとして転属になってきたのです。これによって、スーパーホワイトアローで使われてきた古い781系電車(前面が流線型でない、四角い顔の電車)と入れ替わり、カムイの5両編成に比べてライラックは6両編成になるため、乗り継ぎ用などにはライラックで対応させることになったのです。いろいろと苦心のあとが見てとれます。
ライラック

一番下に、「◆ご利用の少ない駅を廃止します。」と、たった14文字で書かれた一文では、先週末に各地でさよならイベントが行われていました。どこも乗り降りしたことはもちろんなかったし、多分1日に一人も乗り下りしない駅なので、特に反対運動も起きなかったようですが、こんな駅はこれから続々と出てくることでしょう。気になっていた「北剣淵駅」が入っていなかったので、まだ誰か通学に使われているようです。利用しそうな子供が、将来にわたっているのかも全部調べるようですから…
無人駅

確かに基盤施設である橋梁やトンネルの維持にはものすごくお金がかかるし、豪雪地帯を走るためには、単に機械除雪だけでなく、ポイント回りなどは人力でコツコツと除雪がされています。安易な廃線にはもちろん組みする気はありませんが、実態を踏まえて、前向きの議論をしっかりと行ってほしいと思います。沿線の利用だけに頼っていては絶対に無理なのは分かっているのですから、こんな記事だって目からうろこだと思うのですがねぇ。

超低床車輌

  • 2017.02.10 Friday
  • 05:59
札幌の市電のループ化から一年経ち、以前より乗降客が増えているというニュースが入ってきたり、狸小路近くで、軌道敷に違法駐車があって立ち往生したりと、いろんな話題になってきているようです。低床車として導入されたポラリスも3編成あるので、わりと見かけるようになってきています。
ポラリス

松山市内を環状に連絡している伊予鉄市内線でも、高齢化した車輌の更新を進めてきておりますが、それでもまだ昔の丸っこい車輌が元気に走っています。この55号車なんか、私より一つ若いだけなので、全国的にもかなり古い車輌でしょう。専用軌道を走る城北線では、両側の建物や塀や生垣すれすれに走ってくるのです。
55号車

こちら城山の南側を走る城南線では、道後温泉と市駅前を走っている坊ちゃん列車とよくすれ違います。漱石によって「マッチ箱のような」といわれた本当に小さな客車を連結して走っていますが、もちろんこれはレプリカで、ディーゼル機関で駆動しております。右端には、今はなくなったマドンナバスも写っておりました。一時流行ったボンネットバスは、長く続かなかったところばかりのようです。
坊ちゃん列車

道後温泉駅で発車を待っているのが、伊予鉄初の低床車として導入されたモハ2100形車で、「世界初の単車の超低床車輌」が売り文句となっておりました。低床車は全国各地で走っておりますが、すべて連接車輌となっています。カーブが急で、あちこちぶつかりそうなところばかりなので、連接車をあきらめて、単車になったものでしょう。因みに左の2002号は、かつての京都を走っていた市電です。
道後駅

実は,この低床車があまり評判よくないのです。確かに乗降は楽なのですが、車軸のところは机の上に登るほど高いところに椅子があるし、車長が短いので、旧型車の定員が80人に対し、たった47人しか乗れません。おまけに外観が真四角だし、伊予鉄の標準色であるオレンジが足回りだけで上の方は真っ白なため、「豆腐」と呼ばれているのです。
とうふ

一応10両導入しているので、よく見かけるようになりましたが、広告電車がほとんどなため、豆腐のイメージは少し薄れたかもしれません。伊予鉄もさすがにこれはまずいと思ったのか、いよいよ新型車を作ることになったようです。定員も60人とかなり増えるし、全身オレンジ色なので、変なあだ名は付けられないでしょう。

新型車

ひょっとしたらこんな車両が道内でも見られるかも〜なんて噂をちらと聞いたので、こんな話題になったのですが、さて真偽の程は…

デジタルサイネージ

  • 2016.12.29 Thursday
  • 05:46
毎朝チェックするサイトの一つに、東洋経済オンラインがあります。名前の通り経済がメインではあるけれど、記事の内容はけっこう幅広く、読み応えがあるものが多いのです。東洋経済新報社の歴史はけっこう古く、間もなく百年になろうとしています。戦前から自由経済志向が強く、軍部や翼賛政党とは一線を画してきており、現在でも政権におもねらない、硬派の論調が引き継がれているように感じます。

そんなニュースの中に、なぜか「鉄道」というジャンルがあり、毎日何かしらの鉄道・交通関係のニュースが入ってきます。昨日は、仕事納めの日にはふさわしくないような、のどかな記事が載っていました。これから更新される山手線の車輌のデジタルサインに、かわいい花柄が採用されたというのです。
新型山手線

以前路面電車のデザイン検討をやったときに、最近のデジタルサイネージの進歩には驚かされました。液晶画面の進歩で、かなり細かい情報を流すことができるようになっているのです。あんまり得意な分野ではないので、その中身にはほとんど踏み込まず、後ろ側は追突防止のために真っ赤にする、というくらいしか考えませんでした。そうかこんなことも出来たんだなぁ…と、ちょっと悔やんでしまったのです。しかもこれは月の花が12ヶ月分用意され、2パターンが入れ替わるという手の込みよう。遊び心とはいえ、ここまでやり遂げるのは結構大変だったことでしょう。
花柄

そういえば、このブラウザーにもそれに似た機能がありました。私はマイクロソフトが大嫌いだから、Netscape から Firefox と使ってきていますが、これにはペルソナという機能があり、画面の上の帯を季節によってとか、気分によって入れ替えることができます。テーマがたくさんあり、私はたいてい「自然」の中から選ぶために季節の花や風景などにしています。もう紅葉はとっくに終わったから冬景色だけど、雪にすると真っ白になるので、そろそろ華やかな花に変えようと思っていました。
ペルソナ

電車の後ろ姿なんか、見ている人はほとんどいないし、見たとしてもこれがシクラメンだと分かる人なんかいないでしょうが、そこが「遊び心」のいいところ。パソコンの画面ばかりにらんでいると目が疲れるので、ふと目を休めるものがあると、緊張が途切れます。普段から、そのくらいの余裕が必要なのでしょう。

ようやく復旧

  • 2016.12.15 Thursday
  • 05:49
昨日はうれしいニュースが入ってきました。8月の大水害によって不通になっていた石勝線・根室線が、22日にようやく再開されることになったようです。私もここ数年、月に2回ずつお世話になっていたルートだけに、この復旧は本当にうれしく思いました。道東の方達にすれば、こんな不便なことはなかったことと思います。
道新WEB
 (道新WEBより拝借しました。 m(__)m)

新得の狩勝園地の仕事をやっていた時には、いつも駅前の旅館に泊まっていたので、あのあたりは毎朝私の散歩コースでした。写真を探してみると、ちゃんとありましたねぇ。この写真は被災した下新得川橋梁を、すぐ下流にある町道の橋から見たものです。
橋を望む

町中を流れる穏やかな川が、あんなものすごいことになるなんて、地元の人でも想像できなかったのではないでしょうか。右側に写っていた家は無事だったようですが、反対側は護岸が完全にえぐられ、川幅が倍くらいになってしまって家も流されたような気がします。ネットから拾った画像を見るとこんなに激しくやられており、言葉を失ってしまいました…
被災状況
 (写真を撮した町道の橋は流されていませんが、その手前は大きくえぐられています…)

昨日の発表を見ると、築堤も連結ブロックでがっちり被覆されており、住民も安心して住むことができそうです。道内にはこのような古い護岸が到る所にあるので、土木屋さんは「国土強靱化」の仕事にしばらくことかかないことでしょう。
改修状況

踏切を渡ってしばらく行くと、新得神社の鳥居が右手にあります。それをくぐってこの橋を渡ると、新得神社やその背後の新得山に行くことができるので、新得に泊まった時には毎度通った道でした。この橋も流されてしまったようですが、まだ仮橋くらいでしょうねぇ。
神社橋
 (アイヌ語ではペンケが上、パンケが下なので、下新得川という意味です。)

最近赤字路線問題で、JR北海道への風当たりがやたら強いけれど、当事者能力の全くない無策な北海道こそが、第一義的には責められるべきだと思っています。現場を預かる方達の懸命な作業で、今回の復旧にこぎ着けたことには心より敬意を表したいです。

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