思い出の品

  • 2019.03.19 Tuesday
  • 05:43
春分の日が近くなり、日の出がどんどん早くなっていきます。昨日の札幌の日の出は5時43分だけど、我が家は山の陰になるので、50分過ぎに山の鞍部から日が昇ってきました。これからどんどん太陽が北に寄っていき、神社山を越えるので、しばらく日の出は足踏みしてしまいます。夏至の頃になると山より左に出てくるので、3時台にはピーカンになってくるのです。
日の出

日曜日に、捜し物をしにロフトに上ってあれこれ引っかき回しているうちに、禁断の宝箱まで引っ張り出してしまいました。お菓子のブリキ箱に、子どもの頃からの宝物がぎっしり詰まっているのです。もう忘れてしまったものもあるけれど、妙にはっきり拾った時のことを覚えている石ころまで入っているので、あまり開けたくなかったのですが…。その中ではわりとオーソドックスなものが、東京オリンピックの記念メダル。親父がセットをいくつか買って、私たちに一つずつくれたのです。オリンピックは小学6年生の時で、この時からカラーテレビになったことから、いろんな試合を色付きではっきり覚えています。
オリンピックメダル

これは 1970.4.8 と彫り込まれている壁飾りで、ちょうど高校3年になったばかりです。松山市内まで二駅を汽車通をしていたので、毎日SLに引かれた長い客車に乗って通っていました。次の駅で高校2校分がどっと降りるので、私たちが乗る時が一番混んでいて、毎度デッキにぶら下がりながら乗っていました。多分その時に、ペンキが剥がれていたのをベキッと折ってきたのでしょう。当時はSLオタクだったので、牽引していたC58(しごはち)の横顔をカリカリと彫り込んだものです。
客車のペンキ

これはなんだ?としばらく分からなかったけれど、裏を見てあらら!浪人して予備校に通っていた福岡では、昼飯をすうどん一杯ですませ、100円で入れる2軍戦によく通っていました。予備校から平和台までは、十分くらいで行けたのです。小さい時からずっと西鉄ファンだったので、予備校を福岡にしたのはこのためでした。これは、その平和台球場の座席のプレートです。記憶にはありませんが、多分取れかかっていたのがあったのでしょう。もうかなり古くなっていましたから。
平和台のプレート

1軍戦は2回くらいしか行ってなくて、これはダブルヘッダーだからかなりの長丁場。下宿の仲間と一緒に、ナイターまでたっぷり楽しんできました。450円は当時としては大枚をはたいた金額でしたが、それでも安かったのですねぇ。
入場券

このメダルは、大学に入った年の10月14日が鉄道百年だったので、札幌駅で並んで買ったもの。金貨とかも出ていたようですが、貧乏学生に買えるはずもなく、これで十分でした。でも千円くらいしたのかなぁ… このほかに記念切符とかもいろいろ買っています。
鉄道100年

これをやり始めるときりがないし、自己満足の最たるものですが、こうして振り返ってみると懐かしいものばかりだなぁ…(^^;)

新旧交代

  • 2019.02.11 Monday
  • 05:48
我が家のパソコンは、相変わらず Mac を追いかけているので、事務所のメイン機が iMac、持ち歩き用が MacBook Air 、自宅には古い iBook G4 というラインナップです。この iBook は、購入が2004年か2005年とかなり古くなり、OSも10.4までしか上げられないまま、なんとか使ってきました。自宅では、朝いちにブログをアップするくらいしか使わないので、それでもなんとか間に合っていたのです。ところがOSが古いとセキュリティの関係からいろんなHPに繋がらないことが多く、天気予報とかも見ることができなくなりました。いつブログのサーバーにも繋がらなくなるのか、冷や冷やしながらの毎日でした。
iBook

先週のこと、昔よく行ってた中古屋のサイトを見てみると、3万ほどですごくいいマシンが出ていたので、即購入。OSが10.6.8と、一区切り以前なので、10.11までアップグレードし、新しくソフトを入れたり辞書を移し替えたりと細かく手入れし、ようやく昨日から入れ替えることができました。新しいマシンは、MacBook Pro で、外観もほとんど傷がなく、メモリーも4GBと十分で、家に置くのがもったいないくらい。
新旧

新旧のマシンを比べてみると、真っ白いポリカの筐体から、フルアルミに代わり、一回り大きくなっています。娘も同じ iBook から MacBook Pro の以前乗り換えているので、似たようなことをやっているのでした。これで iBook はお払い箱…という訳にはいかないのです。
外観

事務所の iMac もOSは 10.6.8 のままにしているのは、それ以上上げると使えなくなるソフトが幾つもあるからなのです。中でも、フィルムスキャナーが使えなくなるのは困るので、古いまま使っていましたが、あちこちのサイトに繋がらなくなってそろそろ限界が。そこでこの iBook をフィルムスキャナー専用のマシンとしてまだまだ働いてもらうことにしました。1980年から2000年くらいまで、リバーサルフィルムで撮したスライドが2万枚以上あり、今でもけっこうデジタル化する必要があるのです。今どきリバーサルフィルムを使う人なんてほとんどいないので、こんな苦労があるなんてメーカーには分からないでしょう。壊れないように大事に使わなくては。
スライド

これでメインマシンもOSを上げることができるので、またさくさくと動いてくれることでしょう。マシンのお守りも結構大変だけど、こればかりは自分でやるしかないのでがんばらないと。

デパート案内(函館編)

  • 2019.02.05 Tuesday
  • 05:49
ずいぶん昔に、札幌のデパートなどの案内図特集をやったことがありました。(札幌駅前編)(四番街編)(一番街編) そのうち函館や本州各地、九州などやろうと思っていて、すっかり忘れていました。

先月一杯で、函館駅前にあるボーニモリヤが閉店になったので、函館出身のかみさんはちょっと寂しそう。といっても、昔は家のすぐ近くの末広町に丸井さんがあったので、そこが遊び場になっていて、ボーニさんにはあんまり行っていなかったとか。函館市内の人よりも、道南の各地域の方が鉄道やバスで函館に出てきて、ボーニに買い物に行く方が多かったようです。
ボーニさん

アネックスの方はまだ3年くらい営業するようだけど、それだけではどれだけ集客力があるのでしょうか。札幌を除くと、道内の地場のデパートは、これで帯広の藤丸と函館の丸井さんだけになってしまいました。デパートに思い出のある世代は、もうかなり高齢化が進んでしまったようです。

ボーニモリヤ

その昔(40年くらい前)、まだ青函連絡船で移動していた時代には、松山から急行や鈍行を乗り継いで函館にたどり着くと、腰が痛くてたまらないので、一つ接続を遅らせ、函館の町をうろうろしていました。電車で移動できる町は本当に楽しくて、函館山の麓の想苑とか、五稜郭辺りまでよく行ってました。なので、こんな店内案内図もゲットしていたのです。
丸井函館

ロゴが新しくなっているので、こちらの方はかなり新しいものでしょう。本町の丸井周辺には、そんなに商店街が形成されていなかったので、こんなところでやって行けるのかなぁ…と思ってしまいました。やはり本州の町とは、町の構造がかなり違っているように思います。
新丸井函館

函館にはもう一つ、丸井さんからほど近く、梁川町に函館西武がありました。1981年に開店し、2003年に閉店しているので、道立公園の仕事で行き始めた頃にこの近くをうろうろしていたので、その時にゲットしたものでしょうか。このデパートは、来店客は車で来ることを前提にした造りになっていました。でも、ダイエーやヨーカドーが出来るに連れて、どんどん客を奪われていったのです。
  西武
一度だけ、青森で途中下車して町中をうろついたことがありました。冬だったことと、言葉がさっぱり分からなかったことを覚えているけれど、北にある函館よりも圧倒的に雪が多く、町が暗いなぁという印象が残っています。ここにはカネ長武田というデパートがあり、名前はさくら野百貨店青森本店に変わっているけれど、今でもちゃんと営業しているようです。
武田

昔のデパートは、確実に町のシンボルたり得ていたように思いますが、今はそれがなくなり、町がどんどん金太郎飴化したり、シャッター通ばかりの無表情な町になっていきました。こんなものを見返していると、ちょっと寂しくなってしまいます〜

断捨離なんて無理…

  • 2019.01.27 Sunday
  • 05:50
昨年掘り出した段ボール箱には、不要本と書かれていました。中身は北杜夫の本が十数冊と農学部時代のノートが十冊ほどあり、ノート類は捨てようと事務所に持ってきてました。山ほどある仕事のファイルを、この冬の間に思い切って整理しようと思っていたのです。
不要本

改めてファイルをよく見ると、大学2年の後期に農学部農学科に移行して、10月から始まった講義の資料でした。農学科は北大で最も古い基幹学科で、食用作物、工芸作物、作物育種、果樹・蔬菜、花卉・造園の五つの講座からなり、3年春に講座に配属されるまでは、25人が一緒の授業を受けていました。
ファイル

農業植物学の時間割が入っており、もうみなさん亡くなられてしまいましたが、主に助教授の先生が交代で講義されていたことが分かります。こんなものを広げて見ていくと、一人一人の先生方の講義の様子が、鮮明に思い出されてくるものです。
時間割

講義のテキストは、もちろん手書きだし、まだコピー機が出回り始めた時代でとても高価だったので、安いけど手間のかかる青焼き(青写真)だし、46年も経つとすっかり黄ばんでしまっています。先生方も講義資料作るのは、けっこう大変だったのでしょうね。
テキスト

講義のノートも、テキストと同じくらいたくさん挟まっていました。今よりももっと小さな字で、びっしりと書いているのにちょっとびっくり。意外と真面目だったようです〜(笑) 確かに講義をさぼった記憶はないし、なによりどの講義も面白くて、夢中になって聞き取っていたように思います。すっかり忘れてしまったことも多いけれど、こうやって見返していくと、こんなことまで習っていたのかと、改めて感心してしまいました。
ノート

さて、こんな資料がぎっしり詰まったファイルが十冊あまり。これを捨てるべきか、もう少し残しておくべきか。悩んでしまいますねぇ… 残しておいてもほとんど何の役にも立たないし、捨ててしまうのは簡単だけど、一応スキャンしてデータ化だけはしておこうかと。こんなことで悩んでいるから、書類に埋もれてしまうのでしょうねぇ…(^^;)
拡大

Google Earth

  • 2019.01.08 Tuesday
  • 06:00
先月私が走っている経路を、メチャクチャ古い航空写真で説明してしまいました。これはこれで面白いのですが、あまりにも古すぎて、今の様子がさっぱり分かりません。
昔の写真

実は Google の数多ある機能の中に、Google Earth という便利な機能があるにもかかわらず、それを起動して高度や画角、方位を調整し、画面を取り込むという作業を面倒がって、昔使ったものを引っ張り出したという次第。さすがにこれではまずいので、正月休みにきちんと撮り直しました。ちゃんと立体に見えるから不思議です。
十二軒澤

そこで、もう一度走行経路を入れ直すとこんなになりました。昨日は除雪が幹線道路しか入っていなかったので、手前のくびれたところまでしか行きませんでしたが、このユースの森を回るコースも結構な距離があることが分かります。
走行経路

これでは、いろんなことができるので、講習会の時などでよく使っています。例えば藻岩山麓から円山にかけての住宅地の様子を見る場合には、真上から高度を上げていき、入る範囲が決まったら、その時点の画像をスクリーンショットで取り込みます。この時の高度は、4,750mもありました。左から、伏見、界川、円山西町、私の住んでいる宮の森(旧十二軒澤)と、山裾をぎりぎりまで宅地化していった様子がよく分かります。こうしてみると平面のように見えますが、いずれも冬には行きたくないものすごい勾配の道路です。
円山上空

昔住んでいた界川を拡大してみると、高度はちょうど600m、格子状のきれいな区画に宅地が並んでいるけれど、縦の通りは15%くらいはある急勾配で、タクシーなんかほとんど入り口あたりでダウンしてしまい、坂道を何度登らされたことか…
界川

近くのこばやし峠のあたりを見てみると、画像取得日が2016年8月27日なので、盤渓北ノ沢トンネルが開通する半年ほど前の様子がよく分かります。冬にはあまり通りたくなかった峠越えが、トンネルが開通したことで、本当に安心して通ることができるようになりました。子どもが小さな時には、よくコバランドスキー場に送迎したものですが、今はどうなっているのでしょうね。そんなことも頭によぎっていくので、これを始めると時間を忘れてしまいます。
小林峠

これをいじっていると、モーターグライダーに乗って空を飛んでいるかのように、時間を忘れてはまってしまうのが難点といえば難点でしょうか。アースの名前の通り、世界中のどんなところにでも飛んでいけるので、旅行するよりも発見が多いかもしれません。ぜひ時間のある時に楽しんでみて下さい。

PLAYBOY

  • 2018.09.15 Saturday
  • 05:59
階段の下から発掘したものの中で、私のものは段ボール箱3つだけでしたが、そのうちの超重たい2箱に入っていたのが「日本版PLAYBOY」でした。確かにこれを買っていたのは独身時代だったけど、別に裸の女を見たくて買っていた訳ではありません。
  PLAYBOY

半分くらいはアメリカ版の翻訳物ですが、日本独自の記事に結構面白いものがありました。中でも夢中になっていたのが、藤原新也の『全東洋街道』です。今読むと、なんて細かい字がぎっしり詰まっているんだろう…とあきれるほどの文字量ですが、どうしてこんな写真が写せるんだろう?という気持ちもありました。私はニコン派だったけれど、藤原さんはオリンパスOM-2N使っていたので、身軽に撮せるのかなぁ?なんて考えていました。
全東洋街道

藤原さんは69年以降、12年もアジア各地を放浪していたそうです。処女作である「インド放浪」をはじめ、いくつか本を持っていますが、月刊誌の連載は、次はなんだろう?とわくわくする楽しみがありました。ビズにも長く連載をしていたので、覚えている方もいらっしゃることでしょう。全東洋街道は連載終了後、すぐに集英社文庫から出版されたけれど、このサイズでは訴える力が全然違います。そのうち雑誌をばらして一冊に製本しようと、全部の号を残していたんだけどなぁ…どうしよう…(>_<)
藤原新也

読みごたえのある記事は結構ありました。ベニグノ・アキノのインタビューなんて、記録としても貴重なものでしょう。このインタビューの最後に、モットーとしている言葉は?という問に、マッカーサーの『アイ・シャル・リターン』と答えています。この2年後、帰国を決意してマニラの空港に降り立ったところを、国軍兵士によって暗殺されてしまったのです。
アキノ2 アキノ1

あの頃私が一番好きだった北杜夫も、たまたま躁状態の時だったのでしょう、へんてこりんな記事を書いています。これほど躁鬱の変化の激しい作家もいないでしょうが、どちらの時も面白く、この頃出た本はすべて持っています。
北杜夫

今回階段の下には段ボール3箱だけだったけれど、三階のロフトには何十箱分もの本が詰まっています。私はその真下で寝ているので、その床が地震に耐えられるのか、ちょっと不安になってきました。事務所にある植物系の本は、なんとか行き場も見つかるだろうけれど、ロフトにある本は、私以外には単なるゴミにしかならないだろうし、そろそろ身辺整理に入らなければならないのかなぁ…

お年玉年賀切手

  • 2018.03.07 Wednesday
  • 05:54
先月初めに家のロフトで捜し物をしていて、子どもの時から集めていた切手のコレクションが出てきました。その中に、お年玉年賀切手がまとめて袋に入っていたのです。最近のは居間の整理棚に詰め込んでいたので、合わせて整理してみると、一番古いものが1962(S37)年からあり、今年2018(H30)年までの57年分のうち、45年分があることが分かりました。62年といえば小学校の4年生。家に来た年賀葉書を整理して、当たっているものを郵便局で引き替えてもらっていたことをよく覚えています。昔は葉書が5円、封書が10円だったのですが、ほどなく7円と15円に値上がりしていました。
お年玉年賀切手1

中ほどの1982(S57)年から1990(H2)年というと、結婚して子ども三人が次々と生まれていた期間に当たります。末っ子だけは昭和ではなく平成生まれになりましたが、この昭和64年というのはたった一週間しかなかったのですから。貴重なものかもしれません。最後のところで41円62円になっているので、いよいよ消費税が始まったことが分かります。
お年玉年賀切手2

その後50円80円がしばらく続いてますが、2015(H27)年からは52円82円になり、今年から62円82円となった訳です。初めの頃は葉書代×4枚付いていたものが、葉書+封書代1枚ずつになったし、昔は当選番号三つ当たっていたものが最近では二つになっているので、郵便事業もますます苦しくなっていることがよく分かります。考えてみれば、葉書も封書も手間は同じくかかるわけですからねぇ。
お年玉年賀切手3

今年は喪中だったから1枚しか当たらなかったけれど、毎年10数枚当たっているので、全体だとかなりの枚数になっています。はずして使うのも面倒だし、古物商はせめて等価で引き取ってくれるのかなぁ… 我が家には、こういうものがまだまだ隠れていそうです。

月光荘

  • 2018.02.12 Monday
  • 05:48
東京の公立小学校で、アホな校長が独断で制服をアルマーニにしたと大騒ぎになっています。そのこと自体も大きな問題ですが、背景にある保護者の特権意識とか、学校のブランド化だとか、本来子どものことが最も優先されるべき学校教育に、回りからくだらないことを持ち込んでいることこそ糾弾されるべきでしょう。

その泰明小学校の報道を見て、月光荘のことを思い出してしまいました。現在の店は銀座8丁目にあるようですが、40年前にはこの小学校の目の前にあったのです。(その後倒産していろいろあったようなので、今の店が昔の直系なのかはよく分かりません。)

月光荘

月光荘とは、創業者をひいきにしていた与謝野鉄幹、晶子夫妻から贈られた短歌からとられた名前だそうです。名前も独特の響きがありましたが、なんといってもホルンのシンボルマークが格好よかったのです。
月光荘の謂われ

月光荘のことを知ったのは、学生時代にここのグッズが身の回りで流行ったことから。中でもカーキ色のキャンバス地のショルダーバッグは、シンボルマークのホルンが格好よくて、何人も持っていたように思います。こんな形でもう少し高さが低く、色的には全くこれでした。

ショルダー

絵を描く友達がたくさんいたので、ここの画材の素晴らしさは聞いていましたが、私にはあんまり用がなく、唯一必要だったのが8Bの鉛筆でした。図面を書くにも花のスケッチをするにも、こんなに滑らかな鉛筆はいまだかつて見たことがありません。最近はボカシが必要な図面を書かないので用はなくなったけれど、引き出しの中にまだ2本入っていました。

鉛筆

銀座から有楽町方面に歩いて行くと、まもなく洋書のイエナ(JENA)がありました。札幌では丸善の上くらいしか洋書がなく、植物や園芸、花関係など皆無に等しかったので、ここでは何冊も買い込んで、重たい思いをして担いで帰ったことがあります。この店もネット購入の拡大にはあらがえず、2002年に閉店になってしまったので、このしおり1枚が店の名残になってしまいました。そして、数寄屋橋のソニービルを過ぎて左に折れていくと、まもなく泰明小学校の前に月光荘があったのです。2回くらいしか行ったことはなかったけれど、こんなニュースで思い出してしまうなんて…

古い切り抜き

  • 2018.01.25 Thursday
  • 06:00
連日厳しい寒さが続きます。昨日のお昼も、空はピーカンに晴れていたけれど気温は−6℃前後。夜に帰る時には、車載の温度計で−11℃になっていました。まだまだこんな天気が続く予報になっているけれど、これを乗り切れば春がぐんと近づいてくると、しばしの辛抱です。こんな天気でも毎朝ちゃんと走ってます。面の皮というのは意外と強く、多少ピリピリするくらいでなんともないし、5分も走れば体が温まってくるので、家に帰る頃には湯気が立つくらい汗をかいています。ちゃんと服を着ている時の方が、やけに寒く感じるのは不思議なものです。

今週はガーデニング検定の作問作業。今年も8人で手分けして問題作成に当たります。前回の合格率が65%を超したので、今回は最低でも2/3の壁を越えるよう、分かりやすく解きやすい問題を心掛けています。受験申込みの締め切りは3月2日、試験対策講習会の申込み締め切りは2月16日となっていますが、今年の受験者数が少なければ、来年は打ち切りになる可能性も十分ありますので、迷っている方はぜひ受けてくださいませ。

問題を作成するに当たっては、テキストだけでなくいろんな本で確認しなければならないため、本棚のあちこちから本や図鑑の出し入ればかりやっています。久しぶりに引き出した朝日「植物の世界」の中から、黄色く変色した切り抜きの束が出てきてびっくり。これは週刊で2年ほどかけて刊行されていたので、家でやっていた切り抜きと共に会社に持って行き、そのまま綴じてしまったようです。1995年の新聞なので、まだ前の会社の最盛期頃のこと。連日飛び回っていたので、すっかり忘れてしまったものでしょう。
切り抜き

切り抜きというのは、ついつい読んでしまうものですが、今なら切り抜かないだろうなぁというものまで。当時は海岸整備事業の仕事もやっていたし、このネット式海水浴場は、函館湯の川の熱帯植物園の海岸に整備されたもので、ちょうど子供たちが小学生だったから、夏休みに里帰りした時には毎度ここで泳いでいたところなので、懐かしく見てしまいました。
海水浴場

山岳博物館なんてものもありました。岩手県大迫(おおはさま)町にある山岳博物館は、早池峰山特産のハヤチネウスユキソウがエーデルワイスに近縁であることから、日本初のエーデルワイス展をやっていました。調べてみるとこの町は平成大合併の際に花巻市と合併し、この博物館も既に老朽化のため取り壊されて、収蔵品は後継施設に収蔵されておりました。時代の流れを感じてしまいます。
山岳博物館

明治の初めに一羽だけが捕獲されたミヤコショウビンの探索ルポが、4回のシリーズで残されていました。今では同定間違いではないかといわれている鳥ですが、こんなのんびりしたルポが認められるなんて…と、まだ世間にゆとりがあった時代なんだ思ってしまいました。
ミヤコショウビン

仕事で煮詰まってしまいがちな時に、こういうものが出てくると、かなり息抜きになってくれるのがうれしいもの。もう少しなので今日もがんばらなくては。

武四郎ブーム

  • 2018.01.24 Wednesday
  • 05:45
函館でこんなサイコロキャラメルが出てるよ〜と、送ってくれました。明治の「サイコロキャラメル®」は、昨年3月で販売が終了してしまいましたが、明治の生産子会社で実際にサイコロキャラメルを製造していた道南食品が、北海道「サイコロ®」キャラメルとして販売を再開していました。それの「北海道150年事業」バージョンとして作られたものです。
サイコロキャラメル

その中に、おまけとして小さく折られた絵図が入っており、それがなんと松浦武四郎が作った『新版 蝦夷土産道中寿五六』だったのです。開道150年ではまずいので、北海道命名150年としたために、今まで見向きもされなかった武四郎に、にわかにスポットライトが当たり始めました。なんと雪まつりの雪像にも登場するとか。きっと目を白黒させていることでしょう。
  双六

振り出しはやはり「箱館湊」。現在なら津軽富士とするところを、「ナンブ山」としています。
既に開港されて、函館山の麓には外国の公館ができていたので、旗が立っているようです。
振り出し

このあと日本海岸を北上し、江刺、熊石、島古巻、岩内などを経てシャコ丹、輿市に着きます。
余市ではサケがたくさん捕れていたのでしょうか。
余市

このあともずっと日本海岸を北上を続け、なんと利尻にも立ち寄り、今度はオホーツク海沿岸を南下してヱサシ、紋別、舎利を経て根諸に到着。ここでもクナシリとエトロフの寄り道があります。このあとは太平洋岸を西進して、アツケシ、十勝、幌泉、シャマニ、ユウフツ、モロラン、ヲシャマンベ、山越内を経て上りですが、上りの場所はどこ?
上がり

ここには『奥ふかき 千島のはても 二十一ツ ふりて見玉え 蝦夷しらぬ人』との歌が書かれているけれど、アイヌの人達は、なんでこんなに楽しく踊っているのかな?

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