訃報相次ぐ…

  • 2020.01.28 Tuesday
  • 05:44
今年も訃報が次々と入って来て、気が滅入ってしまいます。昨日入ってきたのは、十勝で緑化樹生産をやっていた方で、調子がよくないというのは聞いていたのですが…
もともとはご主人がやっていたのですが、その方も10年ほど前にガンが亡くなり、息子さんと後を継いでおりました。なかなか面白い方で、十数年前のことですが、仕事で近くまでいったので立ち寄った時のこと。ちょうどいいところに来てくれた!!庭で丹精込めて作った花が満開なのよ〜と嬉しそうに言うのです。庭に回ってびっくり!何と一面のボタンゲシだったのです。

ボタンゲシ

あんた、こんなのがマトリ(麻薬取締部)に知られたら、手が後ろに回るよ!早く焼き捨てないと知らないよ!といって札幌に帰りました。後日、ちゃんと捨てたのか確認の電話をすると、なんとか火を点けて焼いたけど、煙吸ったら変にいい気持ちになったよ〜とラリっておりました…(笑)

この夫婦に最初に出会ったのは、35年くらい前のまだ植木屋時代。ちょうど地下鉄東豊線の完成に合わせて、2番街商店街に並木道を造るというので、樹種の選定から植栽工事まで請け負っていました。商店街からは全部サクラにしたいというけれど、それじゃだめだから半分をシナノキを混ぜるように変更させて、その2種類の木を探しにいったのです。紹介してくれた人からは、仕事はできる人だけど、ちょっと大変な人だから気を付けてな…と言われました。

確かに家の横には街宣車が止まっているし、ちょっと見はまるでヤーさん。でもいろいろ木を探して畑や防風林を回ったり、山に入ったりしているうちに、おめぇみたいな奴が木をいじれるのかと思ったら、意外とよく知ってんだな!と認めてくれたのです。お陰でいい木が入り、2番街の並木は素晴らしい街路樹となりました。

並木道

春先にここを通ると、二人で印を付けて歩いたエゾヤマザクラが満開になり、早くに亡くなられた彼のことを思い出してしまいます。ようやく奥さんと再会して、旨い酒を飲んでいるかなぁ…

2番街

先週末には、大学の4期先輩が亡くなられたと訃報が飛び込んできました。国土交通省の公園のトップまで登り詰めた方ですが、全然生臭いところのない方で、誰からも慕われていた方でした。90年の花博の仕事で大阪に行ったときに、ちょうど博覧会協会に出向していたので、挨拶に行ったのが初めての出会いだったなぁ…

そらぷち

葬儀に行かれたT先輩からのメールに、「彼は爽やかな空気感をいつも周りに漂わせておられました。生前のソラプチの講演会で奥様とのふれあい、病める子供達の命を優しく包み込むランドスケープの心に触れ、涙したのを思い出しました。」とあるように、退職後は滝川のそらぷちキッズキャンプの設立に精魂を傾けておりました。本当に惜しい方をなくしてしまったと残念でなりません。

植物園の温室

  • 2020.01.27 Monday
  • 05:47
植物園配植図の中に、温室のあたりが切り貼りされているみたいです。現在の温室は3代目。1983(S58)年に建て替えられて公開されているので、それに合わせて図面を差し替えたものでしょう。

温室付近

初代温室は、もともと全日空ホテルの周辺にあった開拓使の苗圃の中に、ルイスベーマーによって建てられました。わが国初のガラス温室でしたが、隣にあった札幌農学校に取られてしまい、ベーマーはやむなく清華亭の裏に小さな花室(はなむろ)を建てて、苗の育苗や非耐寒性植物の越冬に使っていました。この温室は多分農学校の現在地への移転に合わせ、植物園内に移設されて、昭和の初めまであったようです。

1号2号温室

2代目の温室は1932(S7)年に廬(ろ) 貞吉氏の寄贈によって建てられ、1980(S50)年頃までありました。通路は狭かったけれど、まっすぐ伸びた廊下の右側にずらりと温室が並んでいて、ものすごくわくわく感がありました。私が持っている一番古いパンフレットには、その形状が遺されています。

配置図

そのパンフレットには当時の入園料が示されており、入園料が60円、温室が20円となっています。農学部の学生はタダだったのでお金を払ったことはありませんでしたが、こんなに安いんだとと思った記憶があります。当時は昼休みに近くのサラリーマンがたくさん入園して、芝生で昼寝をしていましたねぇ。その頃の入園者は確か15万人ほどあり、現在はその十分の一以下になってしまっているはずです。

入園料

先の図の温室の右端に、小さくカキと書かれているように(オレンジの枠)、温室の建て替えにもぎりぎり当たらず、このカキの木は生き延びてきました。形状からすると庄内柿のようですが、いつ誰が植えたのか、当時のことを知る人が生きているうちに、しっかりと聞いておけばよかったなぁ。
カキの木

現在は駐車場になっているところに、「マイクジャク」(赤い枠)と書かれていました。こんなところにハウチワカエデの‘舞孔雀’があったなんて。今度拡大図を持って。確認して歩いてみなければならないようです。(この舞孔雀は中島公園にあるものです。)

舞孔雀

上原敬二賞受賞祝

  • 2020.01.26 Sunday
  • 06:11
山本紀久さんは、愛植物設計という会社を作られ、植物系のコンサルというジャンルを作りだした方ですが、昨年5月の日本造園学会全国大会に於いて、上原敬二賞を受賞されました。昨年12月に東京で祝う会があり、招待をいただいたけれど仕事のピークで行くことができず、残念な思いをしておりました。そうしたら、こちらにいらっしゃる機会に合わせ、祝う会を企画してくれました。

上原敬二賞とは、日本造園学会が出している賞の中では最も格式の高いものです。私も3年前に頂いた学会賞は、「研究論文,著作,設計作品,技術,事業・マネジメントに関し,造園学の進歩,発展に顕著な貢献をした者」に与えられるものですが、上原敬二賞はさらに、「研究,教育その他広範な社会活動を通じて造園分野の進歩,発展ならびに普及啓発に顕著な貢献をした者」に与えられ、いかに長年にわたって社会に貢献してきたかが問われるものです。

学会賞

私が山本さんに出会ったのは、まだ植木屋時代の1984(S59)年のことでした。ちょうど滝野公園造成の基本計画を立てていた段階の時に、植栽や景観づくりの基礎調査を山本さんがやられていたけれど、積雪寒冷地での植物の扱い方の情報が不足しているので、当時開発局にいた先輩から、お前が少し手伝ってやれと紹介されたのでした。その時の報告書の表紙がこれで、ほとんどが土木屋さんの開発局の職員でも、ちゃんと理解できるよう、ていねいに公園のあり方が整理されています。

成果品2成果品1

山本さんのか仕事ぶりを見て、なるほどこういう仕事の仕方があるんだと、初めて自分の生き方に目標が生まれました。ちょうど結婚した時期でもあり、このまま植木屋に留まるつもりもなかったので、山本さんを頼って東京に出るか、札幌に残ってどこかのコンサルに入るか、ものすごく悩みましたが、結婚してすぐに子供ができたこともあり、後者の道を選ぶことになりました。昨日の会では、そんなことも踏まえて挨拶させていただきました。

挨拶

北海道の土地を愛されて頻繁に来ていただける幸運を、私たちはこれからも甘受させていただきたいと思います。山本さんは私の一回り上なので、今年80歳になられますが、いつまでも健康でご活躍なさることをお祈りいたします。

  山本さん

6号誕生♪

  • 2020.01.25 Saturday
  • 05:47
予定より約一週間早く、昨日の朝無事6号が生まれました。予想通り女の子で、ちょっとにんまりしましたが、すぐに真っ青に。今回は病院ではなく産院で産んだけれど、2,000gを切っていたので、NICUのある病院に収容が必要で、救急車で搬送されたとのこと。朝から心配でわたわたしてしまいました。

ちょうど3号が幼稚園に入るためのアレルギー検診の予約をしていたので、かみさんと二人で昼までにそちらを片付け、ようやく1時近くに病院に。久しぶりに会った父ちゃんの腕にに飛び込んで行きました。
病院

確かに痩せてはいるけれど、ほぼ予定日までお腹に入っていたので、そんなに心配することはなさそうだし、難産ではなかったので、母親もそれなりに元気なので一安心。でも一ヶ月くらい入っているようなので、フォローが大変です…
赤ちゃん

この病院は3号が生まれたところなので、なんとなく懐かしいというか、生まれた日のことを思い出してしまいました。本人はそんなことは知らないので、窓から大好きな電車や車が見えるのが面白く、窓枠に上げてやると大興奮。
秋文

ちょうど西線の路線がまっすぐに見えるので、しばら〜く眺めておりました。先日乗ったばかりのポラリスが通ったので興奮も最高潮に。男の子は乗り物が本当に好きですねぇ。女の子はどんな風に育つのかしらん?
ポラリス

娘は赤ちゃんが退院するまでいなければならないけれど、3号は保育園にそろそろ行かなければならないので、父ちゃんが引き取りに来ることになりそうです。それまでじじばばが、へろへろになりそうだけどがんばるぞっ!

植物園配植図

  • 2020.01.24 Friday
  • 05:43
事務所の打合せと書庫に使っている部屋に、植物園の配植図をパネルにしたものを掛けています。なんとなく絵としか見ていなかったけれど、そういえば昔データ化しておいたはずと、探してみると出てきました。A3版でスキャンできないので、4枚を切り貼りして作ったものです。
配置図

これは辻井先生が若い頃に、学生たちと測量しながら作ったものだとのこと。そのコピーをいただいたので、パネルにしておいたものです。きちんと真北を上にしているため、かなり傾いていることがよく分かります。札幌の町は、大友亀太郎が適当に掘った掘り割りを基準に造ったため、こんなに傾いてしまいました。

建物群

それはさておき、真ん中にある博物館は、ちゃんと南北軸に建てられていることが分かります。かつて博物館と植物園は別組織で、入り口の門の右側に植物園の、左側に博物館のプレートが付いていました。最初に造られた博物館の周りを植物園にしたという経緯から、博物館の方がえらい…みたいな雰囲気だったそうです。博物館周りの建物の位置関係が、今とはかなり違っているけれど、なにも書いていないのでよく分かりません。
現況

博物館のすぐ横に建物はなく、ちょっと下がったところにバチェラー記念館があります。これは道庁のすぐ裏にあったバチェラー邸を1962(S37)年に移築したということなので、既に現在地にあったはずですが。(この画像は修復前なので、外壁が傷んでおります。)
バチェラー記念館

南西の隅には、まだ園長官舎が残っています。植物園長は、宮部先生以降歴代の農業生物学科の教授が就任しており、ここに住んでいたということは、現在のようにたびたび代わっていなかったということなんでしょう。植物園は、初めからこの敷地になったのではなく、少しずつ時間をかけて、主として道庁から移管を受けて現在の姿になっていきました。ところがこの凹みだけは民地になっていて取得できなかったために、こんな変な形になってしまったのです。

園長官舎

現在建物は撤去されていますが、新しく作られた塀にもここに出入り口が付けられ、苗圃に出入りできるようになっています。バラ園から苗圃にかけては、秋咲きクロッカスが野生化しているので、10月第1週にはこんな光景が見られるので、是非覗いてほしいです。
クロッカス

春の気配?

  • 2020.01.23 Thursday
  • 05:48
昨日届いた郵便物はガーデンや資材、ツアーの案内など、ちょっと春の気配が感じられるものばかりでした。その中には、「ブレインズの会員更新のお願い」が。イエローブックの第1号は2001年なので、(手紙には2011年になっていましたよ〜内倉さんらしいなぁ…(^^;))今年は記念すべき20冊目のイエローブックになります。記念すべき20年目には、仕組みが大きく変わるようです。

案内1

冊子は、書店やショップで売られることはなくなり、会員の方のみの配付となります。個人情報満載ですから、オープンガーデンの趣旨に賛同した方のみの情報源になるわけです。ますます貴重な冊子になりそうですね。

  イエローブック

その代わり、ホームページではガーデンの様子がたくさん公開され、ガーデンの概要を詳しく把握できるので、ある程度目星を付けてコースを決めたりすることは容易になり、実際に行く段になれば会員登録して冊子を購入することで、詳しい場所や連絡先などが把握できます。本当に庭を見たい人だけが訪れることができ、トラブルが起きにくくなりそうです。
方針1

このような方式が定着するには、少し時間がかかるかもしれませんが、いずれ避けては通れないことなので、川上教授の腕の見せ所ですね。このような仕組みを維持していくためには、一人でも多くの会員登録が必要です。どうかよろしくお願いいたします。

庭づくりの専門店からのカタログや、山草のカタログと共に、英国ガーデンツアーの案内も入っていました。6月16日から一週間なんて行けるわけないけれど、一番いい時期なんでしょうねぇ…
それにしてもこの写真。なんでホース引っ張ったおじさんが写っているのでしょうねぇ…?まだ仕込み中だと言うことを示したかったのでしょうか。

RHS

RHSの新しいガーデンがマンチェスターにできるそうで、開園前の特別見学が目玉のようです。7日間で498,000円かぁ… いつになったら、こういうツアーでイギリスに行くことができるようになるのかなぁ…(^^;)
ガーデンツアー

鴨々堂復活

  • 2020.01.22 Wednesday
  • 05:58
昨日の新聞に、すすきのの外れにあった「鴨々堂」の一部が、奈井江の道の駅に復活したとありました。なんで奈井江なの?とは思いましたが、ここを運営していた方が大変深い思い入れを持たれていたので、たとえ一部でも復活できたことはよかったです。
鴨々堂復活

かつては芸者の置屋だったという建物は、なんと大正末期に建てられたものだそう。90年以上もの歳月を生き抜いてきた建物だけど、解体を免れてギャラリーとして運営されていました。それがとうとう昨年の9月一杯で閉鎖され、解体されたと思っていました。
全景

4公園ワンデーマーチや北大の集中講義の現地学習の時に、何度か立ち寄って見学させていただいたことがあります。大人数で上がるのが怖いくらい、床は傾くし柱と壁にすき間があるわでしたが、昔の民家の名残があちこちに遺されていて、私には懐かしい感触でした。
置屋

置屋時代からある調度品なのか、なんとも怪しいものがひっそりと置かれていたけれど、「ほこらちゃん」という名前はなんなんでしょうねぇ…?
怪しい置物

なんといっても、座敷から見える鴨々川の風情が最高でした。まるで京都にいるかのような雰囲気は、もう味わえないのかと思うと寂しいですねぇ。
鴨々川

鴨々川をさかのぼって中島公園まで歩いて行っても、こういう雰囲気をいかすことなく、無機質なマンションばかり続いて寂しい限り。今回の復活劇も、強い思いを持ち続けたからこそ、それに応える会社が現れたわけで、それはそれで素晴らしいことだと思います。でも…やはりあの雰囲気があっての鴨々堂なので、その意味からは寂しいです。元の場所に何が建つのか見に行くのが怖いけれど、周りの環境を活かした建物が、どうして増えていかないのでしょうねぇ…

カレンダー

  • 2020.01.21 Tuesday
  • 06:00
昨日夕方から、珍しく雪が降り続きました。朝まで10cmしかなかった積雪が、帰る頃には30cmにもなり、今冬初めてしっかりと雪かきしてから帰りました。除雪屋さんも待ちかねていたとみえ、いつもなら3時過ぎに入る除雪が、なんと1時過ぎにはがりがりとやって来てました。それからさらに積もっていたので、札幌の積雪深はやっと38cm。これでやっとラベンダーやエリカが雪の下に入ったけれど、バラにはもう少しでしょうか。南の滝野公園には降ってないだろうなぁ…

アメダス

夕方雪まみれになって事務所に戻ったら、郵便受けに差出人の書かれていない封筒が。何か怪しい勧誘かな?と開けてみると、咲くやこの花館のカレンダーが入っていました。
カレンダー

(?_?)と思ってよく見ると、JGN(ジャパン ガーデナーズ ネットワーク)のサイトで会員プレゼントがあり、どうせ当たらないだろうと一応応募したものだったのです。これが抽選なら絶対はずれるのですが、先着順だったので、めでたく入手できたのでした。

ガデネット

咲くやこの花館には、昨年3月に久しぶりに訪れることができたので、
一層感慨深いものがありました。熱帯植物から高山植物まで、あれだけの規模で展示されているのは、我が国ではトップクラスだと思います。それを開館から30年もずっと維持しているだけでなく、どんどん発展させているところがスタッフの腕の見せ所なのでしょう。
ハブランサス

入館料はたった500円で、年パスは2,500円と5回分なので高く感じますが、市営だけあって65歳以上の大阪市民は無料なので、年間20数万人の入館者のうち、有料入館者はたったの2〜3割程度。じじばばの天国になっているようです。それでも熱心に写真を撮したり写生をしたりして、有意義な時間を使えるのですから、大阪市民がうらやましい限りです。
咲くやこの花館

町中の再開発が盛んにやられているけれど、町中の一角にこういう緑に触れられるスペースを作るなんて発想は、今の役人や政治家にはこれっぽっちもないのでしょうかねぇ…

出産準備

  • 2020.01.20 Monday
  • 05:49
週末には、余市にいる娘が出産準備のため、子どもを連れて我が家にやって来ました。非常勤で教えている北星余市校での講義を、どうしても単位を付けてやりたい子がいるのでと、ぎりぎりまで講義をすませてから戻って来たので、いつ生まれてもおかしくない状況で、毎日ハラハラの日々が始まります。25日が新月なので、一番危ないのだとか…困ったなぁ…(>_<)

家に帰ると、3号が元気よく「じぃじ お帰り〜」とお迎えに。なにやってるの?と聞いたら、さっそくプラレールをぶちまけて、にぎやかに遊んでました。うちの子供たちが使い終わって20年くらい押し入れで眠っていたものが。電池を入れてやるとほとんど復活してくれたのです。
秋文

正月には従兄弟同士3人で、取り合いしながら大騒ぎで遊んでいたけれど、今度は独り占めできるので、心置きなく遊べることでしょう。他のおもちゃもすべて保管しているので、半月くらいたっぷり遊べるかな。
プラレール

娘が子どもの時から大切にしているぬいぐるみまで里帰りしているので、安心して子どもをお迎えできそうです。6番目は女の子かなぁ…
ぬいぐるみ

レコードの整理

  • 2020.01.19 Sunday
  • 05:58
正月休みが終わり、子供たちが帰ってから、長年の懸案事項になっていたLPレコードの整理を始めました。きっちり数えたこともなかったけれど、400枚くらいのレコードを持っています。最近は聞くこともほとんどなくなり、大晦日には紅白なんか見ないので、ここぞとばかりに書ける程度。出し入れしてグチャグチャになっていたので、なんとか片付けたいと思っていたのです。

レコード棚

まずは右半分の女性ヴォーカルから。ここではなんといっても、ダイナ・ワシントンのコレクションが存在感を放っています。あの頃の学生は、ジャズ喫茶に入りびたってうんうん唸っているのが多かったけれど、タバコ嫌いだったのでとてもなじめず、毎度聞いていたFMラジオから情報を増やしていくうちに、ジャズ演奏ではなくジャズヴォーカルに惹かれていきました。でも、当時流行っていたビリー・ホリデーやエラ・フィッツジェラルとはどうにもなじめず、たまたま聞いたダイナ・ワシントンにぐいぐい引き付けられていったのです。
ダイナ1

レコードを買い始めたのは社会人になってからで、札幌ではほとんど手に入らなかったため、帰省のたびに東京に立ち寄り、あちこちの古レコード屋などを探し回りました。もう亡くなっていたので、新譜では手に入らなかったのです。こうして集まったダイナのレコードは、なんと51枚もありました。
ダイナ2

ダイナのレコードは、デビューから50年代はマーキュリーから、60年代の4年間はルーレットから出ていました。80年代にダイナのマーキュリーベスト盤が全7巻で出たのですが、初めの4巻はレコードで、後半の3巻はCDになり、時代の変化を示していました。
ダイナ3

ダイナはデビュー当初はブルースばかり歌っていて、その後レコード会社の戦略でジャズ・ヴォーカルが増えていきましたが、ジャズにはとても納まらず、こぶしの利いたリズム&ブルースが一番似合っていました。そんなダイナの後継者と伸びていったのが、エスター・フィリップス。デビュー当時はダイナそっくりのR&Bで、だんだんディープソウルに移っていきました。
エスター1

その頃に、何度か京都からやって来たのがウェストロードブルースバンド。札幌のブルースシーンもかなりの盛り上がりがありました。たまたま買って持っていたのか、ジャケットにみんなのサインが残っています。
エスター2

そして、ソウルの女王といわれたアレサ・フランクリンもダイナの後継者としてスタートし、興行的にも大きな成果を遺しました。アレサのレコードは10枚。4枚組CDベスト盤は私の宝物の一つです。
アレサ

ダイナのあと、ルース・ブラウンやエタ・ジェイムス、ダコタ・スティトン、デラ・リーズなど(計17枚)が活躍し、やがてソウル全盛時代に突入していきます。ここに挙げたその他の歌手たちのレコードが、約80枚もありました。

その他女性

結局、R&B系の女性ヴォーカルだけで155枚ものレコードが。よくもまぁこんなに集めたものだと思いますが、このほかにCDが何十枚もあるので、2〜300枚ものコレクションがあることが分かりました。左側の棚には男性ヴォーカルが同じくらい入っているので、この冬のうちに整理しなくては。こういうものは私が死んだあと、どうすればよいのか決めておかなければいけないかなぁ…(^^;)

居心地のいい店

  • 2020.01.18 Saturday
  • 05:54
うどんとそば以外、外食することはあまりないのですが、たまに行くところがいくつかあります。事務所の近くには、しゃれた店はたくさんあるけれど、いわゆる町の食堂的な店はそんなにないかと。かみさんと一緒の時に行くのがこの「橋本屋」さんでしょうか。
橋本屋

店が出来たのは25年くらい前だとのこと。この前は円山市場だったし、子供が小さい時によくこのあたりに買い物に来ていたので、かみさんはよく知っています。内装は本当にレトロそのもの。ちゃんとコックさんの制服を着て、生真面目そうな顔で調理してくれます。
レトロ

かみさんは函館生まれなので、やっぱり塩ラーメンを。2人ともごてごて載っかった「札幌ラーメン」は全く食べないので、この素朴さはホッとします。
塩ラーメン

私は支那そばで育ったためか、たいてい正油ラーメンを。正油はなんと430円、塩や味噌が500円という信じられない価格設定です。もうちょっと出汁がきいていればなぁ…ですが、これぞラーメンという感じが大好きです。これに餃子を一皿頼みました。いつまでもあってほしい店です。
醤油ラーメン

もう一つ、豊平区を通ったので久しぶりに寄った店が「カフェ エストラーダ」。私の恩師の息子さんがやっている店で、北海学園の裏口から出てすぐ前の、水車町の住宅地にあり、車で行っても建物の左を奥に入ると、3,4台止まれる駐車場があります。(この写真はネットからお借りしました…m(__)m)
カフェエストラーダ

日当たりのよい店内は明るいけれど、夜になるとライブもやるという、元気のある店です。かつてこのあたりには「神経質な鶏」というブルーズの店があったけれど、記憶的には全く同じ場所ではないのかなぁ…
店内

先客は一人だったけれど、ちょうどお昼時だったので次々と来客があり、ほとんど席は埋まりました。学生さんもいましたが、このあたりには食事できる場所がないので、近くのサラリーマンにも重宝されているのでしょう。ランチタイムは3通りのメニューから選ぶことができ、これにコーヒーが付いて900円です。
パスタ

料理は奥さんが奥でていねいに作っていてとても美味しいし、コーヒーもかなりこだわっています。昼時をはずして、のんびり過ごすのにもいいかもしれません。

緑のセンター

  • 2020.01.17 Friday
  • 05:51
昨日は10cmほど雪が降ったので、車は結構のろのろ運転。朝いちで厚別の奥の方に行くのに、いつもの1.5倍時間がかかりました。でも冬タイヤを新品に取り替えたばかりなので、抜群の制動性能に一安心。帰り道、清田寄りに36号から帰ったので、豊平公園に寄ってみました。植物の企画展示はやっていなくて、写真展でしたが、みなさん本当にうまいですねぇ…いいカメラ使っていることもあるのでしょうが、びっくりするほどの出来映えです。(19日まで)
写真展

玄関の風除室は日当たりがよく、出入り時に寒風が吹き込むので、ツバキやシクラメンにはちょうど居心地がよさそう。このシクラメンは、八紘学園の生徒さんが育てたものだそうです。こういうところの展示に使われるなんて、生徒さんも喜んでいることでしょう。
シクラメン

ツバキやサザンカの、いろんな品種が次々と咲いて来ています。侘助風の花の小さなものが多く、一つ一つ見ていくとかわいいものばかりです。‘西王母(せいおうぼ)’は本来ピンクだけれど、これは‘赤西王母’だそうで、先祖返りしたのかな?
赤西王母

2階に上がると、ドンベヤ(Dombeya wallichii)にはボランティアの方たちが紙で造った花が取り付けられていました。花のないときに、こんな花が咲くんですよ〜ということを知らせるためです。ところが、株全体に無数のつぼみが伸びてきていました。こんなに咲いたらどうなるんだろうと心配になるほどです。あとで職員に聞いたら、やはり今までで最高の花の数になりそうで、マスコミにどう流そうかと作戦を練っているそう。来月中下旬が見ごろになりそうなので、これは必見です!
ドンベヤ

その足元に、まるでカリガネソウ!!と思うほどそっくりな花が咲いています。ラベルには、クマツヅラ科のクレロデンドラム・ウガンデンセ(Clerodendrum ugandense)となっていましたが、戻って調べて見ると、今はシソ科のロテカ・ミリコイデス(Rotheca myricoides)になっているとのこと。ウガンデンセの名の通り、熱帯アフリカの原産ですが、同じシソ科になったとはいえ、全く違う属なのに、どうしてこんなによく似てくるのでしょうか?
ブルーエルフィン

その後ろでは、アカリファ(ベニヒモノキ)(Acalypha hispida)の花が。トウダイグサ科の植物で、熱帯アジアが原産です。こういう場所でしか見ることができないので、本当にこのセンターは貴重な場所になりました。
赤リファ

窓辺には、サラセニアやモウセンゴケ類、ムシトリスミレなどの食虫植物が並んでいました。場所がピタリと合っているようで、どれも生き生きと元気に育っています。このハエトリグサ(Dionaea muscipula)には、一度生きたハエを食べさせてあげたいですねぇ…(^^;)
ハエトリグサ

ここには「温室」と名付けられた小部屋があります。高温多湿環境を好むものが、ひっそりと肩を寄せ合って静かにたたずんでいる風情。市内から「温室」が絶滅してしまった今となっては、本当に貴重な場所になってしまいました。
温室

豊平公園緑のセンターは、東豊線の駅に直結しているので、来月のドンベアの開花に合わせ(2月前半はカラーリーフ展、後半はアザレア展が開かれています。)、ぜひ足をお運び下さい。

追悼:富士田金輔さん

  • 2020.01.16 Thursday
  • 05:56
ベーマー会副会長のUさんから電話があり、富士田金輔さんが年末に亡くなられたとのこと。私はまだ直接お目にかかったことはなかったけれど、遺された2冊の著書やベーマー会の会報から、多大な影響を受けていただけに、残念でなりませんでした。冨士田さんが遺した『ケプロンの教えと現術生徒』が刊行されたのは2006年なので、今から14年前のことでした。その時は全然気付かず、なにかの資料を探していてこの本のことを知り、あわてて買い求めました。膨大な開拓使文書を丁寧に読み込み、淡々と事実を掘り起こしていくこの本の素晴らしさには、本当に感激しました。

現術生徒

ケプロンが連れてきた御雇外国人は、各方面で大活躍をしましたが、北海道農業に関しては、一緒の船でアメリカからやって来たエドウィン・ダンとルイス・ベーマーの2人が、その礎をしっかり築いていったのです。2人が養成したのが現術生徒で、今でいう農業改良普及員みたいな役割で、西洋農業を各地に根付かせるために、2人から特訓を受けて各地に派遣されました。彼等は百姓出身ではなく、多くは朝敵とされた東北各地の武士たちだったのです。
ダンとベーマー

今私たちの身の回りにある作物、野菜、果樹、蔬菜、花卉に至るまで、多くのものがベーマーによって導入され、道内に定着していきました。それにもかかわらず、これまでベーマーのことが全く知られなくて抹殺されてしまったのは、札幌農学校=北大農学部のせいであると私は確信しているのですが、冨士田さんはそんなことはなにも書いておりません。
    功績

それはもう一つの著書である『リンゴの歩んだ道』を読めばよ〜く分かります。これも目からうこがぼろぼろと落ちた、素晴らしい本でした。
リンゴの歩んだ道

以前、JRの車内誌に連載している北室さんにベーマーのことを伝え、ベーマー会があることも教えたところ、マッサンブームとうまく抱き合わせて紹介してくれました。活動がほとんど停滞していたベーマー会も、これを機に息を吹き返し、お陰で私もメンバーの一員になることができたのです。記事の中にベーマー会のメンバーが写っておりますが、もちろんその中心にいるのが冨士田さんです。

ベーマー会

昨年末の同じ日には、北海道の都市計画やまちづくり、景観づくりなどの基礎を作られたHさんも亡くなられており、昨年は惜しい方をたくさん亡くしてしまったんだなぁと、改めて感じます。心よりご冥福をお祈りいたします。

40年前の決断

  • 2020.01.15 Wednesday
  • 05:49
古い話ばかり続きますが、今から40年前の1980年は、私にとっては嵐のように荒れ狂った年でした。79年の2月から、豊平公園の緑のセンターに臨時職員として勤めることになり、最初の一月は残業が150時間もの激務を乗り切って無事3月にオープン。来館者があまりにも多くて大変だったけれど、楽しい職場でした。
緑のセンター

そして7月には市の採用試験を受けて、すんなり市の職員になるはずでした。ところが、11月1日に届いた通知では『不合格』。あわてて部長が確認すると、最低血圧が1ミリオーバーしていたために不合格になったことが分かり、大騒動になりました。確かにたった1回測っただけで、正確な血圧なんか分かるはずもありませんからね。

結局その判定は覆らないものだから、J部長から何度も呼び出され、臨職を特例でもう一年延長するから、再度試験を受けてくれというのです。その時は本当に悩みましたが、ここは一度原点に立ち返らないと一生悔いが残るからと、きっぱりと断って造園会社に行くことに決めました。あちこちに原稿を書きまくり、テレビの準レギュラーにもなったりして、やっぱり天狗になってしまっていたのです。そこで選んだのが、当時センターによく来ていた岸村さんの会社でした。確かに腕はいいかもしれないが、大酒飲みだし給料なんかまともにもらえないので、あそこにだけは止めておけとみんなに言われましたが、そこに行くことに決めました。(この写真は、亡くなられた後歴代の仲間が集まり、親方にも献杯をして酒を酌み交わした時のものです。)
親方

緑のセンターを辞めた2月11日には、センターの仲間全員と、市の係長まで来てくれて、送別会を開いてくれました。一年間の勤務が濃密だっただけに、もう行けなくなるのかと思うと、ものすごく寂しい思いと、先行きへの不安が募って来たことを思い出します。
送別会

そうして、道新の連載も2月28日付けが最終回。読み返してみると、これで終わりですとは書いていなくて、質問募集が載っているということは、そのまま誰かに引き継いだのかなぁ…? 私からは推薦していないので、道新の方で後釜を見つけたのかもしれません。

最終回

そして3月3日の日曜日。真駒内からもみじ台に引っ越す知り合いのを手伝っていて、もみじ台に向かう途中に、八紘学園の横のところで猛吹雪に巻き込まれ、一寸先も見えない中で正面衝突。右膝をつぶして厚別の救急病院に運ばれ、約一ヶ月入院してしまいました。翌日から出勤するはずだった造園会社にも電話することもできず、二日後の夜にようやく連絡して事情を説明して、約2ヶ月遅れてようやく植木屋生活が始まりました。本当に嵐のような半年間、ボロボロになりながらも、よく乗り切れたものだと思います。

道新の連載

  • 2020.01.14 Tuesday
  • 05:48
私が園芸のライターみたいになってしまったのは、まだ研究室に残っていた時のこと。一浪して入ったことで大学院に行くのはあきらめ、一年だけ研究生として残らせてもらいました。卒論で結果を出した落葉性ツツジ類の挿し木を、もう一度再検証したかったこともありました。年末近く、そろそろ進路を決めなくちゃという時に、私の先生のところに道新から連載の依頼が来たのです。私が指導を受けていたT先生は、その頃眼の具合がよくなく、「ボクがちゃんと面倒見るから、あんた書いてくれ」といきなり振られることになりました。それで12月の第1木曜から書き始めたのが『室内園芸』です。

室内園芸

原稿を書いて先生のところに持っていくと、すぐに真っ赤になって帰ってきます。それを再度書き直して持っていってもまた真っ赤。初めの頃は3〜4回も書き直していたように思います。月曜の昼までに道新に原稿を届けなければならないので、毎度夜なべして書いていました。もちろん手書きなので、結局全部書き直すために、ものすごく時間と手間がかかったのです。それでもなんとか20回の予定を切り抜け、やっと終わるかと思ったら、好評なので引き続き連載をと、4月半ばから『北の園芸』に切り替わりました。

北国の園芸

その頃になると赤ペンの数が少しずつ減り始め、書くことも自分で決めていくことができるようになりました。この厳しい添削が、私の文章修行にとても役だったことはいうまでもありません。4月からは大学を離れ、それまで何軒か庭の管理をやっていたこともあり、半分自営業のような園芸フリーターの形で生計を立てていくことになったけれど、とても食えないので半年近くは中央市場で野菜運びのバイトをしていたし、よくあんな無茶をやったものです。その連載が翌年2月になった頃に、また道新から連載を切り替えて、『北の園芸 質問箱』として引き続き書いて下さいということになりました。

質問箱

その頃になると、先生のところに行くこともかなり少なくなってきたし、自分の中の貯金も少しずつできてきたので、割とすらすら書いていくことができるようになりました。とはいえ、毎週休みなく続くし、ワープロもファックスも、もちろんメールもなく、ひたすら手書きで原稿を書いて、道新の受付に届ける日々が続きました。この質問箱がまた好評で、この連載はなんと105回も続くことになり、書き始めてから170週連続、3年3ヶ月も書き続けることになったのです。ふぅっ。
道新連載
このお陰で、ふだんから情報をたくさん集めるためのアンテナや、集まった情報を整理していつでも出せるようにしておくこと、限られた文字数で起承転結、平易な文章にまとめて意図を伝えられることなど、25歳前後の青二才ながら、社会人の基礎が出来たように思います。
最終回となる1980年2月28日の日付を見て、ここが私の人生の転換点だったんだなぁ…と改めて、いろんなことを思い出してしまいました。

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